Chapter 1 of 3

新しいランドセルを脊負ひ、新しい草履袋をさげて、一年生の進ちやんは、元気よく学校から帰つて来ました。

「ただいまア!」

「はい、お帰りなさい。早かつたわねえ。」

さう云つてお母様が、すぐニコニコして玄関に出ていらつしやると、進ちやんは帽子をとり、靴をぬぎながら、お母様にききました。

「ママ、今日、ほんとに何も買はなかつた? ほんとに、夕御飯のおこしらへ、なんにもしてない? お野菜なんか、ほんとに買つてないかア?」

お母様は、進ちやんの帽子と草履袋とを取上げて、ニコニコしておつしやいました。

「ええ、ほんとに、なんにも買はなかつたわ。だつて、今朝みんなにお約束したんですもの。」

「あツ、うれしい、助かつた! 僕、お使ひに行くのがうれしくつてね、走つて帰つたの。ねえママ、ランドセルや筆入も、僕の脊中でね、一ツ二ツ・ガッチャガチャ、左ツ右ツ・ガッチャガチャつて、さわぐんだよ。きつと、うれしいんだね、ママ。」

「ホホウ、さうかしら?」

「さうだよ、ほんとにさうなんだよ、ママ。今日はうちの『ママの日』なんだもの。ねえ、まだ姉ちやんも兄ちやんも帰つて来ない?」

「ええ。まだお午すぎですもの。一時ごろになると、純子ちやんが帰つて来るでせうし、二時ごろに耕一さん、三時ごろに蓉子姉ちやんが帰つて来るはずだわ。」

「ぢや、僕、ひとりで先にお使ひに行つて来ようかな。ねママ、僕ねえ、いいもの買つて来てあげるのよ。あててごらん。ママの大好きなもの。あてたら、えらい。」

「さあ、なんでせうね?」

「あてたら、えらい!」

「さあ、なんですかねえ?」

そんなことを云ひながら、進ちやんとお母様は、子供部屋に入つて来ました。

「ねえ、わかんない、ママ。」

「わかんないわ。ほんとに、なんでせう?」

「僕の買つて来るものねえ――云つちやをか――ねえ、三ツ葉を五銭と、にんじんを二三本。それだけ。」

「あら、あんた、そんなもの、ひとりで買つて来られるの?」

「買つて来られるさア! 風呂敷もつて、市場に行つて、お金を出して、包んでもらふんさ。純子姉ちやんはね、おじやがと、莢ゑんどうなんだよ。耕一兄ちやんも蓉子姉ちやんも、何か買つて来るんだよ。みんな手分けで買つて来ることに、昨夜、ちやんと決めたんだよ。ママ、知らないでしよ。ないしよなんだから。」

「あら、あら。ないしよを聞いちやつて。いいの? ママ、困るわ。」

「いいんだよ、いいんだつて、ママ。だまつててね。だけど、僕、困つちやつたなア。」

するとお母様が、笑つて云はれました。

「いいのよ、進ちやん。ママ、なんにも聞かないことにして置くわ。ね、それでいいでしよ。」

「ぢや、指切りしてよ。」

さう云つて進ちやんは、すぐお母様の細長い小指に、自分のちつちやい可愛いい小指を巻きつけて、面白さうにゆすりながら、指切りをしました。

ほどなく、尋常三年生の純子ちやんが、やはりランドセルを脊負つて、縁の広い帽子の下から汗を流しながら、リンゴのやうに赤い頬つぺたをして帰つて来ました。

「ただいまア! ママ、進ちやんもう帰つた? わたし、お掃除で、おくれちやつた。すぐお使ひに行くの。さあ、風呂敷出して。」

純子ちやんは玄関に入るが早いか、もうそんなことを云つて、学校のお道具をお部屋にしまふと、すぐ進ちやんを誘つて、めいめいのお小遣をもつて、外へとび出しました。

「気をつけるんですよ。ね、進ちやん、純子ちやん。」

お母様は二人を見送ると、茶ノ間の長火鉢の横に坐つて、雑誌を膝の上に開きながら、うれしさうにこんなことを思はれました。

「……あの子供たちを育てるためには、私たちも、ずゐぶん苦労をして来たものだ。でも子供は、やつぱり大切にしてやるべきものだ。明日は五月の第二日曜で、『母の日』だと云ふので、うちではみんなあんなにして、今日の土曜を『母の日』に繰上げて、わたしをいたはつてくれる。一ばん大きい娘は、もう夕御飯のお米まで、ちやんと今朝といで学校に行つてくれたし、お菜もつくつてはいけないと云ふし、わたしは、なんにもすることがなくつて、あアあ、ほんとに勿体なくて、退屈して、欠伸が出さうだわ……」

Chapter 1 of 3