Chapter 1 of 6

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いっさいの結末として、かつ立派な大詰として、いや、あのことの全体として、今残っているものは、生活――おれの生活――が「そのいっさい」、「その全体」がおれの心に注ぎ込む、あの嫌厭ばかりである。おれを絞めつけおれを駆り立て、おれをゆすぶってはまた投げ倒す、あの嫌厭である。おれにこのばかげたくだらない用向きを、残らずさっさと片づけて、逃げ出してしまうだけの動力を、おそらく早晩与えてくれる、あの嫌厭である。とはいえもちろん、おれはまだ今月か来月ぐらいは、こうやってゆくかもしれないし、あと四半年か半年ぐらいは、食ったり眠ったり、いろいろ用を足したりしつづけるかもしれない――この冬中おれの外面生活が過ぎたのと同様、機械的な、よく整ったおちついた調子で、かつおれの内部の荒涼たる分解作用と凄まじく相闘っているあの調子で。人間の内的体験というものは、その人間が、外的に束縛のない超世間な平穏な生きかたをしていればいるほど、ますます力強くますます心を疲らすようになりはしまいか。だが、どうにもならない。生きてゆくよりほかに仕方がないのである。活動の人となることを避けて、どんなに閑寂な荒野へ引っ込んだところで、人生の転変は内面的におそってくるだろうから、たとえ英雄であろうとばか者であろうと、ともかくその転変のうちに、自己の性格の真価を発揮せねばならぬであろう。

おれはこの小綺麗な帳面を用意して、その中におれの「身の上話」を物語るつもりでいる。いったいなぜだろう。おそらくともかくもなにかしら仕事をするためかしら。あるいは心理的なことを喜ぶ心持からと、その心理的なこと全体の必然性を味わい楽しもうという気持からかもしれない。必然性というものは実に慰めになるものだから。またもしかすると、ちょっとのあいだ、自分自身に対する一種の優越感と無関心、といったようなものを享楽するためでもあろうか。なぜといって無関心――それは一種の幸福だということをおれは知っている。

あれは、ずうっと裏手のほうにある。あの小さな古い町は。狭い、曲り角の多い、破風屋根のつづいた街路と、ゴシック風の教会や噴水と、働き好きな物堅い素朴な人々と、それからおれの育った、大きな古色蒼然たる邸宅とを持ったあの町は。

その家は町の中央にあって、裕福で徳望のある紳商の家族が、四代もそこに住みつづけていた。「祈れよ、働けよ」というラテン語の文句が、表口の上に書いてある。上のほうに、白塗りの木造の廻廊がぐるりと取りつけられた、広い石だたみの玄関から入って、幅のひろい階段を昇りつくしても、なおその上り口のひろい床と、小さな暗い柱廊とを通り抜けなければ、高い白い扉の一つを潜って、居間に達することはできなかった。そこではおれの母親が、グランド・ピアノの前に坐ってなにか弾いていたものである。

母親は薄明の中に坐っていた。窓々には、重たい濃紅色の帷がかかっていたからである。そして壁布にある白い神々の姿は、浮彫のように青い背景から盛り上って、ショパンのあるノクチュルヌの、あの重たい低い出はじめの音に、耳を澄ませているかのようだった。それは母親のなによりも好きな曲で、あたかも一々の諧音の憂鬱をあくまで味わいつくそうとでもするように、いつもごくゆるやかに弾くのであった。ピアノは古くて、もう音量が足りなくなってはいたが、高いほうの音を、いぶし銀を思わせるほど柔かにする、弱音ペダルを使えば、ずいぶんふしぎな効果をあげることができたのである。

おれは厖大な、堅い背のついた、緞子張りの長椅子に腰かけて、母親を眺めていた。母親は小柄でやせぎすで、たいていは柔かい薄緑の布地の服を着ていた。細い顔は美しくはなかったが、分けられて軽くうねっている、かすかな明色の髪の下では、おとなしい繊細な、夢見るような子供の顔とも見えた。首を少しかしげて、ピアノの前に坐っている時には、よく古い画に、聖母の足もとでギタアを持ち扱っている、あの小さないじらしい天使に似ていた。

おれの小さいうち、母親は持前の低い控え目な声で、他には誰も知らぬようなお伽噺を、よく聞かせてくれた。あるいは膝にのっているおれの頭の上に、ただ両手を置いたままで、黙ってじっと坐っていることもあった。そういうのがどうやら、おれの生涯での、一番幸福な一番平和な時だったように思われる。――母親の髪は白くならなかった。おれは母親が年をとらないような気がした。ただからだつきがますますかぼそく、顔がますます細くおとなしく夢みるようになってゆくだけだった。

ところが父親のほうは、上等の黒羅紗の上着と白い胴衣とを着た、丈の高い肩幅の広い男で、その胴衣には、金縁の鼻眼鏡がつるさがっていた。短かい半白の頬髯の間に、上唇と同じくきれいに剃った顎が、まるく大きく突き出ていて、眉と眉との間には、いつも深い縦皺が二本寄っていた。父親はおおやけのことに大きな権威を振った勢力家だった。おれは人々が息をはずませ眼を輝かせながら、あるいはまたうちひしがれて絶望しきって、父親のところを出て行くのを見たことがある。というのはおれも、また時には母親や二人の姉たちも、こういう場面に居合わせることがあったからである。そんなことがあったのは、おそらく父親が彼ほど出世したいという名誉心を、おれに吹き込もうとしたためであろう。あるいはまた、彼が見物人を必要としたためかもしれぬとおれは疑っている。父親が椅子にもたれて、片手を上着の折返しのところに突っ込んだなり、恵まれたあるいは砕かれた人間を見送る様子には、一種の癖があった。それがおれの子供心にも、すでにそういう嫌疑をいだかせたのである。

おれは片隅に坐ったまま、あたかも父親と母親とのうちどっちかを選ぶかのように、また人生は夢見心地の物思いのうちに過ごしたものか、それとも事業と権勢のうちに過ごしたものか、どっちがよかろうと思いはかるかのように、両親をじっと眺めていた。そしておれの眼は、結局母親の静かな顔の上にとどまるのであった。

だがおれは表面の性質上、母親に似ていたわけではない。おれのやっていたことはたいがい、決して静かなおとなしいものではなかったのである。その中の一つをおれは考える。同年配の友だちとの交際や、そういう連中のやるいろんな遊びなんぞよりも、おれはそれのほうがよっぽど好きだったし、ほぼ三十歳に達した今もなお、それを心から喜び楽しんでいる。

おれのいうのは、一つの大きな、立派な設備を持った人形舞台のことである。おれはそれを持って、たった独り自分の室にとじこもっては、世にも奇妙な楽劇を、その上で演出したものだった。おれの室は三階にあって、ワルレンシュタイン髯を生やした、先祖の黒ずんだ肖像画が二枚かけてあったが、その室を暗くして、ランプを一つ舞台のそばに置く。なぜならこの人工的照明は、気分を高めるのに有用だと思われたのである。おれは指揮者だから、舞台のすぐ前に陣取って、左手を大きなまるいボオル箱の上にのせる。眼に見えるオオケストラの楽器は、これ一つしかないのである。

そこで今度は、共演する技芸者たちが入ってくる。これはおれ自身がインキとペンで描いて切り抜いて、木片をくっつけて立てるようにしたもので、外套を着てシルクハットをかぶった紳士たちと、艶麗な淑女たちとである。

「今晩は。」とおれはいう。「みなさん。どなたもお元気でしょうね。私はもう出てきました。まだちょっと指図することが残っていたものですからね。でも、もうそろそろ楽屋に入る時間でしょう。」

みんなは、舞台のうしろにある楽屋へ入ってゆく。と、間もなくすっかり姿を変えて、色鮮かな劇中の人物になって帰って来る。そしておれが垂れ幕に開けておいた穴から、みんなは小屋の入りの具合をのぞいて見る。入りは実際悪くない。そこでおれは開幕の知らせに鈴を鳴らした上、指揮棒を振り上げて、この合図の呼び起した深い静寂を、ちょっとのあいだ味わっている。が、たちまち指揮棒の新しい動きに応じて、序曲のはじめを成している、気味悪く低い大太鼓のとどろきがひびき渡る。それはおれが左手で例のボオル箱を叩いて出すのである。――ラッパとクラリネットと横笛が鳴り出す。それらの音色は、口を使って無類にうまくまねるのである。かくて音楽が奏しつづけられる。と、とうとうある力強いクレッシェンドオで幕が上って、暗い森かまたは壮麗な広間で、芝居がはじまる。

その芝居は、前もって大体頭の中で仕組まれてはいるが、こまかいところは、即興でつくってゆくよりほかはなかった。だからクラリネットの顫音とボオル箱のとどろきとを伴奏として、情熱的な甘い歌となってひびくものは、ふしぎな、調子の高い詩文で、雄大な奔放な文句にみち、時には韻も合せてあったが、それでも筋道の通った内容は、めったに表わさなかった。しかし歌劇はどんどん進んでゆく。その間おれは、たえず左手で太鼓を叩いて、口で歌と楽器とを奏して、右手では演技者ばかりか、その他なにからなにまで、きわめて周到に指揮してゆくのである。だから幕の終りごとに、感激した喝采の声がひびき渡って、何度も何度も垂れ幕が開かれねばならなかったし、時には指揮者がその席でうしろを振り返って、昂然とした、かつ嬉しそうな態度で、部屋の中へ向って挨拶をする必要さえあるくらいだった。

実際、こういう大車輪の演出がすんで、のぼせ上りながら舞台をしまい込むような時、おれの心はいつも、全力を賭した作品を、みごとに演じ終せた芸術家の感ずるに違いない、あの幸福なけだるさで、いっぱいになるのだった。――この遊びは、十三か十四ぐらいの年まで、ずっとおれの一番好きな仕事になっていた。

下の部屋部屋では、父親が業務を統べていると、上のほうでは、母親が安楽椅子にもたれて夢想に耽るか、そっと物思わしげにピアノを弾くかしているし、またおれより二つ年上の姉と三つ年上のとが、台所や肌着類の戸棚の前でごとごとやっている――この大きな家の中で、おれの幼年少年時代はいったいどんな風に過ごされたか。おれの覚えているのは、ほんのわずかにすぎない。

確かなのは、おれがおそろしい腕白小僧だったことで、おれは家柄のよいのと、教師のまねを模範的にやるのと、種々様々な役者の身振りをするのと、それから一種大人びた言葉を使うのとで、同級生仲間に、尊敬と人望とを博することを心得ていた。だが、授業の時には、ひどい目に会った。なぜというに、教師の動作から滑稽味を探し出すほうにあまり忙がしくて、そのほかのことには、気をとめるひまなんぞなかったのである。それに家ではまた、オペラの材料になる韻文や、雑多なでたらめで、あんまり頭をいっぱいにしていたので、本気になって勉強なんぞできなかったのである。

「しようがないな。」と父親はいって、眉の間にある皺をなお深く寄せる。昼飯の後、おれは成績表を居間へ持って行って、父親が片手を上着の折返しに宛てたまま、その紙に眼を通してしまうと、きっとそうなのだった。――「ほんとにお前は、お父さんをめったに喜ばせてくれないね。どんな者になるつもりか。それをひとつ聞かせてくれる気があったらと思うよ。きっと一生涯、人並のところまで頭を出すことはあるまいな。」

そういわれるのは悲しかった。といってそれは、おれがその午後に書いておいた詩を、夕食後両親や姉たちに読んで聞かせるのを、妨げはしなかった。父親はそんな時、鼻眼鏡が白い胴衣の上で跳ね廻るほど笑った。――「なんというばかげた茶番だ。」と、彼は何度となく叫んだ。が、母親はおれを引き寄せて、おれの額にかかる髪の毛をなで上げながら、いうのである。「ちっとも下手じゃないよ、お前。ところどころずいぶんいい文句があると思うよ。」

それからあと、もう少し年を重ねてから、おれは独力で、ピアノの奏法といったようなものを覚え込んだ。黒い鍵盤が特に好きでたまらなかったので、まず嬰ヘ長調の諧音を出すことからはじめて、それから他の音調に移ってみようとしたが、長い時間をピアノの前で過ごした結果、拍子も旋律もなく、協和音から協和音へ転じてゆくのに、だんだんとある程度まで上達していった。そしておれはいつもこの神秘な音の波に、それこそできるだけたっぷりと表情を加えるのだった。

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