Chapter 1 of 4

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ジョニイ・ビショップがおれに、ヤッペとド・エスコバアルとがなぐり合いをするから、見物に行こうじゃないかといった時、おれは大いに心をうごかした。

それは、夏休にトラアヴェミュンデに行っていた時のことで、ある蒸暑い日だった。陸軟風が吹いて、海は干潮でずっと引いていた。おれたちは小一時間ばかり水につかったあと、梁や板を組み合わせた水浴小屋の下の堅い砂の上に、船持ちの息子ユルゲン・ブラットシュトレエムと一緒に、ねそべっていたのである。ジョニイとブラットシュトレエムは、丸裸であおむけになっていたが、おれはそれよりもタオルを腰にまきつけたほうが気持がよかった。ブラットシュトレエムはおれに、なぜそんなことをするのかと問うた。そしておれがうまい返事をしかねていると、ジョニイは持前の心をうばうようなかわいい微笑をもって、君はもう裸でねるには、すこし大人すぎるんだろうといった。実際おれはジョニイよりも、ブラットシュトレエムよりも、大きかったし、発達もしていた。それにすこしは年上でもあったろう。たしか十三だった。だからおれはジョニイの説明を黙って受け容れた。実をいうと、そこにはおれに対するある侮辱がこもっていたのだが。いったいジョニイと一緒にいて、彼よりも小さく上品で、からだつきが子供っぽくないと、誰でもすぐに、なんだかみっともなく見えてしまうのだった。彼はそういう性質を、実にゆたかに備えていたのである。そんな時彼は、きれいな、碧い、優しいけれど、ひやかし気味の微笑を含んだ、少女のような眼で、人の顔を見上げることがよくあった。――「君はもうずいぶんのっぽなんだねえ。」とでもいいたそうな表情を浮かべながら。大人とか長ズボンとかいう理想は、彼のそばに来るとなくなってしまった。しかもそれが戦争後まもない頃で、力だの勇気だの、なんでも荒くれた美徳が、おれたち少年の間では非常にもてはやされて、そのほかのものは、ことごとくめめしいとせられていた時分のことだったのである。ところが、ジョニイは外国人もしくは半外国人だったので、そうした気分の影響は受けなかった。それどころか、かえってどこかに、努めて容色を保ちながら、自分よりその心がけのすくない者をばかにする女といったようなところがあった。それにまた彼は、上等な、どこまでも若様らしいなりをしている点では、たしかに町中第一の少年だった。すなわち純イギリス式水兵服に、青いリンネルのカラア、水夫ネクタイ、飾り紐、胸の隠しには銀の呼子が入り、手首で詰まっているふっくらした袖には、錨のしるしがあるというわけである。もしだれでもほかの者が、こんな身なりをしていたら、きっとおしゃれだといって冷かされたり、制裁を加えられたりしただろう。が、ジョニイはいい恰好に、当り前な顔をして、着こなしていたので、それが決してなんの障りにもならなかった。だから、そのために苦しんだことなんぞ、一度だってなかったのである。

彼がいま腕をあげて、かわいい、明色の、柔かく縮れた、細長いイギリス風の頭の下に、細い両掌をあてがったなり、そこに横になっているところは、なんだか小さいやせたアモオルのような観があった。ジョニイのお父さんというのは、ドイツの商人だったが、イギリスに帰化して、もう何年も前になくなっていた。が、お母さんのほうは生粋のイギリス人だった。穏かな落ち着いたものごしの、面長な婦人で、子供たち――ジョニイと彼に劣らずかわいい、少し意地の悪い小柄な女の子とを連れて、おれたちの町に住み着いていたのである。彼女はたえず良人の喪に服していて、いつまでも黒装束でばかり歩いていた。子供たちをドイツで育てていたのも、おそらく亡き人の遺言を重んじてのことだったのだろう。彼女はたしかに気楽な身分だったに違いない。郊外に宏大な邸と、海岸に別荘とを持っていたうえ、ときおりはジョニイとジッシイを連れて、遠くの温泉へ出かけたりした。社交界へは、出ようと思えば出られたのだろうに、彼女は加わらなかった。喪にいたためか、あるいは町の上流家庭の視野を狭すぎると思ったせいか、むしろひとりですっかり引っ込んで暮していた。でも、ほかの子供たちを招いて一緒に遊ばせるやら、ジョニイとジッシイを、舞踏や礼式の稽古に加わらせるやらして、自分の子供たちの社交ということには、注意を払った。自分でその交際をきめはしなくとも、まあ、ひそかに気をつけて監督していたのである。しかもその結果、ジョニイとジッシイは、必ず裕福な家の子供たちとばかり仲よしになった――もちろん明確な主義に基づいてではないが、しかしともかく、単なる事実の上でそうなったのである。このビショップ夫人は、他人から尊敬せられるには、ただ自分で自分を重んずればいいのだということを、おれに教えてくれた点で、間接におれの教育に貢献した人である。男の首長をうばわれてしまいながら、この小家庭は、普通こんな場合によく世間の疑惑の種になる、あの荒廃や衰微の徴候を、ただの一つも示さなかった。別に親戚のつながりもなく、称号も伝統も権力も、また社会的地位もないこの家族の存在は、きり離されていながらも、威張ったものだった。しかもそれが非常に安定な、ほかを埋め合わせるくらい威張ったもので、みんなこの家庭になら、文句なしに安心して、いかなる承認でも与えたし、その子供たちの友情は、少年少女の間で大いに尊重せられていたほどだったのである――ついでにユルゲン・ブラットシュトレエムのことをいえば、その父親の代になって、ようやく富と公職とに昇ってきたわけで、父親は自分と家族とのために、赤い沙岩石の家をブルクフェルトの原に建てた。それがビショップ夫人の家と隣り合わせだった。そこでユルゲンはビショップ夫人の快諾のもとに、ジョニイと家でも一緒に遊べば、学校へも一緒に通っていたのである。――このユルゲンは、鈍重で人なつっこい、手足の短かい、別に際立った特色もない少年で、ひそかにもう、無邪気な恋のまねごとをはじめていた。

前にもいった通り、おれはジョニイから、ヤッペとド・エスコバアルがこれから決闘をするという話を聞いて、大いに驚愕した。決闘は今日十二時、全く真剣に、ロイヒテンフェルトの原で遂行せられるのだそうであった。これはおそろしいことになりかねなかった。なぜといって、ヤッペもド・エスコバアルも、騎士的名声をになう精悍勇猛の連中で、それが敵として相まみえるとなれば、きっと見ていて胆が冷えるだろうと思われたのである。今なお追憶の中では、二人とも当時のごとく、偉大なおとなびた姿をしている。その実、十五より上だったわけはないのだが。ヤッペは町の中流の出であった。別段やかましくいう人もなかったので、ほんとうはもうほとんど、おれたちが当時「ブッチャア」(ごろつきという意味だが)と名づけていた者になっていた。ただしそれに、幾分か遊冶郎めいたところがあった。ド・エスコバアルは生れつき係累がなく、外国種の風来坊で、学校にさえきちきちとは通わず、ただ校外生として聴講しているだけだった。(だらしのない、しかし楽園のような生活!)――どこか中流の家に下宿しながら、完全な独立を享受していた。彼等は二人とも夜ふかしをしたり、料理店に入ったり、晩がた本通りをぶらついたり、娘たちの跡をつけたり、向うみずな運動競技をやったり――まあ、要するに騎士だったのである。このトラアヴェミュンデでは、二人とも海浜ホテルでなく――もちろんそんなところへ来る柄ではなかったが――どこか町の中に宿を取っているのに、よくホテルの庭に出て来ては、ひとかどの紳士なみに横行していた。そして晩がた、ことに日曜の晩がた、もうおれなんぞは、貸別荘の一つで、とうに寝床に入って、海浜音楽隊の奏楽をききながら、おとなしく寝ついてしまった頃に、二人ともほかの若い遊び仲間と一緒に、事あれかしと浴客や遊山客の流れにまじって、喫茶店の長いテント張りの前を、あちこちぶらつきながら、大人らしい楽しみを探し歩いては、それを見つけ出すのだ――ということをおれは知っていた。こういうおりに二人は衝突したのである。――どんな風に、またどんなわけで衝突したか、それはだれも知らない。大方ただ通りすがりに、肩でもぶつかり合ったところが、名誉を重んずる両人のことだから、それだけでもう、果し合いをすることになったのであろう。ジョニイはもちろんおれと同様とうに眠っていて、また聞きにこの喧嘩の話を知っただけなのだが、れいの気持のいい、少しこもったような、子供らしい声で、これはきっと「娘」がもとなのだろうといった。ヤッペとド・エスコバアルとが、ずうずうしくませていることを思えば、その察しはわけなくついた。要するに二人は、人中では別に大騒ぎをせず、ただ証人を前にして、簡単なつっけんどんな言葉で、この名誉係争を解決する場所と時刻とを、約定したのである。明日十二時に、ロイヒテンフェルトのどこそこで会おう。さよなら。という調子だったのである。海浜ホテルの娯楽係兼親睦会長で、ハンブルグから来ている舞踏の師匠クナアクも、その場に居合わせて、決闘場に臨むことを約束した。

ジョニイはこの戦いを、この上なく楽しみにしていた。ジョニイにしても、ブラットシュトレエムにしても、おれのいだいていた不安はともにしてくれなかった。何度も繰り返してジョニイは、れいの通りかわいらしくRの音を、前歯のすぐうしろで出しながら、あの二人は心から本気で、かつ敵としてなぐり合うに違いないと請け合った。それから今度は楽しげな、多少嘲弄的な客観性をもって、どっちに勝味があるかを考慮した。ヤッペもド・エスコバアルも、両方ともおそろしく強い。どうして、どうして。どっちもすでに獰猛な荒くれ男だ。どっちが最も獰猛か、それをとうとうこれほど本気になってきめることになったのは、おもしろい。ヤッペは、ジョニイのいうところによると、毎日海水浴の時に見ればわかる通り、胸幅も広く、腕や脚の筋肉も申しぶんがない。だが、ド・エスコバアルは大変な力持ちで、おまけに乱暴である。だからどっちが優勝するかを、前もっていうことはむずかしい。ジョニイがこんな風に威張りくさって、ヤッペとド・エスコバアルの力量を評しているのを聞きながら、同時に、決してなぐることもなぐられるのを防ぐこともできなそうに、へなへなした、子供っぽい彼自身の腕を見ていると、妙な気がした。おれ自身はどうだったかというに、もちろんこのなぐり合いを見にゆく仲間からはずれようなんぞとは、夢さら思わなかった。そんなことをしたら、笑いものになっただろうし、それにまたこれからおころうとしている事件は、ひどくおれの心をひきつけたのである。ともかく一度聞き知ったからには、ぜひとも出かけて行って、なにからなにまで見て来なければならぬ――これは一種の義務感だった。が、この感じは、いろんな反対の気持と悪戦苦闘していたのである――非尚武的で、あまり勇気もなかったおれは、雄々しい事業のおこなわれる場面へ、思い切って出かけるというのが、大いに気おくれでかつ恥かしかった。真剣な、いわば生死を賭しての、殺気立った争闘を見れば、きっと心が震撼せられるだろうと思うと――実際おれは見ないうちから、その気持を味わっていたのだが、これがまたおれの神経をおののかせた。そこへ行けば、つい係り合いになって、おれの本性と相容れぬような請求にぶつかる羽目になりはしまいか、という単純な卑屈な心配もあった。――つまり渦中に引き込まれて、おれ自身もまた敏捷な若者だということを、いやでも応でも証明させられはしまいか、という心配だった。こんな証明ほど、おれの嫌いなものははかになかったのである。が、一面には、ヤッペとド・エスコバアルの位置に我が身を置いて、二人が感じているはずの、心をむしばむような感情を、おれは我が事のごとく胸中に味わわざるを得なかった。おれはホテルの庭における侮辱と挑戦とを想像に浮かべた。おれは彼等とともに、その場で鉄拳をふるって格闘したい衝動を、紳士的な反省から抑圧した。憤激した正義感、怨恨、燃え立つような、脳髄をかきむしるような憎悪、物狂おしい焦躁と復讐との発作――二人が終夜感じつづけたに違いないこれらの心持を、おれは一々しみじみと味わった。捨て鉢になって、あらゆる臆病心をむりやりに超越させられた揚句、おれは想像の中で、こっちと同様、人間離れのしてしまった相手と、めくらめっぽうに血を流しながら、なぐり合った末に、満身の力をこめて、憎らしい口の中へ拳骨を叩き込んだら、相手の歯が一枚残らず砕けてしまった。その代りおれも下腹をこっぴどく蹴りつけられて、赤い波の中に沈んでしまった。やがて目をさましてみると、気も鎮まっていて、氷をあてられたまま、家の者たちの優しい非難をききながら、自分の寝床にねている。――結局、十一時半になって、着物を着るためにみんな起き上った時には、おれは興奮のあまり、半分へとへとになっていた。そして更衣所の中でも、それからすっかり身支度をして、水浴小屋を出かけた時にも、おれの心臓は、正におれ自身が、ヤッペかド・エスコバアルかどっちかと、公衆の面前で、大変な条件のもとに、なぐり合いをしにでも行くように、どきどきしていた。

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