せぶりと世間師
先づ非人から出る物貰から申しますと、非人から出る物貰にも亦二種ある。一つは「せぶり」といふ、これはどんな字を書くか知りません。もう一つは世間師。これはどういふ違ひがあるかと云ひますと、「せぶり」といふのは代々の非人で、これは良民に還ることが出來ないものです。この「せぶり」は胸に袋を懸けて、袋の先を括つて三角形にするのがしるしになつてゐる。物貰の中では御歴々のわけです。この連中は野宿をしますから、一人前の「せぶり」になる頃は齒が白い。世間師の方は身を持崩しで、自分で乞食の群に落ちたやつで、足を洗へば何時でも良民に還れるのです。世間師の方は野宿が出來ない。若し野宿すれば「せぶり」がひどい目に遭はせる。私刑を加へるわけです。ですからおあしがあれば木賃宿に泊る。さもなければ堂とか、社とかいふものゝ下に行つて寢る。新非人だの、菰かぶり、宿なしだのといふのは世間師の方です。よく吾々の子供の時分に、そんな事をすると今にお菰になるよ、なんて云はれた。それもこの世間師の事なのです。
非人の話は前にちよつとしたやうですが、非人小屋といふものは寛文以來ずつとある稱へで、文化三年頃の記録には御救小屋と書いてある。もう少し前を見ると、天明四年に小網町の米問屋の兵庫屋が粥施行をやつた。その時に小屋を二つ建てゝ、一つは非人小屋、一つは素人小屋と分けた。物貰でも腹からの者と、おちぶれた者との二つに分けたので、素人といふのもをかしな話ですが、素人と云つてゐます。窮民とか罹災民とかいふ意味なのでせう。勿論非人の仲間に入つてゐない、新非人といふのも一時の物貰といふ心持があるらしい。新非人といふ言葉が記録になくなつたことは實に喜ばしい。
こゝで序に云つて置きますが、仲ヶ間六部といふものがある。本當の六十六部は納經の爲に歩くので、信心から起つたものです。六十六箇國に國分寺がありますから、それをつて御經を納める。千箇寺參りなどといふのも、やはり法華寺を千箇寺るからの名です。此等は本當に國するのですが、仲ヶ間六部の方は六十六部のなりをして物を貰ふ。江戸にゐながら國するやうな顏をしてゐるやつで、いかさまものです。千箇寺參りでも本當に千軒るには、どうしても國しなければなりませんが、さうでなしに、たゞ千箇寺參りと云つて物を貰つて歩くだけのがある。仲ヶ間六部と同じく、千箇寺參りの方にもいゝ加減ぶしのがありました。
これがもう少し古くなりますと、鳩の飼といふやつがある。いゝ加減ぶしな人間のことを鳩の飼といふので、熊野の新宮、本宮の事を云ひ立てて、そこの鳩の飼料にするといふ名義で錢を貰ふ。その實ちつとも熊野へなんぞ行きはしない。いゝ加減ぶしのものなのです。護摩の灰と云ふと、今では泥坊の事のやうに思つてゐますが、元來はさうぢやない。大概眞言宗の坊主上りがやつたので、護摩を焚いた有難い灰だと稱して、それを丸藥に丸めて病人に呑ますとか、灰のまゝ振りかけると災難を逃れるとかいふわけで、怪しげな灰を授けて歩いた。いゝ加減ぶしの甚しいもので、今では泥坊のやうに思はれてゐるけれども、はじめは一種の乞食だつたのです。