焼打ち
追分から少し四谷の方へ戻ってくると、左側に電車の車庫がある。車庫の横町の突き当りに以前は新宿警察があった。日露戦争後はもうすでに電車も引けて、車庫もあった。車庫といっても今日のように立派な鉄板で葺かれたものではなく、何だか原っぱに、電車が置きっぱなしになっている感じのするものであった。
講和条約に不満を持った国民が焼打ちを初めた第二夜だった。四谷見附の交番も焼かれた。電車が二台、立往生して、大横丁の角で燃えていた。群集は大通りの交番を焼き払いながら、遂に新宿の車庫まで来た。車庫の角には右に薪屋左側に材木屋があった。群集はその前まで来ると、町をはさんで警察と相対した。警察の前には白服の警官が整列していた。電灯もないやみをすかして群集はざわめいた。
やがて誰かが石を投げた。続いてぱら/\と無数に飛んだ。警察の前で号令の声が響いた。『第一列とっか――ん』サーベルがやみに光った。
『わ――っ』という叫びと共に一列の巡査が突貫して来た。群集は両側に散らばった。巡査は長追いをしないで元に戻った。幾度も同じ事が繰返されている中に、誰がやったか、薪屋の松薪が往来に投げ出されて、石油を注いで火をつけられた。今度は火のついた薪が飛んだ。警察側の形勢は危険になった。群集を食い止めようと、大手を広げて演説をはじめた千駄ヶ谷の壮士は、かえって巡査のために後頭部に切りつけられて、血だらけの手で頭を抱えた。四谷から子守に背負わせた子供を探しに来た男は、うろ/\している中に腰を切られた。群集は益々殺気立って来た。燃える松薪が盛んに飛びはじめた時、一小隊ほどの輜重兵が駆けつけて来た。群集は、万歳を叫んで兵隊を歓迎した。
兵隊は突貫もしなかった。小隊長は群集に向って
『諸君が乱暴するなら止むを得ず発砲する』と声明した。然し群集は、却って非常な親しみを以て、兵卒の前の焚火の廻りに集まった。警察は森として音も立てない。兵卒は退屈らしく欠伸をしていた。
が、然し、これは電車が引けてからの出来事である。私は更にそれ以前の、往来の狭かった、宿場のままの新宿に遡りたい。私が少年時代には、四谷と新宿の境界は大木戸によって判然と劃されていた。新宿御苑の前の木立は、今より一層暗く茂って、それに続く、憲兵隊の森と竹やぶが、昼間でも暗い影を往来に投げていた。四谷も大木戸附近に来ると追々とさびしくなったが、ここできちんと終りの句点を打たれたような有様だった。従って盆と正月に、太宗寺の閻魔様の縁日のあるほかは、新宿は全く用事のない場所であった。
太宗寺の閻魔様は、その体格の偉大な点において、東京でも有名である。盆と正月の十六日には、閻魔堂の格子が開いて、がらんとした暗い堂の正面に、朱顔に金の眼を光らせ、赤い口をかっと開いて、笏を持っていきり立った閻魔大王の姿を、しみ/″\と眺める事が出来るのだ。そのかたわらには、しょうつかの婆が、白髪頭に黒い口で、意地の悪い眼を光らせて片膝を立てている。線香の煙がもう/\とあたりをこめ、威嚇的な鐘の音が、かん、かんと鳴り通した。
『嘘をつくと舌を抜かれる』と聞かされていた、その恐ろしい閻魔の顔が、どういうものか見たくって、私はいつも堂のそとからそうっと覗いた。
太宗寺へ来る新宿の町の両側には、のれんを掛けた、風呂屋のような暗い家が沢山あった。時には赤い裏のきたない布団が、二階の欄干にほしてあった。一緒に行った姉に訊いても、汚い家だといって教えてはくれなかった。