ラムネ・他四編
萩原朔太郎
ラムネといふもの、不思議になつかしく愉快なものだ。夏の氷屋などでは、板に丸い穴をあけて、そこに幾つとなく、ラムネを逆さにして立てて居る。それがいかにも、瓦斯のすさまじい爆音を感じさせる。僕の或る友人は、ラムネを食つて腹が張つたと言つた。あれはたしかに瓦斯で腹を充滿させる。 だがこの頃、ラムネといふものを久しく飮まない。僕の子供の時には、まだシヤンパンサイダと
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萩原朔太郎
ラムネといふもの、不思議になつかしく愉快なものだ。夏の氷屋などでは、板に丸い穴をあけて、そこに幾つとなく、ラムネを逆さにして立てて居る。それがいかにも、瓦斯のすさまじい爆音を感じさせる。僕の或る友人は、ラムネを食つて腹が張つたと言つた。あれはたしかに瓦斯で腹を充滿させる。 だがこの頃、ラムネといふものを久しく飮まない。僕の子供の時には、まだシヤンパンサイダと
成島柳北
上子晩酌シテ酔ヘリ。寝ニ就カントスルニ猶早シ、書ヲ読マントスルニ亦懶シ。客有リ来リ誘フテ曰ク、先生何ゾ市上ニ散歩セザル。乃チ共ニ門ヲ出ヅ。木葉既ニ落チ霜気稜々タリ。寒月屋瓦ヲ照シテ街灯光無シ。酔ヲ帯テ歩スル数十弓、忽チ見ル一楼上人影紙障ニ満チ履靴戸内ニ盈ツルヲ。上子曰ク衆何ノ為メニ来ルヤ。客曰ク是レ鶴澤氏ノ絃歌ヲ聴ク也、先生亦試ニ一聴セザルヤ。上子曰ク善シ乃
国枝史郎
マーテルリンクの諸作、わけても「群盲」や「侵入者」や「タンタジールの死」などには、運命的、象徴的、等々々の味があり、それが凝って、他界的の味となっている。そういう味が、あのまわりくどい、ねばねばとした、もって廻わった白廻わしによって読者に逼まってくる。その逼まり方が、何んとなく猟奇小説的であり探偵小説的である。 × ストリンドベルヒの或る作は、アラン・ポーの
北村透谷
他界に対する観念 北村透谷 悲劇必らずしも悲を以て旨とせず、厭世必らずしも厭を以て趣とせず、別に一種の抜く可からざる他界に対する自然の観念の存するものあり、この観念は以て悲劇を人心の情世界に愬へしめ、厭世を高遠なる思想家に迎へしむ、人間ありてよりこの観念なきはあらず、或は遠く或は近く、大なるものあり、小なるものあり、宗教この観念の上に立ち、詩想この観念の糧に
松浦武四郎
凡例 一 地理の肝要なる事、不肖今贅するに及ばず、皆しる處にして、頃年其事に識者心を盡さるゝ所の堅こうにし而龍動の繁昌、巴里斯の美麗人々皆しらざる者なし。山海數萬里を隔(て)其地の盛衰動亂も月を越ずしてしる。豈是太平の餘澤ならず(や)。然るに其知ると知らざると竹島なる物未だ誰も是を説く人なし。また知る人も稀なり。去る癸丑の秋より籌海の書數十篇を見るに、蝦夷、
戸坂潤
(付記) 本篇は唯物論研究会の中心人物たる戸坂潤が書いて東京地方裁判所検事局に提出したものである。本篇の内容中日本共産党と同研究会との関係等重要部分に於て嘗てこの「思想月報」第一号に掲載した「唯物論研究会経過」の趣旨と必ずしも一致しない点がある。然し本篇は戸坂潤が全く任意自宅に於て執筆して提出したものであって、検事は之に対し何等反問等をしていないから或はそ
中谷宇吉郎
卷煙草の吸口のところに、綿のようなもの、即ちフィルターをつけて、煙を濾すことが流行っている。 そういうフィルター附の煙草は、數年前から賣り出されていたが、昨年歸る頃には、まだそう流行していなかった。稀れに吸っている人を見かける程度で、全體の數パーセントにもならなかったであろう。 ところが、今度來てみたら、僅か一年のうちに、たいへんな流行である。研究所の中でも
田中貢太郎
――支那の四川省の奥で修業をしたと云うんだ。気合をかけると己の脈がとまるよ、仰向いて胸を反らして力を入れると、肋骨がばらばらになるそうだ。人間の頭位は拳で砕くことができると云っている。何んだか山師のようでもあるが、また真箇に真言の行者のようでもある。要するに怪しい男さ、と、云って市内の某警察に署長をしている私の友人が話してくれた。―― 彼はもと十三の時アメリ
太宰治
令嬢アユ 太宰治 佐野君は、私の友人である。私のほうが佐野君より十一も年上なのであるが、それでも友人である。佐野君は、いま、東京の或る大学の文科に籍を置いているのであるが、あまり出来ないようである。いまに落第するかも知れない。少し勉強したらどうか、と私は言いにくい忠告をした事もあったが、その時、佐野君は腕組みをして頸垂れ、もうこうなれば、小説家になるより他は
橘外男
囂々たる社会輿論のうちにこの凄惨極まる日記を発表するに当っては、まず当時の受けた衝撃なり戦慄なりを、実感そのまま読者にお伝えすることが必要であろうと思われる。そしてそれらの感情を読者に受け取ってもらうためには、まずこの日記の発見された当時の情況や、その前後の顛末を述べることがもっとも早道と考える。 諸君も御承知のとおり、葡領西阿弗利加アンゴラと白耳義領コンゴ
田中貢太郎
令狐生冥夢録 田中貢太郎 令狐という儒者があった。非常な無神論者で、鬼神変化幽冥果報というようなことを口にする者があると、かたっぱしから折破して、決して神霊の存在を許さなかった。それに生れつき剛直で世に恐れるものがなかったので、傲誕自得という有様であった。 の家の近くに烏老という富豪があった。その烏老はありあまる身分でありながら、強欲で貪ることばかりやってい
中原中也
仮定はないぞよ! 先天的観念もないぞよ! 何にもない所から組立てゝ行つて 先天的観念にも合致したがね 理窟が面倒になつたさ 屋根みたいなものさ 意識した親切は持たないがね 忠告する元気があれば 象牙の塔の修繕にまはさうさ カウモリ傘にもたれてみてゐりやあ 人は真面目にくたびれずに 事業つて奴をやつて呉れらあ サンチマンタリズムに迎合しなきや 趣味の本質に叛く
永井荷風
○家が焼けてから諸処方々人の家の空間をさがして仮寐の夢を結ぶようになって、ここに再び日本在来の家の不便を知るようになった。襖障子を境にしている日本の家の居室には鍵のかかる処がないので、外出した後の用心をすることができない。空巣ねらいの事はさて置き、俄雨の用心には外出のたびごとに縁側と窓の雨戸をしめて帰るとまたそれをあけなくてはならない。むかしから雨戸と女房に
宮本百合子
仮装の妙味 宮本百合子 どの新聞にも近衛公の写真が出ていて大変賑わしい。東日にのった仮装写真は、なかでも秀抜である。昔新響の演奏会で指揮棒を振っていた後姿、その手首の癖などを見馴れた近衛秀麿氏が水もしたたる島田娘の姿になって、眼ざしさえ風情ありげにうつっているのもまことに感服ものであるが、その左側に文麿公が、髪までをヒットラー風に額へかきおろし、腕に卍の徽章
佐左木俊郎
仮装観桜会 佐左木俊郎 1 靄! 靄! 靄! 靄の日が続いた。胡粉色の靄で宇宙が塗り潰された。そして、その冷たい靄ははるかの遠方から押し寄せてくる暖かいものを、そこで食い止めていた。食い止めて吸収していた。 靄の中で桜の蕾が目に見えて大きくなっていった。人間の感情もまた、その靄の中で大きくなっていく桜の蕾のようなものだ。街の人たちはもう花見の話をしていた。
正宗白鳥
五月も末になつてゐるのに、火鉢の欲しいほどの時候外れの寒さで、雨さへ終日降りつゞいた。 午過ぎから夜具を被つて横になつて、心を落着けようと努めてゐた馬越は、默してぢつとしてゐればゐるほど、頭の中の狂暴に堪へられなくなつた。其處等にある家具を片端から打壞すか、誰れかを打つか蹴るかしたなら、いくらか頭が輕くなりはしないかと思はれた。右へ轉んだり左へ寢返つたりして
岸田国士
仮面座の宣言 岸田國士 仮面座創設について、同座創立同人諸君がわれわれに提示された宣言の内容は、可なり注目に値すべきものである。 僕は、今、その各項目について、無条件に賛意を表するものではない。まして、あの抽象的な文字の羅列にそれほどおどかされてゐるものではない。たゞ、最も好意ある解釈に従へば、此の一座の同人諸君は、「芝居といふものを面白く見せよう」としてゐ
野口雨情
ある村に、お杉とお紺と云ふ仲の悪い二人の姉妹がありました。お母さんは、二人の仲がよくなるやうにと、いつも、心配をしてをりました。 ある晩方、つひ見たことのない、七八つ位のお芥子坊主が庭へ来て、 姉のお杉 妹のお紺 仲が悪くば 山の神様の 椋鳥さまに お頼みなされ と、山の方を指さし指さし謡つてをりました。お母さんは、不思議に思つて、庭に出て行きますと、お芥子
小川未明
風のない暖かな日でした。お宮の前に伸ちゃんと、清ちゃんと、そのほか女の子たちがいっしょになって遊んでいました。ときどき風が境内のすぎの林に当たると、ゴウーといって、海岸に寄せる波の音を思い出させたのであります。 「清ちゃん、撃剣ごっこをしようか。」と、伸ちゃんが、いいました。二人は、いつも学校へいっしょにいき、帰ってくると、いっしょに遊ぶ仲よしでありました。
堀辰雄
今夜、伊勢物語を披いて居りました。そのうちふいと御誌からのお訊ねを思ひ出しましたので、とりあへずペンを取つて、只今、考へてをるがままに書いて見ることにします。 僕がこのペンを取るまで、氣もちよく讀みふけつてゐた伊勢物語の一段はかういふのです。短いものなので、全部引用してみませう。 むかし、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にものいはむと思ひけり。うち
寺田寅彦
伊吹山の句について 寺田寅彦 昨年三月の「潮音」に出ている芭蕉俳句研究第二十四回の筆記中に 千川亭 おりおりに伊吹を見てや冬ごもり という句について、この山の地勢や気象状態などが問題になっていて、それについていろいろ立ち入った研究があったようである。私もこの問題については自分の専門の学問のほうからも特別の興味を感じたので、それについての私の考えを、その後小宮
宮本百合子
晩餐が終り、程よい時が経つと当夜の主人である高畠子爵は、 「どれ――」 と云いながら客夫妻、夫人を見廻し徐ろに椅子をずらした。 「書斎へでもおいで願いますかな」 「どうぞ……」 卓子の彼方の端から、古風な灰色の装で蝋のような顔立ちの夫人が軽く一同に会釈した。 「お飲物は彼方にさしあげるように申しつけてございますから……」 「じゃあいかがです日下部さん――日本
田山花袋
豊橋から田原に行く間は、さう大してすぐれたところもなかつたけれども――馬上に氷る影法師と芭蕉が詠んだあまつ縄手が長くつゞいてゐるばかりであつたけれども、田原が近くなると、江山の姿が次第に凡でなくなつて来た。そこには比較的高い山が海に突出して聳えてゐて、豊橋から通つて来るペンキ塗の青い白い小さな汽船のその下を縫つて通つて行くのが、さながら印象派の絵を見るやうに
木下杢太郎
伊豆の東海岸は伊太利亜のソレントオやアマルフイイの一帯と景色が好く似てゐます。断崖の下に少しばかりの渚があり、それにさざなみが打ち寄せ打ち返すさまなどは、アトラアニなどがさうでした。そういへばソレントオは熱海、ポジタノは舞鶴、またズオの煙は大島の御神火に相応します。たゞ西洋は建物ががつしりとしてゐて、殊に伊太利亜では谷の低地よりも山頂、山腹に家を建てならべる