作品のテーマと人生のテーマ
宮本百合子
作品のテーマと人生のテーマ 宮本百合子 『中央公論』の十月号に、荒木巍氏の「新しき塩」という小説がある。中学校の教師を勤めているうちに自身の少年時代の生活経験から左翼の活動に共感し、そのために職を失った魚住敬之助という男が、北海道まで行って、不良少年感化院の教師となって暮している。左翼の力が退潮した後、思想上の混乱から彼は死のうとして失敗し、やがて「感化教育
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宮本百合子
作品のテーマと人生のテーマ 宮本百合子 『中央公論』の十月号に、荒木巍氏の「新しき塩」という小説がある。中学校の教師を勤めているうちに自身の少年時代の生活経験から左翼の活動に共感し、そのために職を失った魚住敬之助という男が、北海道まで行って、不良少年感化院の教師となって暮している。左翼の力が退潮した後、思想上の混乱から彼は死のうとして失敗し、やがて「感化教育
豊島与志雄
作品の倫理的批評 豊島与志雄 私は今茲に作品の倫理的批評に就いて一二のことを云ってみたい。此の頃大分倫理的批評ということが人の口に上ってきたし、また将来も益々深く進んでゆかなければならないと思うので。但し茲で云う所はほんの雑感という位のものに止めておく。 私はよく、作者の態度が徹底していないとか、体験が足りないとか、真の苦しみ方が足りないとか云う言葉を聞く。
宮本百合子
生粋の芸術的な作品が私たちに与える深い精神の慰安はどこから来るものなのだろうか。芸術作品の底からさして来る真の明るさというようなものは極めて複雑な光りであって、浅い形で云われる筋の楽天性だの、作家の気質ののびやかさなどにだけかかっているものではない。もっと奥のあるものだ。感動をとおして心に迫る慰安は、立派な悲劇をよんだとき、一層惻々と私たちの精神をゆすってよ
宮本百合子
作品と生活のこと 宮本百合子 あるところで、トーマス・マンの研究をしている人にあった。そのとき、マンの作品の或るものは、実に観念的で、わかりにくくて始末がわるいものだけれども、一貫して、マンの作家としての態度に感服しているところがある。それは、トーマス・マンはマンなりに、自分の問題を自分のそとにとり出して作品としての客観的存在を与え、それを真剣に追究して行っ
宮本百合子
作品の血脈 宮本百合子 ふだん近くにいない人々にとって、岡本かの子さんの訃報はまことに突然であった。その朝新聞をひろげたら、かの子さんの見紛うことのない写真が目に入り、私はその刹那何かの事故で怪我でもされたかと感じた。そしたら、それは訃報であって、五日も前のことであった。一種流れ掠めて行くものを感じた。五日も前。―― 初めてかの子さんに会ったのは、昔、或る会
宮本百合子
あとがき(『作家と作品』) 宮本百合子 わたしたちが文学を愛するこころもちの最も純粋な情熱は、いつも、その作品をよみ、それを書いた作家に心をひかれる人々自身の、いかに生きるか、の課題に関連している。過去の文学作品、また今日かかれている作品をよみ、作家について研究するとき、私たちは決してそれをただ昔のものとし、ただ今日偶然あるものとして見るのではない。きょうに
太宰治
なんの随筆の十枚くらい書けないわけは無いのであるが、この作家は、もう、きょうで三日も沈吟をつづけ、書いてはしばらくして破り、また書いては暫くして破り、日本は今、紙類に不足している時ではあるし、こんなに破っては、もったいないと自分でも、はらはらしながらそれでも、つい破ってしまう。 言えないのだ。言いたいことが言えないのだ。言っていい事と言ってはならぬ事との区別
小川未明
もし、その作家が、真実であるならば、どんな小さなものでも、また、どんな力ないものでも、これを無視しようとは思わないでありましょう。 個人は、集団に属するのが本当だというようなことから、なんでも、集団的に、階級的に見ようとするのは、この人生は、常に、唯物的に闘争しつゝあるという見解のもとに、疑いを抱かない、肯定的な議論であります。社会科学としては、それも重きを
中原中也
インテリは蒼ざめてゐる。之に反して、月末の支払ひだけ片付くとなれば安心の出来る人達は元気でゐる。多分世の中は観念を見失つてゐるのである。衣食住さへ足りればいゝ人達は、不景気にも関らず、昔日よりも元気でこそあれ落胆してゐるとは思はれぬ。衣食住さへ足りればよい人達は、不景気なれば、尚更ボヤボヤしてはゐられないといふので、景気のよい時よりも当然意志的になるのであら
平林初之輔
最近思いがけない死が私の周囲に頻々と突発する。小酒井博士の死はそのうちでも最も思いがけない死の一つであった。もちろん、博士がしじゅう病気と闘っておられたこと、博士を悩ましていた病気は、かなり難症であったことは知らぬではなかった。だが、博士と死とをむすびつけて考えたことは、私は一度もなかった。博士は、死の間際まで、私たちに死を忘れさせる程、その存在を生き生きと
岸田国士
作家山本人間有三 岸田國士 「作は人なり」といふ言葉は、言ひ古された言葉だが、これは正面から解釈をすると当らぬ場合がある。作品の一つ一つを取つてみても、ある作家の作品全体についてみても、この人にしてこの作ありとは、聊か意外だと思ふやうなことがある。それはつまり、ある作家は、自分のうちに「有る」ものを直接に現はさず、自分の心に「映る」ものを、好んで表面に出さう
宮本百合子
作家は戦争挑発とたたかう 宮本百合子 去る六月十一日、読売新聞の「世界への反逆」という文章で中島健蔵氏が、記録文学の名のもとにジャーナリズムにあらわれはじめた戦記ものの本質について注意をよびおこしたのは適切であった。 本年のはじめごろ『雄鶏通信』が国外のルポルタージュ文学特集を行ったが、その内容について何かの関心をおこさせられた読者は、わたし一人でなかったろ
太宰治
作家の手帖 太宰治 ことしの七夕は、例年になく心にしみた。七夕は女の子のお祭である。女の子が、織機のわざをはじめ、お針など、すべて手芸に巧みになるように織女星にお祈りをする宵である。支那に於いては棹の端に五色の糸をかけてお祭りをするのだそうであるが、日本では、藪から切って来たばかりの青い葉のついた竹に五色の紙を吊り下げて、それを門口に立てるのである。竹の小枝
宮本百合子
作家と教養の諸相 宮本百合子 作家にとって教養というものは、どんな関係にあるのだろうか。これまでのいろいろの時代に、作家と教養のことが云われたのであったが、それぞれにその時代の文学的趨勢とでも云うべきものを、何かの形で反映していることは、今日私たちを考えさせるところだと思う。 徳川時代というものの中で眺める馬琴というような作家は、同時代の庶民的情調に立つ軟文
宮本百合子
封鎖で原稿料を払うということは、これから作品をかいてゆく人のために、ますます条件がわるい、新しい作家、新しい日本の文学は生れにくい、ということである。今日、出版は、大部分が営利に立っている。営利の目やすから、荷風のところへ、封鎖ですが、と長篇をたのむ玄人はいない。 それこれ考えていたらば、この間、労働科学研究所から、一枚のアンケートが送られて来た。それは珍し
宮本百合子
作家と時代意識 宮本百合子 作家が時代をどう感じ、どう意識してゆくかということは、文学の現実としてきわめて複雑なことだと思う。 たとえば、藤村が「破戒」を書いた前後の事情を考えても、作家と時代の見かたというものは決して単純な関係でないことを考えさせられる。三十三歳だった藤村が最初の長篇小説「破戒」をかきはじめたのは明治三十七年で、年譜をみると、「日露戦争に際
宮本百合子
暑気にあたって、くず湯をたべタオルで汗を拭きながら、本庄陸男さんの死について考えていた。 先頃平林彪吾さんが死なれたときも、様々な感想にうたれたのであったが、本庄さんが「石狩川」一篇をのこして、その出版と殆ど同時に逝かれたことは、新たにこの十年の歳月というものを私たちに深く思いかえさせるものを持っている。 元は小学校の先生であった本庄さんは、知りあった頃は作
豊島与志雄
作家的思想 豊島与志雄 優れた作品にじっと眼を注ぐ時、いろいろな想念が浮んでくる。それらの想念は、直ちに文学論或は芸術論になるものではない。そういうものになす前に、先ず突破しなければならないところの、または整理しなければならないところの、一種の壁であり素材である。宛も、いろいろな人間なり事実なり感情なりに当面して、それを先ず突破しまたは整理しなければ、作品に
宮本百合子
一年ばかり前、ある雑誌にマクシム・ゴーリキイの今日までの生涯について伝記的な側から短いものを書いたことがあった。 私はその小さい仕事をしている間に、ゴーリキイの生きかたやゴーリキイと何かの形で不断の接触を保ちつつゴーリキイを発展せしめると同時に、そのことによって大衆のうちに蔵されている巨大な階級的芸術の可能性の見本をひき出して行った、ロシアの階級的組織の底力
宮本百合子
作家のみた科学者の文学的活動 宮本百合子 「生」の科学と文学 随分古いことになるが、モウパッサンの小説に「生の誘惑」というのがあり、それを前田晁氏であったかが訳して出版された。私は十四五で、その小説を熱心に読んだ。なかに、パリの社交界で華美ないかがわしい生活を送っている女の娘が、樹の下の草にねころびながら、男の友達に本を読んで貰っている。美しい娘は草の上には
宮本百合子
作家の経験 宮本百合子 今日、私たちの精神には、人間性の復活と芸術再興の欲求がつよくおこっている。日本の未来のために、それは重大な関係をもっているし、私たち日本人の一人一人が、人間として充実した自分をとりもどすためにも重大な問題である。 けれども、これまで十数年の間、自然な形で日本の文学活動は展開されなかった。文学的な独自性をもつ創作が発表されなかったととも
宮本百合子
偶然のことから、私は「囚われた大地」がまだ発表されず、あるいはその原稿も小部分しか書かれていなかったと思われる時分、平田小六氏と知り合う機会を得た。そのころ平田さんは、日本にはまだ農民の生活を如実に書いた文学がすくないということに注意を向け、日本のような経済的社会的事情を持つ国にとって、実は農民の生活を文学に書くということが非常に大切ではないか。一つ自分は、
坂口安吾
作家論について 坂口安吾 僕の小説によらず、感想によらず、自分を表現する以外に、又、自分の思ふことを人に通じようとする以外に、余念はない。 いはゞ、僕自身の露呈に外ならぬ次第で、さうまで自分を表現したければ、「坂口安吾論」を自分で書けばいゝやうなものではあるが、未だにさういふものを書かないのは、書く必要、書く意味を認めてゐないからである。 僕は、自分や、自分
南方熊楠
當今開化文明ノ域ニ進入シ、積年ノ舊慣陋習ヲ一洗シ、文學ノ大ニ行ハルヽヤ、僻陬ノ村落ト雖モ聖教ニ沐シ、徳化ニ浴セサルハ無ク、各其業トスル所ヲ得ル。嗚呼、是焉ンゾ朝廷ノ明正人民ノ懇親ニ因ラサルヲ得ンヤ、近日、我町内有志輩ノ懇親會ヲ創始スル實ニ衆庶ノ幸福、盛業ノ基礎タルニアラズヤ、余モ亦此美事ニ逢ヒ欣喜ニ堪ヱズ、因テ此席ニ臨ミ聊カ拙辭ヲ吐露シ、以テ祝意ヲ陳述セサル