四、破裂當時の概況
【今回の破裂】
大正三年一月十日頃より鹿兒島市附近に地震續發し人心恟々たりしが、十二日午前八時東櫻島鍋山の西方より噴煙を初め、數分の後御嶽の右側に於て雲霧状の白煙上り、横山村の上方海拔約五百米突許りの處よりも噴煙を初めたり、九時十分南嶽の頂上より白煙の騰るを認めたり。
十二日午前十時十五分赤水部落の直上海拔約三百五十米突乃至四百米突の谷間(噴火口?)より一團の黒煙を望み、轟鳴と共に火光の燦然として射出するを目撃せり。
午前十一時に至り黒煙高く天に沖し、其雲頂の高さは約三千米突に達す、同三十分頂上より盛に岩石の噴出落下を觀、戸障子は震動によりて鳴り初めたり、午後二時三十分黒煙白煙全山を包圍し、鳴轟次第に猛烈と爲り、同三時三十分より初めて爆聲起る、同六時三十分激震と同時に火影擴大し、鳴轟強大と爲り、同十時より爆聲亦次第に強し、翌十三日午前一時前後最も猛烈を極め、同六時より稍々輕※せしも、日中は猶間斷なく鳴轟あり、午後五時より風位南轉し、右側の島影初めて現はる、同八時十四分大噴火盛に熔岩を流出し、火の子山頂より村落に連り、鳴動轟々爆聲を連發し、黒煙東方に棚曳て閃電縱横に放射し、北岸一帶に火災を發す、同八時三十分爆聲止む、續て鳴轟斷續するに至る、戸障子の鳴轟亦止む。
十四日午後一時以後噴煙は尚盛なるも、鳴轟稍々遠し、同七時熔岩の噴出爆發盛なるを觀る、此熔岩を流下し城山の上方約五町許りの距離迄押出し、其幅員約二十町厚さ數十尺に及べり、城山より沖の小島附近の海面は一帶に輕石充滿し、黒灰色を呈せしも、正午頃までには皆南方に流去せり、午後五時頃より熔岩の迸發稍々衰ふ、十四日夜間の活動は主に横山の正東に當り海拔約二百米突の所に在る噴火口よりし、其勢力は日中に比し衰頽せり、十五日朝より十六日に至る噴火の状況は著しき異状なきも、噴煙は稍々※少せるが如し、大熔岩を徐々流下して海邊に切迫しつゝあり斯くして、赤水、横山方面は遂に海中に突き入りて烏島に及べり、十五日午前十時四十五分愛宕山上より黒煙噴出、同十一時より鳴轟稍々強大と爲る、午後二時十分大噴煙、同五時十五分轟聲一時止む、夜に入り山麓熔岩上の爆發盛なり、同十時噴火大に衰へ鳴轟微なり、同十時十分山麓熔岩上一列に七個の噴口現はれ、音響強し、十六日午前一時四十分鳴轟一時止む、同四時五十分鳴轟強く噴火盛なり。
以上の記事は鹿兒島測候所に於る當時の記録に據りたるものなり。
爾後日日の噴煙鳴轟に多少の消長はありたる模樣なるも、大勢は日を經るに順ひ漸次靜穩と爲り、以て實査當時に及べり。
新噴火口開口の順序は東櫻島に於る新噴火口は其開口の時刻及順序稍明確を缺くも、當時注意して實況を觀測したりし篠本造士館講師の報告によれば、同島の西側に於ける噴火口一の開口は十二日午前八時、二は同八時二十分、三は十二日午後一時、四は十二日午後四時頃より噴煙を初めたり、而して三は爾後三四日間活動最も旺盛にして、活動の時間亦最も長かりき。(大森佐藤兩氏の地圖參照)