物化学上の仕事
前に述べたように、ボイルは本当に正しい意味での物化学の基礎を据えた人であったといってよいのでした。それはつまり物質の変化について、人間が勝手にこれを考えてはいけないので、何よりもまず実際の事実をつきとめなくてはいけないということを、はっきりと自覚したところにあったのです。これは科学にとって最も根本的な大切な考えなのであります。彼の書き記したなかに、こういう言葉が述べられています。
「物化学者はこれまでは、高い見地を欠いていたところの、ごく狭い原理で、自分たちを導いていました。彼等は単に医療に役立たせるために、そしてまた金属を変質させるためにのみ、彼等の問題を眺めていたのでした。私は物化学をまるでそれとは違った見地で取扱おうと試みました。それは医者としてでもなく、錬金術者としてでもなく、むしろ純粋に自然科学者として取扱おうとするのであります。」
そして本当に謙虚な一人の自然科学者として、ボイルはまず実験や観察を試み、そこにいろいろな事実を見つけ出そうとしたのでした。
「人間には、科学の進歩は彼等の狭い興味であるよりは、寧ろ心の奥に深く横たわるものでなくてはならない。我々が実験を行い、観察を集め、予め考察に入り込む現象をよく確めないうちには理論をつくらないという心がけを以てすれば、世界に対して最大の貢献がなされるに違いない。」
とも述べています。これこそまことの自然科学者の道であるのに相違ありません。そして物化学はここに初めてその正しい道を歩み出したのでした。
ボイルの時代には、なお昔のギリシャの頃の哲学者アリストテレスの説に従って、物質の根源をなす元素は火、土、空気及び水の四つであるとする考えや、その後の錬金術者の説く処に従って、塩、硫黄、及び水銀を元素であるとする考えが一般に広がっていました。
ボイルはしかしそういう古い考え方に囚われないで、実際事実の上でいろいろな物質を分解してみて、もうこれ以上分解されないと見られるものを元素と見做そうとしたのでした。つまり元素は、人間の考えの上で定められるものではなく、自然の事実を調べて見つけ出してゆかなくてはならないということを、はっきりと言い現したのでした。もちろんボイルの時代にはたくさんの元素が知られているわけではなかったのですが、それでも錬金術者がいかに苦心して変えようとしても変えられなかったいろいろな金属、すなわち金、銀、銅、鉄、鉛などはどれもボイルの言った意味での元素であることが、だんだんにわかって来たのでした。
ボイルのもう一つの大切な仕事としては、混合物と化合物との差別を初めてはっきりさせたことです。物質がいろいろ変化してゆく際に、お互に混り合っても、もとの性質がそのまま失われずに残っている場合と、そうでなくてまるで性質の変ってしまう場合とがあります。
例えば水に砂糖や塩を溶かすと甘い水や、からい水が出来るのは誰でも知っているでしょうが、その際には砂糖の甘味や塩の辛味は水に溶けてもそのまま残っているのです。これはそれが単に混合しているだけであるからで、ところがそれとは違って、例えば酸素と水素とから水がつくられるというような場合には、水には酸素や水素の性質はまるで見られません。これは水が酸素と水素との混合物でなくて、化合物であるからです。
もちろんボイルの頃には、酸素や水素などの気体もまだ見つけ出されてはいなかったので、今では普通に知られているこれ等の事がらにしても一向にわかってはいなかったのですが、それでいてボイルが混合物と化合物との差別をはっきりさせたことは、実にその考え方のすぐれていたのを示しているのです。
このほかにボイルは、金属を空中で熱して、それに錆がつくようになると、この金属の重さがいくらか重くなることを見つけ出しました。ボイルはこれに対しては、金属を熱するときの火焔のなかから何かしらある物質が出て、それが金属にくっつくのではないかと考えたのでした。これはその頃としては無理もない考え方であるわけで、今では錆のつくのは空中の酸素が金属と化合してこれを酸化させるのだということがわかっているのですが、ともかくその際に金属の重さが増すということのわかったのは、大切な発見であったのでした。