四
飯坂と、此の温泉は、橋一つ隔てるのであるが、摺上川を中にして兩方から湯の宿の裏の、小部屋も座敷も、お互に見え合ふのが名所とも言ふべきである……と、後に聞いた。
時に――今渡つた橋である――私は土産に繪葉がきを貰つて、此の寫眞を視て、十綱橋とあるのを、喜多八以來の早合點で、十網橋だと思つた。何故なら、かみ手は、然うして山が迫つて、流も青く暗いのに、橋を境に下流の一方は、忽ち豁然として磧が展けて、巖も石も獲ものの如くバツと飛ばして凄いばかりに廣く成る。……山も地平線上に遠霞んで、荒涼たる光景が恰も欄干で絞つて、網を十をばかり、ぱつと捌いて大きく投げて、末を廣げたのに譬たのだらう。と、狼狽へて居たのである。
念のために、訂すと、以ての外で。むかしは兩岸に巨木を立て、之に藤の綱十條を曳き、綱に板を渡したと言ふ、著しき由緒があつて、いまも古制に習つた、鐵の釣橋だと言ふ……おまけに歌まである。
陸奧の十綱の橋に繰る綱の
絶えずもくるといはれたるかな――千載集
「旦那――あの藤の花、何うだ。」
「はあ。」
「あれだ、見さつせえ、名所だにの。」
「あゝ、見事だなあ。」
私は俥から、崖の上へ乘出した。對岸(――橋を渡つて俥は湯の原の宿の裏を眞正面の坂を上る――)に五層七層を連ねた中に、一所、棟と棟との高い切目に、樅か欅か、偉なる古木の青葉を卷いて、其の梢から兩方の棟にかゝり、廂に漾ひ羽目に靡いて、颯と水に落つる、幅二間ばかりの紫を、高樓で堰き、欄干にしぶきを立たせて散つたも見える、藤の花なる瀧である。
私は繰返した。
「あゝ、見事だなあ。」
「旦那、あの藤での、むかし橋を架けたげだ。」
「落ちても可い、渡りたいな。」
と言つたばかりで(考慮のない恥しさは、此れを聞いた時も綱には心着かなかつた、勿論後の事で)其の時は……と言つたばかりで、偶と口をつぐんだ。
馬の背のやうに乘上つた俥の上の目の前に、角柱の大門に、銅板の額を打つて、若葉町旭の廓と鑄てかゝげた、寂然とした、明るい場所を見たからである。
青磁、赤江、錦手の皿小鉢、角の瀬戸もの屋がきらりとする。横町には斜に突出して、芝居か、何ぞ、興行ものの淺葱の幟が重なつて、ひら/\と煽つて居た。
ぐら/\と、しかし、親仁は眞直に乘込んだ。
「廓でがあすぞ、旦那。」
屋號、樓稱(川。)と云ふ字、(松。)と云ふ字、藍に、紺染、暖簾靜に(必。)と云ふ形のやうに、結んでだらりと下げた蔭にも、覗く島田髷は見えなんだ。
「ひつそりして居るづらあがね。」
「あゝ。」
「夜さりは賑かだ。」
出口の柳を振向いて見ると、間もなく、俥は、御神燈を軒に掛けた、格子づくりの家居の並んだ中を、常磐樹の影透いて、颯と紅を流したやうな式臺へ着いた。明山閣である。