Chapter 1 of 1

Chapter 1

(彌次郎兵衞)や歸つて來た、べらぼうに疾いな、何うした。(喜多八)えゝ、車で行つて來たものですから。(彌次)其にしても馬鹿に疾いわ、汝が出掛けてから、見ねえ、未だ銚子が三本とは倒れねえ。第一、此姉さんを口説いて、其返事をきかねえ内だぜ。(女中)存じませんよ。(彌次)や、返事は其か、と額を撫でて、こりや鬱がせる、大に鬱ぐね、己も鬱ぐが喜多八、汝も恐しく鬱ぐぢやないか、何か、又内證でころが喰ひたさに、金子でも借に行つたのぢやないか、さもしい料簡は止せ、京都三條通一寸上る邊栗屋與太九郎以來道中で驕らせようとすると飛んだ目に逢ふ。

喜多八何となく樂まず。(喜多)否留守だつたんです。(彌次)フム、(喜多)實は其の東京を出る時から此の靜岡へ着いたら是非尋ねて見よう、久々で逢つて話したいと、樂みにして居たんです。

(彌次)はゝあ、大分執心と見える、別懇な人か。

(喜多)別懇な……何です、親友の細君なんです。

(彌次)何だ細君、細君なら女ぢやないか。

(喜多)實は女なんですが。喜多八は言ひ惡さう。

(彌次)此の野郎、と苦笑。(喜多)若い同士結婚をすると、間もなく私の親友は病氣で亡くなつたんです。其の細君と六十餘になる病身な父親とを殘して亡くなつたんです。勿論、財産といつてはない處へ、主人に死なれちや動きが取れません、細君の實家といふのは別に物持といふほどではありませんが、引取つて再縁をさせるに、別に差支はないのですから、年紀は少し容色は好し、一先づ離縁をと、度々申込んださうですけれど、今の世に珍しい。(彌次)はてな。(喜多)一度良人を持つた上は、何處までも操を守り通すと、これはまあ、思ひ合つた同志、然も若い内當座然う言ふのは別に不思議なこともありませんが、其の細君には未だ外に、自分が出ては便のない舅の世話を誰がしよう、見す/\翌日からの暮も覺束ないといふ條件があつたんです。(彌次)はてな、と膝を進めて殆ど無意識に差出す猪口に、女中も默つて酌をする。

喜多は膳を前に丁と坐つて、卷莨を斜めに眞鍮の火鉢のふちで輕く叩いて、細君は教育があつて、殊に生れつき針仕事に手が利いたのを、東京で又其專門の學校で仕上げた人なんですから、不幸か、幸か、直ぐ其術が用に立つて、人仕事をして暮を立てて居たさうですが、生前にはいくら懇意にしたつて、友人の亡い後へは、若い者が此で、何となく更まつて行惡いもんですから、つい尋ねもしません。

其内先方でも暮しの都合で、彼方此方引越たり何かしたもんですから、居所も知れなくなつたんです。其内江戸川端の狹い汚い路地で、細君が後齒の減つた下駄を雪のやうな拇指で、蝮を拵へて穿いて、霜の降りた朝、井戸繩に縋つて束ね髮の窶れた姿で、水を汲んで居たつて、見かけたものに聞いたんです。彌次杯を置いて煙管を銜へ、ふむ、しかし厭にいふな。(喜多)いゝえ其がです。後に此の靜岡に來て學校の教師をして鷹匠町に居るツて事で、

(女中)感心な方でございますねえ、と膝に構へた銚子の冷えたのも忘れて居る。

(彌次)分別顏を傾けながら、いや早まつて感心をすると、あとで色男を拵へて遁げたなどといふ事になる、得てあるで、其處で何うした。

(喜多)同一土地では然ほど懇意でない者も旅で一所になれば三年五年の知己ぐらゐに隔がなくなります。東京ではたとひ人は知らないでも、何だか世間體極りが惡くつて、心ぢや思つても尋ねにくいのですが、旅先だといくらか、其心遣ひも要らないといつた形ですから、今度お伴をしたのを幸、是非一度逢つて、其後の樣子も聞きたし、それは私などが言はないでも、細君は夢にも見て、死んだ良人から禮を言はれて居ませうけれど、私は又私で、親友のために禮も言はう、賞めもしよう、慰めても遣りたいと思つたですから。(彌次)いやなか/\、眞面目だな、それから何うした。

(喜多)鷹匠町とばかりで、悉しく番地なども知らんので、何れ此れと言はうより、學校で聞いた方が早分りがすると思つたものですから、車夫に然ういつて、寄宿舍の前で梶棒を留めさしましたが、其處へ行くまでにお濠端を通りますね。(彌次)お城の濠だ、うむ成程。(女中)廣うござりませう。

喜多は一呼吸して一服吸つた。凡そ旅さきで、川なり池なり廣い水の色を見てると、高い山を視めたより、一層故郷に遠いやうに感ずるものです。殊に夜、あの濁つた灰色の對岸が暗くつて分らない岸を通ると、あゝ他國だなと思ひました。直ぐに今尋ねようとする人は、もツと此のさきに住んでるのだと考へて、嘸心細い事だらうと。彌次又苦笑して(彌次)異う哀ツぽく持込むぜ。

(喜多)氣も急きますから、車夫に尋ねさせると、ずツと門を入りましたツけ、何か會でもあつたと見えて玄關に、……學校と書いた高張が立つて居ます。

ばら/\と三人、白襟に蝦茶といふのが出て、入亂れて、一人は車夫に、ものをいふ。髮の毛の多い、丸顏なのは壁に凭りかゝつて、此方を透すと、一人面長で年上な女學生が、式臺へ下りて車夫の肩越に、先生のお宅は、……ト車夫に教へて居たのが、ねえ、其方が知れ可いでせう、と丸顏のに言ふと、然うですよ、車夫さん、何處から來たのといふ時、又一人靜に出て來た、着流しのが居ました。

車夫は引返して、へい。分つたか。宜しうございます、と梶を上げました。立つて見送つて居られるから、帽子を脱ぐと、直ぐにから/\と町の淋しい方へ引出しましたが、何だか跡で囁いて居たやうで、あゝ、惡かつた清い夫人が、自分のために、生徒たちに何とか怪まれやしないかと思ふと、變に擽たいやうな氣がします。車は早く町を出放れて小川の橋を渡つたんです。さあ、又この川で心細さが増すと、それから左右が水田になつて、人ツ子一人通りやしません。

けれども、何だか顏を見られるやうで、靜岡といふ土地も狹く、田の中の路も狹く、肩身も狹いやうだつたんです。

車夫まだ餘程か、何だか停車場前の此家からは夜の路を、ものの一里許りも來たやうに思ふツて、聞きました。電燈が店あかりになつて、其が、窓の灯になつて、暗くなつて、寄宿舍で、高張を見て、これから彼方に三軒此方に二軒、寢靜つたやうな、場末を越して、左右が涯もない水田になつてたぢやありませんか。

向うに見えます眞直な杉の木が其お邸ださうです、と言ひます。成程、眞黒なものの中から、ぼんやり曇つた空に通つて、細いものが一本見えました。取着は山のやうで、最う、其處か。婚禮のあとで尋ねた時は、別に女中は置かぬ暮、自分で取次に出たが、男の聲に框の障子の引手の破れへ、此方は知れぬつもりで、目を一つあてて覗きなすつた其の品の可い曇のない、美しいのが、障子の紙の硝子で切つて嵌めたやうに見えたのを、今も忘れないが、矢張今度も然うだらうか。何だか胸が迫つて俯向く足許。

小川の中から、びちや/\びちや/\びちやと、水田を向うへ行くほど泥を離れて、高くなつたやうな音で、闇の中へ飛んだものが何かある。魚なら鯉ぐらゐの大さ。ですが其氣勢は獺が歩行いたやうで、夜は今の間に丑三も過ぎたかと思ふ寂寞さ。見通し一町には足りない路が一時もかゝるやうに氣が急いたんです。

車が着くと、何ですか更まつて、急には門が開けられません。垣根に袖を觸れ、井戸の柱に凭りかゝつて、唯、恁う、見ると、杉の木の下の低い格子戸から、射す燈の工合が、厭に貧しい。覗くと框の二枚の障子が穴だらけぢやありませんか。(彌次)はてな。(喜多)いや、恁ういふ筈ぢやなからうが、と思ひながら見ると、戸外の戸袋の横に、小さな、しるしばかりの門松が打つけてあります。釘がゆるんで、觸ると取れさう。戸を開けようとする、と直ぐ上り口に障子の内で、ごほりと老人が咳をします。御免下さい、と大きく二度ばかり呼ぶと、徐々と障子を開けましたが、取着の三疊の炬燵から横に摺つて、手を伸したので。

内は如何にも侘しい住居。扨は殘つて居た借金を此處へ來ても取られるか、細君が義理堅い人だけに、少い月給の内から仕拂ふのに違ひない、と先づ氣の毒さが一杯になつて、戸を開けて半身入るには入りましたが、近處の者ではないと見て昔氣質の老人、すぐに炬燵から出て、丁と手をついて、これは誰方樣ぢや。

親友が生きて居る内も、病人で餘り客に顏は見せなかつた老人、幼友達と言ふのではありませんから、顏を見覺えては居ないので又目も疎いのでせう。

膝を突合しては話をしたことはありませんが、私は見知越。お芳さんは、と名をいつて尋ねますと、耳を向けて聞直して、彼は、といふ内もごほごほと痩せた肩を縱に搖つて咳入りながら、學校の用で昨日東京へ參りましてな、何かにつけて御苦勞なことでござる、とつい口へ出される心中、私はハツと言つた切。

いづれ伺ひます、又と、土地の者のやうなことを吃りながら言つて、悄然と出ましたのを、薄暗い洋燈越に、よろ/\と立つて障子につかまつてお見送りなすつた姿、此人を介抱してこんな處に唯二人、と歸りには俥の上で、默つて腕組をして俯向いて、何處を通つたか、もう來たかと思ふ内に歸つたんです、話はこれだけなんですが。

聞いて居たものは二人とも默つて、歎息をしたのである。それから天窓から若い者を罵倒しながら猪口を嘗める口を轉じて、貞女だ節婦だ、得難い、無類、などいふ、未亡人賞讚の聲を絶たずして、酒も理に落ちた。

多くは飮まなかつたから、あくる日は二人とも頭輕く、朝風に颯と俥を二臺、停車場を左へ切れた久能へ行く街道で、府中通の栃面屋、此處の景色を見ろと、故と畷に下立つて、城あとの方を顧ると、冬田の空に富士の高峰、雪に霞を被げる姿。下にこんもりとした紫の雲の靉靆いたやうな、朝ぼらけの森の中に、高く朱塗の堂が見えた。

(喜多)彼は、(彌次)ありや昨夜お前の行つた鷹匠町の觀音堂だ。(喜多)彼處が、(彌次)彼邊の家は縁側にすわると、富士の裾へ手が屆くやうだよ。

然ればこそ、軒の富士、窓の御堂。芳子は、其ばかりでも長に操を守るであらうと、喜多八は心に佛菩薩の慈悲の廣大なることを、未亡人のために、舊友のために、又老人のために感拜したのであつた。

明治三十八年七月

●図書カード

Chapter 1 of 1