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古代之少女
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古代之少女
伊藤左千夫
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Chapter 4 of 14

四

夜の食事が濟んでから、親子四人は爐を片邊に短檠を圍んだ。「日和が續けば秋も樂なもんさ、今年の秋程日和都合のえエは珍らしいな、こんな秋なら苦なしぢやはなア」と兄が云へば「秋の仕事も荒方片就き麥蒔も今日で終へたに、女達は明日からはもう機にかゝつてえエよ」と父がいふ。「おう機と云へばなイ手古奈、綿ちもんは立派なもんだど、明日にも一寸畑へ往つて見てきさい、なイ手古奈や雪のやうな白い實がなつたど」……いつになく兄が話をする。兄と父とは日ぐれに一寸と手古奈が上に就いて思うた事などは忘れてゐるらしい。いつも口輕な母も何か思案のありさうに二人の話に身が入らない。手古奈も勿論今日の出來事に許り思ひは走つて居る。それに話の潮を計つて今日の事を話すつもりでゐるから父や兄の話の興に乘らない。わく/\する心の亂れ落着かねてゐるのである。

兄は父に似て稍づんくりな、平生詞少ない物靜であわてるといふことのない、何時でもゆつたりとした少年である。手古奈は容姿から音聲からはつきりとした、優しい内にも物事明晰な質で神經質なところが、能く母に似てゐる、手古奈はつまり玉成的に其母が進化したのだ。それに手古奈の樣な美人が此家に生れたに就ては偶然でない所以がある。手古奈の母方の曾祖父物部於由といふ人は葛飾に名のかむばしき大丈夫にて、一とせ館の騎射に召され、拔群の譽れを立てた、恩賞には、殿の言添に依て相思の美人と結婚を遂げ一國の羨望を雙身に集めたといふことである。手古奈の母なる人は其名譽なる家の孫であつた。手古奈の母が其名譽な家から今の足人(手古奈の父)に嫁いで小さな家に居るのは只相戀の二字之を説明して餘りある訣だが、さういふ處から固より勝氣な手古奈の母は、二人の兒供をどうかして名譽の者にしたいといふ強烈な希望がある。毎朝神棚に向つて祈念することは實に十年一日の如しであつた。それかあらぬか、兄の少歳(手古奈の兄)は一寸見は物靜かお人よしの樣だが、武藝に掛けては容易に人に讓らぬ、如何な場合にも愛馬を手離すと云ふことはない。一朝館の召があらば、火にも水にも躍り入るべきは、其落著いた眞底の覺悟で鋼の樣に固い。

手古奈の母は今日ゆくりなく人の噂に、手古奈が立身の端緒たるべき話を聞いて、嬉しさにいそ/\と歸つて見ると、例の小室の殿が見えたらしい日暮の樣子に、考はいろ/\と込み入つて平生思慮深い性にも、聊か分別に苦しんだのであつた。兎も角も手古奈の胸を聞いてからなど、四人が揃ふのを待つてゐたのに、足人や少歳が相も變らぬ無邪氣な話を始めたので、もどかしくてならないのである。併し母も妹も一向相手にならないので、少歳は直ぐ話が盡きて了つた。

母の樣子に氣がついた手古奈は、やをら彼の帶と歌とを親同胞の前へ差置いて、今日の出來事を落なく語る。帶は何の思慮も及ばぬ間に置いて往かれたので自分が心得て受けたものでないといふことも告げた。吾から吾戀を語る耻かしさ手古奈は顏を火の樣にしてゐる。竝の人ならぬ私部小室がことで見れば、自分一人の胸に收めて置かれない訣である。いづれとも親同胞の計らひに依るとの意であれど、手古奈の心底を察すれば單に許諾を求めたとも見られるのである。慥かに手古奈の心はどうでもよいと言ふが如き冷かなものではないのだ。太都夫や丹濃の事を思ふに就けても、徒らに人に物を思はせるのは本意でない。程よき處で身を定めるの分別がなければならないとは、思慮ある女性の當然な考であらう。手古奈はまさかさうまで言ひはしないが、それが自然に落來たるべき道筋である。

父と兄とは口を揃へて……「幸福者の手古奈へ、身分と言ひ人柄と言ひ其眞心と言ひ、何處へ不足が言へるだい、考へる處があるもんか、早速挨拶するがえエよ……」少歳は又歌を讀んで見て愈感じ入つてゐる。父は猶口を極めて小室の人柄を褒め、思遣り深い殿樣、下々の思ひつきのよいことまで言うて、かういふことになるのも全く神々の御計らひ眞に有難いことやと涙を拭いて悦んだも無理ならぬことである。

母は人々の話を聞いて愈々思案にくれたらしく猶一言も言ひ出さない。足人も少歳も手古奈も等しく目を集めて母の言ひ出す詞をまつてゐるといふ、座になつたので、漸く母も口を切つた。其あらましを言ふと、

母は里方の兄なる人から、今日意外なことを聞いた。當國の領主日置の若殿忍男の君が、何かの折に幾度か手古奈を垣間見て、常々愼ましき性に似ず身柄忘れての戀衣、千重に八千重に思ひつみ今は忍びかねての、思ひを近く仕ふる媼に打明けた。そこへ此頃私部小室が噂さへ聞かれて、愈歎き給ふと聞くからは遠からぬ内に、館より何かの使があらうとの話であつた。

母は一も二もなく若殿忍男の君が、さういふことに相違なくば、これに上越す幸福はない。吾家一家の出世は勿論、只一人の壯士としても忍男の殿は小室の殿に勝つて居るといふことを繰返した。それは兄とて父とて、吾領主の若殿から所望とあれば、之れに不同意のあらう筈がない。明日にも館より使があらばとは三人が異口同音に言うた詞であつた。それでは今は何れとも決著の仕樣もない訣故、館より使が如何な申込をするか、それを慥かめないうちは、私部の方へは挨拶も出來ないといふ事で、一先づ話の段落がついた。

跡は三人が言ひ合せた如く、等しく手古奈を打眺めて、何といふ冥加な兒であらうと、眞に話のやうな事實の不思議を嘆息する。少歳は單純な生れつきより、平生若殿を神の如くに思うてゐたのであるが、今現在の吾妹が其若殿の戀人と聞て、これは只事ではないといふのである。足人はさすがに、小室の殿とて手古奈の聟には冥加に餘る譯だが、吾殿忍男の君に比ぶれば、小室の殿はどうしても一段の下で、忍男が年若ながら何事にも鷹揚な處は生れながらの殿樣であるといふ。母が忍男を稱揚するは精細を極めて居る。只鷹揚な若殿といふ許ではない。馬に乘つても弓矢を採つても、學問と言ひ、人柄と言ひ、勇武で愛情もある、風彩の上にも小室の殿に勝れて居るといふ。

手古奈は三人の話に口の出し樣もなく、伏目になつて默してゐる。手古奈とて忍男其人に毛程の厭がないは、勿論で、寧ろ領主の若殿に思はれるといふ有難さは、云ひやうなく嬉しい。あの立派な人が若殿樣が自分をそんなに思うてくれるのかと思うて、其情けの心が嬉しくない筈があらう。乍併只それより前に一度小室に動いた感情が、跡から現れた忍男がよしや小室に十倍勝つてゐたにせよ、小室といふ感念が容易に手古奈の胸中より消え去るべきものでない。まして同情の權化と見ゆる手古奈の性質では猶更のことである。

手古奈は先に小室に思ひそめて後丹濃や太都夫に對して、感情の苦痛を覺えたよりは、更に一層の苦痛を小室の爲に感ずるのである。愈忍男の殿に召さるゝとせば、自分は冥加に餘る仕合せであれど、あれほどにいはれた小室の殿の失望怨恨はどんなであらう……。あの時自分も憎からず思うた事口にこそ出さゞれ心は正しく彼の人に通じて居る。さればあアして勇んで歸られたものを、それが一場の夢幻と消え去つた時、彼人の悔恨はどれほどであるか。さりとて未だ許さぬ彼人に操を立てゝ、恩あり情けある若殿の志にどうして背かれよう。……是れが生地から心も美しい手古奈の今眼の前の苦悶である。

父や母や兄やが無造作に悦んで居るに引替へ、手古奈は愈考込んでしまつた。手古奈は今は全く自分を忘れてゐる。一賤女が領主の若殿に思はれるといふ幸福な位置をも忘れ果てゝ考へてゐる。手古奈は餘りに人に思はるゝに依て自分の仕合せは消えつゝあることを思ひそめた。少くも精神の上に氣安くて高尚な愉快に居るといふ望みが無くなるやうな心持がしてきた。丹濃や太都夫は致方ないにしても、彼の小室の殿まで失望の嘆きに沈ませ、自分一人圓かな良縁に樂しむといふ事が出來ようかと思はれてならない。

思ふ人が多くて思はれる人は一人である。一つの物を以て多くの望みを滿足させることの出來ないは、此世開けてより以來定まつて居ることである。手古奈の苦悶は損か得かの迷ではない。善か惡かの迷ではない。甲にせんか乙にせんかの迷でもない。義理を得ざるに苦しむのではない。感情の滿足が得難きに迷ふのである。手古奈は今は自分で吾身が情なく思はれてきた。小室なり忍男なり只一人に思はれる身であつたら……嗚呼どんなに嬉しからんにと悔むのである。

事は吾家一家の大事である。親同胞はかういふ知識上の考に制せられて居る。感情の上には全く傍觀者の態度にある三人には、到底手古奈が内心の苦痛を察することは出來ない。果して母は手古奈が浮かない顏を見て不審の眼を据ゑた。

「手古奈やおぬしは小室の殿と何かの約束をしたのか」……さらば吾領主の若殿に思はれるがなぜに嬉しくないと詰る。如何にも親相當な心配である。況や野心盛な手古奈の母は、此場合手古奈に躊躇の色あるを見て非常に驚いた。母は猶足人や少歳にまで聲を掛けて、これは大事のことであれば考違ひをしてはならぬと戒める……。

手古奈は、

主と他人との差はあれど眞實に劣り優りはなきものを、何れに背かんも心苦るし、今は只一人にてありたしなど嘆く。母は怒ておぞや此兒と叱る。父は穩かにそはおぬしが私の心ぞ、父母の望みを思へ。領主の恩と若殿との眞情を思へといふ。少歳は頗る妹の苦痛を察して頻りに嘆息しつゝなる樣になるべければ何事も神の捌きに任かせよ、父母にあらがふ手古奈にはあらず、兎も角も館の使を待ちてこそといふ。母も氣遣ふ面持全くは晴れねど、かつて詐りなき手古奈が小室に何の約する處あらずといふを疑はねば、それさへなくば如何樣にも計らふ道ありと思ひ定め、やう/\茲に其談話の終りを告げた。

少歳は愛馬の夜飼をあてがうて、歸りに貯の栗柿など採出でゝ、俄に變る一家の歡樂場は四隣の人を羨せる笑ひどよめきを漏らした。

Chapter 4 of 14
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