Chapter 1 of 4

一 二葉亭が存命だったら

二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。二葉亭はとても革命が勃発した頃まで露都に辛抱していなかったろうと思うが、仮に当時に居合わしたとしたら、ロマーノフ朝に味方したろう乎、革命党に同感したろう乎、ドッチの肩を持ったろう? 多恨の詩人肌から亡朝の末路に薤露の悲歌を手向けたろうが、ツァールの悲惨な運命を哀哭するには余りに深くロマーノフの罪悪史を知り過ぎていた。が、同時に入露以前から二、三の露国革命党員とも交際して渠らの苦辛や心事に相応の理解を持っていても、双手を挙げて渠らの革命の成功を祝するにはまた余りに多く渠らの陰謀史や虐殺史を知り過ぎていた。

二葉亭の頭は根が治国平天下の治者思想で叩き上げられ、一度は軍人をも志願した位だから、ヒューマニチーの福音を説きつつもなお権力の信仰を把持して、“Might is right”の信条を忘れなかった。貴族や富豪に虐げられる下層階級者に同情していても権力階級の存在は社会組織上止むを得ざるものと見做し、渠らに味方しないまでも呪咀するほどに憎まなかった。

二葉亭はヘルチェンやバクーニンを初め近世社会主義の思想史にほぼ通じていた。就中ヘルチェンは晩年までも座辺から全集を離さなかったほど反覆した。マルクスの思想をも一と通りは弁えていた。が、畢竟は談理を好む論理遊戯から愛読したので、理解者であったが共鳴者でなかった。書斎の空想として興味を持っても実現出来るものともまた是非実現したいとも思っていなかった。かえってこういう空想を直ちに実現しようと猛進する革命党や無政府党の無謀無考慮無経綸を馬鹿にし切っていた。露都へ行く前から露国の内政や社会の状勢については絶えず相応に研究して露国の暗流に良く通じていたが、露西亜の官民の断えざる衝突に対して当該政治家の手腕器度を称揚する事はあっても革命党に対してはトンと同感が稀く、渠らは空想にばかり俘われて夢遊病的に行動する駄々ッ子のようなものだから、時々は灸を据えてやらんと取締りにならぬとまで、官憲の非違横暴を認めつつもとかくに官憲の肩を持つ看方をした。

「露西亜は行詰っているが、革命党は空想ばかりで実行に掛けたらカラ成っていない。いくらヤキモキ騒いだって海千山千の老巧手だれの官僚には歯が立たない、」と二葉亭は常に革命党の無力を見縊り切っていた。欧洲戦という意外の事件が突発したためという条、コンナに早く革命が開幕されて筋書通りに、トいうよりはむしろ筋書も何にもなくて無準備無計画で初めたのが勢いに引摺られてトントン拍子にバタバタ片附いてしまおうとは誰だって夢にだも想像しなかったのだから、二葉亭だってやはり、もし存生だったら地震に遭逢したと同様、暗黒でイキナリ頭をドヤシ付けられたように感じたろう。

が、二葉亭は革命党の無力を見縊っていても、その無思慮な軽率なヤリ口に感服しなくてもまるきり革命が起るのを洞観しないじゃなかった。「露西亜は今噴火坑上に踊ってる。幸い革命党に人物がないから太平を粧っていられるが、何年か後には必ず意外の機会から全露を大混乱に陥れる時がある」とはしばしば云い云いした。「その時が日本の驥足を伸ぶべき時、自分が一世一代の飛躍を試むべき時だ」と畑水練の気焔を良く挙げたもんだ。

果然革命は欧洲戦を導火線として突然爆発した。が、誰も多少予想していないじゃないが余り迅雷疾風的だったから誰も面喰ってしまった。その上、東京の地震の火事と同様、予想以上に大きくなったのでいよいよ面喰ってしまった。日本は二葉亭の注文通りにこの機会に乗じて驥足を伸べるどころか、火の子を恐れて縮こまって手も足も出ないでいる。偶々チョッカイを出しても火傷をするだけで、動やともすると野次馬扱いされて突飛ばされたりドヤされたりしている。これでは二葉亭が一世一代の芝居を打とうとしても出る幕がないだろう。

だが、実をいうと二葉亭は舞台監督が出来ても舞台で踊る柄ではなかった。縦令舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見ても板へは附くまい。が、寝言にまでもこの一大事の場合を歌っていたのだから、失敗うまでもこの有史以来の大動揺の舞台に立たして見たかった。

ヨッフェが来た時、二葉亭が一枚会合に加わっていたらドウだったろう。あの会合は本尊が私設外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘と青隈の公卿悪の目を剥く睨合いの見得で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚れただけでよほどな看功者でなければドッチが上手か下手か解らなかった。あアいう型に陥った大歌舞伎では型の心得のない素人役者では見得を切って大向うをウナらせる事は出来ないから、まるきり型や振事の心得のない二葉亭では舞台に飛出しても根ッから栄えなかったろうが、沈惟敬もどきの何とかいう男がクロンボを勤めてるよりも舞台を引緊めたであろう。

とは思うものの、二葉亭は舞台の役を振られて果して躍り出すだろう乎。空想はかなり大きく、談論は極めて鋭どかったが、率ざ問題にブツかろうとするとカラキシ舞台度胸がなくて、存外※咀逡巡して容易に決行出来なかった。実行家となるには二葉亭は余りに思慮が細か過ぎた。右から左から縦から横から八方から只見うこう見て卯の毛で突いたほどの隙もないまでに考え詰めてからでないと何でも実行出来なかった。実行家の第一資格たる向う見ずに猪突する大胆を欠いていた。勢い躍り出すツモリでいても出遅れてしまう。機会は何度来ても出足が遅いのでイツモ機会を取逃がしてしまう。存命していても二葉亭はやはりとつおいつ千思万考しつつ出遅れて、可惜多年一剣を磨した千載の好機を逸してしまうが落であるかも解らん。

が、それでも活かして置きたかった。アレカラ先き当分露国に滞留して革命にも遭逢し、労農政府の明暗両方面をも目睹したなら、その露国観は必ず一転回して刮目すべきものがあったであろう。舞台の正面を切る役者になるならぬは問題でなくして、左に右く二葉亭をしてこの余りに大き過ぎて何人にも予想出来なかった露西亜の大変動に直面せしめたかった。

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