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「そうだ。僕も今それを変に思っていたところだ」
「酔っぱらった揚句に、書類か何かに捺印署名したっけねえ」
「あっ、そうだ。あれは何の書類だったんだろう」
「僕も今思い出そうとするんだが、どうしても思い出せないんだ」
「ふしぎだねえ。やっぱり老酒のせいかな。そう言えばあの老酒は、ちょっと茗荷のにおいがしたようだ」
そして二人はあれこれと考えてみましたが、どうしても思い出せない。そこで仕方なく二人は顔を見合わせて、ハッハッハアと笑い合ったのですが、外国の諺に、最後に笑うものがもっともよく笑う、というのがあるそうですねえ。どうも僕ら二人は最初に笑い過ぎた傾向がある。と言うのは、それから三日目の夕方のことです。コンニチハという声と共に、一人の若者が跫音も立てずスイスイと庭に入って参りました。見るとあの孫伍風です。
「やあ、いらっしゃい。先日は御馳走さまでした。何か御用ですか?」
「今月の家賃、いただきに、来たヨ」
「え。家賃?」
僕がびっくりしたような声を出したものだから、野呂も西室からごそごそと首を出しました。孫は平然たる表情で言いました。
「そう。家賃よ」
「家賃って、誰にはらうんですか」
「誰にって、あんた、陳大人によ」
「そりゃ無茶ですよ。孫さん」と野呂が半身乗り出して口を入れました。「だってこの家は不破氏のものでしょ。陳さんに僕らが家賃払うわけがないよ」
「この家、陳大人が、押えた。早く家賃払うよろし」
「押えたって、孫さん」僕は笑いながら孫をたしなめました。「僕らの同意もないのに、そんなことは出来ませんよ。さては陳さん何かかん違いをしてるな」
「同意したではないか」
孫伍風は多少むっとしたらしく、眼をキラリと光らせました。見ると両方の手がもう半分ぐらい拳固の形になっています。先日の手練のほどを思い出して、僕はすこし気持がひるみましたが、それでもなお元気を出して、
「僕らがいつそんな同意をしました?」
「あの晩、ちゃんと、拇印を押したでないか。ずうずうしいぞ」
僕と野呂は同時にアッと叫び、顔を見合わせました。
「今月の家賃四千円、すぐさま払うよろし。払えなければトットと出て行くよろし」
そして孫伍風は拳固をピッタリと構え、じりじりと板の間に近づいて来る。たどたどしい日本語がかえって凄味をそえました。
「払うか、払わないか、一体どっちよ!」
「払うよ。払いますよ」
ついに僕は悲鳴に似た声を出した。そしてあわてて部屋にかけこみ、財布の中から千円札四枚をとり出して、孫に手渡しました。すると孫はにやりと笑ってポケットから賃貸借通帳を取出し、それにぽんと印を捺してこちらに寄越した。それを見ると家の借り手は、僕と野呂の二人の連名になっています。野呂も孫の気魄に圧倒されたのか、若干あおざめていました。孫は入って来た時と同じように、全然跫音を立てず、スイスイと庭を出て行きました。跫音を立てないのも、修練のひとつなのでしょう。
「バカにしてやがる」
と僕は呟きました。陳の横暴もさることながら、うかうかと捺印したマヌケな自己に対する嫌悪。それにもう一人この家に野呂というマヌケがいる、そのことのうとましさで、僕は腹の中が真黒になったような気がしたのです。野呂も同じ思いだと見えて、唇を噛んで僕をにらんでいる。その野呂に僕はつけつけと言ってやりました。
「さあ。これでお互いが極め付きのマヌケだということが、はっきり判っただろ。家賃の割前二千円、早く出せよ」
「イヤだよ。君が勝手に払ったんじゃないか」と野呂は口をとがらせました。
「なに。払わない。じゃ払わなくてもよろしい。その代り君はこの家の借り手じゃなくなるぞ。君は僕の居候だ!」
「居候? 居候でも結構だ」
「断っておくが、家主は居候を何時でも追い出す権利があるんだぞ。出て行かなきゃ刑事を連れて来るだけだ。そうすれば家宅侵入罪でひっくくられるぞ!」
「そんな滅法なことがあるもんか」
三十分間もそんな言い合いをしたでしょうか。いくら横車を押そうとしても、野呂自身も捺印したことだし、少しずつ自分の非を認めて折れてきました。そして結局四千円のうち千八百円を野呂が持ち、僕は二千二百円ということになりました。どうしてこんなことになったかと言うと、野呂の部屋は西側だから西日が射す。部屋の条件として四百円がた悪いというのが野呂の主張で、その主張を僕が呑んだわけですな。それも初めは八百円がた悪いと言い張るのを、やっとのことで半分に値切ったわけです。野呂にかかっては夕日ですら金銭に換算される。こういう男と今後同居して行かねばならない。それを思うとほんとに情なくなって、全く涙が出そうな気分でしたな。
で、またその夜も酒になった。しょっちゅう酒ばかり飲んでいるようですが、我々虐げられたる者は、虐げられたる苦しみをごまかすために、酒でも飲まなきゃやりきれないのです。この夜の酒宴は、今後の対策の協議という名目だったのですが、ろくに結論も出ずに終った。警察に訴えようかという案も出たけれど、うかうかと捺印してしまったことだし、相手はすでに差押え処分か何かを完了しているに違いないし、しかも第三国人のことだし、憎まれると大変なことになりそうだというわけで、それはお流れになりました。弁護士に相談する案もありましたが、これは野呂のケチンボ根性でぜんぜん駄目。そのうちにまた野呂の泣き上戸が始まって、れいの如く、神も仏もないものかと泣きわめく始末で、九時頃には大叫喚裡にこのヤケッパチの酒宴は終りを告げました。
そして十日過ぎ、半月過ぎても、不破夫妻はとうとう戻ってきませんでした。
こういう具合にして僕らの奇妙な同居生活は始まったのです。
野呂は毎朝六時に起き、学校に行き、午後四時にはキチンと戻ってくる。僕とは違ってなかなか几帳面な生活でした。僕なんか面倒くさがり屋だから、自炊と外食をチャンポンにしていますが、野呂は自炊の一点ばりです。近いうちに田舎から老母を呼んで一緒に暮そうと思うがどうだろう。そう一度彼は僕に相談を持ちかけたので、いいだろうと答えておいたのですが、後で考えるとそれは、老母が一人ふえても家賃の割前はそのままだぞ、という意味だったらしいのです。とにかく彼は営々として倹約し、削れるところは少しでも削り、それをどしどし貯金の方に廻しているらしい気配がある。食事についてもそうです。彼は夕方や日曜を利用して、庭木を勝手に引き抜いて、そのあとにせっせと畠をたがやし始めた。初め僕はそれを黙って見ていたが、その畠の領域が見る見る庭全体に拡張しそうになって来たので、あわててそれを差止めました。野呂はれいによって、どんな権利で差止めるのかと文句を言ったが、結局は庭の半分だけを使用するという事に落着きました。そしてどこから持って来たのか、垣根のところにへんな灌木を何本もさし木をした。何の木だねと聞くと、枸杞だと言う。彼の言によると絶大と言ってもいいほど栄養のある植物だそうで、彼はそれをオヒタシにしたり、飯にたきこんだり、乾かしてお茶みたいにして飲んでいます。いつかそのクコ茶を馳走になったが、あまり旨いものではなかったようです。一体に野呂の食事は禅坊主のそれに似ていて、質素極まるものです。最低の栄養さえ摂ればいいという具合なのです。ところがある夜食で、彼があまりにも質素なものを食べていたので、
「も少し脂肪分でも摂ったらどうだね」
とからかったところ、彼は憤然として、自分のこの食生活は、かのゲイロード・ハウザー博士の所論にヒントを得て、自分流に考案した日本式栄養食なのだとタンカを切りました。
「僕はこれでも信念を持ってやっているんだぞ。君如きは知るまいが、脂肪は人類の大敵だっ!」
ところがこの野呂が、あの日タロコ亭の中華料理を、旨い旨いとむさぼり食ったんですから笑わせます。信念もクソもない、ただの経済食に過ぎません。つまり単純なケチンボ精神から出たものなのです。
畠のことだってそうです。野呂はその二十坪余りの畠にさまざまな野菜を栽培しましたが、素人菜園にしてはかなり上成績で、彼は毎日それを摘んでは食べている。結構これで八百屋の厄介にはならずに済んでいるらしいのです。ある朝、僕は味噌汁をつくろうと思い立ったが、中に入れる実がない。そこで野呂に呼びかけて、菜園のツマミ菜をひと掴み分けて欲しいと頼んだのです。野呂は快諾して、すぐに分けてくれました。そこまではよかったけれども、その夕方彼はツマミ菜の代金を請求してきた。それは市価の三倍ぐらいの法外な値段でした。僕はすっかり呆れて嘆息しました。
「実に高いなあ。いくらなんでも少し高過ぎやしないか」
「高くはないよ。これが普通だよ」
「そんなことはないよ。八百屋ではこれの三分の一の値段で売ってるよ」
「八百屋のと僕のとは違う」野呂はキッパリ言いました。「第一に、八百屋のより僕の方がはるかに新鮮だ。第二にうちのは人肥を使ってないから蛔虫の憂いがない。第三に君は八百屋に行く手数がはぶけたじゃないか。理由が三つもあれば、値段も自ら三倍ぐらいになるのは当然じゃなかろうか」
こういう野呂の論理には抗するすべはないので、渋々僕は代金を払った。それ以後野呂から僕は一切野菜を買いません。何かというとすぐ暴利をむさぼるから、ほんとにうんざりするのです。
画塾のことだって同じです。前に申し上げたように募集のポスターを貼ったら、なかなかの盛況で、小学生が四十人ほど集まって来ました。日曜の午前中をそれにあて、僕が画の講習ならびに指導にあたる。月謝は三百円で、つまり一万二千円ほどになります。これが僕の生活を支える有力な財源なのですが、野呂のやつがこれに目をつけた。
日曜日はすなわち野呂も休みで家にいるわけですが、その午前中いっぱい、板の間または庭に生徒があふれて、てんでに画板をもって写生をする。小学生のことですから、静かに描くということができません。ガヤガヤザワザワとおしゃべりはするし、中には歌をうたい出す子もいる。あまりガミガミ叱ると、次から通って来ないおそれがあるから、つい僕も手控えるのです。そこに野呂が目をつけて、日曜日の午前は自分の小説修業には大切な時間である、その大切な時間にピーチクパーチク騒がれては何も出来はしない、一体どうしてくれるというのです。野呂が小説修業を実際してるのかどうか、タロコ亭でもてないものだから出鱈目の放言をしたんじゃないか、と僕は今でも疑っているのですが、とにかく彼はそう頑強に言い張る。
「勉強出来ないだけじゃなく、台所や便所に行きたいと思っても、ウジャウジャ子供がいて、ろくに行けもしないじゃないか」
「じゃ、一体どうすればいいんだ」と僕も開き直りました。「画塾を止めろとでも言うのか」
「いや、きっぱり止めろとは言わないが――」と野呂は多少妥協の色を見せた。「僕に損害をかけた賠償として、上りの二割ぐらいは寄越してもよかろうじゃないか。僕だってその時間は全然つぶれてるんだ」
「君は自分の時間まで金に換算するのか」
「そうだよ。時は金なりと諺にもある。これが近代的合理精神というもんだ。大体君はわがまま過ぎるぞ。板の間は共同使用だという約束なのに、僕を無視して金儲けのために独占使用してるじゃないか。僕はほんとに君の身勝手には呆れ果てているんだ」
どちらが身勝手かと腹が立って、勝手にしろと怒鳴ってやりたかったのですが、もし呉れなきゃ真裸になって女生徒の前をウロウロするぞ、などと言い出してきた。自分の家で全裸になる分には、誰からもとがめられる筋合いはないとの言い分です。この男だったらやりかねないことだし、そうなれば生徒は皆次回から通って来なくなるでしょう。僕の顎はたちまち干上ってしまいます。そこで僕は涙を呑んで野呂の言い分をいれた。額だけは一割に値切ったが、それでも千二百円ということになります。忿懣を胸に蔵して僕は月末毎に千二百円を手渡すのです。
しかし今考えると、これらは単に野呂のケチンボ根性からだけではなく、僕に対する嫌がらせの意味も充分にふくまれていたらしい。そう僕は思います。すなわち野呂は不破から家を買うために手付けを置いた。手付けを置いた以上は、この家の権利は自分にある。ところが僕の方は初めから間借人である。そういう心理からどうしても彼はぬけられないし、また頑強にぬけ出そうとしないのです。だから彼は心の奥底では、僕を間借人または居候視していて、嫌がらせすることによって僕を追い出そうと試みているのではなかろうか。どうもそんな風に思われます。僕の側からすれば両人とも四万円ずつ出したのだから、家に関しては同等の権利を持つべきだと思うのですが、野呂はそう考えたくないらしい。それに彼は一軒の独立家屋を所有することに異常な熱意を示しており、時々そういうことを僕に洩らしたこともあります。一軒の家を自分のものにして、田舎から老母を呼び、そして適当な相手を見付けて結婚したい。それが彼の小市民的な理想なのに、不破、陳の両人からしてやられ、しかも僕という男と同居の羽目に立ち到った。それが腹が立ってたまらないらしいのです。その忿懣はほんとは自分に対して向けられるべきなのに、当面の僕にぶっつかって来るというのが真相らしい。しかしそれで黙って引き下っていては僕の立つ瀬はないじゃありませんか。