Chapter 1 of 5

「社長、又脅迫状です」

ドアが開いて、庶務の北川が入って来た。株式会社西村電気商会主の西村陽吉は、灰皿の上に葉巻を置いて、クルリと廻転椅子を廻し笑顔を向けた。

「又かい。根気のいいものだね」

彼はものうげに、北川のさし出す書状を受取ると、チエッと舌打ちをしながら、開封した。

「慣れっちまいましたね。封筒を見れば、これは脅迫状だなんて、直ぐに分る様になりました」

「ウン」

西村は鷹揚にうなずいて、封筒の中味を読み始めた。北川はそのうしろから、さも主人の身の上を気づかう恰好で、手紙を覗いている。

「ワハハハハハハハ、大分手ひどい。暗夜を気をつけろだって、うっかりすると命があぶないぞ」

西村は椅子の上でそっくり返って笑った。

「ここだよ、ほら」

北川は社長の指さす文面を、小声で読んで見て、さも生真面目な表情を作りながら、

「無智な奴って、仕様がないものだね。個人としての社長を恨むなんて、飛んでもない見当違いじゃありませんか。恨むなら会社全体を恨むがいい、会社をして事業縮少を余儀なくさせた経済界を恨むがいい。何も社長の御存知のことじゃないのですからね」

「理窟はそんなものだがね。まあ奴等にしちゃ無理もないさ。明日から路頭に迷うのだ。世迷事も云い度くなる。だが、何が出来るものか。脅かしだよ。こんなことをして涙金をせしめようという、さもしい根性だよ」

「残った連中を煽動して、同盟罷業をやらせようと、盛に説き廻っているということですが」

「それよ。お極りだあな。そこに手抜りがあるものか。こっちには桝本のおやじが抱き込んである。あいつにたんまりくらわせてあるからね。あれの人望で圧えつけりゃ、ナアニ、びくともするこっちゃない。解雇された奴等の脅迫よりは、桝本職工長の眼玉が怖いさ」

「それにしても、此際社長のおからだに万一のことがあっては、それこそ大変ですから、充分御注意が肝要だと思います」

「有難う。だが、僕はこう見えても、まだ職工なんかにやっつけられる程耄碌はしないつもりだ。そんなことより、大分手紙がたまっている。タイピストを呼んで呉れ給え。瀬川だよ。あの子供は感心に速記がうまい」

北川は上目遣いに社長の顔を眺めた。そして、五十親爺の口辺に一寸恥し相な皺のきざまれたのを見ると、一種の満足を感じて、ニヤニヤ笑いながら答えた。

「ハ、承知致しました」

なにもかもこの私が呑み込んで居ります、御気づかいなくという意味をこめて、一寸腰をかがめると、北川は社長室を出て、隣の事務室へ帰った。

二室を打抜いた広間には、一列にデスクが並んで、十数名の男女が事務を執っている。北川は、その一方の隅のタイピスト達の席を眺めた。「奴さん又やっているな」会計係の野田幸吉とタイピストの瀬川艶子とが、席を並べてヒソヒソ話し合っているのを見ると、北川は意地の悪い微笑を浮べて、その方へ近づいて行った。

「瀬川さん」

野田と艶子とは、ハッとした様に話をやめて顔を上げた。北川は二人の顔をジロジロ眺めながら、

「お話中で何だけれど、瀬川さんに社長さんが御用ですって」

「社長さんが」艶子は眉をしかめて「社長さんお一人でしょう。いやだわあたし」

「何ぜさ」北川はからかい顔に聞返す。

「だって、何の御用でしょう」

「極っているじゃないか、手紙の速記さ。兎角美しい人は御用が多いのさ」

「アラ、覚えてらっしゃい。この間のこと社長さんに云いつけて上げるから」

「コラッ」

北川が態と怒った顔をして、つかみかかるのを、巧みに避けて、それをきっかけに、艶子は社長室へと逃げて行く。なまめかしき笑い声が、ドアの外へ消える。

「何だい、君」

野田は艶子の後姿を目で追いながら、北川に話しかける。

「ナアニ、妙な所をあいつに見られちゃったのさ。二人づれで歩いてる所を」

「赤坂かい。お安くないね」

「どうして、そんなんじゃないよ。お安くないといえば、君の方がよっぽどお安くないや」

「何が」

「隣同志でよ、しょっちゅうヒソヒソと内証話がさ」北川は一段と声を低めて云った。

「何が」

「白を切るない。野田と瀬川艶子の語らいがよ」

「馬鹿ッ。いい加減にしろ」

「だが、用心するがいいぜ。社長は馬鹿に御気に入りなんだからね。あの子供はなかなか速記が上手だなんて、目を細くしているよ、おやじ」

「そうかい」

「なんて、平気相な顔をするなよ。お察し申しますよ。御心配なことだ」

「いいじゃないか。社長がどうしようと、僕に関係したことじゃない」

さも申訳めいて、重々しく云うのを、北川はよくも聞かないで、もうその事は忘れて了ったかの如く、別のタイピストの背中へ、指先でいたずらをしながら、自席の方へ歩いて行った。

野田幸吉は、もう一度艶子の出て行ったドアの方へ、臆病な一瞥を投げると、暫らく前の算盤の玉をいじくっていたが、何となく落つかぬ様子で、やがて、ふと立上ると、なるべく人の顔を見ない様に、目のやり場に困るといった恰好で、ソロソロと室を出た。廊下には人の影もない。彼は跫音のしない歩き方で、隣室の方へ二三歩進み、社長室のドアの所で、一寸立止り相にしたが、思い直してサッサと洗面所へ歩いて行った。広い洗面所の中を、どうしたものか、彼は別段用をなすでもなく、四五回、コツコツと行ったり来たり歩き廻った。何だか妙にイライラしていた。

洗面所を出ると、彼はやっぱり音のしない歩き方で廊下を戻り、もう一度社長室の前に来た。そして今度はもう躊躇しないで、ヒョイと腰をかがめ、ドアの鍵穴から内部を覗き込むのであった。

Chapter 1 of 5