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平和事業の将来
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平和事業の将来
大隈重信
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Chapter 4 of 8

〔困難なる平和事業〕

日本は国としては、世界に於ける列強の伍伴となったのである、少なくとも世界に於いて、指を屈する強大国となったのである。英国、独逸、仏蘭西、露西亜、墺地利、伊太利、大西洋を隔てて亜米利加合衆国、太平洋に於ける日本帝国、指を屈するとこの八つの強大国がある。この間は国際間の礼儀として、慣習として、世界のグレートパワーの間にはアンバセエドルを交換するのである。これは全権公使と違って、その国の主権者を代表するもので、この強大国の会議に於て決すれば世界を左右するほどの力のあるものである。しかしながら、国としてはその通りであるが、日本人個人としてどういう状態であるかというと、日本国民はなんと威張っても、大国民、大和民族などと威張っても、一歩足を踏出して外国へ行ったならば、東洋人――東洋人といって日本人と区別しないのである。あるいは欧羅巴人から見れば有色人、なるほど色の上から言えば、日本人も支那人も大なる違いはないようであるが、色を以て人間を区別するということは、これは根本を誤っているのである(拍手)。一と皮剥けば、欧羅巴人の骨も、日本人の骨も同様である。一と皮剥けば、骨どころでない、肉も血も同じことであるのである。しかし、旧来の慣習はそういう工合になっているのである。これが世界の平和ということに付いて、大なる疑問をもっている一つである。

これも今日起ったんではない。日本が未だ世界に知られぬ中は、その有様がよほど盛んであった。一番盛んであったのは何処であるかというと、阿弗利加のナタール殖民法案というものを諸君は知っているであろう。これが一番古いものである。前世紀の初めに拵えたものである。それからケープコロニーの殖民、濠州の殖民、それから太平洋を渡って、亜米利加合衆国、太平洋沿岸の殖民、もっともその中に新西蘭というものもあるが、これは手厳しい方である。それから加奈陀、こういう訳である。其処に行くと、支那人も、朝鮮人も、馬来人も、印度人も、ニーグローも、日本人――傲慢なる大和民族、大国民という先生方とを、少しも区別せぬ。なかなか酷い目に遭わせる。第一諸君がナタールへ御出でになると、立派な学問をして充分なる金を持っている人が、商売のために行くと、まず第一に試験をする。学術の試験をする。体力の試験をする。そうしてなんでも五磅か六磅の税を取られて証書を貰う。その証書は二つ拵えて、ちょうど昔日本で大罪人に手の判を捺させたように、手の判を捺して取っておく。また写真を撮っておく。写真は今では日本の監獄でもやっている。その写真を証書に貼りつけ、それに拇印を捺させて、一枚は先方に置いて、一枚は本人に渡す。それを以て自分の商売の目的地に旅行しなければ、動くことが出来ぬのである。第一英語が出来ないと、如何なる大金持でも追っ払われてしまうのである。然るに、白人であれば、日本は世界の一等国というが、二等国、三等国、ほとんど名もないような国の人、そういう所にも、色の黒いものもいる。葡萄牙などは日本人より黒いが、それでも白人と同一の待遇を受けて、労働者でも金持でも、傲然と税関を通る。ところが、日本人は通さぬ。写真を撮られて、手の判を取られて、大変な税を取られて、僅かの商売品を以て営業をするの外は仕方がないというので、これが世界中で一番ひどいようである。

而して、ナタールはどういう国であるかというと、吾人の最も尊敬する、ことに同盟国たる英国政府の支配の下にある国である。こういう訳である。ところが、ご承知の通り、英国は殖民地に対して、ことに経済上に於ては自由を与えている国であるから、英国政府が如何に日本に対して気の毒であるといっても、政府の権力が其処まで届かぬのである。ちょうど亜米利加合衆国の如きも、各ステートが立法権をもって、ほとんど独立している。太平洋沿岸に於て日本人を苦しめるから、華盛頓政府があまり手厳しいというので軟らかにしようと思っても、なかなかむつかしい。合衆国の政府は、ステートをそういうところまで、圧迫する力がない。憲法が、そういう工合に出来ていないのである。もっとも一世紀前には、合衆国が今日のように膨脹し、五十州にもなろうとは、如何に聡明な人でも予期しなかったとみえて、今日に於ては憲法をなんとか改正しなければ、中央政府の力で各ステートを充分に支配することが出来ぬという有様である。それがために、他の支那人とか印度人とかいう他の亜細亜人を措いて、日本人だけでも、欧羅巴人と同一の仲間に入れてもらいたいと思うたけれども、なかなか入れてくれない。勿論、聡明なる人、今日の政府などに於ては、必ずもっともなりと言うのであるが、州の組織がどうしても許さぬ。却って地方に行くと、なかなか個人の権利が発達しておって、経済上日本人と競争するために、自分の生存の上から余儀なく拒むと言う権利がある。此方の不足を言うのも理窟があるが、向うにもやはり理窟があって、五分五分の理窟であるから、何方が良いかということは、第三者でなければ判決が出来ぬという訳である。

ここに於て単に理論から言えば、世界の人類は同胞なり、世界の人類には欧羅巴人、東洋人という区別はないのである。感情も、友誼も、充分に成り立つ訳だ。同じ人間である。人間である以上は、成り立つに相違ない。個人としてはその通りいけるのであるが、一団体を成して、社会を成立している所に変った者が入って来ると、どうもいけない。日本人は文明の程度は高く、世界の強大国であるといっても、日本人はやはり東洋人という、一の法律の下に、あるいは蒙古人という法律の中に加えられて、如何ともする能わぬ。かくの如き世界の情態で、如何にも無慈悲な情態である。人類の統一でなく、人類を区別して、白人以外の人類は一段劣等の人類である、劣等の人類である、劣等の人類は優等の人類に支配されなくてはならぬ、優等の国は劣等の国を支配する権利があるという様な、一種の人種的の間違った思想というものは、聡明なる人、学者、宗教家の上には、段々去っているが、経済上の競争の上には、未だなかなか大なる威力を振いつつあるのである。ここに於て、平和の事業は甚だ困難である。ある意味から言えば、かくの如き間違っているものに対しては、最後の力に依るの外はないのである(拍手)。ここに於て強国間に武装が起れば、一段劣等なりと卑しめられたるところの民族は、優等なりと傲慢なる態度を持っている者に反抗する、力を以て反抗する。こういうことになるのは、已むを得ぬ人情である。

Chapter 4 of 8
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