第四章
三月三日の未明、闇空がわずかに薄紙一枚はがしたほどの動きを見せて、寒さがひとしお身に沁む時刻であった。日比谷練兵場(今の公園)にどこからともなく一かたまりずつ黒い人影が集って来ては、いかにも疲れきったようにドタリドタリと枯草の上に体を投げだした。枯草には霜が下りていて尻の下から冷たさが沁みてくる。だが、彼等はそんなことに頓着なく、体を横たえたまま死んだように寝入る者もあれば、黙って背中と背中でよりかかっている者もあった。またなかには震えながら凍った握り飯にかぶりつく者もいた。暗くて顔の見さだめもつかぬが、互に同志として相許している無関心な態度とも見えれば、隣りの者に関心を持つ気力さえ失せている風でもあった。やがて、空がしらしらと明けかかって、顔の輪廓にうっすらと光の流れはじめる頃には、数も七百名ばかりになった。
昨夜闇にまぎれて古河から舟にのり、利根川を下り江戸川を下ってきた被害民たちである。古河までは二千人余の人数だったが、館林、佐野、古河の警察署から出張した警備の群に阻止されて、なかば以上は引返してしまった。残りの者が相戒めて、今朝の未明を期して日比谷原頭に集合することを約し、警戒の目をのがれて散りぢりに入京したのである。
その目的はいうまでもない。去る二十六日の衆議院で田中正造が質問を試みたのに対し、彼等は農商務大臣が必ず確とした答弁を与えるものと確く信じていた。ところが新聞の報道によると、農商務省は調査委員会を設けてその調査報告を見たうえで答弁するというのである。彼等はことの意外に驚かざるを得なかった。数年来議会の問題とされている事柄に、いまさらどこに調査の必要があろう。もはやべんべんとそれを待ってはいられない。もはや自分たちみずから農商務省に出頭して窮迫を訴えるよりほかはない。彼等の決意が期せずしてそこに一致したのである。
夜が明けると、一群の警官が佩剣を光らせて馳けつけて来た。なにか不穏の形勢と見たのか、弁疏もきかずいきなり解散を命じた。命に従わなければ集会結社法によって処分するという威嚇である。彼等は、ただ警官のいうままに総代数名を選んで、なにか気味悪いほどの柔順さでその場を立ち退いた。
総代は数手に分れて農商務省や、大蔵省や、陸軍省や、貴衆両議院議長官舎へ陳情に赴いた。田中正造の議会演説に狼狽した古河が、鉱業停止になれば英国むけの銅輸出が不能になるという理由で、英国公使サトウに依頼して農商務大臣を牽制させた。そんな風説が立っていた折からで、一部のものはそれを確めるため外務省へ出頭した。
一方午前十時ごろから、蓑笠をつけたもの、青や赤の毛布を被ったもの、莚を背負ったものなどが、やがて疲れた足どりで三々伍々と農商務省の構内に集ってきた。日比谷練兵場を追われた被害民たちはどこといって落ち着く先もなかった。あてもなく市中をうろつき廻った果に、潜在的なものにさそわれて、あたかもわが家へ帰るように農商務省へ足が向いたのである。重立ったものが入れかわり立ちかわりいちいち名刺を通じて大臣に面会を求めた。不在といわれても無感動な様子で容易に立ち退く気配もなかった。一団の警官がやって来てまたも解散を命じた。だが、今度は何をいわれても反抗もしないかわり、命令にも応じなかった。今朝はただ愚直とばかり見えた彼等の沈黙が、いまはなにごとかただならぬ決意をひそめた沈黙に変っていた。巡査が腕をとって引き出そうとすれば、ドッカリと地面に坐りこんでしまう。呶鳴りつければ白い目を剥いて睨みかえす。誰も彼もみな人が変ったように意固地になったように強腰だった。そうしているうちにも後から後からと人数がふえた。午後一時ごろには三百五十名に達し、構内をあふれて門前の道路を塞ぎだした。
これより先、榎本は被害地の上京委員がしばしば面会を求めに来ることをきいて、一度日を定めて、彼等の陳述を聴こうと思い定めていた。それで、三日の午前十時に官邸に於て会うと通知を命じたのが昨日のことである。今朝は約束通り彼等を待っていた。ところが、その間にどういう行違いがあったのか、委員たちはついに一人も顔を見せなかった。榎本は待ちあぐねて登庁したが、庁舎の門前も前庭も夥しい農民で埋っているのを見て、事態の容易ならぬことを察し、早川秘書官を呼んで応対を申しつけた。
そこで秘書官は玄関に現れて総代の者と話がしたいと申し出た。山本栄次郎、大出喜平、水島与八、小林猶之介、福由和寿蔵、太田重十郎、原金次郎、手島伊勢松、麦倉岩次郎、野口春蔵などが草鞋ばきのまま応接室へ通された。やがて彼等が一同のところへ戻って来て、車廻しの庭石にのぼって、こもごも交渉の顛末を報告した。秘書官の言葉によると、大臣は、今日は公務のために面会は出来ないが、明後日の午前十時を約して必ず面会するということである。就いては、われわれはどうすべきだろうか。そういって今後の進退を一同に計った。
「大臣は公務多忙というが、おれたちは一切の用事を放ったらかして、出て来たのじゃないか」
衆人のなかから誰かがそういい放ったのを皮切りに、さまざまな声が起った。
「それまでここで野宿しろというのか」
「残してきた妻子が餓死する。そんなのんきなことがしていられるか」
「みんな腹が減っているんだ。役所から昼飯を出してもらってくれ」
「このまま帰ったところでどうせ餓死だ。どこで餓死するも同じことだ。大臣に会うまで一足もここを退くな」
総代の者が仕方なくこのことを通じると、秘書官の返答はこうであった。
「午後四時が退庁時間である。それまでは随意にしたらよかろう。だが、その後は断じて構内にいることは許されない。もしその時になっても猶たち去らぬようなら、やむを得ず公力を行使しなければならぬ。昼飯の支度などとは思いもよらぬことである」
これを総代がそのまま伝えたから一同は大いに激昂して騒ぎだした。それまで砂利のうえに胡坐をかいて煙管を銜えていた者まで、立って口々に罵りだした。疲労と空腹が彼等の怒りを一層荒々しくした。一歩ことを誤ればどんな混乱に陥るか図りしれない殺気が漲った。警官もおいおいと数を増し、警視庁からも十数名の応援が来て、ようやく危機一髪の線をささえている有様であった。一時は春めいて暖かだった午後の日差しも薄れて、人々の背にうつる枯木の影もさむざむとして来た。しかし時がすぎても誰一人立ち去る様子もなく、警官と総代たちのあいだには絶えず押し問答がくりかえされた。「いったいお前たちはどうするつもりか。五日には大臣が面会されるというのだろう、そう意地張ることもないではないか。こんな所では野宿も出来なかろう」
と警官も困り果てた様子だった。
「いいえ、私たちは死を覚悟して出て来たのです。もちろん路銀の余裕はないし、ここを立ち退いたところでどこに泊るという当もありません。ここでこうして一夜を明すのも仕方ないと思っております。あなた方も野宿のお附合いはお気の毒ですね」
一人が皮肉な調子でそういえば、また一人が、
「明後日は必ず大臣が面会する、大臣自身がわれわれの質問に答弁してくれる、そういう証明でも取ってくれますか。そうした確かな証明がとれれば、場合によっては立ち退かぬものでありませんよ」
「それは無理だ。わが輩のような下ッぱの警官が大臣からそんな証明が取れるものでない」警官はどこまでも鈍感で真面目で分別臭い顔だった。
「それで、なにか。若し他にお前たちの泊る場所があったら引きとるか」
「そうまでおっしゃられれば仕方ありません」総代たちも目顔でうなずき合った。「夜露さえしのげれば、どんなところでもそれは厭いません。だが、それにしても、決してここをひきとる精神ではありません。われわれの心はどこまでもここにとどまっているのです。ただ一夜の宿を他に借りるというにすぎない。その点を誤解しないで下さい」
では、ともかくも本署へ行って相談しようと強要されて、総代は一同を残して京橋警察署へ同行した。やがて、農商務省の庭にも夜靄がこめだして、一同が総代の帰りを待ちあぐんでいると、一人の警官が彼等の前へ来て一同に申し渡した。
「築地の本願寺を借りて一泊させることになったから、すぐそちらへ行くがいい。もちろんお前たちの総代とも相談した結果だ」
「いや、いや。そんな言葉に偽されるな。総代の帰ってくるまでは断じてここを動くな」
そういって喚く者もいた。結局百名ばかりは頑なにあとに残ったが、寒さと饑さとそれに人数が割れた心細さも手伝って、彼等もついにやがて農商務省の門を出た。
さて、一同が築地本願寺へ来てみると、寺の意向には格段の隔りがあった。警官附添のうえで一時集合するというのならば差支えないが、多人数の宿泊は御免蒙るということである。警官も前言を翻して事情やむを得ないから解散しろといった。「われわれを偽したのか」「こんなことなら農商務省を引きあげるのではなかった」そういう声と共に一方では「ああ腹が減った」などと、大声に切実な叫びをあげるものもいた。
栃木県議関口忠太郎が来た。総代をつれて大蔵省へ陳情に行った群馬県議荒川高三郎、大塚源十郎も帰って来た。そのほか予て出京していた村長連も数名馳つけて来た。寺とも再三交渉した末に、本堂の畳を全部とりのけて一同が草鞋ばきのまま床板の上にごろ寝することを許された。後に聴くところによると、島地黙雷のはからいであったという。
広い本堂を埋めて、数百名が頭を並べ足をさしちがえずらりと横わったさまは、魚河岸の鮪といっても当らない。しけに遭った船底を思わせて、暗い燈影のほのめきの下に一種悽惨な光景を現出していた。誰も彼も、もう解散させられる心配はない、という安心から疲れがでたのか、余り口をきく者もなく、あちこちからはや交々のいびきが洩れだした。
その時、またしても荒々しい靴音と佩剣の鳴る音がして乱暴な闖入者が寝ている一同を叩き起した。彼等が目をこすったりくさめをして不承々々に体を起すと、やがて一段と威厳をつくった髯の男が説諭をはじめた。京橋警察署長の藤崎である。しかも彼等にとっては、今朝から聴きあきるほど聴かされた文句にすぎない。原弥太郎、山田友次郎、永島与八の三人がたまりかねたように怒気をふくんで立ちあがった。
「われわれの行動が非立憲的だぐらいのことは、お話をきくまでもなくよく承知しています。御言葉のように、われわれは書面でも何度請願したか知れないのです」
「この問題はあなたが何も知らずにおっしゃるような、そんな生やさしい問題ではありません。立憲的でないのは郡役所です。県庁です。農商務省です」
「大勢が一度には大臣に面会できない。それも判っています。面会のことは総代を選んで委せることになるでしょう。だが、その結果を見届けないうちは、誰一人として帰国するものなどおりません」
三人が気勢を揃えて抗弁しだした。すると、藤崎はなにを思ったか、部下に命じて三人を検束させ、彼等を連れて引き上げた。
警察署でも三人は、厳しい文句だが中身はがらん胴な説諭を聴かされた。だが、いつまでも膝に手をおいて拝聴している三人ではなかった。彼等は真剣な顔付きで交々被害地の実情を訴えてやまなかった。説諭するはずの署長が、逆に聴き役にまわされる結果になった。藤崎は仕方なくそのまま三人を放免した。三人が本願寺へもどって来ると、大半の者は眠らずに待っていた。もし三人が拘留でも喰わされて帰らぬようなら一同で警察へ押しかけようと、額をあつめて衆議一決したところであった。彼等はただちに明日の進退について相談にとりかかったが、囂々として意見が尽きずもみにもんで十二時すぎに及んだ。
翌朝、県会議員たちの宿所である内幸町の植木屋は、被害民たちの出入で混雑をきわめた。午後になって彼等はようやく、正造その他の意見を入れ、各村毎に総代を指名して、他はひとまず帰村の途につくことに決った。総代五十一名、これに群馬県会議員荒川高三郎、大塚源十郎、飯塚春太郎、栃木県会議員関口忠太郎、藤沢友次郎の五名が加わることになった。夕方から京橋の開花亭で鉱毒質問提出者及び賛成者の会合が催されるはずで、正造は植木屋から俥でかけつけた。
五日は十時すこし前に農商務省内に集合して、総代一同が揃ったところで各自の名刺を通じた。この日も京橋署の警官がものものしく警戒に来ていて、一同が玄関を入るとき一々その懐を探った。彼等はむっと顔をしかめたり苦笑したりして、なすがままに検査を堪えなければならなかった。楼上の会議室へ通されて並べられた椅子に五列に着席した。足音や椅子をずらす音がしずまると妙にシンとして、互に言葉を交すのも自ら囁き声になった。外には風が出てきたのか窓の戸がときどき鳴る。椎のような黒木の枝の揺れるのが見える。またその遠景におりおり鴎らしい鳥影が見えて、翼をしなわせて宙に停っていたりする姿が彼等の目には物珍しかった。三十分近く待たされたとき廊下に足音がして、一目でそれとわかる大臣が随員をつれて入ってきた。一同は起立してそれを迎えた。総代のうちにはこれが明治初年に凾館五稜廓に立て籠った勇将かと思いつつ、広額の下の鋭い眼光や左右の頬に一握りずつ生えている異様な髯をまじまじと見守る者もいた。
榎本は一段高いところに設けられた肘掛椅子に着いた。下段の椅子に腰掛けたのは早川秘書官、山内鉱山局長、細井農商務省技師等であった。まず鉱山局長が挨拶を述べて、大臣は多忙中を特に会うことにされたのであるから、なるべく少数の者から要点だけを申上げるようにと注意した。そのとき総代の一人がすっと起立して、
「なるほど人数は五十六人で多いようでありますが、鉱毒の範囲はすこぶる広くて村々で被害の有様も違っております。ぜひとも一人々々に陳情させていただかなければ、被害地の実情を十分に御了解願えないのでございます」
「では、ともかくも前の方から順に申上げてみるがよろしかろう」
鉱山局長は不承々々の顔付でそう答えた。すると大臣が徐ろに口をひらいて、
「きょうは、大勢の人々から聞くかわりに諸君のお話をきくのであるから、腹臓なく十分に述べられるがよい」と却て理解ある言葉を添えた。
まず荒川、関口の二人が概況を述べた後をうけて、一人ずつ起立しては自村の窮状を訴えだした。最初は堅くなって訥々と語りしぶる様子だったものも、自分たちの窮迫を打開するのはこの時とばかり必死になって訴えるためか、彼等をそれぞれ予期しない雄弁家にした。「以前は作物がよく穫れたので桑など植えるのを土地の者は怪しんだくらいでしたが、近年は肥料をやる勢もなくなって田の方は自然おろそかになり、いくらかでも収入のある養蚕をやるようになりました。その桑畑さえ年に四五度は手入れせねばならず、桑に精がないから繭も油ののりが悪く、半分しかとれません」一人がそういって一村の農耕状態を説明すれば、また一人は「鉱毒だから肥料は無効だとわかっていましても、そこは百姓の悲しさで年々無理算段しては肥料を施します。私の村では、大半が家屋も土蔵も山林田畑もしだいに人手にわたって増えるのは借金ばかり。ことに昨年の大洪水以来は村の戸数が半分になって、森蔭に壁の崩れた家屋が残っているかと思えば、野中に井戸だけが、前に住居のあった面影をとどめているという有様です」と、村の疲弊を物語ってみせるのだった。
殊に激甚地である海老瀬村の松本英一は、縷々と村民の窮乏のさまを語って、
「私の村の杉本勝造という男などは、以前は田地の二町余りを持っておったものですが、食うものもない状態になったのを苦にして四年前から気が変になりまして、毎日々々なにも穫れねえ、なにも穫れねえといっては、近辺を歩きまわっております。それにもまして傷ましいのは、栄養不良で母乳が出ませんので、村の乳呑児がみんな痩せ細っていることです。そんなわけですから捨児をする者が増えました。私の家などでも門傍に捨ててあったのを、この二カ年に三人も拾って育てているのですが……」
松本は言葉なかばに顔を蔽って腰をおろした。次に界村の茂呂平吉が立って村内の窮状を述べ、野口春蔵がそれを補足して、「海老瀬も、それから私の界村も、病人にたとえればいつ死ぬかわからぬ重態です」といって声を呑み「村の死亡者は数年前の二倍になりました。乳児の死亡は前の三倍です。ことに寒心に堪えないのは死産の数が五倍になったことであります。これは一体だれの罪でしょう。屈強の大人が誰も彼も胃病です。ろくに食うものも食わずに胃病になる。それに多いのは眼病で、十年前の洪水以来急にふえました。今お話になった茂呂さんの高山と申す字では、目の満足なものは数えるほどしかない。一歩足を村へ入れれば到る処で目の不自由な者を見るありさまです。黒田三代造という家の老婆などは七十という歳をして、雲のかかった目で石灰俵を編んでおります。十俵編んで四銭か四銭五厘、藁も村のものは役に立ちませんから、他から藁まで買って来て編むのです。藁代を差引くと勿論いくらにもなりません。それでも暮しの足しにと思って老いの手足を働かせております。一人生きておればそれだけ伜たちの厄介になる。年寄りは死んだ方がいいが、死ぬわけにもいきやしねえ。そういって見えぬ目から涙をこぼすのを見ますと……」
野口は急に涙ごえになり、しばらくは言葉をつぐことができなかった。左右の総代たちの席から洟をすする音が洩れだした。
「被害は村全体、渡良瀬川沿岸全体でございます。身代が小さければ小さいだけに、また大きければ大きいだけに害を受けております。友人の家も同じ境遇で、村にふえてゆく廃家の運命は決して他所事ではありません。明日は当然わが身に降りかかってくることで、被害民全体が一緒につながって抜きさしならぬ泥沼へ一歩々々落ちこんでゆくばかりです。東京の乞食ならば人の袂にすがって憐みを乞うことも出来ますが、鉱毒のなかった以前を知っており、自分の土地を離れたことのない私共には、零落れても誰にすがろうすべもないのです。ただ餓死か、凍え死か、自分で自分にそれを宣告するほかはない有様です。これは一体私共が当然受けなければならぬ運命でしょうか……」
野口は無骨な手で涙を拭っては訴えつづけた。左右の席では誰も彼も、着物の袖を引張ったり手拭を出したりして目にあてていた。嗚咽して顔をあげえない者もいた。壇上を見ると榎本の目にも涙が光っていた。陽が翳ったのか、白けた寒々とした窓明りが、人々のさまざまな肢体に薄暗い輪郭をそろえて、いずれも救いのない姿のように陰気だった。
やがて陳述やら歎願やらが一通りすむと、榎本は憐愍に堪えぬという目差しで一同を見渡して、
「諸君のお話をきいて被害地の情況を詳に知ることが出来ました。苦境に在る諸君並に諸君の同胞に対しては、まことに同情に堪えぬ次第です。しかし諸君のいわゆる鉱業停止の件については、責任ある大臣の立場として、諸君の陳情を聞いたからただちにこれを決するというわけにはいかない。鉱業を停止したとしても被害を受けた土地は直ちに恢復するものでもないし、政府はまず鉱毒除害の方法を決行しようとして、すでに専ら研究中であります。また一方からは鉱業を停止されてはその日から生計の道を失うという趣で、非停止の請願も出ている。猶また東洋の大鉱山であるという点も考慮せねばならぬ、というわけで停止処分は軽々に行なうべからざる事情があります。しかし被害の大なることは認めている。認めているからこそ鋭意その対策を攻究させているので、除害の道がないとなったあかつきには、遂に停止の挙に出るのもまた止むをえない。それは私もすでに覚悟しているところである。しかし今日ここで明言はできない」
それを聞くと、総代たちは、自分等が悲惨な境遇を訴えるという悲壮感に自らに浸っていたことに気がついた。大臣から誠意ある答弁をきかされたような気もしたし、また大臣が先刻自分たちと一緒に泣いてくれた人とは別人になってしまったような気もした。人々が死絶えたようにシーンとなり、壁の時計の刻みのみ聞えていたが、われに返った永島与八が急に頭をもたげて、
「大臣閣下がそういう御意見ならば、せめて除害の方法が完全に行われるまで、鉱業中止の御処分をお願い致します」
すると、榎本もすぐそれに答えて、
「ともかく、前に申したように目下除害方法の攻究中であるのだから、中止処分ということも速答はしかねる。しかし、私がこうして現下の情況をきいた上は、決して等閑には致さない。出来るだけ速かに相当の処分をすることに致します。諸君は政府を信頼されたい。なお諸君に於かれても、今後は何度でも当省に出頭して督促されるがよい。それはいっこうに差支えない。私もできるだけ何度でも諸君と面会するようにするつもりである」
「閣下はさきほど被害の大なることは認めていると申されましたが、鉱業中止の御決断がつかぬのは、失礼ながらまだ被害地の実地を御らんにならぬからだと思います。ともかくも塗炭の苦しみをしている人民が十万もあるのに、大臣が御巡視もなさらぬのは不親切としか思われません」
野口が決然といい放った。榎本は沈痛な目差しを投げて、
「よくわかった。巡視のことも、私は考えていないのではない。では、今日はこれで――」
言葉を切ると、榎本は軽く会釈して壇を下り、扉の方へ歩みだした。秘書官があわてて走り寄って扉を開け、鉱山局長はじめその後について廊下へ姿を消した。後に残された総代たちもわれに返って、無言の裡に椅子を離れた。
壁間の時計が一時四十分を指していた。誰の胸にも一抹の物足りなさが残った。だが、自分たちの訴えを大臣が聴いてくれたことに、強いて一縷の望をかけようとする顔付だった。
彼等がぞろぞろと農商務省の門をでてくると、その門前の往来に尻を下して、大勢の者が青黒い痩せた顔を薄陽に晒していた。今日の対談の成行を心配して、帰村を延ばして詰めかけていた者たちである。総代たちはその場で彼等に取囲まれながら、会談の内容を報告した。聴くものの顔にもやや愁眉をひらく気配が動いた。