Chapter 1 of 1

Chapter 1

はるか、北の方の国にあった、不思議な話であります。

ある日のこと、その国の男の人たちが氷の上で、なにか忙しそうに働いていました。冬になると、海の上までが一面に氷で張りつめられてしまうのでした。だから、どんなに寒いかということも想像されるでありましょう。

夜になると、地球の北のはてであったから、空までが、頭の上に近く迫って見えて、星の輝きまでが、ほかのところから見るよりは、ずっと光も強く、大きく見えるのでありました。その星の光が寒い晩には凍って、青い空の下に、幾筋かの銀の棒のように、にじんでいるのが見られたのです。木立は音を立てて凍て割れますし、海の水は、いつのまにか、動かなくとぎすました鉄のように凍ってしまったのであります。

そんなに、寒い国でありましたから、みんなは、黒い獣の毛皮を着て、働いていました。ちょうど、そのとき、海の上は曇って、あちらは灰色にどんよりとしていました。

すると、たちまち足もとの厚い氷が二つに割れました。こんなことは、めったにあるものでありません。みんなは、たまげた顔つきをして、足もとを見つめていますと、その割れ目は、ますます深く、暗く、見るまに口が大きくなりました。

「あれ!」と、沖の方に残されていた、三人のものは声をあげましたが、もはやおよびもつかなかったのです。その割れ目は、飛び越すことも、また、橋を渡すこともできないほど隔たりができて、しかも急流に押し流されるように、沖の方方へだんだんと走っていってしまったのであります。

三人は、手を挙げて、声をかぎりに叫んで、救いを求めました。陸の方に近い氷の上に立っているおおぜいの人々は、ただ、それを見送るばかりで、どうすることもできませんでした。

たがいにわけのわからぬことをいって、まごまごしているばかりです。そのうちに、三人を乗せた氷は、灰色にかすんだ沖の方へ、ぐんぐんと流されていってしまいました。みんなは、ぼんやりと沖の方を向いているばかりで、どうすることもできません。そのうちに、三人の姿は、ついに見えなくなってしまいました。

あとで、みんな大騒ぎをしました。氷がとつぜん二つに割れて、しかもそれが、箭を射るように沖の方へ流れていってしまうことは、めったにあるものでない。こんな不思議なことは、見たことがない。それにしても、あの氷といっしょに流されてどこかへいってしまった三人を、どうしたらいいものだろうと話し合いました。

「いまさらどうしようもない。この冬の海に船を出されるものでなし、後を追うこともできないではないか。」と、あるものは、絶望しながらいいました。

みんなは、うなずきました。

「ほんとうにしかたがないことだ。」といいました。しかし、五人のものだけが頭を振りました。

「このまま仲間を、見殺しにすることができるものでない。どんなことをしても、救わなければならない。」と、それらの人々はいいました。

すると、おおぜいの中の、あるものは、

「今度のことは、この国があってから、はじめてのことだ。人間業では、どうすることもできないことだ。」といったものがあります。

なるほど、そのものがいうとおりだと思ったのでしょう。みんなは、黙って聞いていました。

「みんながゆかなければ、俺たち五人のものが助けにゆく。」と、五人は叫びました。

ちょうど、この国には、赤いそりが五つありました。このそりは、なにかことの起こったときに、犬にひかせて、氷の上を走らせるのでした。

夜の中に、五人のものは、用意にとりかかりました。食べるものや、着るものや、その他入り用のものをそりの中に積み込みました。そして、夜の明けるのを待っていました。その夜は、いつにない寒い夜でしたが、夜が明けはなれると、いつのまにか、海の上には昨日のように、一面氷が張りつめて光っていたのです。

五人のものは、それぞれ赤いそりに乗りました。そして、二、三匹ずつの犬が、一つのそりをひくのでした。

昨日行方不明になった、三人のものの家族や、たくさんの群集が、五つの赤いそりが、捜索に出かけるのを見送りました。

「うまく探してきてくれ。」と、見送る人々がいいました。

「北のはしの、はしまで探してくる。」と、五人の男たちは叫びました。

いよいよ別れを告げて、五つの赤いそりは、氷の上を走り出ました。沖の方を見やると、灰色にかすんでいました。ちょうど、昨日と同じような景色であったのです。みんなのものの胸の中には、いい知れぬ不安がありました。そのうちに、赤いそりは、だんだん沖の方へ小さく、小さくなって、しまいには、赤い点のようになって、いつしか、それすらまったくかすんでしまって、見えなくなったのであります。

「どうか無事に帰ってきてくれればいいが。」と、みんなは、口々にいいました。そして、ちりぢりばらばらに、めいめいの家へ帰ってしまいました。

その日の昼過ぎから、沖の方は暴れて、ひじょうな吹雪になりました。夜になると、ますます風が募って、沖の方にあたって怪しい海鳴りの音などが聞こえたのであります。

その明くる日も、また、ひどい吹雪でありました。五つの赤いそりが出発してから、三日めに、やっと空は、からりと明るく晴れました。

三人の行方や、それを救いに出た、五つの赤いそりの消息を気づかって、人々は、みんな海辺に集まりました。もとより海の上は、鏡のように凍って、珍しく出た日の光を受けて輝いています。

「ひどい暴れでしたな。」

「それにつけて、あの三人と、五つのそりの人たちは、どうなりましたことでしょうか、しんぱいでなりません。」

群衆は、口々にそんなことをいいました。

「五日分の食物を用意していったそうです。」

「そうすれば、あと二日しかないはずだ。」

「それまでに帰ってくるでしょうか。」

「なんともいえませんが、神に祈って待たなければなりません。」

みんなは、気づかわしげに、沖の方を見ながらいっていました。

沖の方は、ただ、ぼんやりと氷の上が光っているほか、なんの影も見えなかったのです。

とうとう、赤いそりが出てから、五日めになりました。みんなは、今日こそ帰ってくるだろうと、沖の方をながめていました。

その日も、やがて暮れましたけれど、ついに、赤いそりの姿は見えませんでした。

六日めにも、みんなは、海岸に立って、沖の方をながめていました。

「今日は、もどってくるだろう?」

「今日帰ってこないと、五つのそりにも変わりがあったのだぞ。」

みんなは、口々にいっていました。

しかし、六日めにも帰ってきませんでした。そして、七日めも、八日めも……ついに帰ってきませんでした。

「捜しにいったがいいものだろうか、どうしたらいいものだろう……。」

みんなは、顔を見合っていいました。

「だれが、こんどは捜しにいくか。」と、あるものはいいました。

みんなは、たがいに顔を見合いました。けれど、一人として、自分がいくという勇気のあるものはありませんでした。

「くじを引いて決めることにしようか。」と、ある男はいいました。

「俺は、怖ろしくていやだ。」

「俺もいくのはいやだ。」

「…………」

みんなは、後退りをしました。それでついに、救いに出かけるものはありませんでした。みんなは、口々にこういいました、

「これは災難というものだ。人間業では、どうすることもできないことだ。」

彼らは、そういって、あきらめていたのであります。

それから、幾年もたってからです。

ある日のこと、猟師たちが、幾そうかの小舟に乗って沖へ出ていきました。真っ青な北海の水色は、ちょうど藍を流したように、冷たくて、美しかったのであります。

磯辺には、岩にぶつかって波がみごとに砕けては、水銀の珠を飛ばすように、散っていました。

猟師たちは唄をうたいながら、艪をこいだり、網を投げたりしていますと、急に雲が日の面をさえぎったように、太陽の光をかげらしました。

みんなは不思議に思って、顔を上げて、空を見上げようとしますと、真っ青の海のおもてに、三つの黒い人間の影が、ぼんやりと浮かんでいるのが見えたのです。その三つの黒い人間の影には足がありませんでした。

足のあるところは、青い青い海の、うねりうねる波の上になっていて、ただ黒坊主のように、三つの影が、ぼんやりと空間に浮かんで見えたのであります。

これを見た、みんなのからだは、急にぞっとして身の毛がよだちました。

「いつか行方のわからなくなった、三人の亡霊であろう。」と、みんなは、心でべつべつに思いました。

「今日は、いやなものを見た。さあ、まちがいのないうちに陸へ帰ろう。」と、みんなはいいました。そして、陸に向かって、急いで舟を返しました。

しかし、不思議なことに、まだ陸に向かって、幾らも舟を返さないうちに、どの船も、なんの故障がないのに、しぜんと海にのみ込まれるように、音もなく沈んでしまいました。

つぎの話は、寒い冬の日のことです。海の上は、あいかわらず、銀のように凍っていました。そして、見わたすかぎり、なんの物影も目に止まるものとてはありませんでした。

よく晴れた、寒い日のことで、太陽は、赤く地平線に沈みかかっていました。

このときたちまち、その遠い、寂寥の地平線にあたって、五つの赤いそりが、同じほどにたがいに隔てをおいて行儀ただしく、しかも速やかに、真一文字にかなたを走っていく姿を見ました。

すると、それを見た人々は、だれでも声をあげて驚かぬものはなかったのです。

「あれは、いつか、三人を捜索に出た、五人の乗っていた赤いそりじゃないか。」と、それを見た人々はいったのです。

「ああ、この国に、なにか悪いことがなければいいが。」と、みんなはいいました。

「あのとき、あの五人のものを救いに、だれもいかなかったじゃないか。」

「そして、あの後、なにもお祭りひとつしなかったじゃないか。」

みんなは、行方のわからなくなった、仲間に対して、つくさなかったことが悪いと、はじめて後悔しました。

この国にきたひとは、黒い人と赤いそりのはなしを、不思議な事実として、だれでも聞かされるでありましょう。

●図書カード

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