Chapter 1 of 1

Chapter 1

Aは、秋の圃へやってきました。夏の時分には、小道をふさいで、脊高く伸びていた、きびや、もろこしの葉は、褐色に枯れて、茎だけが、白さびの出たと思われるほど、かさかさにひからびて、気味悪く光っていました。そして、ところどころに、赤い実のとうがらしが、頭を上げて、すきとおるような、青い空をながめていたのです。

もう、北の方から吹いてくる風は、なんとなく冷ややかでした。あたりは、しんとして、これらの景色は、ガラスに描かれた絵のように、音もなかったのでした。

彼は、なんの気なしに、圃の中へはいってゆきますと、見知らぬ大きな男が、すぐ前に突っ立っていました。

「見なれない百姓だな。」と思って、彼も、立ち止まって、その顔を見上げますと、赤銅色に日に焼けて、角張った顔は、なんとなく、残忍な相をあらわして、あちらをにらんで、身動きすらしなかった。鼻の先がとがって、両眼が落ちくぼんで、手ぬぐいで向こうはち巻きをして、きっと口をむすんでいます。

彼は、多少、無気味になりました。

「それにしても、鋳物のように動かないのはおかしいな。まさか、かかしではあるまい……。」

こんなことを考えているうちに、それが、普通の人間としては、ばかに大きいということに気がついた。このとき、Aの胸はどきどきしました。幻を見ているわけではあるまいと、自分の心に問うてみたのです。

「あ!」と、彼は、思わず叫びをあげた。

「かま……?」

そのかまは、大きく、鋭く、そして、三日月のように細いのを、大男は、右手に握っていたからです。

「死だ! 死だ!」Aは、口のうちでささやきながら、急いで、きた道をもどると、中途から、人家の見える村をさして、駆け出したのであります。

*   *   *   *   *

沿海線に沿うて、レールが走っていました。小高い丘の上に、停車場があって、待合室は風に吹きさらしになっています。

Aは、段を上がって、待合室にはいると、がらんとして、人影はなく、ただ一人、黒い服装をした外国のおばあさんが、ベンチに腰をおろして、下を向いて、なにかしていました。

「どこの国のおばあさんだろう。故国は、遠いにちがいないが、いま、どんな気持ちで、ここにきて、なにをしているのだろうか?」と、そんなことを思いながら、彼女を驚かさないように近づいたのでした。

雲をもれて、おりおり、見渡すかぎりの自然の上へ、太陽の光線は、虎斑のようなしまめを描いています。そして、どこともなくあちらの方から、鈍い波の音がきこえてきました。砂原の上を、その音は、ころげてきたのでした。

ド、ド――

ド、ド、ド。

「おばあさんは、なにをしているのだろう?」

彼は、近づいてみると、無数の小さなビーズを、ひざのあたり、黒い衣服の上にまいて、その一つ一つに針を通しながら、それらの赤・白・青・黄・紫のビーズを糸につないでいました。

「なるほど、きれいなビーズだが、これも外国から持ってきたのかもしれん。なんという、あの青い色は、ペルシアのつぼのように、あくどく、冴えた色をしていることだろう……。」

彼は、しばらく立って、ぴかぴか光る針と糸につながれてゆくビーズの色にひきつけられていました。

電線を吹く、風の音。

波の音。

ド、ド――

ド、ド、ド。

いつまでたっても、ほかに、だれも上がってこなかった。また、耳を傾けても、汽笛の音さえきこえなかったのでした。

「いまにも、汽車がきたら、ビーズがひざにあって、おばあさんは、どうして立ち上がるだろう?」

そう考えると、いぶかしくなりました。紙にもつつんでないから、みんな地にこぼれてしまうだろう……。ちょうど、そのとき、おばあさんが、顔を上げました。あっと、彼は、驚いた。なぜなら、二つの目は、魚のうろこを張ったように、白く、瞳がなく、まったくの盲目であったのです。

「死だ! 死だ!」

こう叫んで、彼は、丘を駆け下りました。

*   *   *   *   *

寒い夜のことです。

明るい燈火の下で、Aは、細君と話をしていました。二人の家庭は、むつまじく、そして、平和でありました。それにつけて、Aの友だちの死は、いっそう、考えさせられたのです。

「ほんとうに、あの方は、快活な、陰気なことの大きらいのお方でしたわ。それに、日ごろあんなに健康そうに見えましたのに……人間の命というものは、わからんものですわね。」と、細君はいいました。

「ほんとうに、あの男が、急に死のうなどとだれも思うまいよ。彼自身だって思わなかったにちがいない。これをみても、こうして、無事に、一日が送られるということは、幸福なことだよ。」と、Aは答えました。

「もし、死ということがなかったら、人生は、どんなに幸福でしょう?」

「それは、そうでない。死があってこそ生ということがあるのだ。生きているという意識は、死の恐れを深く知るものにだけ、それだけありがたいのだ。夜がなかったら、太陽の輝きはわかるまい。この二つは、自然の大きな力なんだ。」と、Aはいいました。

「あの男は、この自然の力について考えただろうか。」

彼は、そんなことも思いました。

だれか、外の戸にさわったようなけはいがします。Aは立ち上がって、出口の戸を開けてみました。すると、そこに、頭から、黒い着物をかぶった脊の高いものが立っているので、びっくりしました。

「おまえは、だれだ?」

「死だ! この家へはいろうかとのぞいていたのだ。俺のことを話したのも、みんな聞いた。」

Aの心臓は、氷の手で、ぐっと握られたように、ぞっとして、ものがいえなく、ふるえていました。

「しかし、おまえたちは、俺の存在を忘れないだけ感心だ。こんどだけは、はいるまい。」

こう、死は、冷ややかにいい放って、大またで歩いて去りました。

空には、こぼれ落ちそうに、星がきらきらとして、低くささやきながら、風が吹いていました。

――一九二八・一〇作――

●図書カード

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