Chapter 1 of 1

Chapter 1

赤い花、白い花、赤としぼりの花、いろいろのつばきの花が、庭に咲いていました。そうして、濃い緑色の葉と葉のあいだから、金色の日の光がもれて、下のしめった地の上に、ふしぎな模様をかいていました。

葉がゆれると、模様もいっしょに動いて、ちょうど、水たまりへ落ちた花が、浮いているようにも見えました。

また、どこからともなく、そよ風に、桜の花びらが飛んできました。

「ああ、なんというおだやかな、いい日だろう。」

少年は、うっとりと、あたりをながめていました。

そのとき、ピアノの音が聞こえました。

「前の家のおねえさんも、いいお天気なので、おひきなさる気になったのだろう。」

しかし、これほどよく、音と色とが、調和することがあるだろうか。

少年は、色鉛筆と紙を、そこへなげ捨ててしまいました。なぜなら、花だけをかいても、音をかくことができません。このさい、それを自分の力で表せぬなら、いっそなにも書かぬほうがよかったのです。

少年は、ただ自然の美しさと、やさしさに見とれるばかりでした。

「きのうきょうは、花のさかりだけれど、一雨くれば、みんな散ってしまいますよ。」

お母さんが、けさおっしゃった言葉が、ふと頭に浮かんだので、少年は、いっそうこの景色を、とうとく、いとしいものに思いました。

「金魚やあ!」と、かすかに呼び声がしました。

たちまち、少年の注意は、そのほうへとられたのです。すべてを忘れて、しばらく熱心に耳をすましました。

「どこだろうな。」

しかし、それきり、その声は聞こえませんでした。少年は、じっとしていられなくなって、ついに、門の外へ出て、方々をながめたのです。

町の方へつづく道の上には、かげろうがたち、空の色はまぶしかった。しずかな真昼で、人通りもありませんでした。金魚売りのおじさんは、きっと、あっちの露路へまがったのだろう。そう思っていると、こっちへかけてくる子供がありました。

はじめ、その姿は小さかったのが、だんだん大きくなって、よくわかるようになると、手にブリキかんを持っていました。それは、隣家の武ちゃんでした。

「武ちゃん! 金魚を買ったの。」と、少年はそっちを向いて、大きな声でいいました。

武ちゃんは、ちょっと、道の上に立ちどまりました。そうして、手に持ったかんをのぞいているようすでした。

これを見た少年は、

「どうしたの、武ちゃん?」と、こんどは、そのそばへと走りました。ブリキかんの中には、一匹の金魚が、あおむけになって、ぱくぱく、口をやっていました。

「あまり飛んできたから、びっくりしたんだよ。たった一匹なの?」

「まるこの子だよ。尾の短いの二匹より、一匹でも、このほうがいいだろう。」

二人ののぞく頭のあいだから、太陽ものぞくように、光はかんの中へ射こんで、金魚のからだが、さんらんとして、真紅に金粉をちらすがごとくもえるのでした。

「きれいだなあ……。」と、少年は、感心しました。

「お家へいったら、大きな鉢へ入れてやろう。」

二人は、走らずに、急ぎ足となりました。

「どうして、こんなきれいな魚があるんだろうね。」

「ほんとうにふしぎだね。」

その日の晩は、またいいお月夜でありました。うす絹のような雲をわけて、まんまるの月が、まんまんたる緑色の大空へ浮かび出るのを、少年は、家の前に立ってながめていました。

いつも明るいのに、こよいにかぎって、ピアノのおねえさんの家の窓は、暗かったのでした。垣根のきわに植わっているみかんの木が、黒々として、夜風の渡るたび、月の光にちかちかと、葉がぬれるごとく見えました。

少年は、なんとなくもの足りなさを感じたとき、ぷんと鼻をうったにおいがあります。

「おや、お薬のかおりだ。」

いつであったか、少年は、おばあさんの家で、これと同じ薬を煎じるかおりを、かいだ記憶がありました。そのおばあさんは、もう亡き人であるが。はるかな駅を出発するらしい汽車の、笛の音がしました。さびしくなって、内へはいると、お母さんは、ひとり燈火の下で、お仕事をしていられました。

「前のおねえさん、かぜをひいたのかしらん。」

「どうして?」

「お薬のかおりがして、窓が暗いのだもの。」

「そうかもしれません。かぜがはやりますから。」

お母さんは、そうおっしゃっただけでした。少年だけは、いつまでも同じことを考えていました。

「お母さん、月は、去年の春とちがって、あたりがあんな焼け跡になったので、びっくりしたでしょうね。」と、少年がいいました。

「昔から、戦争があると、こんなことがたびたびあったのですよ。平和な春の晩にはお琴の音がしたり、お茶をにるかおりがして、歌にも『あおによし奈良の都は咲く花の、におうがごとくいまさかりなり』と、たたえられた都も、今はあとかたなく、草がぼうぼうとしているのですから、考えれば、ほんとうにさびしいものです。」

「戦争がなければ、いいんですね。」

「だれでも、その当座は、戦争の悪いこと、恐ろしいことを身にしみて感じますが、それを、じき忘れてしまうのです。」

「そんなら、どうしたらいいの。」

「にがい経験を、いつまでも忘れぬことです。そして、世界じゅうが、平和のために骨をおり、力を合わせて、わがままや、傲慢心をおさえなければなりません。」

少年は、お母さんの話を聞くうちに、風の音がしたので、せっかく咲いている花の身の上を、悲しく思いました。

「私たちが、こうして安心してくらせるのも、世間に道徳があり、秩序があるからです。この一日を平和に送れたら、神さまに感謝し、正しく努力された世の中の人々に、感謝しなければなりません。」と、お母さんは、しみじみと、おっしゃいました。

夜もふけたのに、よっぱらいどうしであろう、あっちの道を、ののしりながら通るものがありました。

「けんかだな。」

「いやですね。おたがいが大事なからだですのに。」

やがて少年は、床の中にはいると、もう一度こちらを向いて、

「お母さん、お休みなさい。」と、いいました。

そして、柱にかかる時計のきぎむ音を聞くうちに、いつのまにか、ねむってしまいました。

●図書カード

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