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オフェリヤ殺し
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オフェリヤ殺し
小栗虫太郎
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Chapter 1 of 6

1

オフェリヤ殺し

小栗虫太郎

序、さらば沙翁舞台よ

すでに国書の御印も済み

幼友達なれど 毒蛇とも思う二人の者が

使節の役を承わり、予が行手の露払い

まんまと道案内しようとの魂胆。

何んでもやるがよいわ。おのが仕掛けた地雷火で、

打ち上げられるを見るも一興。

先で穿つ穴よりも、三尺下を此方が掘り

月を目掛けて、打上げなんだら不思議であろうぞ。

いっそ双方の目算が

同じ道で出会わさば、それこそまた面白いと云うもの。

〔と云いつつ、ポローニアスの死骸を打ち見やり〕

この男が、わしに急わしい思いをさせるわい。

どれ、この臓腑奴を次の部屋へ引きずって行こう。

母上、お寝みなされ。さてもさて、この顧問官殿もなあ

今では全く静肅、秘密を洩らしもせねば、生真目でも御座る。

生前多弁な愚か者ではあったが

ささ、お前の仕末もつけてやろうかのう。

お寝みなされ、母上。

〔二人別々に退場――幕〕

そうして、ポローニアスの死骸を引き摺ったハムレットが、下手に退場してしまうと、「ハムレットの寵妃」第三幕第四場が終るのである。緞帳の余映は、薄っすらと淡紅ばみ、列柱を上の蛇腹から、撫で下ろすように染めて行くのだった。その幕間は二十分余りもあって、廊下は非常な混雑だった。左右の壁には、吊燭台や古風な瓦斯灯を真似た壁灯が、一つ置きに並んでいて、その騒ぎで立ち上る塵埃のために、暈と霞んでいるように思われた。そして、あちこちから仰山らしい爆笑が上り、上流の人達が交わす嬌声の外は、何一つ聴こえなかったけれども、その渦の中で一人超然とし、絶えず嘆くような繰言を述べ立てている一群があった。

その四、五人の人達は、どれもこれも、薄い削いだような脣をしていて、話の些中には、極まって眉根を寄せ、苦い後口を覚えたような顔になるのが常であった。その一団が、所謂 Viles(碌でなしの意味――劇評家を罵る通語)なのである。

彼等は口を揃えて、一人憤然とこの劇団から去った、風間九十郎の節操を褒め讃えていた、そして、法水麟太郎の作「ハムレットの寵妃」を、「悼ましき花嫁(チャールス二世の淫靡を代表すると云われるウィリアム・コングリーヴの戯曲)」に比較して、如何にも彼らしい、ふざけるにも程がある戯詩だと罵るのであった。

が、訝かしい事には、誰一人として、主役を買って出た、彼の演技に触れるものはなかったのである。所が、次の話題に持ち出されたのは、いまの幕に、法水が不思議な台詞を口にした事であった。

その第三幕第四場――王妃ガートルードの私室だけは、ほぼ沙翁の原作と同一であり、ハムレットは母の不貞を責め、やはり侍従長のポローニアスを、王と誤り垂幕越しに刺殺するのだった。その装置には、背面を黒い青味を帯びた羽目が※っていて、額縁の中は、底知れない池のように蒼々としていた。そうした、如何にも物静かな、悲しい諦めの空気は、勿論申し分なしに王妃の性格を――弱き者よと嘲けられる、弱々しさを様式化してはいたが、俳優二人の峻烈な演技――わけても王妃に扮する、衣川暁子の中性的な個性は、充分装置の抒情的な気息を、圧倒してしまうものであった。

所が、その演技の進行中、法水は絶えず客席に眼を配り、何者か知りたい顔を、捜し出そうとするような、素振りを続けていた。そして、幕切れ近くなると、王妃との対話中いきなり正面を切って、

「僕は得手勝手な感覚で、貴方の一番貴重な、一番微妙なものを味い尽しましたよ。ですから、それを現実に経験しようとするのは、よそうじゃありませんか」と誰にとなく大声に叫んだのだった。

勿論そのような言葉が、台本の中にあろう道理とてはない。或は、日々の悪評に逆上して、溜り切った欝憤を、舞台の上から劇評家達に浴せたのではないかとも考えられた。けれども、冷静そのもののような彼が、どうしてどうしてさように、端たない振舞を演じようとは思われぬのである。然し、そうして根掘り葉掘り、さまざま詮索を凝らしているうちに、ふと彼等の胸を、ドキンと突き上げたものがあった。

と云うのは、はじめ座員に離反されて、失踪して以来、かれこれもう、二ヵ月にもなるのだが、それにも拘らず、生死の消息さえ一向に聴かない風間九十郎のことである。

事に依ったら、何時の間にか九十郎は、この劇場に舞い戻っていたのではないか。そして、こっそりと観客の中にまぎれ込んでいたのを、法水の烱眼が観破したのではないだろうか……。だが、云うまでもなく、それは一つの臆測であろうけれども、風間の神秘的な狂熱的な性格を知り、彼の悲運に同情を惜しまない人達にとると、何んとなくそれが、欝然とした兆のように考えられて来る。

何か陰暗のうちに、思いも付かない黙闘が行われているのではないか――そう考えると、はやそれから、秘密っぽい匂が感じられて来て、是非にも、最奥のものを覗き込みたいような、ときめきを覚えるのだった。

もしやしたら、この壮麗を極めた沙翁記念劇場の上に、開場早々容易ならぬ暗雲が漂っているのではないか――そうした怖れを浸々と感ずるほどに、この劇場は、既に風間の魂を奪い、彼の望みを、最後の一滴までも呑み尽してしまったのであった。

然し、何より読者諸君は、法水が戯曲「ハムレットの寵妃」を綴ったばかりでなく、主役ハムレットを演ずる、俳優として出現したのに驚かれるであろう。けれども、彼の中世史学に対する造詣を知るものには、何時か好む戯詩として、斯うした作品が生まれるであろう事は予期していたに相違ない。

その一篇は、「黒死館殺人事件」を終って、暫く閉地に暮しているうち、作られたものだが、もともとは、女優陶孔雀に捧げられた讃詩なのである。

現に孔雀は、劇中のホレイショに扮しているのだが、この新作では、ホレイショが女性であって、ヴィッテンベルヒに遊学中、ハムレットと恋に落ちた娼婦と云う事になっている。

つまりその娼婦を、男装させて連れ帰ったと云うのが、悲劇の素因となり、全篇を通じて、色あでやかな宮廷生活が描写されて行く。そして、ホレイショはまず、嫉妬のためにオフェリヤを殺す。しかも一方では、王クローディアスやレイアティズとも関係するばかりでなく、末には諾威の王子フォーティンプラスとも通謀して、ハムレット亡き後の丁抹を、彼の手中に与えてしまうのである。

その女ホレイショの媚体は、孔雀の個性そのものであるせいか、曽ての寵妃中の寵妃――エーネ・ソレルの妖振りを凌ぐものと云われた。

従ってこの淫蕩極まりない私通史には、是非の論が喧囂と湧き起らずにはいなかった。第一、女ホレイショの模本があれこれと詮索されて、或は妖婦イムペリアだとか、クララ・デッティンだとか云われ、またグラマチクスの「丁抹史」や、モルの「文学及び芸術に於ける色情生活なども持ち出されて、些細な考証の、末々までも論議されるのだった。

然し、劇壇方面には、意外にも非難の声が多く、結局、華麗は悲劇を殺す――と罵られた。勿論その声は、風間九十郎に対する隠然たる同情の高まりなのであった。

風間九十郎は、日本の沙翁劇俳優として、恐らく古今無双であろう。のみならず、白鳥座の騎士――と云われたほどに、往古のエリザベス朝舞台には、強い憧れを抱いていた。

(前、奥、高)と、三部に分れる初期の沙翁舞台――。その様式を復興しようとして、彼は二十年前の大正初年に日本を出発した。それから地球を経めぐり、スタニスラウスキーの研究所を手始めにして、凡ゆる劇団を行脚したのだった。

けれども彼の、俳優としての才能はともかくとして、その持論である演出の形式には、誰しも狂人として耳をかそうとはしなかった。そして、疲れ切った身に孔雀を伴い、敗残の姿を故国に現わしたのが、つい三年前の昭和×年――。

そう云えば、滞外中九十郎が、第二の妻を持ち、その婦人とは、ラヴェンナで死別したと云う噂はあったけれども、その浮説が遂に、混血児の孔雀に依り裏書された訳である。

然し、日本に戻ってからの九十郎には、言葉に不馴れのせいもあって、それは非道い、厭人癖が現われていた。のみならず、声音までも変ってしまって、その豊かな胸声は、さながら低音の金属楽器を、聴く思いがするのだった。然し、その後の生活と云えば、どうして不幸どころではなかったのである。

二十年前情なく振り捨てた、先妻の衣川暁子も、その劇団と共に迎えてくれたのだし、当時は襁褓の中にいた一人娘も、今日此の頃では久米幡江と名乗り、鏘々たる新劇界の花形となっていた。そうして、僅かな間に、鬱然たる勢力を築き上げた九十郎は、秘かに沙翁舞台を、実現せんものと機会を狙っていた。

所へ、向運の潮に乗って、九十郎を訪れて来たものがあり、それが外ならぬ、沙翁記念劇場の建設だった。最初その計画は、九十郎の後援者である、一、二の若手富豪に依って企てられたのだが、勿論その頃は、一生の念願とする、沙翁舞台が実現される運びになっていた。

ところが、そこへ他の資本系列が加わるにつれて、九十郎の主張も、いつかは顧みられなくなってしまった。それではせめて、クルーゲルの沙翁舞台とも――と嘆願したのであったが、それさえ一蹴されて、ついにその劇場は、バイロイト歌劇座そっくりな姿を現わすに至った。

もちろん舞台の額縁は、オペラ風のただ広いものとなった。また、その下には、隠伏奏楽所さえ設けられて、観客席も、列柱に囲まれた地紙形の桟敷になってしまった。これでは、如何にしようとて、沙翁劇が完全に演出されよう道理はない。九十郎は一切の希望が、その瞬間に絶たれてしまったのを知った。

しかも、それと同時に、彼を悲憤の鬼と化してしまうような、出来事が起った。と云うのは、一座が九十郎を捨てて、一人残らず劇場側に走ってしまったからである。

恐らくその俸給の額は、絶えず生計の不安に怯え続け、安定を得ない座員の眼を、眩ますに充分なものだったであろう。わけても、妻の暁子から娘の幡江、孔雀までが彼を見捨てたのであるから、ついに九十郎は、一夜離反者を前にして、激越極まる告別の辞を吐いた。そして、その足で、何処ともなく姿を晦ましてしまった――と云うのが、恰度二月ほどまえ、三月十七日の夜のことだったのである。

それなり、バルザックに似た巨躯は、地上から消失してしまい、あの豊かな胸声に、再び接する機会はないように思われた。が、また一方では、それが法水麟太郎に、散光を浴びせる動機ともなったのである。

あの一代の伊達男――犯罪研究家として、古今独歩を唱われる彼が、はじめて現場ならぬ、舞台を蹈む事になった。然し、決してそれは、衒気の沙汰でもなく、勿論不思議でも何んでもないのである。曽て外遊の折に、法水は俳優術を学び、しかもルジェロ・ルジェリ(アレキサンドル・モイッシイと並んで、欧州の二大ハムレット役者)に師事したのであるから、云わば本職はだしと云ってよい――恐らく、寧ろハムレット役者としては、九十郎に次ぐものだったかも知れない。

従って、興業政策の上から云っても、彼の特別出演は上々の首尾であり、毎夜、この五千人劇場には、立錐の余地もなかった。そして、恰度その晩――五月十四日は、開場三日目の夜に当っていた。

ハムレツトの寵妃

登場人物

ハムレツト         法水麟太郎

王クローデイアス      ルツドヰツヒ・ロンネ

王妃ガートルード      衣川暁子

父王の亡霊    ┐

├    淡路研二

侍従長ポローニアス┘

ポローニアスの息

レイアテイズ        小保内精一

同娘

オフエリヤ         久米幡江

ホレイシヨ         陶孔雀

一、二人亡霊

法水の楽屋は、大河に面していて、遠見に星空をのぞかせ、白い窓掛が、帆のように微風をはらんでいた。

彼が、長剣の鐺で扉をこずき開けると、眼一杯に、オフェリヤの衣裳を着た、幡江の白い脊が映った。そして、卓子を隔てた前方には、前の幕合から引き続き坐り込んでいる、支倉検事と熊城捜査局長が椅子に凭れていた。

Chapter 1 of 6
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