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自分の能力の計算に謙虚であった彼は、現在の境遇に心から満足しきっていた。しかし、上野介相当の誇もあれば名誉もある。それを思うがままに実現したところで誰に遠慮し、誰をはばかるところがあろう。人生もそろそろ終りに近い。人の世の儚さを、せめてもの思い出として、彼は吉良歴代の系譜の中から従四位に叙せられたものだけをえらびだし、三体の木像を刻ませた。左が義定、中央が義安、右が自分、すなわち上野介義央なのである。
小堀遠州が建築指揮にあたったといわれる華蔵寺は京都の清水寺を模してつくったといわれ、本堂から長い渡り縁をつたわって一段下った書院風の客室へはいると、鬱蒼と茂る境内の杉林を背景にした中庭は淡々とした趣向の中に、しっとりと心に迫るような風致をたたみあげている。
無造作にならべた石や、植込の松の配置にも、自然に調和した落ちつきがあり、控えの間の窓障子をあけると、額におさまった絵のように鐘楼がうかびあがる。上野介はこの部屋がすきで、領地へかえると、ほとんど陣屋へは入らず、大抵華蔵寺の一室で日をすごしていた。
三体の木像を安置した霊屋が出来ると、彼は自分の墓をつくった。もはや、この世に思いおくことはない。強いて言えば、あとはただ名君として行状を後世に残すことだけである。
元禄五年の春、五十二歳になった上野介は飄然として領地へかえってきた。着いたのは三月のはじめの雨の日である。大気はまだうすら寒かったが華蔵寺には早くも春の気配が漾っていた。
その夜、上野介は天英和尚の点ずる茶を喫したあとで、歌をつくった。
「雨雲は今宵の空にかかれども晴れゆくままにいづる月かげ」
俗念に一つの区切りをつけた彼の心境は歌の中にゆるやかな思いをひそめている、いかにも名君の心境であろう、――上野介は、長旅の疲れでその夜はぐっすりと眠った。翌日は未明に起きて、父祖の墓に詣で、それから早春の田舎道を赤馬に乗って素遊する手筈が整えられていた。
天英和尚と、昔ばなしに打ち興じ、これから寝に就こうとするとこへ、代官唐沢半七郎が駮馬村の名主利右衛門同道でやってきた。
上野介は利右衛門の来訪を伝えられると、用向を訊こうともせず、すぐ通せといった。六十をすぎた利右衛門は唐沢半七郎のあとについて廊下の前にひれ伏した。
「殿様にはいつもながら御機嫌うるわしく、恐悦のいたりに存じあげます」
「まア、まア」
と、上野介は片手をひろげて遮りながらいった。「どうした、領民、いずれも無事にすごしているか、――遠慮せずと、こっちへ入るがよい、何か急な用事でもあるのか?」
「百姓一同御高恩に感泣いたしております」
唐沢半七郎が膝を敷居際に乗りだした。
「それは何よりじゃ」
「おそれながら、それにつきまして」
「何じゃ?」
「格別の御慈悲におすがり申したき出来事が発生いたし、某の一存にて計り定めがたく、ぜひとも殿様の御判断を仰ぎたいと存じまして」
「いや、何でもいうがよい、――その方一存で計えぬというのはよくよくのことであろう。人命にでもかかわることか?」
「ありがたく存じあげます。事の仔細は名主利右衛門より言上いたすことと存じまするが、おそれながら今日持参の嘆願書、ひととおりお眼どおし下さりまするよう、つつしんでお願いいたします」
半七郎が、うやうやしく差しだした嘆願書を上野介は無造作にうけとると、すぐ短檠の灯かげの下で一気に読み下した。事件は上野介の到着する二日前に起ったのである。
筍の名産地と呼ばれた吉良領の中でも駮馬一帯は特に本場とされて、うねりつづく丘陵の傾斜面は、道という道が竹林にかこまれている。
平坦な街道は山裾を縫う坂の下にあった。しかし、村とはいうものの、竹藪の中にぽつんぽつんと小さな家が茅葺きの屋根をうかべているだけで、戸数は合せて四五十戸もあろうか、――どの家にも低い土塀にかこまれた細葉の垣根があった。
その昔、南朝の遺臣、足助次郎重範の一族が、段々山麓から山づたいに逃れ、此処に落ちのびて臥薪嘗胆、樵夫や百姓に身をやつして生活の基礎を築いたのが起源とされている。
山にかこまれているだけに気温が高く、谷合いの道には紅梅の花の蕾がふくらみかけていた。月のうつくしい晩である。黒い影が竹藪の中のほそい道をのぼってきた。丘のかげに、屋根の傾きかかった小さい百姓家があった。
「いるか」
太く濁った、ねばりつくような声である。
大地を踏みつけるような乱れた足音が聞えた。
「寒いのう、おのぶさんいる、かや?」
木目が荒れて、ところどころにすき間ができ、ひと押しすればすぐ倒れそうな板戸である。その板戸を指先きで、コツコツとはじいた。
すき間から覗いてみると、土間につづく板縁の横に囲炉裏があり、枯れた雑木の枝がくすぶりながら燃えている。栗の実のはぜる音が聞えた。
三十をすぎた母と十四になる娘と、七つになる息子との三人ぐらしである。母と娘が顔を見合わせた。また来やがった――と思うだけで、もう身も世もない気もちなのである。
おのぶは、娘をうしろへ庇うようにしながら、
「誰かな!」
低い、もつれるような声で表の板戸の方を向いた。「今夜はもうやすんだでのう」
そういってから慌てて娘の肩を小突いた。
「お絹、そっと裏から出あ、藤作さんに、栗がよう焼けたからおいでといってな」
「うん」
十四にしては大柄すぎる。つやつやしい皮膚の色をした、丸ぽちゃで、ふくふくとし肉づきは今にもはちきれそうである。やっと娘になったばかりの、色気にはまだまだよほど間の遠いかんじではあるが、しかし、それだけに、あどけない眼には夢みるような浄らかさがあった。
生活の習慣から自然に生じたものらしい。――彼女はぞくぞくっと身ぶるいした。男のおそろしさを、むしろ本能的といいたいほど肉体に犇々とかんずるのである。
「そいだが」
母の耳に口をよせてささやいた。「おっかあ、大丈夫かや、ひとりで?」
「早うゆけ!」
おのぶは、きつい眼で睨みつけた。もはや蛇にみこまれた蛙である。そんな言葉のやりとりに手間どっている余裕はなかった。とたんに表の声が、ガラリと変った。
「おい、いるのかいねえのか?」
じりじりしているらしい、いやがらせである。いることはわかりきっているのだ。返事次第で蹴やぶっても入るぞ、という威嚇をひそめた声である。
おのぶは、そっと土間へおりてから、急に声の調子を変えた。
「権次さまかね?」
カンヌキにはわざと手をふれず、そっとうしろを振りかえったのは娘が裏口から出てゆく姿を見届けたかったのであろう。どうせ、唯で帰る相手ではない。おのぶはこういう運命にもうすっかり馴れついていた。娘の眼にふれるところにいたくなかっただけのことである。
それと同時に、外にいる権次にも娘の抜けだしたことを気どられたくなかった。彼女は両手でガタガタと戸をゆるがし、それから力いっぱいに左へ押しあけた。
「おい、気をもたせるなよ、先客がいるのかと思ってハラハラするじゃねえか」
熟柿くさいにおいが、あぶらぎった体臭の中に溶けて、ぷうんと鼻先に流れてきた。おのぶは、わざとらしく捨鉢な笑顔を見せながら、
「ふざけるもんじゃないよ、人聞きのわるい」
男と死にわかれてから早くも六年になる。女の手ひとつで、とにもかくにも一家の生活を支えて、野良仕事はもちろん、機織から、近所の養蚕の手つだいまでやって、かいがいしく働いているおのぶの顔は浅黒く陽にやけてはいたが、三十五の今日にいたるまで小皺ひとつうかんでいない。眼と鼻のあいだの寸が少しつまっていることだけが難といえば難であるが、しかし、内に疼く肉体の若さは化粧をしていないだけにみずみずしかった。
「惚れてかよえば千里も一里というが、山坂となると一里の道は辛いぞよ」
柄にもない気のきいた台詞である。下顎のぎっくりと骨ばった、平べったい顔は酒で赤黒く火照っていた。そいつが、盲目縞の着物に対の羽織というと、いかにも板についているが、それも垢じみて、裾がすりきれている。
「そろそろさめてきた――早速だがいっぱいひっかけたいな」
落し差しにした一刀を鞘ぐるみ腰からはずして、縁ばたにおいた一升徳利を囲炉裏の前へ押しだした。
それから、すぐ、あたりをきょろきょろと見廻しながら、
「お絹はどこへいった――さっき、声が聞えたと思ったが」
ほそい眼にかすかな微笑をうかべた。
「藤左衛門さんとこへ風呂をもらいにいったよ、何度も呼びにきてくれたもんでな、ほっといてもわるいと思って」
「まア、いいやな、そのあいだにひとやすみするかな」
立ちあがって奥の間へ入ろうとするのを、おのぶは慌てて障子の前へ立ちふさがった。
「春次郎が寝ついたばかりで、お前さん、音を立てちゃすぐ眼がさめちまうよ」
「今夜はいやに嫌うじゃねえか――よし、ほいじゃ、用談の方を先きに片づけちまうべい」
どうせ、手の中の獲物である。ジタバタするだけさせておいてからおさえつける愉しさを心得ぬほどの青二才ではない。わざと糞落ちつきに落ついて、おのぶが不承不精に出す湯呑へ、手酌でなみなみとつぎ入れた。
渓流の音が湧くように聞えてくる。河鹿の鳴く声。さやさやと鳴る笹の葉ずれの音。
「もう、お前さん、そんなに酔っとるのに、いいかげんにしといた方がいいよ」
「いやに突っかかるじゃねえか――どうせ、今夜は帰れやしねえんだ、来る早々素っ気ないことをいうなよ」
「だって、お前さん、春次郎だって、もう七つになるよ、バカなことを」
「何をバカな――おれのいっているのはお絹のはなしだぜ、ハッキリと返事をきかなきゃ帰れやしねえじゃねえか、桔梗屋の旦那はかんかんになっているんだ、あれから何日経つと思う、これじゃ、仲に入ったおれの立つ瀬がねえよ、子供の使いじゃあるめえし」
桔梗屋というのは、山麓の横須賀村に隣接する富田郷のつくり酒屋の主人である。五十はとっくにすぎているが、性来の色ごのみで、そいつが片手間に金貸稼業をはじめたのだから何をやりだすか推して知るべしである。奉公女とくると下働きの飯焚きから日傭い女にいたるまでかつて手をつけなかったためしはなく、それも大してあくどいというやり方ではないが、親切ごかしに貧乏な水呑百姓に金を貸してやっては、奉公名儀で小綺麗な娘をつぎつぎと手に入れるキッカケをつくる。殊更、無理難題を吹っかけなくとも存分に慾望をみたすことができるとすれば、先ず結構なお道楽というべきであろう。もちろん、赤ん坊が生れたら生れたなりに、金のつかいよう一つで結構どうにでも片がついてゆくものである。
その要領を呑みこんで、手先に使われているのがこの近在を根城にする賭博渡世の権次で、「こび権」といえば醜名は全村に鳴りひびいているけれども、彼もまた、人情豊かな吉良領の中で一応、不逞無頼の鼻つまみものになっているというだけのことである。「こび権」の「こび」は人に「こびる」という意味と、こびりついたら離れぬという意味と二様に通じている。つまり、強いものや金のあるやつは飽くまでこびへつらい、相手が弱いと見こんだらこびりついて離れぬという、型どおりの寸法書きに狂いのない当世向きの小器用なやつなのである。もっとも、それでいて彼自身がいっぱしの任侠の徒を気どっていることはいうまでもあるまい。
女ひとりで貧しい一家を支えていれば、これも土地の習慣で、祭りや婚礼の夜、振舞酒に酔った若い衆たちが、未亡人の家を遊び場所にするのは必ずしも昔にかぎったはなしではない。
姉もさしたに妹もささしょ同じ蛇の目のからかさを――と盆踊りの唄にはずみをつけて、つぎつぎの梯子酒を飲み歩くのも素性のわるい若い衆だけではなかった。いずれにしても牧野姓を名乗るおのぶの家がいつの間にか彼等にとって、なくてはならぬ場所になっていたことだけはたしかである。
桔梗屋の隠居の頼みに応じたのが権次であるかどうかということは疑問であるが、しかし、六年間孤閨をまもっていたおのぶの色香にうつつをぬかした彼にとっては、もはや役得どころのさわぎではない。古往今来、一挙両得というのは商法の道で、むしろ、今となると桔梗屋の方がダシに使われているというべきが至当であろう。