Quay lại
海島冒険奇譚 海底軍艦 05 海島冒険奇譚 海底軍艦
Table of Contents
海島冒険奇譚 海底軍艦 05 海島冒険奇譚 海底軍艦
押川春浪
Reading Settings
Cỡ chữ
18px
Giao diện
Sáng
Tối
Sepia
Bảo vệ mắt
Khoảng cách dòng
Chế độ đọc
Bản dịch Pagera AI
Nguyên bản Public Domain
Chapter 8 of 25

8

『夫人、とてもいけません。』と二三歩進んだ私は振返つた。とても/\、あの狂氣のやうに立騷いで居る多人數の間を分けて、此柔弱き夫人と少年とを安全に端艇に送込む事が出來やう? あゝ人間はいざと云ふ塲合には、恥辱も名譽もなく、斯く迄生命の惜しい者かと、嘆息と共に眺めて居ると、更に奇怪なるは、其端艇に身を投じたる一群の人、それは一等船客でもなく、二等船客でもなく、實に此船の最後まで踏止る可き筈の水夫、火夫、舵手、機關手、其他一團の賤劣なる下等船客で、自己の腕力に任せて、他を突除け蹴倒して、我先にと艇中に乘移つたのである。

『あゝ、何たる醜態ぞ。」と私はあまりの事に撫然とした。春枝夫人は私の後方に、愛兒をしかと抱きたる儘、默然として言もない、けれど流石に豪壯なる濱島武文の妻、帝國軍人松島海軍大佐の妹君程あつて、些も取亂したる姿のなきは、既に其運命をば天に任せて居るのであらう。かゝる殊勝なる振舞を見ては、私は猶默つては居られぬ。

『えゝ、無責任なる船員! 卑劣なる外人! 海上の規則は何の爲ぞ。』と悲憤の腕を扼すと、夫人の淋しき顏は私に向つた、沈んだ聲で

『いえ、誰人も命の助かりたいのは同じ事でせう。』と言つて、瞳を轉じ

『でも、あの樣に澤山乘つては端艇も沈みませうに。』といふ、我身の危急をも忘れて、却つて仇し人の身の上を氣遣ふ心の優しさ、私は聲を勵まして

『夫人、其樣な事處でありません、貴女と少年とは如何しても助らねばなりません、私が濟まない/\。』と叫んで見渡すと此時第二の端艇も下りた、第三の端艇も下りた、けれど其附近は以前にも増す混雜で、私はたゞ地團太を踏むばかり。ふと眼に入つたのは、今、此船の責任を双肩に擔へる船長が、卑劣にも此時、舷燈の光朦朧たるほとりより、天に叫び、地に泣ける、幾百の乘組人をば此處に見捨てゝ、第三の端艇に乘移らんとする處。

『ひ、ひ、卑怯者!。』と私は躍起になつた、此處には春枝夫人の如き殊勝なる女性もあるに、彼船長の醜態は何事ぞと思ふと、もう默つては居られぬ、元より無益の業ではあるが、せめての腹愈しには、吾鐵拳をもつて彼の頭に引導渡して呉れんと、驅出す袂を夫人は靜に留めた。

『もう何事も爲さりますな。妾も、日出雄も、此儘海の藻屑と消えても、决して未練に助からうとは思ひませぬ。』と白※薇のたとへば雨に惱めるが如く、しみ/″\と愛兒の顏を眺めつゝ

『けれど、天の惠があるならば、波の底に沈んでも或は助かる事もありませう。」と明眸に露を湛えて天を仰いだ。

忽ち、暗澹たる海上に、不意に大叫喚の起つたのは、本船を遁れ去つた端艇の餘りに多人數を載せたため一二艘波を被つて沈沒したのであらう。

『オー、無殘に。』と春枝夫人は手巾に面を蔽ふた。

『あれは自業自得です。』と私は冷笑を禁じ得なかつた。

弦月丸の運命は最早一分、二分、甲板には殘る一艘の端艇も無い、斯くなりては今更何をか思はん、せめては殊勝なる最後こそ吾等の望である。

『夫人!。』と私は靜に夫人を呼かけた。

『何事も天命です、然し吾等は此急難に臨んでも、我日本の譽を傷けなかつたのがせめてもの滿足です。』と語ると、夫人も微かにうち點頭き、俯伏して愛兒の紅なる頬に最後の接吻を與へ、言葉やさしく

『日出雄や、お前は今此災難に遭つても、ネープルスで袂別の時に父君の仰つしやつたお言葉を忘れはしますまいねえ。』と言へば、日出雄少年は此時凛乎たる面を擧げ

『覺えて居ます。父樣が私の頭を撫でゝ、お前は日本人の子といふ事をばどんな時にも忘れてはなりませんよ、と仰しやつた事でせう。』

夫人は思はず涙をはら/\と流し

『其事、お前と母とは、之が永遠の別となるかも知れませんが、幸ひにお前の生命が助つたなら、之から世に立つ時に、始終其言葉を忘れず、誠實の人とならねばなりませんよ。』と言終つた時、怒濤は早や船尾の方から打上げて來た。

最早最後と、私は眼を放つて四邊を眺めたが、此時ふと眼に止つたのは、左舷の方に取亂されてあつた二三個の浮標、端艇に急いだ人々は、かゝる物には眼を留めなかつたのであらう。私は急ぎ取上げた。素早く一個を夫人に渡し、今一個を右手に捕へて『日出雄さん。』とばかり左手に少年の首筋を抱へた時、船は忽ち、天地の碎くるが如き響と共に海底に沒し去つた。

泡立つ波、逆卷く潮、一時は狂瀾千尋の底に卷込まれたが、稍暫して再び海面に浮上つた時は黒暗々たる波上には六千四百噸の弦月丸は影も形もなく、其處此處には救助を求むる聲たえ/″\に聽ゆるのみ、私は幸に浮標を失はで、日出雄少年をば右手にシカと抱いて居つた。けれど夫人の姿は見えない『春枝夫人、々々。』と聲を限りに呼んで見たが應がない、只一度遙か/\の波間から、微かに答のあつた樣にも思はれたが、それも浪の音やら、心の迷ひやら、夫人の姿は遂に見出す事が出來なかつたのである、私は幼少の頃から、水泳には極めて達して居つたので、容易に溺れる樣な氣遣はない、日出雄少年を抱き一個の浮標を力に、一時ばかり海中に浸つて居つたが、其内に救助を求むる人の聲も聽えずなり、其身も弦月丸の沈沒した處より餘程遠かつた樣子、不意に日出雄少年が『あら黒い物が。』と叫ぶので、愕いて頭を上げると、今しも一個の端艇が前方十四五ヤードの距離に泛んで居る、之は先刻多人數が乘つた爲に、轉覆した中の一艘であらう。近づいて見ると艇中には一個の人影もなく、海水は艇の半ばを滿して居るが、何は兎もあれ天の助と打よろこび、少年をば浮標に托し、私は舷側に附いて泳ぎながら、一心に海水を酌出し、曉の頃になつて漸く水も盡きたので、二人は其中に入り、今は何處と目的もなく、印度洋の唯中を浪のまに/\漂流つて居るのである。

第九回 大海原の小端艇

亞尼の豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群

恐しき一夜は遂に明けた。東の空が白んで來て、融々なる朝日の光が水平線の彼方から、我等の上を照して來るのは昨日に變らぬが、變り果てたのは二人の境遇である。昨日までは、弦月丸の美麗なる船室に暮して、目醒むると第一に甲板に走り出て、曉天の凉しき風に吹かれながら、いと心地よく眺めた海の面も、今の身にはたゞ物凄く見ゆるのみである。眼界の達する限り煙波渺茫たる印度洋中に、二人の運命を托する此小端艇には、帆も無く、櫂も無く、たゞ浪のまに/\漂つて居るばかりである。

今更昨夜の事件を考へると全く夢の樣だ。

『あゝ、何故此樣な不運に出逢つたのであらう。』と私は昨夜海に浸つて、全濡になつた儘、黎明の風に寒相に慄へて居る、日出雄少年をば膝に抱上げ、今しも、太陽が暫時浮雲に隱れて、何となく薄淋しくなつた浪の面を眺めながら、胸の鏡に手を措くと、今度の航海は初から、不運の神が我等の身に跟尾つて居つた樣だ。出港のみぎり白色檣燈の碎けた事、メシナ海峽で、一人の船客が海に溺れた事等、恰も天に意あつて、今回の危難を豫知せしめた樣である。イヤ其樣な無※な事もあるまいが、子ープルスの埠頭で、亞尼が泣いて語つた事は、不思議にも的中した。勿論、魔の日魔の刻の因縁などは信ぜられぬが、老女が最後の一言、『弦月丸には、珍らしく澤山の黄金と眞珠とが搭載されて居ます、眞珠と黄金とが夥しく海上で集合と屹度恐る可き祟があります。』との豫言は、偶然にも其通りになつて、是等の寳物があつたばかりに、昨夜は印度洋の惡魔と世にも恐る可き大海賊の襲撃を蒙り、船は沈み、夫人は行衞を失ひ、吾等も何時救はるゝといふ目的もなく、浪に揉まるゝ泡沫のあはれ果敢き運命とはなつた。斯う考へると益々氣が沈んで、生た心地もしなかつた。

此時、太陽は雲間を洩れて赫々たる光を射出した。

日出雄少年は頑是なき少年の常とてかゝる境遇に落ちても、昨夜以來の疲勞には堪兼ねて、私の膝に凭れた儘、スヤ/\と眠りかけたが、忽ち可憐の唇を洩れて夢の聲

『あゝ、おつかさん/\、貴女は私を捨てゝ何處へいらつしやるの――オ、オ、子ープルスの街と富士山との間に、ま、ま、奇麗な橋が――オヤ、おとつさんが私の名を呼んでいらつしやるよ。』と少年は、今は夢の間、懷かしき父君母君に出逢つて居るのである。

あゝ、彼が最愛の父濱島武文は、遙なる子ープルスで、今は如何なる夢を結んで居るだらう、少年が夢にもかく戀ひ慕ふ母君の春枝夫人は、昨夜海に落ちて、遂に其行方を失つたが、若し天に非常の惠があるならば萬に一つ無事に救はれぬとも限らぬが、其儘海の藻屑と消えて、其魂が天に歸つたものならば、此後吾等は運命よく無事に助かる事があらうとも、日出雄少年は夢の他は、またと懷かしき母君の顏を見る事が出來ぬであらう、斯う考へると、私は無限に哀しくなつて、はふり落つる涙が日出雄少年の顏にかゝると、少年は愕いて目を醒した。私の涙に曇る顏を見て

『あら、叔父さんは如何かして。』

私はハツと心付いたので、態と大聲に笑つて

『なに、日出雄さんが眠つてしまつて、餘り淋しいもんだから、大きな欠伸をしたんだよ。』

少年は瞼をこすりつゝ、悄然と艇の中を見廻した。誰でも左樣だが非常な變動の後、暫時夢に落ちて、再び醒めた時程、心淋しいものはないのである。少年齡漸く八歳、此悲境に落ちて、回顧してあの優しかりし母君の姿や、ネープルスで別れた父君の事などを懷ひ浮べた時は、まあどんなに悲しかつたらう、今、一片のパンも一塊の肉もなき此みじめな艇中を見廻して、再び私の顏を眺めた姿は、不憫とも何とも言はれなかつた。

懷中時計は海水に濡されて、最早物の用には足らぬが、時は午前の十時と十一時との間であらう、此時不圖心付くと、今迄は、たゞ浪のまに/\漂つて居るとのみ思つて居つた端艇が、不思議にも矢のやうな速力で、東北の方から西南の方へと流れて居るのであつた。((磁石は無いが方角は太陽の位置で分る))私は一時は喫驚したが、よく考へると、これは何も不思議でない、今迄それと心付かなかつたのは、縹渺たる大洋の面で、島とか舟とか比べて見る物がなかつたからで、これはよく有る事だ。して見ると、我が端艇は、何時の間にか印度洋で名高い大潮流に引込まれたのであらう。私は何となく望のある樣に感じて來たよ。思ふに此潮流はラツカデヴ群島の方面から、印度大陸の西岸を※ぎて、マダカツスル諸島の附近より、亞弗利加の南岸に向つて流れて行くものに相違ない、すると其間には船に見出されるとか、何國かの貿易港へ漂着するとか、兎角して救助を得られぬ事もあるまいと考へたのである。然し、世の中の萬事は左樣幸運く行くかどうだか。此潮流の指して行く、亞弗利加の沿岸及び南太平洋邊には、隨分危險な所が澤山ある、却て食人國とか、海賊島の方へでも押流されて行つたら、夫こそ大變! 然し、何と考へたからとて奈何なるものか。たゞ天命! 天命!

此時今迄は晴朗であつた大空は、見る/\内に西の方から曇つて來て、熱帶地方で有名な驟雨が、車軸を流すやうに降つて來た。海の面は瀧壺のやうに泡立つて、酷いも酷くないも、私と少年とは、頭を抱へて、艇の底へ踞つてしまつたが、其爲に、昨夜海水に浸されて、今漸く乾きかけて居つた衣服は、再びびつしよりと濡れてしまつた。あゝ天は何とて斯く迄無情なると、私は暫時眞黒な雲を睨んで、只更怨んだが、然し後に考へると、世の中の萬事は何が禍となり、何が幸福となるか、其時ばかりでは分らぬのである。

此驟雨があつたばかりに、其後深く天の恩惠を感謝する時が來た。

頓て雨が全く霽れると共に、今度は赫々たる太陽は、射る如く吾等の上を照して來た。印度洋中雨後の光線はまた格別で、私は炒り殺されるかと思つた。其時第一に堪難く感じて來たのは渇の苦、茲だ禍變じて幸となると言つたのは、普通ならば、漂流人が、第一に困窮するのは淡水を得られぬ事で、其爲に十中八九は斃れてしまうのだが、吾等は其難丈けは免かれた。先刻瀧のやうに降注いだ雨水は、艇底に一面に溜つて居る、隨分生温い、厭な味だが、其樣事は云つて居られぬ。兩手に掬つて、牛のやうに飮んだ。渇の止まると共に次には飢の苦、あゝ此樣な事と知つたら、昨夜海中に飛込む時に、「ビスケツト」の一鑵位いは衣袋にして來るのだつたにと、今更悔んでも仕方がない、斯うなると昨夜の暖な「スープ」や、狐色の「フライ」や、蒸氣のホカ/\と立つて居る「チツキンロース」などが、食道の邊にむかついて來る。そればかりか、遠い昔に、燒肉が少し焦げ※ぎて居るからと怒鳴つて、肉叉もつけずに犬に喰はせてしまつた一件や、「サンドウイツチ」は職工の辨當で御坐るなどゝ贅澤を云つて、車の窓から投出した事などを懷想して、つくづくと情なくなつて來た。然し此日は、無論空腹の儘に暮れて、夜は夢の間も、始終食物の事を夢て居るといふ次第、翌日になると苦さは又一倍、少年と二人で色青ざめて、顏を見合はして居るばかり、果は艇舷の材木でも打碎いて、粉にして飮まんかとまで、馬鹿な考も起つた程で、遂に日は暮れ、船底を枕に横つたが、其夜は空腹の爲に終夜眠る事が出來なかつた。

Chapter 8 of 25
|