〈3〉 真実としての日常生活
『グランド・オール・オプリイ』がまだ初期のころ、放送がはじまるまえに、番組の担当者は、出演者たちに「地に足をつけていきましょう」と、いつも言っていた。
カントリー・ミュージックは、地についた単純な真実を語る音楽である、と信じられている。たとえばボブ・ディランがナッシュヴィルでLP『ナッシュヴィル・スカイライン』をつくったときとか、ザ・バーズがLP『ロディオの恋人』をつくったときなどに、田園の単純な価値観への回帰、というような説明がなされた。
これは、完全にまちがいだから、正しくしておかなければならない。
アパラチアの山のなかでは、カントリー・ミュージックは、音だけでほかの人たちを同化させる力を持っていたが、商品になったら、ソングにかわってしまった。なんらかの真実を単純な言葉で語る詞を持った歌なのだ。真実とは、カントリー・ソングの場合、あくまでも日常生活だった。日常生活のなかでの、ごく普通な人たちの平凡な心の反応だった。
一九六八年に、ハンク・スノウやマーティ・ロビンスはジョージ・ウォレスに投票し、巡業さきではウォレスの宣伝をさかんにやった。テックス・リターやロイ・エイカフは、ニクソン大統領の就任式に、大統領から個人的に招待された。ジョニー・キャッシュは、「アメリカ政府がやっていることだから」という理由でヴェトナム戦争に賛成している。マーティ・ロビンスは、『ラヴシック・ブルース』をじつにうまくうたい、ヴェトナム戦争に反対している。理由は、「アメリカが勝ったら、またひとつやしなうべき国を背負いこむことになるから」なのだ。こういったことは、いわゆる保守的な心情ではなく、ただひと言、真実であるだけだ。
このようなメンタリティの人たちにとってたとえばジャン・ハワードがうたう『私の息子』という歌など、最も「真実」にちかいものなのだ。この歌は、ジャンが実際にヴェトナムへ戦争しにいっている自分の息子からもらった手紙を材料にしてつくった歌で、歌ができてレコードになってから、その息子は戦死してしまった。『私の息子』は、ジャン・ハワードのおハコになっている。感きわまって、途中で泣き出すこともあり、アナウンサーとかそのときのショウの主役が「じつはジャンの息子がヴェトナムでその命をアメリカにささげたのです、ジャンも息子も立派ですね」というようなことを、必ず言う。
観客は、ワッとくる。きたところでジャンは泣きながらソデにひっこみ、バンドは『兵士の恋人』のような、アメリカを讃えるたぐいの曲を、派手に演奏する。また、ワーッと拍手や歓声がくる。と、ポール・ヘンフィルは、『ナッシュヴィル・サウンド』のなかで描写している。『私の息子』のレコード売上げがあがり、ジャン・ハワードのリクエストがふえる。観客は、「真実」に同化したとたんに、おかねを失っている。しかし、そのことには、まず気がつかない。気がついていたら、ナッシュヴィル・サウンドが、ナッシュヴィルに対して年間純益一億ドルの産業になるはずがないのだ。
このような調子だから、「真実」であればどんなことでもソングになる。カントリー・アンド・ウエスタンにうたわれている世界の広さは、ここに原因がある。
朝鮮戦争のときには、パッシィ・クラインの『ディア・ジョン』の書き出しで、じつは申しわけないけどわかれさせてください、という手紙を送る。そんな歌だ。無事に帰るのをいつまでも待っています、もやはり対等の「真実」なのだが、それでは歌にならない。したがって、商売にもならない。
テックス・リターが商用でマイアミに向かったとき、乗っていたジェット機がハイジャックにあい、リターは、ハヴァナまでつれていかれた。この真実は、たちまち、『マイアミへいく途中でおかしなことがおこった』という歌になってしまった。
戦争で息子が死んだら、かわいそうだと感じるのは人間として基本的な感情で、そのかぎりでは真実なのだが、かわいそうだ、ほんとだ、かわいそうだ、と言っているだけでは、どこへも出口のない袋小路でどうどうめぐりをしているにすぎず、基本的な感情の同化はあっても、その同化は、戦争そのものに対してはむしろ目かくしになるのだ。どちらかといえば決して金持ちではないアングロサクソンの世帯持ち、つまり、サイレント・マジョリティの世界が、ここにある。