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天津教古文書の批判
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天津教古文書の批判
狩野亨吉
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Chapter 7 of 7

第七 結語

以上數節に於いて試みた批判を要約すれば、天津教が天下の至寶として誇示する天照太神、後醍醐天皇、長慶天皇の御眞筆及び平群眞鳥、竹内宗義等の眞筆と稱するものは、第一に文章は揃ひも揃つて下手であり、肝心な語法語調も億萬年を通して不變なるのみならず、誤謬は頑強に保持せられて共通永存してゐる。第二に筆蹟は孰れも見事ならず、著しく近代風を帶びたる上に類似の點多く、一々別人の手に成るものと取れない。第三に所説は正史と矛盾するばかりか、明治以後漸く知れ亙つた如きことを平然として述べてゐる。依て追次此等の文書に就き、其文體、其書體及び其内容の檢討を遂げ、悉く最近の僞造であることを暴露せしめたのである。此上疑問として殘る變態性は之を稱明し得たところで、僞造の事實を動かすことは出來ない。故に天津教は五つの致命傷を蒙り完全に生息の道を絶たれたに等しいのである。もし更に文書の原物及び古器物を見ることを爲さば彌益不都合を露現し、もし更にその依據と爲す上記乃至西洋の傳説との比較調査を行はば剽竊炙直しの狡計を剔抉するを得べきも、要らない努力を拂つて死屍に鞭つ愚を演ずべきでない。顧ふに天津教の言説は虚妄であるが、今迄その宣傳に當つて、類似の宗教的運動に見る如き副作用を伴はざるため、害毒は比較的輕微であると思はれる。此點偶然の結果と云へ、恕すべきものがある。かるが故に又かの如何はしき説教を以てする上に更に如何はしき副作用を以て人を釣り、陶醉迷溺せしめ、其虚に乘じて、成效を獲得した族に比すれば、天津教の境遇は貧弱で、氣の毒にも思ふ。此點當然の結果とは云へ、同情に値するものがある。此際私は漫りに天津教を惡口するものではない。我側らに迷へるものと迷はんとするものとを見て、其覺醒を促すための言を述べるに過ぎないのである。望むらくは天津教も亦反省悔悟して其妄を棄て、速に皇道の正しきに復歸せんことを。

●図書カード

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