Chapter 1 of 24

第一章

Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇とが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上にたたずみ、うつろに見える高みを見上げていた。

それから彼は、宿を探して歩いた。旅館ではまだ人びとがおきていて、亭主は泊める部屋をもってはいなかったが、この遅い客に見舞われてあわててしまい、Kを食堂の藁ぶとんの上に寝かせようとした。Kはそれを承知した。二、三人の農夫がまだビールを飲んでいたが、Kはだれとも話したくなかったので、自分で屋根裏から藁ぶとんをもってきて、ストーブのそばで横になった。部屋は暖かく、農夫たちは静かだった。Kは疲れた眼で彼らの様子をうかがっていたが、やがて眠りこんだ。

だが、それからすぐ起こされてしまった。町方の身なりをした俳優のような顔の、眼が細く眉の濃い一人の若い男が、亭主とともにKのそばに立っていた。農夫たちもまだ残っていて、二、三の者はもっとよくながめて話を聞こうと、椅子をめぐらしている。若い男は、Kを起こしたことをひどくていねいにわびて、自分は城の執事の息子だと名のり、それからいうのだった。

「この村は城の領地です。ここに住んだり泊ったりする者は、いわば城に住んだり泊ったりすることになります。だれでも、伯爵の許可なしにはそういうことは許されません。ところが、あなたはそういう許可をおもちでない。あるいは少なくともその許可をお見せになりませんでした」

Kは身体を半分起こして、髪の毛をきちんと整え、その人びとを下から見上げて、いった。

「どういう村に私は迷いこんだのですか? いったい、ここは城なんですか?」

「そうですとも」と、若い男はゆっくりいったが、そこここにKをいぶかって頭を振る者もいた。「ウェストウェスト伯爵様の城なのです」

「それで、宿泊の許可がいるというのですね?」と、Kはたずねたが、相手のさきほどの通告がひょっとすると夢であったのではないか、とたしかめでもするかのようであった。

「許可がなければいけません」という答えだった。若い男が腕をのばし、亭主と客たちとに次のようにたずねているのには、Kに対するひどい嘲笑が含まれていた。

「それとも、許可はいらないとでもいうのかな?」

「それなら、私も許可をもらってこなければならないのでしょうね」と、Kはあくびをしながらいって、起き上がろうとするかのように、かけぶとんを押しやった。

「それでいったいだれの許可をもらおうというんですか?」と、若い男がきく。

「伯爵様のですよ」と、Kはいった。「ほかにはもらいようがないでしょう」

「こんな真夜中に伯爵様の許可をもらってくるんですって?」と、若い男は叫び、一歩あとしざりした。

「できないというのですか?」と、Kは平静にたずねた。「それでは、なぜ私を起こしたんです?」

ところが今度は、若い男はひどくおこってしまった。

「まるで浮浪人の態度だ!」と、彼は叫んだ。「伯爵の役所に対する敬意を要求します! あなたを起こしたのは、今すぐ伯爵の領地を立ち退かなければならないのだ、ということをお知らせするためです」

「道化芝居はたくさんです」と、Kはきわだって低い声でいい、ごろりと横になり、ふとんをかぶった。

「お若いかた、あなたは少しばかり度を越していますよ。あすになったらあなたの無礼についてお話しすることにしましょう。ご亭主とそこの人たちとが証人です。証人なんかが必要としてですがね。だがついでに、私は伯爵が招かれた土地測量技師だということは、よく聞いておいていただこう。器材をたずさえた私の助手たちは、あす車でやってくるのです。私は雪でここにくるのを手間取りたくなかったのだが、残念ながら何度か道に迷ってしまい、そのためにこんなに遅くなってやっと着いたのです。城に出頭するにはもう遅すぎるということは、あなたに教えられないうちから、自分でもとっくに知っていましたよ。だから私はここのこんな宿屋で満足もしたのです。それなのにあなたは、そのじゃまをするという――これはおだやかないいかただが――失敬なことをやられた。これで私のいうことは終りました。おやすみなさい、みなさん」そしてKは、ストーブのほうへぐるりと向きなおった。

「測量技師だって?」と、背後でためらうようにたずねる声が聞こえたが、やがてみんなが黙った。ところが若い男は、まもなく気を取りもどし、Kの眠りに気を使ってはいるといえる抑えた調子ではあるが、彼にも聞き取れるほどには高い声で、いった。

「電話で問い合わせてみよう」

なに、この田舎宿には電話まであるのか。すばらしい設備をしているものだ。この点ではKは驚いたが、全体としてはもちろん予期したとおりだった。電話はほとんど彼の頭の真上に備えつけられているとわかったが、寝ぼけまなこで見のがしていたのだ。その若い男が電話をかけなければならないとすると、どんなに気を使ったとしてもKの眠りを妨げないわけにはいかないわけで、問題はただKが男に電話をかけさせておくかどうかということだけである。Kはかけさせることに決心した。しかし、そうなるともちろん、眠っているふうをよそおうことは無意味なので、彼は仰向けの姿勢へもどった。農夫たちがびくびくしながら身体をよせ、話し合っているのが見えた。土地測量技師の到着という事件はつまらぬことではなかった。台所のドアが開き、ドアいっぱいにおかみのたくましい姿が立ちはだかった。亭主が彼女に報告するために爪先で歩いて近づいていった。それからいよいよ通話が始まった。執事は眠っていたが、執事の下役の一人のフリッツ氏が電話に出たのだ。例の若い男はシュワルツァーと名のったが、Kを見つけたことを語った。問題の人物は三十代の男で、ひどいぼろを着ており、藁ぶとんの上でゆっくりと眠っていた。ちっぽけなリュックサックを枕にし、ふしのついたステッキを手のとどくあたりに置いている。もちろん、この男は自分にはあやしい人物と思われた。宿の亭主が義務をおこたったらしいので、事を徹底的に調べることが、自分、つまりシュワルツァーの義務と考えた。起こしたことも、訊問をしたことも、伯爵領から追放するといって職務上の戒告を行なったことも、Kのほうはひどく不機嫌な態度で受け取った。それも、最後にわかったことだが、おそらくもっともなことであったらしい。というのは、この男は伯爵様に呼ばれた測量技師だと主張しているのだから。もちろん、そんな主張をもっと検討してみることは、少なくとも形式上の義務ではある。そこで自分シュワルツァーとしてはフリッツ氏にお願いするのだが、こんな測量技師がほんとうにくることになっているものかどうか、本部事務局へきき合わせ、その返事をすぐ電話してもらいたい、ということであった。

それから静かになった。フリッツがむこうで問い合わせしており、こちらでは返事を待っているわけだった。Kは今までどおりにしていて、一度も振り向いたりせず、好奇心なんか全然ないふうで、ぼんやり前を見ていた。悪意と慎重さとのまじったシュワルツァーの話のしかたは、いわば外交的な儀礼を身につけているといった感じを彼に与えたが、城ではシュワルツァーのような下っぱの者でもそうした儀礼を手軽に使っているのだ。また城の連中は勤勉さにも事欠かなかった。本部事務局は夜勤もやっていた。それですぐさま返事をよこしたらしかった。それというのは、早くもフリッツが電話をかけてきたのだ。とはいえ、この知らせはきわめて短いもののようだった。シュワルツァーが腹を立てて受話器を投げ出したのだ。

「ほら、いったとおりだ」と、彼は叫んだ。「測量技師なんていう話は全然あるものか。卑しい嘘つきの浮浪人なんだ。おそらくもっと悪いやつなんだろう」

一瞬Kは、シュワルツァーも農夫たちも亭主もおかみも、みんなが自分めがけて押しよせてくるのではないか、と思った。少なくとも最初の襲撃を避けようとして、すっかりふとんの下にもぐりこんだ。そのとき、電話がもう一度鳴った。しかも、とくに強く鳴ったようにKには思われるのだった。彼はゆっくりと頭をもたげた。またもやKについての電話だということはありそうにもなかったのだが、みんなは立ちすくんでしまい、シュワルツァーは電話機のところへもどっていった。彼はそこでかなり長い説明を聞き取っていたが、やがて低い声でいった。

「それじゃあ、まちがいだというんですね? そいつはまったく面白くない話ですよ。局長自身が電話をかけられたんですか? 変だ、変ですね。測量技師さんに私からなんて説明したらいいんです?」

Kはじっと聞いていた。それでは城は彼を土地測量技師に任命したのだ。それは一面、彼にとってまずいことだった。というのは、そうだとすると城では彼について必要なことをいっさい知っており、いろいろな力関係をすべて計算ずみで、微笑をたたえながら闘いを迎えた、ということになる。だが、他面、好都合でもあった。というのは、それは彼の考えによると、彼が過少に評価されており、そのためにはじめから望みうる以上に自由をもつ、ということを立証するものであった。そして、もしこうやって彼の土地測量技師としての身分を承認して、自分たちがたしかに精神的に上位にいることを示し、それによって長く彼に恐怖の気持を抱かせておくことができる、と思っているのなら、それは思いちがいというものだ。少しばかりぞっとさせられはしたが、それだけの話だ。

おどおど近づいてくるシュワルツァーにKは合図して、立ち去らせた。亭主の部屋へ移るようにみんなにせき立てられたが、彼はことわって、ただ亭主からは寝酒を、おかみからは石鹸と手拭といっしょに洗面器を受け取った。広間から出ていってくれと要求する必要は全然なかった。あしたになってKにおぼえておられることのないようにと、みんな顔をそむけてどやどやと出ていってしまったのだった。ランプが消され、彼はやっと休むことができた。ほんの一度か二度、走りすぎる鼠の音にちょっと妨げられただけで、翌朝までぐっすり眠った。

朝食のあとで――その朝食の費用も、Kのすべての食事同様に、亭主の申し出によって城が支払うということであったが――彼はすぐ村へいこうとした。きのうのふるまいを思い出して亭主とはどうしても必要なことしかしゃべらないでいたのだったが、亭主が無言の哀願をこめていつまでも彼のまわりをうろつき廻っているので、ついかわいそうになり、しばらく身近かに腰をかけさせてやった。

「私はまだ伯爵を知らないが」と、Kはいった。「いい仕事をすればいい金を払ってくれるということだけれど、ほんとうかね? 私のように妻子から遠く離れて旅をすると、帰るときにはいくらかはもち帰りたいものだよ」

「その点なら心配ご無用です。支払いの悪いという苦情は別に聞かれませんから」

「そうかい」と、Kはいった。「私は臆病者の仲間ではないし、伯爵にだって自分の考えをいうことができる。しかし、おだやかに城の人たちと話がつくなら、むろんそのほうがずっとよいからね」

亭主はKと向かい合って窓ぎわの台に坐り、もっと楽に腰をかけようとはしなかった。そして、大きな褐色の不安げな眼でKをずっとながめつづけていた。はじめは彼のほうからKのところへ押しかけてきたのだったが、今では逃げ去りたいというような様子だった。伯爵のことをきかれるのがこわいのだろうか? Kのことも偉い人と思っているのだが、その「偉い人」たちの信用できないところがこわいのだろうか?

Kは亭主の気をそらさなければならなかった。彼は時計を見て、いった。

「もうまもなく私の助手たちがくるだろうが、彼らを君のところへ泊めてくれることができるかね?」

「それはもう、旦那」と、彼はいった。「でも、その人たちもあなたといっしょにお城に住むんじゃありませんか?」

亭主はこんなにあっさりと客たち、ことにKという客を棄ててしまおうとしているのだろうか? Kに対してどうしても城へいけといっているようなものではないか。

「それはまだきまっていないんだ」と、Kはいった。「まず、どんな仕事をさせようとしているのかを知らなければならない。たとえばこの辺で仕事をするというのなら、この辺に住むのがりこうだろう。それにおそらく、上の城のなかで暮らすことは私の性には合わないだろう。私はいつでも自由でいたいよ」

「あなたは城のことを知らないんですよ」と、亭主は低い声でいった。

「そりゃあ、そうさ」と、Kはいった。「早まって判断してはならない。今のところ私が城について知っていることといえば、ただ城の人たちはちゃんとした土地測量技師を見つけ出すことをわきまえているということだけだ。おそらく城にはそのほかにもいろいろすぐれたところがあるだろうがね」そして彼は立ち上がり、落ちつかない様子で唇をかんでいる亭主を自分のところから解放してやろうとした。この男の信頼を得ることはやさしいことではなかった。

部屋を出ようとして、壁の上の黒い額ぶちにはまった暗い肖像画がKの目にとまった。寝床のなかにいるときから気がついていたのだが、遠くからでは細部がはっきりわからず、ほんとうの絵は額ぶちから取り去られてしまったのであって、黒い裏打ちの布だけが見えているのだ、と思っていた。ところがそれは、今わかってみると、ほんとうに絵であった。およそ五十歳ばかりの男の半身像だ。頭を深く胸の上に垂れているので、ほとんど眼は見えないが、頭を垂れているために重たげな広い額とがっちりした鉤鼻とがくっきりと目立つ。頭のポーズのために顎に押しつけられている顔一面の髯は、ずっと下まで突き出ている。左手は、指を拡げてふさふさした頭髪のなかに入れられているが、もう頭をもち上げる力はないという風情だ。

「あれはだれだい?」と、Kはきいてみた。「伯爵かい?」Kはその絵の前に立ち、亭主のほうは全然振り向かなかった。

「いいえ、執事です」と、亭主がいった。

「城にはりっぱな執事がいるんだね。ほんとうだよ」と、Kはいった。「あんなできそこないの息子をもっているのは残念だけれど」

「いや」と、亭主はいって、Kを少し自分のほうに引きよせて、彼の耳にささやいた。「シュワルツァーはゆうべは大げさなことをいったんですよ。あの男のおやじさんはほんの下級の執事なんです。しかもいちばん下っぱの一人です」この瞬間、Kには亭主がまるで子供のように思われた。

「あん畜生!」と、Kは笑いながらいったが、亭主はそれに合わせて笑おうともせず、こういった。

「あの男のおやじだって力はあるんです」

「くだらない! 君はだれでも力があると思うんだ。私のことなんかもそうだろう?」

「旦那は力があるとは思いません」と、彼はおどおどしながら、しかしまじめくさっていった。

「それなら君は、ちゃんと見る目があるというわけだ」と、Kはいった。「つまり、打ち明けていうと、私にはほんとうに力はないんだよ。そこで力のある人たちにはおそらく君にも劣らず尊敬の気持をもっているのだが、ただ君ほど正直ではないから、いつでもそんなことを口に出していってしまおうとはしないわけさ」

そしてKは、亭主を慰めてやり、自分にもっと好意をもたせるようにしてやろうとして、亭主の頬を軽くたたいた。すると亭主もやっと少しばかり微笑した。亭主はほんとうに、ほとんど髯のない柔和な顔をした若者だった。どうしてこの男があのふとった老けたような細君といっしょになんかなったんだろう? その細君といえば、そのときのぞき窓のむこうの台所で、両肘を身体のわきにぐっと突っ張ってせわしく立ち働いているのが見えた。Kは今はもう亭主にやかましいことをいいたくはなかった。やっと手に入れた相手の微笑を追い払いたくはなかったのだった。そこで、ドアを開けるように亭主に合図だけすると、晴れ渡った冬の朝景色のなかへ出ていった。

今やKは、城が澄んだ空気のなかで上のほうにはっきりと浮かび上がっているのを見た。あらゆるものの形をなぞりながらあたり一面に薄い層をつくって積っている雪のなかで、城はいっそうくっきりと浮かんでいた。ところで上の山のあたりは、この村のなかよりもずっと雪が少ないように見えた。ここの村のほうでは、きのう国道を歩いたときに劣らず、歩くのに骨が折れた。村では雪が小屋の窓までとどいていて、低い屋根の上にも重くのしかかっていたが、上の山のほうではすべてのものがのびのびと軽やかにそびえていた。少なくともここからはそう見えた。

城は、遠く離れたここから見える限りでは、Kの予期していたところにだいたい合っていた。古びた騎士の山城でもなく、新しい飾り立てた館でもなく、横にのびた構えで、少数の三階の建物と、ごちゃごちゃ立てこんだ低いたくさんの建物とからできていた。これが城だとわかっていなければ、小さな町だと思えたかもしれない。ただ一つの塔をKは見たが、それが住宅の建物の一部なのか、それとも教会の一部なのかは、見わけがつかなかった。鴉のむれがその塔のまわりに輪を描いて飛んでいた。

Kは城に眼を向けたまま、歩みつづけた。ほかには彼の気にかかるものは何もなかった。ところが、近づくにつれ、城は彼を失望させた。それはほんとうにみじめな小さな町にすぎず、田舎家が集ってつくられていて、ただおそらくどの家も石でつくられているということによってきわだって見えるだけだった。だが、家々の上塗りもずっと前にはげ落ち、石はぼろぼろとくずれ落ちそうに見えた。Kはふと、自分の故郷の町を思い出した。故郷の町も、このいわゆる城なるものにほとんど劣ってはいなかった。Kにとって城を視察するだけが問題であったのなら、この長旅はもったいない話で、それくらいならもう長いあいだいったことのない昔の故郷をもう一度訪ねたほうがりこうというものだったろう。そして彼は、故郷の教会の塔とかなたにそびえる塔とを頭のなかで比べてみた。きっぱりした恰好で、尖端がためらうこともなく上空をめざしていて、屋根は広く、赤瓦につながっているあの故郷の教会の塔。それはたしかに地上の建物だが、――それ以外のものをどうしてわれわれは建てられるだろうか――低い家屋のむれよりはずっと高い目標をもち、陰鬱な日常の日々がもっているよりはずっと明るい表情をもっていた。ここで上のほうに見える塔は、――それは眼に見えるただ一つの塔だった――今わかってみると、住居の塔、おそらくは城の母屋の塔であり、単調な円い建物で、その一部はきづたによってうまく被われていた。小さな窓がいくつかついていて、それが今、太陽の光のなかで輝いていた。――その光景には何か気ちがいめいた趣きがあった――さらに塔の尖端はバルコニー風になっていて、その胸壁が、まるでおどおどした子供の手か投げやりな子供の手で描かれたように、不確かな様子で、不規則に、ぼろぼろに、青空のうちにぎざぎざの輪郭を浮かび上がらせていた。それは、何か正当の理由で家のなかのいちばん離れた建物に閉じこめられねばならなかった悲しい家の住人の一人が、わが身を世間に示そうとして、屋根を突き破り、ぐっと身体を起こしたような恰好だった。

Kは、立ちどまっているといっそう判断力がもてるというかのように、また立ちどまった。だが、そうはいかなかった。彼が立ちどまっていたそばにある村の教会の裏手に、――それはじつは礼拝堂にすぎなかったが、信者団を容れることができるように、納屋をつけたような恰好で拡張されたものだった――学校があった。ほんの一時的なものだという性格と、きわめて古いという性格とを奇妙に兼ねている低くて長い建物が、柵をめぐらした校庭のうしろに立っていた。その校庭は、今は雪野原になっていた。ちょうど子供たちが教師とともに出てきた。子供たちは密集して教師を取り囲み、みんなの眼が教師に向けられて、四方八方から口々に絶え間もなくしゃべり立てていたが、Kには子供たちの早口の言葉が全然聞き取れなかった。教師は、小柄で肩幅の狭い若い男だが、別に滑稽に見えるでもなく身体をひどくきちんと立て、すでに遠くからKを眼のうちに捉えていた。といっても、この教師の一団のほかには、Kがこのあたりにいるただ一人の人間だったのだ。よそ者であるKは、このひどく高圧的な小男に向って、自分のほうから挨拶した。

「こんにちは、先生」と、彼はいった。たちまち子供たちは黙った。この突然の静けさが自分の言葉を迎えるための準備となったので、教師の気に入ったようであった。

「城を見ていらっしゃるんですか?」と、教師はKが予期していたよりはものやわらかにたずねた。だが、Kがそんなことをやっているのに賛成できない、という調子だった。

「そうです」と、Kはいった。「私はよそからきたんです。ゆうべここにきたばかりです」

「城はお気に入らぬでしょう?」と、教師は早口でたずねた。

「なんですって?」と、Kは少しびっくりしてきき返し、それからもっとおだやかな形で問いをくり返した。「城が気に入ったかとおっしゃるんですか? 気に入らないなんて、どうしてお考えになるのです?」

「よその人には気に入らないのです」と、教師がいった。ここで相手に逆らうようなことはいうまいとして、Kは話を変え、きいてみた。

「あなたは伯爵をご存じでしょうね?」

「いや」と、教師はいい、身を転じようとした。だが、Kは追いすがって、もう一度たずねた。

「なんですって? 伯爵をご存じないとおっしゃるんですか?」

「どうして私が伯爵を知っているなんてお思いですか?」と、教師は低い声でいい、フランス語で声高につけたした。

「罪のない子供たちがいることを頭に入れておいてください」Kはその言葉をいいたねにして、たずねた。

「先生、一度あなたをお訪ねしてよろしいでしょうか? 私はしばらくこの土地にいるのですが、もう今から少し心細い気がするんです。私は農夫の仲間でもないし、城の人間でもないんです」

「農夫と城とのあいだには、たいしてちがいはありませんよ」と、教師はいった。

「そうかもしれません」と、Kはいった。「でも、それは私の状態を変えはしません。一度お訪ねしてよろしいですか?」

「私はスワン街にある肉屋に住んでいます」

これは招待するというよりは、住所をいったまでのことだったが、それでもKはいった。

「わかりました。伺います」

教師はうなずき、またもや叫び声を上げ始めた子供たちのむれといっしょに、立ち去っていった。彼らはまもなく急な坂になっている小路のうちに消えた。

Kのほうはぼんやりしてしまい、今の対話で気分をそこねていた。到着以来はじめて、ほんとうの疲労というものを感じた。ここにくるまでの遠い道が彼を疲れさせたなどとは思われなかった。どんなに何日ものあいだ、冷静に一歩一歩とさすらいつづけてきたことか!――ところが今や、過度の緊張の結果が現われたのだった。もちろん、はなはだまずいときにである。新しい知合いを探そうという気持が、逆らいがたく彼の心をひいていた。しかし、新しい知合いのできるごとに、疲労は強まっていく。きょうの状態では、少なくとも城の入口まで無理に散歩の足をのばそうとすれば、もう手にあまるほどの骨折り仕事だった。

こうして彼は歩みをつづけていった。しかし、長い道であった。つまり、村の大通りであるこの通りは、城のある山へは通じてはいなかった。通りはそこの近くへ通じているだけであり、次にまるでわざと曲がるように曲がってしまっていた。そして、城から遠ざかるわけではないのだが、近づきもしなかった。これでやっと通りは城のほうへ入っていくにちがいない、とKはいつでも期待するのだった。そして、そう期待すればこそ、歩みをつづけていた。疲労のために、この道をいくのをやめることをためらっているようであった。どこまでいっても終ろうとしないこの村の長さに彼は驚いてもいた。次から次へと小さな家々と凍てついた窓ガラスと雪とがつづき、人気はさっぱりなかった。――とうとうこのしつっこい通りから身体を引きちぎるようにして離れ、狭い小路へと入っていった。そこは雪がいよいよ深く、沈んでいく足を抜き出すことはむずかしい仕事で、汗がどっとふき出てきた。彼は突然立ちどまり、もうこれ以上は歩みをつづけられなくなった。

といって、彼はただひとり見捨てられてしまったわけではなかった。右にも左にも農家が立っていた。彼は雪の玉をつくって、とある窓へ投げつけた。すぐにドアが開き、――これは村の道を歩いているあいだに最初に開いたドアであった――褐色の毛皮の上衣を着た老人の農夫が、頭をわきにかしげて、親しげに、またよわよわしい様子で、そこに立っていた。

「少しあなたのところへよらせて下さいませんか」と、Kはいった。「とても疲れているんです」

彼は老人のいうことを全然聞いていなかったが、板が自分のほうにさし出されたのをありがたく受けた。板はすぐに彼を雪から救い出してくれた。二、三歩で彼は部屋のなかに立った。

薄暗い光のなかにある大きな部屋だった。戸外から入ってくる者には、はじめは何も見えなかった。Kは洗濯バケツにぶつかってよろめいた。女の手が彼の身体を押しとどめた。片隅からやかましい子供たちの叫び声がきこえてきた。もう一方の隅から煙が巻き上がり、薄明りをほんとうの暗がりに変えていた。Kはまるで雲のなかに立っているようだった。

「酔っ払っているんだ」と、だれかがいった。

「あんた、だれだね?」と、偉そうな声が叫んだが、老人に向けられたらしかった。「なぜその男をつれこんだんだ? 小路をのろのろ歩いているやつは、みんなつれこんでいいのか?」

「私は伯爵の土地測量技師です」と、Kはいって、なおも姿の見えない者に向って言いわけしようとした。

「ああ、測量技師なのね」と、一人の女の声がいい、それから完全な沈黙がつづいた。

「あなたがたは私をご存じなんですね?」と、Kはたずねた。

「知っていますとも」と、短く同じ声がいった。Kを知っているということは、そうかといってKに対して好感をもたせてはいないようだった。

やっと煙が少し消え、Kはおもむろに様子がわかってきた。いっせいに洗濯する日らしかった。ドアの近くでは下着の洗濯をやっていた。ところが煙はもう一方の隅からきていて、その隅ではKがこれまでに見たこともないような大きな木のたらいのなかで――そのたらいはおよそベッド二つ分ほども大きかった――湯気を立てている湯に二人の男が入浴していた。しかし、もっと驚くべきものは、どういう点が驚くべきかははっきりとはわからなかったのだが、右手の隅であった。そこでは部屋の裏壁にあるただ一つの大きな隙間を通して、おそらく内庭からくるのだろうが、青白い雪明りが射しこんできて、部屋の隅の奥深くの背の高い肘掛椅子に疲れはてて横にならんばかりに坐っている一人の女の衣服に、絹のつやのような光を与えていた。女は乳呑児を胸に抱いている。女のまわりには、見ただけで農夫の子供たちとわかるような二、三人の子供たちが遊んでいた。しかし、女はこの子供たちの母親とは見えなかった。もちろん、病気と疲労とは農夫をさえも繊細らしく見せるものだ。

「かけなさい」と、男たちの一人がいった。それは顔一面に髯を生やし、その上、口髭までつけた男で、その口髭の下で荒い息をしながらいつでも口を開けたままにしているのだが、この男がおどけてみせようとして、たらいの縁ごしに手で長持を示しながら、湯をKの顔いっぱいにはねかけた。長持にはすでに、ぼんやり考えこんだようにして、Kをつれこんだ老人が腰をかけていた。Kは、やっと腰をかけてよいといわれたのがありがたかった。もうだれ一人として彼のことを気にかける者はいなかった。洗濯バケツのそばの女は、髪はブロンドで、若々しくぴちぴちしていたが、仕事をしながら低い声で歌っている。入浴している二人の男は、足を踏みならしたり、身体を向き変えたりしており、子供たちはこの男たちに近づこうとするが、Kにもとばっちりがこないではいない勢いのいいしぶきで追い払われた。肘掛椅子の女は死んだように身体を横たえ、胸の子供を少しも見ようともしないで、漠然と空をながめていた。

Kはおそらく、この変化しない美しい悲しげな女の姿を長いあいだ見つめていたのだったろうが、やがて眠りこんでしまったにちがいなかった。というのは、高い声に呼ばれてはっと眼をさましたときに、彼の頭は隣りに坐っている老人の肩の上にのっていたのだった。男たちは入浴を終えた。湯のなかでは、ブロンドの女に世話されながら、今度は子供たちがあばれ廻っていた。湯から上がった男たちは、衣服を着てKの前に立った。わめき立てる髯面の男は、二人のうちでつまらぬほうの男であるとわかった。つまり、もう一方の男は髯面の男よりも大きいわけでなく、ずっと髯は少なかったが、もの静かな、ゆっくりとものを考える男で、身体つきがゆったりとし、顔の幅も広く、頭を垂れたままでいた。

「測量技師さん」と、男がいった。「あなたはここにいるわけにはいきません。ご無礼はお許しください」

「私もとどまるつもりはなかったのです」と、Kはいった。「ただちょっと休ませていただこうと思ったのでした。もうすみましたから、出かけましょう」

「おそらくこんなひどいおもてなしに驚いておられるでしょうね」と、男はいった。「しかし、お客をもてなすということは、私どものこの土地では慣わしではないので。私どもはお客はいらないのです」

眠ったことでいくらか元気を回復し、前よりか少し耳もはっきり聞こえるようになったKは、この率直な言葉を悦んだ。彼はずっと自由に身体を動かし、ステッキをあるいはここ、あるいはあそこというふうにつきながら、肘掛椅子の女のほうに近づいていった。それにKは、身体からいってもこの部屋ではいちばん大きかった。

「そうですとも」と、Kはいった。「どうしてあなたがたは客がいりましょう。でもときどきは客も必要ですよ、たとえばこの私のような土地測量技師をね」

「そんなことは知りませんよ」と、男はゆっくりといった。「あなたを呼んだのなら、おそらくあなたが必要なんでしょうよ。それはきっと例外なんです。しかし、私たち身分の低い者たちは、規則をきちんと守ります。その点は悪く思ってもらっては困ります」

「いや」と、Kはいった。「私はあなたやここのみなさんにお礼をいわなければならないくらいです」そして、だれにとっても思いがけないことだったが、Kはあざやかに身をひるがえし、女の前に立った。疲れた青い眼で女はKを見つめた。絹の透明な頭巾が額のまんなかまで垂れ下がり、乳呑児が胸のなかで眠っていた。

「君はだれです?」と、Kはきいた。

さげすむように――その侮蔑がKに向けられたのか、それとも自分自身の答えに向けられたのか、それははっきりはしなかったが――彼女はいった。

「城の娘ですわ」

これがほんの一瞬のことであった。早くもKの左右には例の男のそれぞれが立ち、まるでこのほかにわからせる手段はないとでもいうかのように、黙ったまま、しかし力いっぱいにKをドアのところへ引っ張っていった。何がおかしいのか、老人がそのとき大悦びで、手をたたいた。洗濯女も、突然気がちがったようにさわぎ立てている子供たちのわきに立って、笑った。

しかし、Kはまもなく小路に立っていた。男たちは戸口のところからKを監視している。また雪が降ってきた。それでも少しは明るくなったように思われた。髯面の顔がいらいらして叫んだ。

「どこへいこうっていうのかい? こっちは城へいくんだし、こっちは村へいくんだ」

Kはその男には返事をしなかった。で、この男よりはまさってはいるけれども、もったいぶっているやつだとKには思われるほうの男に向って、こういった。

「あなたはなんというかたで? 休ませていただいたお礼はどなたに申し上げたらいいんです」

「なめし革屋のラーゼマンです」という返事だった。「でも、あなたはだれにも礼などいう必要はありませんよ」

「そうですか」と、Kはいった。「おそらくまたお会いできるでしょう」

「できないと思いますね」と、男はいった。

この瞬間、髯面のほうが手を上げて叫んだ。

「こんにちは、アルトゥール! こんにちは、イェレミーアス!」

Kは振り返った。それではこの村の小路にもやはり人間が現われるのだ! 城の方角から二人の中背の若者がやってきた。二人ともひどく痩せていて、ぴったりした服を着ており、顔もひどく似ていた。顔の色は暗褐色だが、とがった髯がかくべつ黒いのできわ立っていた。二人は、通りがこんな有様なのに驚くほど足早に歩き、歩調をとりながら細い足を動かしていた。

「どうしたんだい?」と、髯面の男が叫んだ。叫ばなければ二人には話が通じなかったのだ。それほど足早に歩いており、立ちどまりもしなかった。

「仕事さ!」と、二人は笑いながら叫び返してきた。

「どこでだい?」

「宿屋でさ」

「私もそこへいくんだ!」と、Kは突然ほかのだれよりも大声で叫んだ。二人につれていってもらいたい、とひどく望んだのだった。この男たちと知合いになることはたいして有利だとも思われなかったのだが、元気をつけてくれるよい道づれであるようには思えた。二人はKの言葉を聞いたが、ただうなずいただけで、いき過ぎてしまった。

Kはなおも雪のなかに立っていた。雪から足を上げ、次にまた少し前の深い雪へその足を沈める気にはほとんどなれなかった。なめし革屋とその仲間とは、Kをさっぱりと追い払ったことに満足して、たえずKのほうを振り返りながら、ほんの少しばかり開いているドアを通って家のなかへゆっくりと身体を押しこんだ。そして、Kは身を包んでいく雪のなかにただひとりになっていた。

「もしおれがただ偶然、そしてこうしようというつもりでなくここに立っているのなら、ちょっとばかり絶望するところだな」と、そんなことが彼の頭に思い浮かんだ。

そのとき、左手の小屋でちっぽけな窓が開いた。閉まっているときは、それは濃い青色に見えていた。おそらく雪の反射を受けていたからだろう。あんまりちっぽけなので、開かれた今となると、のぞいている者の顔の全体は見えず、眼だけが見えた。老人の褐色の眼だった。

「あそこに立っているよ」と、ふるえるような女の声がいうのをKは聞いた。

「あれは測量技師だよ」と、男の声がいった。それから男のほうが窓のそばに出てきて、それほどぶっきらぼうにではなくKに問いかけてきたが、自分の家の前の通りで起こることは万事きちんとしていることが大切だ、というような調子だった。

「だれを待っているのかね?」

「乗せてくれるそりを待っているんだ」と、Kはいった。

「ここにはそりはきませんよ」と、男はいった。「ここには乗りものは通りませんよ」

「だって、これは城へ通じる道じゃないか」と、Kは異論を挾んだ。

「なに、それでも」と、男はある頑固さをもっていった。「ここには乗りものは通りませんよ」

それから二人は沈黙した。だが、男は何か考えているらしかった。というのは、煙の流れ出てくる窓をまだ開け放しのままにしているのだった。

「ひどい道だ」と、Kは男に助け舟を出すようにいった。しかし、男はただこういうだけだった。

「むろんそうでさあ」

だが、しばらくして男はいった。

「お望みならば、わしがあんたをわしのそりでつれていってあげるがね」

「どうかそうしてくれないか」と、Kは悦んでいった。「いくらくれろというんだね」

「一文もいらないよ」と、男がいう。

Kはひどく不思議に思った。

「なにしろあんたは測量技師だからな」と、男は説明するようにいった。「で、お城の人というわけさ。ところで、どこへいきなさるのかね?」

「城へだよ」と、Kはすぐに答えた。

「それじゃあ、いかないよ」と、男はすぐさまいった。

「でも、私は城の者だよ」と、Kは男自身の言葉をくり返していった。

「そうかもしれないが」と、男は拒絶するようにいった。

「それじゃあ、宿屋へつれていってくれないか」と、Kはいった。

「いいとも」と、男がいった。「すぐそりをもってくるよ」

こうしたすべては、かくべつ親切だという印象を与えるものではなく、むしろ、Kをこの家の前の広場から追っ払ってしまおうという、一種のひどく利己的で小心な、そしてほとんどひどくこだわっているような努力をしているのだ、という印象を与えるものであった。

庭の門が開き、弱そうな小馬に引かれた、座席などはない、まっ平らな、軽い荷物用の小さなそりが出てきた。そのあとから男が出てきたが、腰をかがめ、よわよわしそうで、びっこをひき、痩せた、赤い、鼻風邪をひいたような顔をしていた。その顔は、頭のまわりにしっかと巻いた毛のショールのために、かくべつ小さく見えた。男は明らかに病気で、ただKを追い払うことができるようにというので、出てきたのだった。Kはそんな見当のことをいってみたが、男は手を振って押しとどめた。この男が馭者のゲルステッカーという者であり、この乗り心持の悪いそりをもってきたのは、ちょうどこれが用意されていたからで、ほかのそりを引き出すのならばあまりに時間がかかっただろう、ということだけをKは聞かされた。

「おかけなさい」と、男はいって、鞭でうしろのそりを示した。

「君と並んで坐ろう」と、Kはいった。

「わしは歩くよ」と、ゲルステッカーがいった。

「いったいなぜだい?」と、Kはたずねた。

「わしは歩くよ」と、ゲルステッカーはまた同じ言葉をいい、咳の発作を起こした。発作のために身体がひどくふるえるので、足を雪のなかにふん張り、両手でそりのへりにつかまらないでいられなかった。Kはそれ以上一こともいわないで、うしろのそりに腰を下ろした。咳はおもむろに鎮まり、二人は出かけた。

Kが今日のうちにいけると思ったあの上のほうの城は、すでに奇妙に暗くなっていたが、またもや遠ざかっていった。しばしの別れのためにKに合図をしなければならぬとでもいうかのように、城では鐘の音が、悦ばしげに羽ばたくような調子で鳴りわたった。胸が漠然と慕っているものの実現するのが近そうなことを告げるかのように、――というのは、その響きは胸に痛みをおぼえさせるのだった――少なくとも一瞬のあいだは胸をゆするような鐘の音であった。しかし、まもなくこの大きな鐘の音も沈黙して、別な弱い単調な小さな鐘の音にとってかわられた。その鐘の音は、おそらくやはり上のほうからくるのだろうが、おそらくもう村に入ったあたりで鳴っているのであった。もちろん、この鐘の響きのほうが、のろのろしたそりの歩みと、見すぼらしいが頑固でもあるこの馭者とに、いっそうぴったりするものだった。

「君」と、Kは突然叫んだ。――彼らはもう教会のそばまできていて、宿屋へいく道ももはや遠くはなかったので、Kは今は何かいってみることもできるのだった――「君が自分の責任であえて私を乗せてくれるとは、どうも驚いたことだね。そんなことをやっていいのかね?」

ゲルステッカーは、その言葉を気にもとめずに、小馬と並んで静かに歩みつづけていった。

「おい!」と、Kはそりの上でいくらかの雪を丸め、それをゲルステッカーの耳へ命中させた。すると相手は立ちどまり、振り向いた。だが、Kは男をこう身近かにながめると――そりは少しばかり前方へ進んでいたからだ――この腰のかがんだ、いわば虐待されている姿、赤い、疲れた、痩せこけた顔、一方は平らで、一方は落ちくぼんだ、なんとなく不ぞろいな両頬、二、三本のまばらな歯だけが残っている、もの問いたげにぽかんと開けた口、そうしたすべてを身近かにながめると、Kはさっきは悪意からいったことを、今度は同情の気持からくり返さないではいられなかった。つまり、Kを運んだことで、ゲルステッカーが罰せられることがないだろうか、ときかないでいられなかったのだ。

「なんだっていうんです?」と、ゲルステッカーはわけもわからずにきいたが、それ以上Kの説明は期待しないで小馬に声をかけた。そして、彼ら二人は先へ進んでいった。

Chapter 1 of 24