四
西町奉行荒尾但馬守が、江戸表から着任するといふので、三十騎の與力は、非番の同心を連れて、先例の通り守口まで出迎へた。師走の中頃で、淀川堤には冬枯れの草が羊の毛のやうでところ/″\に圓く燒いた痕が黒く見えてゐた。
戲れに枯草へ火を移した子供等は、遙かに見える大勢の武士の姿に恐れて、周章てながら火を消さうと、青松葉の枝で叩くやら、燃えてゐる草の上へ轉がるやらして、頻りに騷いでゐた。青い水の上には、三十石船がゆつたりと浮んで、晴れた冬空の弱い日光を、舳から艫へいツぱいに受けてゐた。
伏見から京街道を駕籠で下つて來た但馬守が、守口で駕籠をとゞめ、靜かに出迎への與力等の前に現はれたのを見ると眞岡木綿の紋付きに小倉の袴を穿いてゐた。何處の田舍武士かと言つたやうな、其の粗末な姿を見て、羽二重づくめの與力どもは、あつと驚いた。
與力の中でも、盜賊方と地方とは、實入りが多いといふことを、公然の祕密にしてゐるだけあつて、其の裝ひでもまた一際目立つて美々しかつた。羽二重の小袖羽織に茶宇の袴、それはまだ驚くに足りないとして、細身の大小は、拵へだけに四百兩からもかけたのを帶してゐた。鐺に嵌めた分の厚い黄金が燦然として、冬の日に輝いた。それを但馬守に見られるのが心苦しさに地方の與力何某は、猫に紙袋を被せた如く後退りして、脇差しの目貫の上り龍下り龍の野金は、扇子を翳して掩ひ隱した。
『遠方までわざ/\出迎へを受けて、大儀であつた。何分新役のことだから、萬事宜しく頼む。しかしかうして、奉行となつて見れば、各々與力同心は、余の子のやうに思ふ。子だから可愛いが、いけないことがあると叱りもすれば勘當もする。事によつたら殺すかも知れない。各々も知つてゐるだらう、御城與力や同心は、御城代へ勤役中預けおく、といふ上意だが、町奉行へは與力同心を勤役中下されおくといふ上意になつて居る。御城與力は、御城代の預り物だが町奉行は與力同心を貰つたのだ。詰まり各々は今日から、この但馬の貰ひ物だ。貰ひ物だから、活かさうと殺さうと但馬の勝手だ。其處をよく辨へて、正しく働いて貰ひたい。爪の垢ほどでも、不正があつたら、この但馬は決して默つてゐない。』
堤の枯草の上に立つて、但馬守は大きな聲で新任の挨拶に兼ねて一場の訓示演説をした。其の演説に少しも耳を痛めないで聽くことの出來た者は、多くの與力同心中で殆んど一人もなかつた。
『此地の與力は皆な贅澤だと、かね/″\聞いてゐたが、しかしこれほどだとは思はなかつた。お蔭で但馬、歌舞伎役者の座頭にでもなつたやうな氣がする。』と、ひどい厭味を言つた時は、與力どもが皆な冷汗に仕立ておろしの襦袢の胴を濡らした。
かうして、但馬守は敵地にでも乘り込むやうにして、奉行役宅へ入つたのであつた。
天滿與力はそれから急に木綿ものの衣類を仕立てさせるやら、大小の拵へを變へるやら、ごた/\と大騷ぎをしたが、但馬守の眼は、キラ/\と常に彼等の上に光つて、彼等は眩しさに尻込みばかりしてゐた。
但馬守は先づ與力どもを威かし付けて置いて、それから町家の上に眼を配つた。すると其處には、あらゆる腐敗が、鼻持ちもならぬまでにどろ/\と、膿汁のやうな臭氣を八方に流してゐた。其の中で、内安堂寺町に住む町醫の中田玄竹だけが、ひどく氣に入つて、但馬守の心は玄竹の圓い頭を見なければ、決して動くことがなくなつた。
但馬守が玄竹を愛したのは、玄竹が岡部美濃守の頓死を披露するに最も必要な診斷書を、何の求むるところもなく、淡白に書き與へたといふ心の潔白を知つたのが第一の原因である。それから、但馬守が着任して間もなく、或るところで變死人があつた時、其の土地の關係で、但馬守の配下の與力と、近衞關白家の役人ともう一ヶ所何處かの代官の何かの組下と、かう三人揃はなければ、檢死は行はれない事情があつて、死體は菰包みのまゝ十日近くも轉がしてあつた。それで其の一町四方は晝間も戸を締めたといふほど、ひどい臭氣が、其の頃の腐つた人間の心のやうに、風に吹かれて飛び散つた。
漸く三組の役人の顏が揃うて、いざ檢死といふ時、醫師として中田玄竹が出張することになつた。流石に職掌柄とて玄竹は少しも死體の臭氣を感じない風で、菰の下の腐肉を細かに檢案した。
『もういゝ加減でよいではないか。』
近衞家の京武士は、綺麗な扇で、のツぺりした顏を掩ひつゝ、片手で鼻を摘まんで、三間も離れたところから、鼻聲を出した。
『もうよい分つた。』と、但馬守配下の與力も言つた。
『ひどい蛆だなア。』と、一番近く寄つた某家の武士の側からでも、死體まではまだ一間半ばかりの距離があつた。
『もつと近うお寄りなさい。それで檢死の役目は濟みますか。』と言ひ/\、玄竹は腐つた死體を右に左に、幾度もひつくりかへした。皮が破れ、肉が爛れて、膿汁のやうなものが、どろ/\してゐた。内臟はまるで松魚の酒盜の如く、掻き廻されて、ぽかんと開いた脇腹の創口から流れ出してゐた。死體が玄竹の手で動かさるゝ度に、臭氣は一層強く、人々の鼻を襲うた。
『やアたまらん。』と、京武士は更に一二間も後退りした。
『もツと側へ寄つて、ほんたうに檢死をなさらんと、玄竹檢案書を認めませんぞ。』と、玄竹は大きな聲を出した。其の聲は遠くから、鼻を摘まみつゝ檢死の模樣を見たがつてゐる群衆の耳まで響くほど高かつた。
三人の武士は仕かたなしに、左右を顧みつゝ、少しづつ死體の側に近寄つて來た。玄竹は町醫であるけれども、夙に京都の方へ手を廻して、嵯峨御所御抱への資格を取り、醫道修業の爲めに其の地に遣はすといふ書付に、御所の印の据わつたのを持つてゐるから、平生は一本きり帶してゐないけれども、二本帶して歩く資格を有つてゐて、與力や京武士の後へ廻らなくてもいいだけの地位になつた。
『まるで、今の世の中を見るやうに上も下も、すつかり腐つて居りますぞ。臭いもの身知らずとやら、この死骸よりは今の世の中全體の方が臭氣はひどい。この死骸の腐り加減ぐらゐは今の世の中の腐りかたに比べると何んでもござらん。』
玄竹は當てこすりのやうなことを言つて、更らに劇しく死體を動かした。三人の武士は、『ひやア。』と叫んで、また逃げ出した。――
この話を但馬守が、與力から聞いて、一層玄竹が好きになつたのであつた。それからもう一つ、玄竹が但馬守を喜ばせた逸話がある。