五
其の春、攝州多田院に開帳があつて、玄竹は病家の隙を見た上、一日其の參詣に行きたいと思つてゐた。ところが丁度玄竹に取つて幸ひなことには、多田院別當英堂和尚が病氣になつて、開帳中のことだから、早く本復させないと困るといふので、玄竹のところへ見舞を求むる別人が來た。其の前年の八月、英堂和尚が南都西大寺から多田院への歸りがけに、疝氣に惱んで、玄竹の診察を受けたことがあるので、一度きりではあるが、玄竹は英堂和尚と相識の仲であつた。それで直ぐ準備をして、下男に藥箱を擔がせ、多田院からの迎への者を先きに立てて、玄竹はぶら/\と北野から能勢街道を池田の方へ歩いた。
駕籠に乘つて行かうかと思つたけれど、それも大層だし、長閑な春日和を、麥畑の上に舞ふ雲雀の唄を聽きつゝ、久し振りで旅人らしい脚絆の足を運ぶのも面白からう、何んの六里ぐらゐの田舍路を、長袖の足にも肉刺の出來ることはあるまいと思つて、玄竹は殆んど二十年振りで草鞋を穿いたのであつた。
北野を出はづれると、麥畑の青い中に、菜の花の黄色いのと、蓮華草の花の紅いのとが、野面を三色の染め分けにして其の美しさは得も言はれなかつた。始終人間の作つた都會の中ばかりを駕籠で往來してゐた玄竹が、神の作つた田舍の氣を心ゆくまで吸つた時は、ほんたうの人間といふものがこれであるかと考へた。駕籠なんぞに窮屈な思ひをして乘つてゐるよりは、輕い塵埃の立つ野路をば、薄墨に霞んだ五月山の麓を目當てに歩いてゐた方が、どんなに樂しみか知れなかつた。
左の方には、六甲の連山が、春の光りに輝いて、ところ/″\赤く禿げた姿は、そんなに霞んでもゐなかつた。十三、三國と川を二つ越して、服部の天神に參詣し、鳥居前の茶店に息んだ上、またぼつ/\と出かけた。
玄竹の藥箱は可なり重いものであつた。これは玉造の稻荷の祭禮に御輿擔いだ町の若い衆がひどい怪我をした時玄竹が療治をしてやつたお禮に貰つたものであつた。療治の報酬に藥箱の進物といふのは、少し變だが、本道のほかに外療も巧者の玄竹は、若い者の怪我を十針ほども縫つて、絲に絡んだ血腥いものを、自分の口で嘗め取るといふやうな苦勞までして、漸く癒してやつた其の禮が、たつた五兩であつたのには、一寸一兩の規定にして、餘りに輕少だと、流石淡白な玄竹も少し怒つて、其の五兩を突き返した。すると、先方では大に恐縮して、いろ/\相談の末、或る名高い針醫が亡つて、其の藥箱の不用になつてゐたのを買ひ取り、それを療法の禮として贈つて來たのが、この藥箱で、見事な彫刻がしてあつて、銀金具の厚いのが打つてあつた。
五月山の木が一本々々數へられるやうになると、池田の町は直ぐ長い坂の下に見おろされた。此處からはもう多田院へ一里、開帳の賑ひは、この小都會をもざわつかしてゐた。朝六つ半に立つてから、老人の足だから、池田へ着いた時は、もう八つであつた。おくれた中食をして、またぽつ/\と、馬も通ひにくい路を、川に添つて山奧へと進んで行つた。今まで前面に見てゐた五月山の裏を、これからは後方に振りかへるやうになつた。美しい瀬を立てて、玉のやうな礫をおもしに、獸の皮の白く晒されたのが浸してある山川に沿うて行くと、山の奧にまた山があつた。權山といふ峠は、低いながらも、老人にはだいぶ喘いで越さねばならなかつた。峠の頂上からは、多田院の開帳の太鼓の音が聞えて、大幟が松並木の奧に、白く上の方だけ見せてゐた。峠を下ると『多田御社道』の石標が麥畑の畦に立つて、其處を曲れば、路はまた山川の美しい水に石崖の裾を洗はれてゐた。川に附いて路はまた曲つた。小さな土橋が一つ、小川が山川へ注ぐところに架つてゐた。山川には橋がなくて、香魚の棲みさうな水が、京の鴨川のやうに、あれと同じくらゐの幅で、淺くちよろ/\と流れてゐた。正面にはもう多田院の馬場先きの松並木が枝を重ねて、ずうつと奧へ深くつゞいてゐるのが見えた。松並木の入口のところに、川を背にして、殺生禁斷の碑が立つてゐた。松並木の路は流石に廣くつて、松も可なりに太く老いてゐた。
參詣の老若男女は、ぞろ/\と、織るやうに松並木の路を往來して、袋に入つた飴や、紙で拵へた旗のやうなものが、子供の手にも大人の手にもあつた。太鼓の音に混つて、ひゆう/\と笛の音らしいものも、だん/\間近に聞えて來た。
松並木が盡きると、石だたみのだら/\坂があつて、其の邊から兩側に茶店が並んでゐた。『君勇』とか『秀香』とか、都の歌妓の名を染めた茶色の短い暖簾が、軒に懸け渡されて、緋毛氈の床几を背後に、赤前垂の女が、甲高い聲を絞つてゐた。
『お掛けやす、お入りやす、息んでおいでやす。』
『御門内はお腰の物が許りません。お腰の物をお預りいたします。』
おちよぼ口にお鐵漿の黒い女は、玄竹の脇差しを見て、かう言ひながら、赤い襷がけのまゝで、白い手を出した。『えらい權式ぢやなア。』と思ひながら、玄竹は腰差しを預けようとすると、多田院から來た迎への男が手を振つて、『よろしい/\。』と言つた。
『あゝ、御寺内のお客さんだつかいな。孫右衞門さん、御苦勞はん。』と、茶店の女は愛嬌を振り撒いた。
東の門から入つて、露店と參詣人との雜沓する中を、葵の紋の幕に威勢を見せた八足門の前まで行くと、向うから群衆を押し分けて、脊の高い武士がやつて來た。物を言つたことはないが、顏だけは覺えてゐる天滿與力の何某であることを玄竹は知つてゐた。この天滿與力は町人から袖の下を取るのに妙を得てゐる形だけの偉丈夫であつた。新任の奉行の眼が光るので、膝元では綿服しか着られない不平を紛らしに、こんなところへ、黒羽二重に茶宇の袴といふりゆうとした姿で在所のものを威かしに來たのだと思はれたが、多田院は日光に次ぐ徳川家の靈廟で、源氏の祖先が祀つてあるから、僅か五百石の御朱印地でも、大名に勝る威勢があるから天滿與力も幅が利かなかつた。
黄金作りの大小を門前の茶店で取り上げられて、丸腰になつたのを不平に思ふ風で、人を突き退けながらやつて來た其の天滿與力は、玄竹が脇差しを帶してゐるのを見て、怪しからんといふ風で、一層ひどく人を突き退けながら南の門の方へ出て行つた。
『馬鹿ツ。』と、玄竹は與力の後姿を振りかへつて獨言をした。
鷹尾山法華三昧寺多田院と言つても、本殿と拜殿とは神社風で、兩部になつてゐた。玄竹は本殿に昇つて、開帳中の滿仲公の馬上姿の武裝した木像を拜し、これから別當所へ行つて、英堂和尚の老體を診察した。病氣は矢張り疝癪の重つたのであつた。早速藥を調合し、土地の醫者に方劑を授けたが、其の夜玄竹は、塔頭の梅の坊といふのへ案内されて、精進料理の饗應を受け、下男とともに一泊して、翌朝歸ることになつた。五百石でも別當はこの土地の領主で、御前と呼ばれてゐた。其の下に代官があつて、領所三ヶ村の政治を執つてゐた。
其の夜、天滿與力の何某が、門前の旅籠屋に泊り、大醉して亂暴し、拔刀で戸障子を切り破つたが、多田院の寺武士は劍術を知らないので、取り押へに行くことも出來なかつたといふ話を、玄竹は翌朝聞いて齒痒く思つた。
翌日は別當の好意で、玄竹は藥箱を葵の紋の附いた兩掛けに納め、『多田院御用』の札を、兩掛けの前の方の蓋に立てて貰つた。さうして下男には、菱形の四角へ『多』の字の合印しの附いた法被を着せてくれた。兩掛けの一方には藥箱を納め、他の一方には土産物が入つてゐた。少し重いけれど、かうして歩けば途中が威張れて安全だといふので、下男は勇み立つて歩き出した。成るほど葵の紋と『多田院御用』の木札は、行き逢ふ人々に皆々路を讓らせた。大名の行列が來ても、五分々々に通れるといふほどの權威のあるものに、玄竹の藥箱は出世した。
岡町で中食をして、三國から十三の渡しに差しかゝつた時は、もう七つ頃であつた。渡船が込み合つてゐるので、玄竹は路の片脇へ寄つて、待つてゐた。この次ぎには舟が空くだらう、どうせ日いつぱいには歸れまいから、ゆつくりして行かうと、下男にさう言つて、煙草をくゆらしてゐると、いつぱい人を乘せて、もう岸から二間ほども出かゝつた渡船をば、『こら待て、待て。』と、呼び留めながら、駈けて來たのは、昨日多田院で見た天滿與力の、形だけは偉丈夫然とした何某であつた。
武士に呼び留められたので、船頭は不承々々に舟を漕ぎ戻した。こぼれるほどに乘つた客は行商の町人、野ら歸りの百姓、乳呑兒を抱へた町家の女房、幼い弟の手を引いた町娘なぞで、一度出かゝつた舟が、大きな武士の爲めに後戻りさせられたのを、不平に思ふ顏色は、舟いつぱいに溢れてゐた。
天滿與力は、渡船を呼び戻してみたけれど、殆んど片足を蹈み込む餘地もないので、腹立たし氣に舌打ちして、汀に突つ立つてゐたが、やがて高く、虎が吼えるやうに聲を張り上げると、
『上れ、上れ。百姓町人、同船ならん。』と、居丈高になつた。
さう言はれると、弱い者どもは強い者の命に服從するよりほかはなかつた。腹立たし氣な顏をしたものや、ベソを掻いたものや、怖さうにおど/\したものなぞが、前後してぞろ/\と舟から陸へ上つた。母に抱かれた嬰兒の泣く聲は、殊に哀れな響を川風に傳へた。
空になつた渡船へ、天滿與力は肩をいからして乘つた。六甲山に沈まうとする西日が、きら/\と彼れの兩刀の目貫を光らしてゐた。
船頭は憎々しさうに、武士の後姿を見詰めながら、舟を漕ぎ出した。
舟がまた一間半ばかり岸を離れた時、玄竹は下男を促して兩掛けを擔がせ、大急ぎで岸へ駈け付けて、
『待て、待て。其の舟待て。』と、高く叫んだ。
墨黒々と書かれた『多田院御用』の木札を立てて來られると、船頭はまた舟を返さないわけに行かなかつた。天滿與力は面を膨らしつゝ、矢張り『多田院御用』の五文字に膨れた面を射られて、うんともすつとも言はずに、雪駄穿きの足を舟から岸へ跨がないではゐられなかつた。‥‥さうして葵の紋の附いた兩掛けに目禮して、片脇へ寄つてゐなければならなかつた。
玄竹は意氣揚々と、舟の眞ん中へ『多田院御用』の兩掛けを据ゑて、下男と二人それを守護する位置に跪いた。船頭が棹を取りなほして舟を出さうとするのを、玄竹は、『あゝ、こら、待て/\。』と止めて、
『同船許す、みんな乘れ。』と、天滿與力に舟から引きおろされた百姓町人の群に向つて聲をかけた。いづれも嬉しさうにして、舟へ近付いて來るのを、突き退けるやうにして、天滿與力は眞つ先きに舟へ、雪駄の足を跨ぎ込んだ。其の途端、玄竹はいつにない雷のやうに高聲で、叱した。
『武士、同船ならん。』
天滿與力は、太い棒か何かで胸でも突かれたやうに、よろ/\としながら、無念氣に玄竹の坊主頭を睨み付けたが、『多田院御用』の五文字は、惡魔除けの御符の如く、彼れを壓し付けて動かさなかつた。玄竹の高い聲に驚いて、百姓町人の群れまでが、後退りするのを、玄竹は優しく見やつて、
『百姓乘れ、町人乘れ、同船許す。』と、手招きした。天滿與力がすご/\と船から出るのに、ざまア見ろと言はぬばかりの樣子で摺れちがつて、百姓町人はどや/\と舟に乘つて來た。
鈴生りに人を乘せた舟が、對岸に着くまで、口惜しさうにして突つ立つた天滿與力の、大きな赤い顏が、西日に映つて一層赤く彼方の岸に見えてゐた。――
この與力は間もなく、但馬守から閉門を命ぜられた擧句に、切腹してしまつた。其の咎の箇條の中には、多田院御用の立札に無禮があつたといふ件もあつた。