Chapter 1 of 7

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浅間山

岸田國士

浅間山の麓

萱の密生した広漠たる原野の中に、白樺、落葉松などの疎林が点在し、土地を区劃するための道路が、焼石の地肌をみせて縦横に延びてゐる。

緩やかな斜面に沿つて、粗末な小舎が一棟。斜面の尽きるあたりに、水量の乏しい渓流。温泉鑿掘のための櫓が、その岸に立つてゐる。

この物語の中に現れる人物

丹羽州太

同 二葉   その娘

時田思文   郵便局長

同 則子   その娘

小瀬川とね  州太の同棲してゐる女

新井 務   州太の助手

菰原献作   人夫頭

青木利元   二葉の婚約者

郵便配達夫

その他人夫大勢

五月の末――昼すぎ。

小舎の入口。

正面のテラスに、籐椅子が一脚出してあり、窓越しに事務所風の部屋の内部が見える。

郵便局長時田思文(五十三)が自転車を押しながら現れる。テラスに上り、窓から部屋の中をのぞきこむ。

時田  なんだ、だあれもゐないのか。(入口の戸を開け)おとねさん、みんな留守かい。(返事がないので、一つ時躊躇してゐるが、やがて、テラスの上を歩きまはる。急に女の声色を真似て)おや、お珍しい。昨夜もあんたのお噂をしてたところですよ。(椅子にかけ、調子を変へ)わしの噂をかね。(苦りきつて)ちえツ! それがお世辞かい。(窓の中に、さも誰かゐて、それに話しかけるやうに)時に、大将、温泉の方はどうです。ちつとは、熱い湯が出ますかい。出る。よろしい。わしも、五百坪ばかり、土地を分けといて貰はうかな。坪弐円として、十円づゝの月賦ならよからう。

入口の窓が開く。小瀬川とね(三十二)が顔を出す。

とね  おや、お珍しい。何時いらしつたの。時田  わしが来る時は、みんなどつかへ隠れてるのかね。とね  あんた、お一人……? 変だね。今、話声が聞えたと思つたけれど、耳のせいか知ら……。こゝへ来てから、よくそんなことがあるんですよ。静かすぎるからでせうね。時田  静かすぎる、それやほんとだ。山鳩の声にでも返事をするつていふのがこの土地の笑ひ話だ。お前さんも、よく辛棒をするぢやないか。とね  決心ひとつですね。まあ、中へはひつて一服お喫ひなさいまし。時田  今日はまた忙しいだらう。二葉さんは、やつぱり二時の下りかね。とね  よく御存じですね。時田  郵便局をやつとつて、そんなことがわからんでどうする。おい、変な顔色するもんぢやない。中は見ないだつて、手紙の来かたでわかるよ。からだの具合でも悪いのかな。とね  さあ、どうですか。時田  かう云つちやなんだが、お前さんからすれや、ちつと具合が悪いな。娘さんの手前、万事、今迄通りつていふわけにも行くまい。大将はどうするつもりか知ら……。とね  あたしや、どうだつていゝんですよ。ゐてわるけれや、帰るとこぐらゐあるんですから……。時田  それやさうさ。待つてる人だつてあらうさ。小諸のおとねさんつて云や、わしや、子供の時から名前を聞かされてゐたよ。とね  (笑つて)さうですか。(しんみり)今の若い人には、丸つきり、かういふ苦労はわからないでせうからね。(間)旦那は、この間うちから、二葉二葉つて、それや大変なんですよ。(間)その娘さんつていふ人が、家ん中をやつてくれさへすれや、あたしは、まあ、用のないからだですもの。時田  (わざと素気なく)そこんところは、わしどもにやわからん。とね  なんか急ぎの御用ぢやないんですか。時田  ゐどころはわかつてるのかい。とね  川下に、また新しく湯の出るところがみつかつたらしいんですよ。今日は、そこでせうと思ひます。時田  今掘つてるところは駄目かね。とね  その日その日で、わからないんですよ。雲をつかむやうな話ですわ。時田  この夏までにや、なんとかしたいもんだがなあ。とね  二葉さんつていふのは、随分、しつかりした娘さんらしいですね。時田  らしいね。とね  写真でみると器量もいゝし……。時田  うちの娘も会ひたがつてるつて、さう云つておくれよ。なにしろ、こんなところで、友達はなし、お互、話相手にはなるだらう。とね  ほんとに、お宅のお嬢さんもお気の毒ですわね。時田  なに、あれはあれでいゝのさ。子供がゐれば、亭主に死なれても、存外平気なもんだね。たゞ東京へだけは、もう一度出てみたいつて云つてるよ。どうにもならん話だがね。

この時、丹羽州太(五十)が、四五人の男を従へて帰つて来る。

州太  時田さん、今度こそ掘り当てたよ。時田  はあ。州太  地下三尺で、もう三十八度といふ温度です。その辺の砂は、硫黄の結晶で真黄色だ。川の水からは湯気が立つて、魚があふ向けになつて浮いてるですよ。時田  この前もさうだつたね。州太  いや。この前のところなんか、硫黄の分量だけでも比較にならない。(男の一人に)おい、新井、こゝへ砂を出してみせろ。

新井務(三十)は、空壜につめた砂を紙の上にひろげる。

州太  あ、さうさう。(時計を出してみて)献作、お前、早く荷馬車の支度をして、駅へ行つてくれ。急がんと間に合はんぞ。

菰原献作(四十五)は、麦藁帽を脱いで頭を下げる。それから、とねの方に近づき、

献作  そいぢや、車に敷く座蒲団をお貸しなすつて……。とね  痛いといけないから、二三枚持つてくといゝわ。(奥へはひる)州太  (時田に)どうです。見事でせう。時田  見事には見事だが、問題は、湯が出るか出ないかだ。まあ、しかし、希望はもてるね。州太  希望どころぢやない。これこそ事実といふやつです。(急に思ひ出して)おい、新井、昨日の杭打ちを続けてやれ。道路に添つたところを、みんな片づけろ。三人も連れて行けばいゝだらう。

新井は、そこにゐる男たちを連れて去る。とねが座蒲団をもつて出て来る。献作、それを受け取る。

献作  旦那はおいでになりませんか。州太  そんな暇はない。お前一人で大概わかるだらう。若い娘が、さう幾人もこんなところへ降りる筈がないよ。

献作去る。とねが、その後を見送る。

州太  おい、そんなところに立つてないで、早く、ビールでも出したらどうだ。とね  ビールはもうみんなになりましたけれど……サイダアぢやいけませんか?時田  わしはなんでも結構。(間)だが、どつちみち、この夏の間には合はないね。州太  (とねに)わしには水をいつぱい……。(とね去る)この夏は、まあ、土地を見せるだけにして置くんです。かういふ仕事は、あせつちやいかんです。なにしろ、もうちつと景気が出なけれや……。時田  おほきに……。だが、こいつは当てにならないしね。州太  それがですよ。温泉が出ると出ないとでは、大変な違ひですからね。なに、いよいよ温泉が出るつていふことになれや、これこそ、軽井沢と草津とを一と所に集めたやうなもんでせう。時田  軽井沢はとにかく、草津の湯つてものは、さう何処からでも出るもんぢやなしね。州太  さうですとも。これで、いろいろ計画をしてゐるんですが、日本で初めての試みとして、あの山のスロープを利用して、グライダアをやつてみようと思ふんです。時田  なんだね、それは……。州太  発動機無しの飛行機ですよ。夏のスポーツとしては絶好のもんです。時田  それもいゝが、先づ土地を売るんだね。そして、金持ちをうんと吸収しなさい。金持ちといふもんは、何かつていふと、手紙だ、電報だ。今の調子だと、切手代の上りが、県の三等局をひつくるめて、びりから二番目だよ。州太  どうも、困るのは、いろいろ逆宣伝をする奴がゐることです。浅間の爆発なんて、新聞も大袈裟に書きますからね。時田  それもさうだが、あんたと日疋さんとの間が面白くなくなつて、向うぢや、この土地へ金を注ぎ込むことに、そろそろ厭気がさし出してるつていふやうな噂を聞いたが、そんなことはあるまいね。州太  まあ、わたしからは、なんにも云はずに置きませう(暗い顔をする)人の金で仕事をする人間の苦労も察して下さい。

とねがサイダアを盆にのせて来る。

とね  どうです、中におはひりになつちや……。州太  出資者の日疋君にも、よくこの話はしてあるんですが、わたしも、これが自分の最後の仕事だと思つてゐますし、これから先十年、いくら金を儲けてみたところで知れてゐますからね。それより、幾分でも、特色のある事業として、世間にも認められるやうなことがしたいんです。時田  (とねに)そこへ置いといて下さい。勝手にいたゞくから……。(とね、窓の上に盆を置いて去る)金といふもんは儲けられるだけ儲けようとしなけりや、結局、損をすることになる。あんたの云ふことはよくわかるが、棄てる金があるんでなけりや、人のための仕事なんて、まあ、できつこないね。州太  それも理屈です。わたしは、これまで、いろんな仕事に手を出して、一つも、満足な結果を得てゐない。あせればあせるほど蹉跌だらけです。一生、金の後を追ひまはしてゐるやうなもんでした。これで、娘の将来さへ安心ができるやうにしておけば、あとは、世間の老人並に、花いぢりかなんかしてゐればいゝんです。時田  いやに悟つたやうなことを云ひなさるが、あんたの顔には、まだ、野心勃々と書いてある。山で云へば火山さ。油断はならないよ。州太  さうでせうか。(笑ひながら)まあしかし、さう見えても一向差支へはありませんがね。時田  雪平の上には、今年もまた五十軒から別荘が殖えるつてね。州太  法経大学村でせう、あそこのシステムもいゝにはいゝが、わたしはわたしのシステムでやりますよ。あれの真似をしたと思はれるのがいやですからね。時田  あ、さうさう、序だから、郵便を持つて来た。日疋さんからもなんかあつたつけ。(郵便物を渡す)州太  (いちいち裏返してみて、そのうちの一通を開封する)時田  日疋さんもしばらく見えないが、どうしてゐなさるか知ら……。州太  (それには答へず、黙読を続ける)時田  (手持ち無沙汰さうに立ち上り)おや、今日は、煙が丸で出てない。またひと暴れするんぢやないかな。州太  ……。時田  今年の山開きには、わしも久し振りで登つてみようと思つとるんだが……。州太  ……。時田  時に、この前頼んどいた石楠花は、まだ手にはひらんかね。州太  電報を一つ打ちたいんだが、帰りに頼みます。時田  日疋さんへかね。よろしい。文句だけ云ひなさい。住所はわかつとる。州太  ちよつと書きませう。時田  簡単なことなら覚えてるよ。「オンセンデタスグコイ」かね。州太  (黙つて部屋にはひり、頼信紙に文句を書きつけて、出て来る)時田  (受けとつて読む)――「キカイウツスヒトヨコセ」ツイデニ……ツイデニ……これやなんだね。あゝ、さうか、わかつた。なるほど、はたでみてるよりは、経費が大きいわけだね。(サイダアをコツプに注いで飲む)今日はね、丹羽さん、実は、あんたに少し頼みたいことがあつて来たんですがね。州太  わたしに……? はあ……。伺つてみませう。時田  なに、つまらんことなんだが、わしんとこの娘さ。御承知のやうな事情で、今、手許に置いてあるんだが、何時までもあのまゝぢや可哀想だし、なんとかせにやならんと思つとる。そこで、ひとつ、あんたは顔も広いし、そのうちに、心当りがあつたらどんなところでもいゝ、是非世話をしてやつていたゞけたらと、昨夜も婆さんと話し合つた次第だ。どうでせう、おやぢの口から云ふのも可笑しいが、誰がみても、二十八とはみえない若作りではあるし、子供さへこつちへ引取ることにすれば、初婚だと云つても疑ふものはなからうと思ふ。それはまあ、よろしいやうにお委せするとして、早い話が、日疋さんのやうな方でもだね、万一、奥さんを探してらつしやるなんていふ話があつたら、無駄でもいゝから、あんた、そばから、ひと言、耳打ちをして下さらんか。――うん、さうか、それや、却つて、さういふ女の方が面白い、なんていふことにならんとも限らんからね。あの方は、まだ独身だつたね。州太  独身になつたといふ話は聞きませんよ。時田  すると、もうなにかね。奥様がおいでかね。州太  まあ、さうのやうですね。時田  そいつは、しまつた。州太  自分の娘を片づけなけれやならん男が、余所の娘さんをお世話するなんていふことは、無論覚束ない芸当だとは思ひますが、しかしまた、伺つておいて、何かのお役に立つかも知れません。時田  いや、おほきに。こちらは別に、望みが高いといふわけでもないんだから、まあいゝが、あんたんとこの二葉さんは、そこへ行くと、大分、あゝでもなし、かうでもなしだらうな。州太  (黙つて時計を出して見る)時田  ――お父さん、今日は是非、二葉さんつていふ方を見て来て頂戴ねつて、わしんとこの娘、余程楽しみにしてると見えて、出かけにさう云ふんでね。もう少し、お邪魔をさして貰はう。おほかた、着いた時分だね。州太  (耳を澄まし)あの音がさうでせう。少し遅れましたね。時田  あんた、忙しけれや、どうぞわしにかまはずに……。州太  それぢや、ちよつと、失礼します。(部屋にはひり、卓子に向ふ)時田  (しばらくぢつとしてゐるが)わしも途中まで迎ひに行つてこう。(さう云ひながら自転車を引つ張つて去る)

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