Chapter 1 of 166

まへがき

「荒天吉日」とは、別にたしかな出典のある言葉ではなく、ふと思ひついて、こんな標題にしたのである。読んで字の如く、天気が悪くてしかも目出たい日といふ意味、いはゆる神風の吹く日などは、その最も著しい例であらう。

しかし、私は、この物語のなかで、決して神風そのものをあつかふ意思はない。たゞ、戦ふ日本の姿をぢつと見つめ、国民一人々々の希望と努力とを厳しく省みるとき、昔からいはれてゐる「艱難汝を玉にす」とか「苦は楽の種」とかいふやうな教訓ではもう間に合はぬ、もつと切迫した凄まじい叱咤の声を聞かねばならぬやうな気がするのである。

悪徳はもちろん赦し難い。けれども、悪徳が罰せられる話は私はじめ聞き飽きてゐるし、今は、戦時生活のその日その日を尊い試煉として、専心銃後の護りを固めようとしてゐる善良なある種の人々の上に、神意の如く一陣の嵐が捲き起つて、運命は彼等の欲する道を歩ましめず「感傷」と「理窟」が無残に吹き飛ばされて、そこにはじめて、彼等の力強い生活――即ちめでたき生活が創められるといふ話をしてみたい。

小説は、作り話ではあるが、決して、嘘の話であつてはならぬ。だから、実際はかうではないけれども、まあさういう風にいつておくのだ、といふ式の話ぐらゐ小説としてつまらぬものはない。現在の小説は、いくぶん啓蒙とか宣伝とかの役目をつとめなければならぬとされてゐるが、啓蒙も宣伝も真実を蔽ひ、嘘を伝へることではなく、私の信ずるところでは、国民が知らなければならぬことを十分に腹に入れさせることであると思ふ。

私は、飽くまでも、この小説がお説教にならないことを努めるつもりである。重大この上もない戦局を前にして、一篇の小説がどれほどお国の役に立つかと思ふと、つい身の引きしまるのを覚えるが小説家はたゞマジメな顔をしてゐればいゝといふやうなものではない。毎日の新聞の報道がどんなであらうと作者は予めそれを知る術はなく小説の一日一日は、時として野放図な笑ひを投げ、或はのんびりと男女の愛を語るであらう。このことだけは、どうかお許し願ひたい。作者の念願は、この厳粛な物語りが、全体を通じて戦ふ国民としての読者諸君の、いくぶん楽しい日常の話題となり得ることである。

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