第一場
宇治少佐の居間。――夕刻
従卒太田が軍用鞄の整理をしてゐる。
宇治少佐が和服姿で現はれる。
少佐。もう大概揃つたか。太田。はあ。少佐。家の者には会つとかんでもいゝのか。太田。…………。少佐。なんなら、此処で会つてもいゝぞ。お母さんに来るやうに云つたらどうだ。太田。駄目です。泣かれると却つて五月蠅いですから……。少佐。ぢや、もう、今日はいゝから、隊へ帰れ。明日はもう来なくつてもいゝ。馬丁を呼んでくれ。太田。はあ……(その辺を片づけて)では、帰ります。御判をどうぞ……(証明書に捺印したる後、一礼して起ち去る)少佐。あ、それから、副官に、今夜はもう用はないつて、さう云へ。太田。はあ。副官殿に、今夜はもう御用はないと申します。少佐。(腕を組んで、何事か考へ込む)
夫人現はる。
夫人。後のことは、ほんとに、御心配なさらないで……。少佐。心配してやしないさ。夫人。ぢや、何を考へていらつしやるの。少佐。何も考へてやしない。夫人。うそばつかし……(夫の顔を見つめてゐるが、いきなり、その膝に泣き伏す)少佐。(途方にくれて)おい、どうしたんだ。誰か来ると見つともないから、さ、ちやんとして……。(夫人が、からだを起すと同時に、馬丁友吉がおづおづ現れる。)少佐。や、御苦労……。もつと、こつちへはひれ。寝藁は、新しいのと更へたね。友吉。はあ。少佐。そこで、早速だが、お前の決心を聞きたいんだ。どうだ、一緒に行くか。友吉。…………。少佐。戦争に行けば、勿論、命はないものと覚悟をせにやならん。副馬の世話は、勿論馬卒にさせるが、正馬だけは、お前の受持だ。おれの行くところへは、何処へでもついて来るんだ。弾丸の下をくゞる元気があるか。(間)いや、元気があるなしの問題ぢやない。お前は軍人ぢやないんだから、戦争で死ぬ義務はないさ。戦争に行くのはいやだと云つたつて誰も何んとも云やしない。お前がゐてくれゝば、おれは助かる。あの馬は、お前にだけは馴れてゐるし、それに、あの通り手のかゝる馬で、一寸、初めての者には勝手がわからない。うつかりすると、取り返しのつかないことをされさうだが、それは、まあ、こつちの都合で、お前は、お前で、自分の都合を考へるがいゝ。(間)軍人の馬を預かつてゐれば、日頃こんな時の覚悟も、まあ、してるだらうと思ふが、念の為め、聞いて見るんだ。遠慮なく返事をしてくれ。友吉。…………。少佐。こつちへ残して行くものゝ世話は、勿論、引受ける。なんなら、万一の用心に生命保険ぐらゐついといてやつてもいゝ。友吉。…………。少佐。そのからだで、その年で、一体なら兵隊に取られてゐる筈なんだ。それを思や、戦争に行くのは当り前だ。なあ、さうぢやないか。友吉。…………。少佐。どうだ、一緒に行つてくれんか。人間どうせ一度は死ぬんだ。畳の上で死んでも一生は一生……。汽車に轢かれて死んでも一生は一生だ。国家の大事に、潔よく命を投げ出せば、それだけ、死花を咲かせることになるんだ。男子の本懐ぢやないか。夫人。ほんとにさうよ。あたしも、お前さんが旦那さまのお伴をしてくれゝば、どんなに気丈夫だか知れやしない、お神さんは、あたしが大事に預つてゝあげるわ。友吉。(頭を掻く)少佐。なあ、さうしろ。これから代りを見つけようたつて、大変だ。(間)給料は、倍にするし、お上からも手当は出る。(間)その上、無事に帰れば、従軍徽章も頂戴できるわけだ。こんな名誉なことはないぜ。夫人。それに、危いつたつて、普通の兵隊さん見たいなことはないんでせう。少佐。うん、それやまあ、いくらか安全さ。なに、命は大丈夫だよ。馬丁が戦争に出ることなんか殆どありやせん。さつき、あゝ云つたのは、一寸、おどかして見たまでさ。夫人。ね、さうでせう。だから、どう、折角旦那さまもあゝおつしやるんだから、お伴させて頂いたら……。友吉。(思つ切つて)ぢや、一つ、嬶に相談して見ます。少佐。(夫人の方をちらと見て)それがよからう。だが、お神さんは、お前、女だぜ。友吉。へえ。少佐。行く方がいゝか、行かない方がいゝか、さう聞けば、行かない方がいゝつて云ふにきまつてるだらう。(間)お前がかうと決心をして、おれは行くんだと云つてしまへば、それを行くなとは云ふまい。お前のお神さんも日本の女だらう。友吉。へえ。でも……。少佐。でも、なんだ。友吉。でも、一寸相談して見ませんと……。少佐。(笑ひながら)よし。お前の女房孝行は、今始まつたことぢやない。相談して見ろ、(間)あ、それより、今、おれが、こゝへ、お神を呼んで聞いて見てやらう。その方がいゝ。友吉。へえ。少佐。それでいゝか。友吉。(しかたがなく)へえ。
少佐は、夫人に眼くばせをする。夫人起つて奥に行く。
少佐。おれを見ろ、おれを……。おれは、誰にも相談なんかしやせんぞ。友吉。(困つて)へゝゝゝゝ。少佐。お前は、女房の云ふことなら、何んでも聞くか。友吉。(頭をかき)嬶は何時も、あたしのからだは、あんたのもの、その代り、あんたのからだは、あたしのものつて、さう申しますもんで……。少佐。馬鹿云へ。そんなら、主人はどうだ、主人は……。お前のからだは、主人のものぢやないのか。友吉。へえ、それやもう……そのつもりでをります。少佐。そんなら何も文句はないぢやないか。友吉。ですから、勤めの時間は、旦那さまのなんで……。少佐。さうでない時間は、女房のものだと云ふのか。友吉。まあ、さういふわけで……。少佐。さうすると、なるほど、女房の許可を得んけれや、戦争に連れて行くことは出来んわけだな。友吉。夜、こちらからお暇が出ますと、もう、あの部屋から外へ出ることさへやかましいんで……。少佐。果報者だよ、お前は……。(戯談のやうに)もつと、しつかりしろ、しつかり……。あゝ、もう、その面を見るのもいやになつた。
此の時、夫人が、友吉の妻、お種を伴つてはひつて来る。
お種、丁寧に会釈をする。
少佐。あらまし、話は聞いてるだらうが、こんど、日本と露西亜と戦争をすることになつたんだ。それについて、一つお前に相談があるんだが、聞いてくれんか。お種。そのお話なら、もう承らなくてもわかつてをります。宿は、お伴をいたし兼ねます。少佐。それや、どうして……。お種。別れるのがいやで御座います。少佐。そこを一つ……。お種。いえ、さきほどから、とつくり考へました。どうしても別れることはできません。友吉。お種……。お種。お前さんは黙つておいでなさい。この人がなんと申しませうと、わたくしが不承知で御座います。此の人は、戦争に行かなければならない人では御座いません。どうか、御連れ下さることは御勘弁を願ひます。兵隊に取られたのなら致方御座いません。さうでないものには、さうでないものゝ役目がある筈で御座います。いえ、たとひ兵隊に取られましても、戦争がいやならし方が御座いません。此の人は、戦争など出来る人ぢや御座いません。それや臆病なんで御座います。わたくしが睨んでさへ縮み上るんで御座います。鉄砲の音を聞いたら、それこそ、腰をぬかしませう。友吉。そんなことはないさ。お種。(叱るやうに)あんた。(間)今迄、かうして御厄介になつて置きながら、かういふ場合に、勝手なことを申して、さぞ恩知らず、人でなしと思召しませうが、こればかりは、御主人様のお為めを考へてはをられません。もつと、なんとか、お断りの致しやうも御座いませうけれど、なまじ、作り事を申し上げて、動きの取れない羽目になりましてもと存じまして、あからさまに申し上げます。どうか、これだけは、我儘をお許し下さいませ。お願ひで御座います。少佐。わかつた。それなら、たつてとは云ふまい。その代り、今日限り、主従の縁を切る。気の毒だが、他で仕事の口を見つけてくれ。友吉。…………。お種。致し方御座いません。その覚悟だけは致してをります。お許しさへあれば、宿は何処かで仕事を見つけ、わたくしは御留守宅で奥さまの御手伝でもと存じてをりましたが、それも御迷惑とあれば、二人ともお暇を頂きます。(間)では、旦那さま、御機嫌よろしう。おからだをおいとひ遊ばしますやう……。奥さまも、どうか、御気丈夫でいらつしやいますやうに……。また何か御用が御座いましたら、何時でも御使ひ下さいませ。さ、あなたも、御挨拶をなさい。友吉。(頭をさげる)お種。旦那さまに、立派なお手柄をお立て遊ばすやうにつて。さうおつしやい。友吉。(また頭を下げる)少佐。永々、御苦労だつた。個人として、充分感謝をする。(紙入れから紙幣を取り出し)これは少しだが、当分の生活費に……。お種。いえ、それは御辞退いたします。いろいろお物入のところ、それでは、あまり恐れ入ります。少しばかり、貯えも御座いますから、その御心配は御無用に願ひます。では、旦那さま、奥さま、御免遊ばせ。友吉。(小声にて妻に)明日の朝、鞍は、誰が置く。明日は早いんだぜ。お種。明日だけ、お前さんが来てしたらいゝでせう。少佐。いや、それには及ばん。おれが自分で置く。おれの馬には、そんな卑怯者の手で、出陣の鞍を置かせたくない。(憤然と起つて奥に去る)お種。(キツとなつて、少佐の後を見送る)夫人。種お前の気持は、あたしにはよくわかつてる。なんにも云はないで、今日は引取つておくれ。お種。(黙つてうつむく)
長い沈黙。
夫人。よく旦那さまの前で、あれだけのことが云へたね。お種。すみません。夫人。いゝえ、あたしはなんとも思つてやしないよ。お種。一生懸命で御座いました。たゞ、もう……。夫人。わかつてるよ。
長い沈黙。
お種。奥さま、もう、お目にはかゝりません。夫人。今は、まあ、さういふことにして置かう。旦那さまの立場から云へば、御無理もないのさ。お馬のことゝ云へば、普段から、何をほうつてもといふ方なんだから、頼りになすつてゐた友吉に、あゝ出られて見れば、がつかりなさるのも、まああたり前さ。それに、また、誰でも、自分たちのやうに、戦争があれば、お国の為めに命を投げ出すものと思つていらつしやるんだから、一人でも、男として、戦争に行きたくないと云ふものがあれば、その人の立場などは考へずにいきなり不都合呼ばはりをなさるつていふ始末なのさ。頑固一徹の軍人気質だと思つて、お前も、わるく取らないでおくれ。お種。飛んでもない……。夫人。お前は、それでも、主人一人の機嫌を損じたゞけで、夫の命を拾ふことが出来たわけだけれど、あたしなんか、どんなに騒いで見たところで、行くといふものを引止めるわけにいかないんだからね。お種。その代り、御名誉といふものが御座います。万一、どんなことがおありになつても、それだけの酬ひが御座います。わたくし共では、例へお国の為めと申しましたところで、そのお国が、目をかけてゐては下さいません。夫人。そんなことはないわ。お種。いえ、それだからと申すんでは御座いません。実際、夫に死なれて、そんな酬ひがなんになりませう。わたくしが、此の人と一緒になりましたのは、此の人が、陸軍の馬丁だからではないんで御座います。それに引きかへて、こちらの旦那さまのやうな、立派な御身分の方は、その御身分だけの気高い御心掛がある筈で御座います。そのお心掛けは、私共にはわかりません。通用いたしません。わたくし共に取りまして、名誉は紙屑と同じことで御座います。猫に小判と申しますが、全くその通りで御座います。奥さま、陸軍の馬丁が、死んで神さまに祀られると申せば、馬がきつと、鼻をふくらします。馬でなくつて、わたくしが、ふき出してしまひます。夫人。あたしだつて、なにも、うちの旦那さまが神さまに祀られることを、有がたいとは思つてやしないよ。お種。それは、まあ、さうで御座いませうけれど、こちらの旦那さまが、神さまにおなりになつても、人は不思議には思ひません。それだけ、平生から神様に近い方でいらつしやるんで御座いませう。何千人といふ人間が、今でも、旦那さまの前では、お辞儀をすることになつてゐるんで御座いますからね。夫人。それやまあ、さうだけれど……。お種。戦争と申せば、あれは、芝居のやうなもので御座いませう。舞台映えのする役者でないと、芝居が面白くは御座いません。こちらの旦那さまのやうに、勲章を沢山おつけになつて、長い剣をおもちになつて、立派な髭をお生やしになつてゐらつしやる方でないと、この人のやうに、不恰好な法被を着て、青いへちまのやうな顔をして、馬の口を取つてゐるんでは、見物が、「引込めツ、大根」と怒鳴ります。友吉。そんなこたあ、ねえさ……。お種。いえ、ほんとですとも……。なにも、そんなにしてまで、舞台へ出なくつてもよろしいぢや御座いませんか。夫人。うちの旦那さまは、ほんとに戦争がお好きなのか知ら。お種。お好きなればこそ、軍人におなりになつたんで御座いませう。夫人。さうか知ら……。お種。奥さまも、軍人さんがお好きなればこそ、旦那さまのところへお片づきになつたんで御座いませう。夫人。そればかりではなかつたけれど……。お種。それも御座いましたでせう。夫人。あの頃は夢中だつたからね。お種。恐れ入ります。おや、こんなお喋舌をしてよろしいんで御座いませうか。夫人。ほんとに……。ぢや、今日は兎に角、さういふことにして……。旦那さまがお出ましになつたら、また改めて、今後のことを相談することにしよう。お種。どうかよろしく。夫人。ぢや、折角の思召だから、これは、そつちへ収めておいたらいゝだらう。(紙幣を取り上げる)お種。どうしませう、あんた。友吉。(頭をかいてゐる)お種。頂いときませうか。友吉。そんなら、頂いとかう。少佐の声。(奥より)鈴子! 鈴子!夫人。はい、只今……。(奥に去る)友吉。(涙を拭き)おれにはやつぱり、旦那のお伴をした方がよくはねえか知ら……。お種。どうしてさ。友吉。世間の奴等に大きな顔が出来るやうな気がするんだ。お種。さうして?友吉。あれや、もと宇治少佐の馬丁で、戦争に行くのを怖わがつた男だつて云はれて見ろ。お種。あたしが、どうもなきや、それでいゝでせう。友吉。おれや、戦争は怖くはねえんだ。お種。だから、それでいゝぢやないの。(間)死ぬのが怖いんぢやないつていふ証拠なら、何時でも見せてやれるわ。友吉。(お種の顔を見る)お種。何も東京にゐなくつたつていゝんでせう。友吉。旦那にも済まねえつて気がするんだ。お種。あんたのからだは誰のものなの。友吉。お前のものさ。お種。それ御覧なさい。(友吉の手を取る)さ、早く、何処かへ行きませう。何処か遠い処へ……。大阪へ行かない。大阪なら、あたしの叔父さんがゐるわ。
――幕――