Chapter 1 of 10

Chapter 1

料理の話? 君、料理の話をしたってムダだよ。たとえば、かつおぶしでだしを取るとか、昆布でだしを取るとか言っても、かつおぶしにも昆布にも種類があり、良否があり、取り方にも口で言えないコツがある。竹内栖鳳は、門人に教えて、出来るだけ丁寧に写生をすること、それから出来るだけ筆を抜いて写生すること、それから後は「悟り」だと言ったそうだが、料理もつまり「悟り」だ。

砂糖は何匁、味酬どのくらい、と言ったって、そのコツが分るものではない。僕に言わせると、料理屋の料理は美味くないと言えるね。料理はせいぜい五人以下で味わうべきもので、ほんとう言うと、私がつくる、あなたが食う――つまり、さしで行かなければ、ほんとうには味わえない。

第一「味の素」なんか出来たのでいけない。なんの料理も「味の素」の味になってしまった。料理人気質のやつに言わせると、手前で味をつけられないでどうする、と言ったふうで、「味の素」なんか使わなかったものだが、この頃は誰でも「味の素」でごまかしてしまう。困ったものだね。

僕が料理を始めた動機かね。どちらかと言えば、料理は昔から好きだったね。美味い不味いが判る方だったらしく、子どもの時から家の食膳に上るものを、いつも批評していたらしく、美味いとか不味いとか言ってたらしいね。一度くらい黙って食べたらいいだろうと、よく母なんかに注意されたものだ。

料理屋に言わせても、塩さばの鑑定はむずかしいものだが、僕は子どもの時から、どれが美味い塩さばかすぐ判った。しかし、むろん料理屋になるつもりなんかなかった。

僕が若い頃、東京へ出て来て、岡本一平のお父さんに世話になったことがあるが、ある時、一平と僕を並べて、「お前たち金があったらどんな道楽をするね」と言われて、「陶器をいじってみたいと思います」と答えたのを覚えている。一平はこの時、「人間は一生の大半を寝て暮すのだから、布団だけは道楽したい」と答えた。そんなふうで、料理などは頭になかった。

星岡の由来? ウン、あれはネ、便利堂の中村竹四郎君が、仕事がないというので、僕も書画道楽だし、いっしょに東仲通りに美術店を開いた。大雅堂という店名のね。そのうち常連も出来て、毎日うなぎとかなんとか料理がはいる。僕は、ほんとうを言って、そんな料理は美味くないので、自分だけ、里芋のいいのがあるとこれを煮たり、なすのいいのを見つけて料理したり、塩じゃけを焼いたりして食べたものだ。さけはしっぽでないといい味はないものだ。すると、外の連中が見つけて、美味そうだな、俺にもひとつ、というようなことになり、そのうちに、料理屋の品よりこっちがいい、ひとつ料理方を受け持ってくれ、ということになったので、僕も好きなものだから、よろしい、とやることになった。そのうち、仲間だけで食べるのは惜しいから、「美食倶楽部」を拵えようじゃないかと、みなが言い出すようになった。じゃあ、一食二円ということになって、やっているうちに、その中のひとりが、江木衷は有名な食道楽だ、あの人にぜひひとつ食べさせてやりたい、二十円の膳部をつくってくれ、と言われた。二十円なんて料理をつくったことがないので、少しまごついたが、とにかくやって見ることになった。すると江木さんがよろこんでくれる。こんどは江木さんが食通を引っぱってくるという始末で、狭い東仲通りに自動車がたてこんで、巡査に注意される始末だった。

そこへ関東大地震、僕は地震で美味いものを封じられてしまった人々のためにと、本気になって、芝公園によしず張りの小さい「花の茶屋」という料亭を造った。「花の茶屋」がまた当たって、どこかへ、今少し大きな店を出したら、と言われているうちに、星岡の話があった。建築が気に入って、長尾半平という方の紹介で、藤田謙一氏から借り受けるようになって、あそこで商売することになったわけだ。

そんな経験から言うと、営利を離れなければ、ほんとうの料理の味はわからんね。

親身になって美味い料理をつくると、それにふさわしい食器をさがすのは人情だ。こういう食器の要求された三百年前の中国の料理は、おそらく、どこの料理よりも芸術的で、しかも、美味かったにちがいない。中国に食器らしい食器のなくなった現在、中国料理が、ただ油っ濃いだけの、味もなにもない不味いものになったのは当然だと思う。

なんでも楽しんで好きなことをやる。金を儲けようとか、やれこうやっては損だとか、なんてケチな考えでことをやっては、決して儲かるものでなし、人に認められるもんでもないね。東京のある一流のすしやが新橋にあるが、あそこの主人が赤貝のひもなど洗っている時、しゃあと手を動かし、「今日は市場にいいのがたった二十しかなかったんだが、いいね、さすがに」なんてひとりよろこびながら洗ってる。ああでなくては美味いものひとつだって出来っこないんだし、あれでちゃんと一流のすしやになりきるんだと思うね。

巷間ありふれた中国料理を是認してみたり、トンカツという大味なものを食って、なんのいぶかりもなく暮している今の日本人。茶道などというものには、およそ縁が遠い。困った日本になったものだ。

期せずして私が健康なのは、食べたい時に、食べたいものを適量に食べるということに尽きる。もちろんそのためには、自分の食欲を素直に感じる訓練がなくてはなるまい。「何が食べたいですか?」と訊ねられて、そのものズバリ即座に答えられるだけの食欲に対する忠実さと正直さである。次はまた、自然に対する素直さである。食べたい時に食べたいだけ……別にお昼のベルが鳴ったから、めしにしなければならぬというようなものではない。

山鳥のように素直でありたい。太陽が上がって目覚め、日が沈んで眠る山鳥のように……。この自然に対する素直さだけが美の発見者である。

早い話が、生活の根源である食物は、栄養知識の活用がなくてはならない。もっとも、その人の持って生まれた体質によって異なる如く、また、その人の従事している仕事によっても、年齢によっても、食べたい栄養物はちがって来るに相違ない。そこで、自分の食欲を素直に感じる必要が起こって来る。そこから思い思いの料理は塩梅される。

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