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愛ちやんの夢物語
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愛ちやんの夢物語
ルイス・キャロル
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Chapter 10 of 13

第九章  海龜の話

『まア、何といふ嬉しいことでせう、復た逢つたのねえ!』云つて公爵夫人は可愛さの餘り、腕と腕と觸れるばかりに摺寄つて、二人は一緒に歩いて行きました。

愛ちやんは、夫人が斯かる快活な氣性になつたのを見て甚だ喜び、あの厨房で出逢つた時に、夫人が彼に野蠻めいた事をしたのは、全く胡椒の所爲であつたのだと思ひました。『私が公爵夫人になつたら』と愛ちやんは獨語を云つて(甚だ得意な口振ではなかつたが)『全く厨房には胡椒を置かないことにしやう、肉汁にはそれが無くつても可いわ――屹度何時でも胡椒が人の氣を苛々させるに違ひない』と云ひ足して一つの新規則を發見したことを非常に喜びました、『が、酢ならば酸ッぱくなるし――カミツレ草ならば苦くするし――ト云つて――ト云つて砂糖やなどでは子供を甘やかして了うし。皆なが然う知つてれば可いけれども、然うすれば其に吝々しないだらうに、ねえ――』

愛ちやんは此時迄に、全く公爵夫人を忘れて了つてゐたので、耳元で夫人の聲を聞いた時には些しく驚きました。『何を考へてるの、え、話すことも何も忘れて了つてさ。私は今それについて徳義が何うの斯うのとは言はない、些しは知つてるけれども』

『全く知らないのでせう』と愛ちやんは思ひ切つて云ひました。

『でも、お前!』と公爵夫人は云つて、『何事でも徳義で持つてるのさ、よく氣をつけて御覽』夫人は尚ほも愛ちやんの傍へ近寄りました。

愛ちやんはそんなに近寄られるのを非常に厭がりました、第一、公爵夫人が甚だ醜い容貌でしたから、それから第二には、夫人が愛ちやんの肩の上に、其の可厭な尖つた頤を息める程、全く身長が高かつたものですから。それでも愛ちやんは粗暴な振舞を好みませんでしたから、出來るだけそれを耐へ忍んで居ました。『競技は今、些や好い工合に行つて居る』云つて愛ちやんは少しく談話を機ませやうとしました。

『さう』と云つて公爵夫人は、『それにも徳義がある――「それは、それは友愛です、それは友愛です、それは此世を圓滑にするところのものです!」』

『誰かゞ云つたわ』と愛ちやんはいて、『自分の稼業に忠實なものは誰でも成功する!』

『あア、さう!それは同じやうな事だ』と云つて公爵夫人は愛ちやんの肩に、其の尖つた小さなの滅込むほど力を入れて云ひ足しました、『それから其れの徳義は――」嗅官に注意をするのは、やがて其の音聲に注意をするのと同じことです」』

『まア、何事に依らず、徳義を見出すことの好きな人だこと!』と愛ちやんは思ひました。

『お前は、何故私がお前を抱かないかと、不思議に思つてるに違ひない』良久て公爵夫人は、『其の理由は、私がお前の紅鶴の性質を危ぶんでるからなの。一つ試して見やうかしら?』

『啄くわ』と、愛ちやんは注意したものゝ、全く試しても關はないと云ふ風で。『然う/\』云つて公爵夫人は、紅鶴と芥子菜とは何方もつッつく。其れの徳義は――『類を以て集まる」』

『でも、芥子菜は鳥ではなくつてよ』と愛ちやんが云ひました。

『然うとも』と云つて公爵夫人は『なか/\明瞭とお前は物事を判別する!』

『それは鑛物だと思ひます』と愛ちやんが云ひました。

『無論さうさ』と公爵夫人は、直ちに愛ちやんの云ふことに賛成しました、

『此の近所に大きな芥子菜鑛山がある。それで、其れの徳義は――「私のが多ければ多いだけお前のが少い」』

『えゝ、知つて居てよ!』と愛ちやんが叫びました、この最後の言葉には頓着せずに。『それは植物だわ。些とも人間のやうな恰好をしちや居なくつてよ』

『お前の云ふ通りだ』と云つて公爵夫人は、『それで、其れの徳義は――「すより露はるゝはなし」――尚ほ言ひ換へれば――「外見を飾るな、幾ら體裁ばかり繕つても駄目だ、蛙の子は矢ツ張蛙さ」』

『大變能く解りました』と愛ちやんは甚だ丁寧に云つて、『書いて置きませう、覺えて居るやうに』

『それ程のものではない』と公爵夫人が嬉しさうに答へました。

『もう其の話なら澤山よ』と愛ちやん。

『そんなら、止さう!』と云つて公爵夫人は、『今云つた事は皆な、私がお前への贈物です』

『安い贈物だ!』と愛ちやんは思ひました。『私は誕生日に此吝な贈物をして貰ひたくない!』併し愛ちやんは敢てそれを聲に出して言ひませんでした。

『復た考へてる?』と公爵夫人は、其尖つた小さな頤でモ一度衝いて云ひました。

『私、考へる權利があつてよ』と愛ちやんが劍突を啗はせました、少し煩悶懊惱し出してゐたものですから。

『丁度此位の權利だらう』と云つて公爵夫人は、『豚が跳ぶくらゐのサ、それで、ト――』

併し此時、愛ちやんは驚くまいことか、公爵夫人が其好きな「徳義」と云ふ言葉を云ひさして聲が消え失せ、愛ちやんの腕に鎖のやうに結びついて居たその腕が顫へ出したのですもの。見ると、自分の前には女王樣が、腕を拱いて立つて居られました、苦蟲を噛みつぶしたやうな可厭な顏して。

『御機嫌如何に在らせられますか、陛下よ!』公爵夫人が低い脾弱い聲でお伺ひ申上げました。

『汝、覺悟をせよ』女王樣は唐突聲を怒らし、斯う云ひながら地踏んで、『頭を刎ねるが、宜いか、唯タ今!さァ!』

公爵夫人は、さつさと行つて了ひました。

『競技に參れ』と女王樣が愛ちやんに申されました、愛ちやんは驚きの餘り一言をも云ひ得ませんでしたが、徐かに其の後に隨いて毬投場へ行きました。

他の數多の賓客は女王樣のお留守につけこんで、樹蔭に息んで居りました、が、女王樣のお姿を拜するや否や、急いで復た競技に取りかゝりました。女王樣は只彼等が一分でも遲れゝば、其れが彼等の生命に關つて來ると云ふことだけを注意されました。

彼等が競技をしてる間も、始終女王樣は他の競技者と爭ひを止めませんでした、それで、『彼の頭を刎ねよ!』とか、『その娘の頭を刎ねよ!』とか叫んで居られました。女王樣が宣告せられた人々は、數多の兵士に依つて禁錮の中に入れられました、兵士は勿論これを爲すためには緑門を形造つてることを止めねばなりませんでした、其故半時間か其所いら經つと緑門は一つ殘らず無くなつて了ひました。それから競技者は悉く、王樣と女王樣と愛ちやんとを除いては、禁錮の中に入れられ、死刑の宣告を待つばかりでした。

それから女王樣は、急に立ち去られやうとして愛ちやんに、『お前は海龜を見たことがあるか?』

『否え、どんなのが海龜ですか些とも存じません』と愛ちやんが云ひました。

『それで海龜肉汁が出來る』と女王樣が申されました。

『私は一つも見たことがありません、一つどころか頭さへも』と愛ちやんが云ひました。

『そんならお出で』と云つて女王樣は、『それがお前に身の上話をするだらうから』

一緒に行かうとした時に、愛ちやんは王樣が小聲で、一體に其の仲間の者どもに斯う云はれるのを聞きました、『皆な放免する』

『さア、それは好い鹽梅だ!』と愛ちやんは獨語を云ひました、女王樣が宣告された死刑の人々を、如何にも氣の毒に思つてた所でしたから。

彼等は直ちにグリフォン(鷲頭獅身の怪物)の所へ來て、日向ぽつこしながら寢込んで了ひました。『起きよ、懈惰者が』と云つて女王樣は、『此の若夫人を、海龜を見に、又その身の上話を聞きに伴れてまゐれ。私は戻つて、宣告して置いた死刑の面々を取調べなければならない』女王樣は愛ちやんばかり一人グリフォンの所へ置き去りにして行つて了はれました。愛ちやんは全く其動物の容子を好みませんでしたが、それでも未だあの野蠻な女王樣の後へ隨いて行くよりは、それと共に止まつて居た方が幾ら安全だか知れないと思ひました、其故愛ちやんは待つて居ました。

グリフォンは坐り込み、兩眼を※つて、見えなくなるまで女王樣を見戍り、それから得意げに微笑みました。『何と滑稽な!』とグリフォンは、半ば自分に、半ば愛ちやんに云ひました。

『何が滑稽なの?』と愛ちやんが云ひました。

『ソレ、あの女王樣サ』とグリフォンが云ひました。『みんな女王樣の空想だ、どうして一人でも死刑に出來るものか。ねえ。お出でよ!』

『誰でも大抵「お出でよ!」さァと云ふものだのに』と思ひながら愛ちやんは、徐かに其の後から隨いて行きました、『こんな風に云はれたのは生れてから初めでだわ、眞個に!』

彼等は遙か行かずして、遠方に海龜が、爼形の小さな岩の上に、悲しさうにも亦淋しさうに坐つて居るのを見ました、彼等が段々近寄つて來た時に、愛ちやんは其れが其の心臟も碎けよとばかり大きな溜息を吐くのを聞きました。『愛ちやんは深くそれを憫れに思ひました。『何か悲しいのでせう!』と愛ちやんがグリフォンに訊ねました、グリフォンは以前と殆んど同じやうな言葉で、『それは皆な彼の空想だ、何も悲しんでるのではない、ねえ。お出でよ!』

乃で彼等は海龜の傍へ行きました、海龜は大きな眼に一ぱい涙を溜めて彼等を見ました、が、何も云ひませんでした。

『これ此の若夫人が』云つてグリフォンは、『夫人がお前の身の上話を聞きたいと被仰ッてだ』

『話しませう』と云つて海龜は太い銅鑼聲で、『お坐りな、二人とも、それで私が話し終るまで、一言でも饒舌つてはならない』

そこで彼等は坐り込みました、暫くの間誰も話しませんでした。愛ちやんは自ら思ふやう、『何時話し終へるんだか私には解らないわ、話し初めもしないで居てさ』併し愛ちやんは我慢して待つてゐました。

『甞て』と終に海龜が云つて、深い長太息をして、『私は實際海龜でした』

長き沈默に次ぐに僅かこれだけの言葉でした、それも時々グリフォンの『御尤も!』と云ふ間投詞や、絶えず海龜の苦しさうな歔欷とに妨げられて絶え/″\に。愛ちやんは殆んど立ち上らんばかりになつて、『有り難うよ、面白い話しだわ』云つたものゝ、未だ後が無ければならないと思つたものですから、靜かに坐つて何も云ひませんでした。

『私どもは小さい時に』と終に海龜が續けました、尚ほ折々少しづゝ歔欷して居たけれども、以前よりは沈着いて、『私どもは海の中の學校へ行きました。校長先生は年老つた海龜でした――私どもは其の先生を龜ノ子先生と呼び慣らしてゐました。――』

『何故龜ノ子先生ッて呼んだの、然うでないものを?』と愛ちやんが尋ねました。

『其の先生が私どもに教へたから、其の先生を龜ノ子先生ッて呼んだのさ』と海龜は腹立しげに云つて、『眞個にお前は鈍物だね!』

『耻かしくもなく能くこんな莫迦げた事が訊かれたものだ』とグリフォンが云ひ足しました。彼等は雙方とも默つた儘坐つて憐れな愛ちやんを見てゐました。愛ちやんは穴にも入りたいやうな氣がしました。やがてグリフォンが海龜に云ふには、『もつと先きをサ!早くしないと日が暮るよ!』促がされて漸く彼は、『全く、私どもは海の中の學校へ行つたのです、お前方が信じないかも知れないけど―』

『决して信じないとは云やしなくッてよ!』と愛ちやんが喙を容れました。

『では、信じて』と海龜。

『默つて聽け!』愛ちやんが復た饒舌り出しさうなので、グリフォンが注意しました。海龜は尚ほも續けて、――

『私どもは最上の教育を受けました――實際、私どもは毎日學校へ行きました――』

『私だつても學校時代はあつてよ』と云つて愛ちやんは、『そんなに自慢しなくッても可いわ』

『殊更に!』と少し氣遣はしげに海龜が云ひました。

『さうよ』と云つて愛ちやんは、『私達は佛蘭西語と音樂とを習つたわ』

『そんなら洗濯は?』と海龜が云ひました。

『全く習はないの!』と、愛ちやんは口惜しさう。

『あァ!それならお前のは眞個に善い學校ではなかつたのだ』と海龜は大なる確信を以て、『今私どもの方では其ものは皆な課目表の終りにある、「佛蘭西語や、音樂や、それから洗濯――其他」』

『海の底に住んでるのに、そんなに何も必要はないわ』と愛ちやん。

『私はそれを習ふために授業を受けてはゐませんでした』と云つて海龜は長太息し、『私は只規則通りの課程を履んだゝけです』

『それは何んなの?』と愛ちやんが訊ねました。

『紡ぐことゝることサ、無論、初めから』と海龜は答へて、『それから算術の四則、――野心、亂心、醜飾、それに嘲弄』

『「醜飾」なンて聞いたことがないわ』と愛ちやんが一本突ッ込みました。『一體それはどんな事!』

グリフォンは驚きの餘り其の前足を兩方とも持上げました。『醜飾なんて聞いたことがないね!』と叫んで、『お前は裝飾するッて何の事だか知つてるだらう、え?』

『えゝ』と愛ちやんは生返辭をして――、『その意味は――す――するッて――何かを――もつと綺麗にするッて』

『よし、それなら』とグリフォンは續けて、『若し醜飾すると云ふことを知らないならお前は愚人だ』

愛ちやんは最う其れについて質問する勇氣も何も無くなつて了ひ、海龜の方へ振向き、『其の他何を習つて!』

『さうね、不思議なこと』と海龜は答へて、其の岩の上に目録を數へ出しました、『――不思議な事、古今に亘れる大海學の、それから懶聲を發すこと――懶聲の先生は年老つた海鰻で、一週一度來ることになつて居ました、彼は私どもに懶聲を出すことゝ、伸びをすることゝ、それから蜷局を卷くことゝを教へました』

『それは何が好きだつたの?』と愛ちやんが云ひました。

『さァ、私にはそれをお前にやつて見せられない』と海龜は云つて、『體が餘り岩疊だから。それでグリフォンも决してそれを習ひませんでした』

『時間がなかつたんだもの』と云つてグリフォンは、『でも、私は古典學の先生の所へ行きました。先生は年老つた蟹でした、全く』

『私は一度も其の先生の所へ行きませんでした』と云つて海龜は長太息し、『その先生は笑ふことゝ悲しむことゝを教へてゐたさうです』

『然うかい、さうかい』と云つてグリフォンは、自分の番が來たと云はぬばかりに、これも亦長太息を吐きました、それから二疋の動物は其の顏をその前足で掩ひ隱しました。

『そんなら一日に何時間お前は稽古をしたの?』と愛ちやんは話題を變へやうとして急いで云ひました。

『初めの日は十時間』と海龜が云つて、『次の日は九時間、それからずッとそんな風に』

『奇妙な仕方だわね!』と愛ちやんが叫びました。

『それだから其れが學科と稱はれるのです』とグリフォンが注意しました、『然うして毎日々々習ひくづしになつて行くのです』

これは全く愛ちやんには耳新しい事柄でした、愛ちやんは暫く考へてゐましたが、『それで十一日目には日曜だつたでせう』

『無論然うでした』と海龜。

『では十二日目には何うしたの?』と愛ちやんが熱心に續けました。

『それで最う學課の事は澤山だ』とグリフォンは决然云つて、『何か遊戯について其娘に話してやれ』

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