Chapter 1 of 17

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仇討姉妹笠

国枝史郎

袖の中には?

舞台には季節にふさわしい、夜桜の景がかざられてあった。

奥に深々と見えているのは、祇園辺りの社殿であろう、朱の鳥居や春日燈籠などが、書割の花の間に見え隠れしていた。

上から下げられてある桜の釣花の、紙細工の花弁が枝からもげて、時々舞台へ散ってくるのも、なかなか風情のある眺望であった。

濃化粧の顔、高島田、金糸銀糸で刺繍をした肩衣、そうして熨斗目の紫の振袖――そういう姿の女太夫の、曲独楽使いの浪速あやめが、いまその舞台に佇みながら、口上を述べているのであった。

「独楽のはじまりは唐の海螺弄、すなわち海の螺貝を採り、廻しましたのがそのはじまり、本朝に渡来いたしまして、大宮人のお気に召し、木作りとなって喜遊道具、十八種の中に数えられましたが、民間にはいってはいよいよますます、製法使法発達いたし、浪速の建部四国太夫が、わけても製法使法の達人、無双の名人にござりました。これより妾の使いまする独楽は、その四国太夫の製法にかかわる、直径一尺の孕独楽、用うる紐は一丈と八尺、麻に絹に女の髪を、綯い交ぜにしたものにござります。……サッと投げてスッと引く、紐さばきを先ずご覧じませ。……紐を放れた孕独楽が、さながら生ける魂あって、自在に動く神妙の働き、お眼とめてご覧じ下さりませ! ……東西々々」

こういう声に連れて、楽屋の方からも東西々々という声が、さも景気よく聞こえてきた。

すると、あやめは赤毛氈を掛けた、傍の台から大独楽を取上げ、それへ克明に紐を捲いたが、がぜん左肩を上へ上げ、独楽を持った右手を頭上にかざすと、独楽を宙へ投げ上げた。

次の瞬間に見えたものは、翩翻と返って来た長紐と、鳥居の一所に静止して、キリキリ廻っている独楽とであった。

そうしてその次に起こったことは、土間に桟敷に充ち充ちていた、老若男女の見物が、拍手喝采したことであった。

しかし壮観はそればかりではなく、すぐに続いて見事な業が、見物の眼を眩惑ました。

あやめが黒地に金泥をもって、日輪を描き出した扇を開き、それをもって大独楽を受けたとたんに、その大独楽が左右に割れ、その中から幾個かの小独楽を産み出し、産み出された小独楽が石燈籠や鳥居や、社殿の家根などへ飛んで行き、そこで廻り出したことであった。

また見物たちは喝采した。

と、この時舞台に近い桟敷で、人々に交って見物していた二十五六歳の武士があったが、

「縹緻も佳いが芸も旨いわい」と口の中で呟いた。

田安中納言家の近習役の、山岸主税という武士であった。

色白の細面、秀でた眉、高い鼻、いつも微笑しているような口、細味ではあるが睫毛が濃く、光こそ鋭く強かったが、でも涼しい朗かな眼――主税は稀に見る美青年であった。

その主税の秀麗な姿が、曲独楽定席のこの小屋を出たのは、それから間もなくのことであり、小屋の前に延びている盛場の、西両国の広小路を、両国橋の方へ歩いて行くのが、群集の間に雑って見えた。

もう夕暮ではあったけれど、ここは何という雑踏なのであろう。

武士、町人、鳶ノ者、折助、婢女、田舎者、職人から医者、野幇間、芸者、茶屋女、女房子供――あらゆる社会の人々が、忙しそうに又長閑そうに、往くさ来るさしているではないか。

無理もない! 歓楽境なのだから。

だから往来の片側には、屋台店が並んでおり、見世物小屋が立っており、幟や旗がはためいており、また反対の片側には、隅田川に添って土地名物の「梅本」だの「うれし野」だのというような、水茶屋が軒を並べていた。

主税は橋の方へ足を進めた。

橋の上まで来た時である、

「おや」と彼は呟いて、左の袖へ手を入れた。

「あ」と思わず声をあげた。

袖の中には小独楽が入っていたからである。

(一体これはどうしたというのだ)

独楽を掌の上へ載せ、体を欄干へもたせかけ、主税はぼんやり考え込んだ。

が、ふと彼に考えられたことは、あやめが舞台から彼の袖の中へ、この独楽を投げ込んだということであった。

(あれほどの芸の持主なのだから、それくらいのことは出来るだろうが、それにしても何故に特に自分へこのようなことをしたのだろう?)

これが不思議でならなかった。

怪しの浪人

ふと心棒を指で摘み、何気なく一捻り捻ってみた。

「あ」と又も彼は言った。

独楽は掌の上で廻っている。

その独楽の心棒を中心にして、独楽の面に幾個かの文字が白く朦朧と現われたからである。

「淀」という字がハッキリと見えた。

と、独楽は廻り切って倒れた。

同時に文字も消えてしまった。

「変だ」と主税は呟きながら、改めて独楽を取り上げて、眼に近付けて子細に見た。

何の木で作られてある独楽なのか、作られてから幾年を経ているものか、それが上作なのか凡作なのか、何型に属する独楽なのか、そういう方面に関しては、彼は全く無知であった。が、そういう無知の彼にも、何となくこの独楽が凡作でなく、そうして制作されて以来、かなりの年月を経ていることが感じられてならなかった。

この独楽は直径二寸ほどのもので、全身黒く塗られていて、面に無数の筋が入っていた。

しかし、文字などは一字も書いてなかった。

「変だ」と同じことを呟きながら、なおも主税は独楽を見詰めていたが、また心棒を指で摘み、力を罩めて強く捻った。

独楽は烈しく廻り出し、その面へ又文字を現わした。しかし不思議にも今度の文字は、さっきの文字とは違うようであった。

「淀」という文字などは見えなかった。

その代わりかなりハッキリと「荏原屋敷」という文字が現われて見えた。

「面の筋に細工があって、廻り方の強さ弱さによって、いろいろの文字を現わすらしい」

(そうするとこの独楽には秘密があるぞ)

主税はにわかに興味を感じて来た。

すると、その時背後から、

「お武家、珍しいものをお持ちだの」と錆のある声で言うものがあった。

驚いて主税は振り返って見た。

三十五六の浪人らしい武士が、微笑を含んで立っていた。

髪を総髪の大束に結び、素足に草履を穿いている。夕陽の色に照らされていながら、なお蒼白く感じられるほど、その顔色は白かった。左の眼に星の入っているのが、いよいよこの浪人を気味悪いものにしていた。

「珍らしいもの? ……何でござるな?」

主税は独楽を掌に握り、何気なさそうに訊き返した。

「貴殿、手中に握っておられるもので」

「ははあこれで、独楽でござるか。アッハッハッ、子供騙しのようなもので」

「子供騙しと仰せられるなら、その品拙者に下さるまいか」

「…………」

「子供騙しではござるまい」

「…………」

「その品どちらで手に入れられましたかな?」

「ほんの偶然に……たった今しがた」

「ほほう偶然に……それも今しがた……それはそれはご運のよいことで……それに引き換え運の悪い者は、その品を手中に入れようとして、長の年月を旅から旅へ流浪いたしておりまするよ」

「…………」

「貴殿その品の何物であるかを、ではご存知ではござるまいな?」

「左様、とんと、がしかし、……」

「が、しかし、何でござるな?」

「不思議な独楽とは存じ申した」

「その通りで、不思議な独楽でござる」

「廻るにつれて、さまざまの文字が……」

「さようさよう現われまする。独楽の面へ現われまする。で、貴殿、それらの文字を、どの程度にまで読まれましたかな?」

「淀という文字を目つけてござる」

「淀? ははア、それだけでござるか?」

「いやその他に荏原屋敷という文字も」

「ナニ荏原屋敷? 荏原屋敷? ……ふうん左様か、荏原屋敷――いや、これは忝のうござった」

云い云い浪人は懐中へ手を入れ、古びた帳面を取り出したが、さらに腰の方へ手を廻し、そこから矢立を引き抜いて、何やら帳面へ書き入れた。

睨み合い

「さてお武家」と浪人は言った。

「その独楽を拙者にお譲り下されい」

「なりませぬな、お断りする」

はじめて主税はハッキリと言った。

「貴殿のお話承わらぬ以前なら、お譲りしたかは知れませぬが、承わった現在においては、お譲りすることなりませぬ」

「ははあさては拙者の話によって……」

「さよう、興味を覚えてござる」

「興味ばかりではござるまい」

「さよう、価値をも知ってござる」

「独楽についての価値と興味とをな」

「さようさよう、その通りで」

「そうすると拙者の言動は、藪蛇になったというわけでござるかな」

「お気の毒さまながらその通りで」

「そこで貴殿にお訪ねしますが、この拙者という人間こそ、その独楽を手中に入れようとして、永年尋ねておりました者と、ご推量されたでござりましょうな」

「さよう、推量いたしてござる」

「よいご推量、その通りでござる。……そこであからさまにお話しいたすが、その独楽を手中に入れようとする者、拙者一人だけではないのでござるよ。……拙者には幾人か同志がござってな、それらの者が永の年月、その独楽を手中に入れようとして、あらゆる苦労をいたしておるのでござる」

「さようでござるか、それはそれは」

「以前は大阪にありましたもので、それがほんの最近になって、江戸へ入ったとある方面よりの情報。そこで我ら同志と共々、今回江戸へ参りましたので」

「さようでござるか、それはそれは」

「八方探しましたが目つかりませなんだ」

「…………」

「しかるにその独楽の価値も知らず、秘密も知らぬご貴殿が、大した苦労もなされずに、楽々と手中へ入れられたという」

「好運とでも申しましょうよ」

「さあ、好運が好運のままで、いつまでも続けばよろしいが」

「…………」

「貴殿」と浪人は威嚇すように言った。

「拙者か、拙者の同志かが、必ずその独楽を貴殿の手より……」

「無礼な! 奪うと仰せられるか!」

「奪いますとも、命を殺めても!」

「ナニ、命を殺めても?」

「貴殿の命を殺めても」

「威嚇かな。怖いのう」

「アッハッハッ、そうでもござるまい。怖いのうと仰せられながら、一向怖くはなさそうなご様子。いや貴殿もしっかりものらしい。……ご藩士かな? ご直参かな? 拙者などとは事変わり、ご浪人などではなさそうじゃ。……衣装持物もお立派であるし。……いや、そのうち、我らにおいて、貴殿のご身分もご姓名も、探り知るでござりましょうよ。……ところでお尋ねしたい一儀がござる。……曲独楽使いの女太夫、浪速あやめと申す女と、貴殿ご懇意ではござりませぬかな?」

言われて主税はにやりとしたが、

「存じませぬな、とんと存ぜぬ」

「ついそこの曲独楽の定席へ、最近に現われた太夫なので」

「さような女、存じませぬな」

「嘘言わっしゃい!」と忍び音ではあったが、鋭い声で浪人は言った。

「貴殿、その独楽を、浪速あやめより、奪い取ったに相違ない!」

「黙れ!」と主税は怒って呶鳴った。

「奪ったとは何だ、無礼千万! 拙者は武士だ、女芸人風情より……」

「奪ったでなければ貰ったか!」

「こやつ、いよいよ……汝、一刀に!」

「切ろうとて切られぬわい。アッハッハッ、切られぬわい。……が、騒ぐはお互いに愚、愚というよりはお互いに損、そこで穏やかにまた話じゃ。……否」というとその浪人は、しばらくじっと考えたが、

「口を酸くして説いたところで、しょせん貴殿には拙者の手などへ、みすみすその独楽お渡し下さるまいよ、……そこで、今日はこれでお別れいたす。……だが、貴殿に申し上げておくが、その独楽貴殿のお手にあるということを、拙者この眼で見た以上、拙者か拙者の同志かが、早晩必ず貴殿のお手より、その独楽を当方へ奪い取るでござろう。――ということを申し上げておく」

言いすてると浪人は主税へ背を向け、夕陽が消えて宵が迫っているのに、なおも人通りの多い往来を、本所の方へ歩いて行った。

闇に降る刃

その浪人の背後姿を、主税はしばらく見送ったが、

(変な男だ)と口の中で呟き、やがて自分も人波を分け、浅草の方へ歩き出した。

Chapter 1 of 17