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光り合ういのち
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光り合ういのち
倉田百三
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Chapter 9 of 13

4

尾道時代の私の思春の思い出を、私にとってこんなに美しく感じさせるのは、それが初々しくて、肉体的の慾情に汚されていないからであろう。肉体的の慾情はすでに利害の意識の一端である。そのため彼女が手に入れたくて何かの技法を考え出すようになっては、もう追憶はスヰートでなくなってしまうのだ。感情が豊富で幾らかませていること、しかも感覚的にナイーヴですれていないこと。それが私の年少の恋愛の手習いを私の一生涯中の愛惜すべきひとくさりとして、可憐に思い起させる条件なのであろう。

鈴子との歌学びにからむいきさつも所詮そうしたロマンチックな絵本の中の出来事に過ぎなかった。私たちは一度のキスもなくて過ぎた。肉体的な慾情もない代りに、リアリスチックな生活配慮もないのだから、まじめな恋愛とはもとより言えない。いわば私の恋愛の感情の操練がこうした少女達との交友とすさびの間に行われていったのであった。

しかしそうは言っても、もとより官能の刺激がなかったのではない。私は鶴子やすみ子や、鈴子やまた後に書く安子の美の肌ざわりをもちゃんと嗅ぎ分けていた。その皮膚の色や、髪のくせまで皆それぞれの異った魅力で私を牽き付けていたのであった。

鈴子は丈の高い、美しい斑のある鹿の子の様な体臭を私に感じさせていた。その鹿があしびの花のかげから身をあらわすように、やさしく、ふうわりと、けれども何か躍りかかって来るように溌剌と私に印象するのであった。

彼女は美しい西洋封筒に※の花など入れて恋の歌まじりの手紙をよこしたりするようになった。それがすぐ目と鼻との間にいていつでも逢える私によこすのだ。今では姉も、従兄もそれを可笑しがったが、決して開封するような事はなく、そのまま渡してくれた。どうせ子供のする事だと高をくくっていたのであろう。けれども彼女は、

「返事は手渡ししてね。家へよこさないでね」

と言うのであった。母親は少し厳しいらしかった。それに男の子と女の子では保護者が同じようには扱えないであろう。

私も恋の返歌まじりの手紙を書いて、逢った時渡すのであった。大概お宮の裏の林の中で逢った彼女はその手紙をその所では開かずに、懐の中にしまって持って帰って読むのである。そのくせその場では何でもべらべらおしゃべりしたり、からかい合ったり、喧嘩したりするのであった。

が或る日彼女は非常に悲しそうな顔付をしていた。

「どうしたの?」

と訊くと、

「あたし今日とても悲しい話を読んだの」

と言って彼女は昔王女が伊勢の斎宮にお立ちになる時の儀式のことを話すのであった。

「処女のままの内親王様がいよいよ伊勢へ御出発になる時に、天皇は跪いてお別れの御挨拶をなさる皇女に向かって、

『ふたたび都へは帰らせられな』

こうおっしゃって、皇女の髪にお櫛を挿しておあげになるのですって。そのまま一生大神宮さまへお仕えになって、お嫁ぎにならずに、都へもお帰りにならないんですって。……あたしとても畏れ多い、悲しい気がするわ」

私も聞いて深く打たれた。

「うむ。尊いね。平民にはわからない犠牲と奉仕だね」

「あたしその話を聞いてから、巫女になることをはずかしがったり、淋しがったりするのはすまないと思いだしたわ」

「うむ。それはそうだね」

鈴子は自分の身につまされたのであろう。ひとつには鈴子の家の家運が日に傾きつつあるということは色々なことに反映していた。それに妹もない彼女は、社になくてならぬ巫女の勤めを当分止められそうもない運命を感じたのであろう。

真間の手児奈、桜児の伝説などがいつも二人の間の話題だったのは言う迄もない。

古井の傍に名もない墓などあると、

真間の手児奈の奥津城どころ と彼女は口吟んだものだ。又森の下草に散りしいている花を見て、

桜の花は散りにけるかも 桜と私がやると、彼女は直ぐに

春さらばかざしにせむと吾が思いし と桜児の歌をつけるのであった。

彼女の追憶は私にはどうしても巫女として浮んで来るのである。

そうした追憶の一番濃いのは住吉神社の夏祭りの夜の神楽の折のことだ。

尾道は夏祭りの多い港であるが、住吉明神の祭礼は「お旅」と言って、街はずれの「御所」という海べの草っぱのあき地に神輿が移って、一夜を仮泊されるのであった。

住吉神社は中浜という海べにあった。満灯飾した大船小舟が一杯集まった。神輿の御座船は一際美しい屋形船で、旗幟や、玉串などの立ち並ぶ下に、礼装した神官たちがいずまい正し、伶人が楽を奏でるなかに、私の鈴子は美しい巫女の装いして、今宵は化粧も濃く匂うばかりに立ちまじっているのであった。

花火は打ちあげられて夜空にひらいた。山車を飾った船の列は御座船の後に続いた。幾万の拍手はひびき、神名は流された。

私は姉と別の小舟に乗って、参詣人の乗客たちと一緒に供奉の船の行列の後ろからついて行った。私たちの舟にもやはり紅堤灯が吊してあった。「御所」まではかなり漕ぐのであった。

御所の浜べには迎えの人が一杯集まっていた。神輿は船から担ぎおろされて仮殿に奉置され神事が恭しく、華やかに執り行われた。

私は姉と少し離れた草地にテントを張った氷店で、涼みながらお神楽の初まるのを待った。今年は大漁の祝いもあって、夜通し神楽があるのだと鈴子から聞いていたからだ。

張り出した神楽殿の三方をとり巻いて、野天の座席で見物人はギッシリと詰まっていた。人いきれで汗臭く、立ってる人たちは押し合っていた。

「押すなや、せぐなや、神楽場じゃないぞ」

こういう俚言が備後にはある。それ程神楽場はこむのであった。

お神楽が初まった。

初めのうちは簡素な、儀式的な舞いばかりであった。そのうち信一君が出て来て、茣蓙舞というものを舞った。彼はきまり悪そうに、自信なさそうに演じた。ぽつぽつと仮面を被った、相舞いや、グループの舞いが演じられだした。見物席は色めき出し、お祭り気分が漲り初めると、舞台の方も自由になりだした。モドキ道化の舞役も出て来た。

何という神楽なのか釣ばりを咽喉にひっ懸けて苦しんでるモドキを大国主命か誰か出て来て除ってやる滑稽な仕草と対話のある神楽が演じられる頃になると、見物の間には爆笑と歓呼とが伝わり、だんだんと狂言小屋や、角力場のような光景に化して行った。

初めは男ばかりの演舞であったがとうとう女役が登場しだした。見物はそれを待っていたのだ。

いの一番にあらわれた神楽乙女は鈴子であった。

彼女は金色の冠をかぶり、千早を着てあらわれた。そして、片手に三方をささげ、他の手に木綿紙手を持って美しく清々しく舞った。地は笛と締太鼓に銅拍が加わったのが躍動的でよく乗った。

私は息を凝らした。

「鈴子さん今夜はきれいだわね」

と姉が言った。

「何か油が乗っていますね」

私はそう言いつつ、彼女の手足の動きを追っていた。

彼女は見物の歓呼の裡に退場した。

段々と多勢出て、舞いも対話が伴いだした。その対話の中には地方の伝説があり、方言が使われていた。舞台と見物とが融け合って来た。

剣舞も演じられた。三方荒神も舞われた。

「三方荒神、中のが大将」

と子供たちは見物席からはやした。そうする慣わしなのだ。

しかしこうなると場内はざわつき出し、つきものの押し合いが初まり出した。それをやりに来る若い衆や沖仲仕などもあるのだ。

「国堅め」と言って東、西、南、北、中央の五人を象る五人が五色の幣を持って舞う頃になると、めきめきと垣が折れる音などして、いよいよ神楽場の場景になったので、姉は恐れて帰ると言い出した。

「僕はもっと見たいなあ」

「じゃあんた見てお帰り。あたしだけ帰るわ」

車に乗る姉を見送ると、私は又引き返して見物の中にもぐり込んだ。

もう自由だ。押し合いでも、へし合いでもやってやれ。

実際私は神楽場の空気をおもしろいと思った。民族的な、土俗的な力強い何ものかがあった。「盛んな」という感じが本当に出るのは、角力場か、神楽場である。

何から取ったものか、太郎、次郎、三郎などと言うのが出て問答して、知恵くらべ力くらべ、などする仕組みの舞もあった。又日本武尊の故事から出たらしい火の舞もあった。征服的民族としての原始的気魄が残っていると思った。天ノ岩戸の時以来の天真な、快活な、自然人らしい空気が神楽のなかに伝統しているのだ。

女の見物などもきゃあきゃあ声を立てながら見ていた。そして人波に押されながら楽しそうにしていた。

大蛇退治の稲田姫は他の娘が勤めたが、八乙女と言って、八人の神楽乙女が揃って舞う神楽には鈴子が出た。見物は熱狂していた。私は鈴子が一番美しい気がした。

私は鈴子から聞いて彼女の出る役を知っていた。後はもひとつ今夜のプリマ・ドンナともいうべき豊玉媛の役がある切りであった。それで彼女は解放されるのだ。

私はその演舞を心待ちつつ、押し合いの波にまじっていた。

とうとう彼女は出た。何というミスチックな原始的な、美しさだろう! 彼女が神代の女性の神々しさと竜女の不思議をひとつにこめて、潮干る珠、潮満つ珠を両手にささげ持ってあらわれた。彼女の眸はまさしく遠い水平線の向こうの国と、恋し男神との夢を追っているようであった。笛と太鼓と銅拍子が急調に乱れて来たと思うと、彼女も劇しく、狂うような舞いながら舞台を駈け廻った。誰れが、いつの頃から振り附けたのかは知らないが、日本民族にはジャズのような音楽と、南方の土人のような踊りが伝統しているのらしい。

私の鋭い年少の感受性は神楽というもののチャームを把握した。それはあの古事記の中に満ちている原色的な、疲れを知らぬ神秘な生命感と合調するものであった。

私は酔ったようになって神楽場を出た。草っぱは、ひいやりとして星が爛漫としていた。月見草が夜目にやわらかく沈んで見える野を横切って、私は海べの心覚えの大岩のところに歩いて行って、身を寄せた。振りかえると神楽場の灯と、囃子のとよもしとが手にとるようであった。波が砕けていた。

私は何か知ら悠遠な気につつまれていた。神秘というものほどたましいを覗くものはない気がした。

私は露のある草の上にゴロリと仰向になって、夜空を仰いだ。星もささやくような気がした。疲れた身体が快く大地の呼吸にふれた。

久しいこと私はそのまま臥ていた。

草生を踏むやさしい足音がして、約束して置いたように彼女がやって来た。

私は立ち上って迎えた。

「やっと手があきました。ほっとしたわ」

「今夜はすばらしかった。花を咲かせたね」

「一年に一度だわ。それに今年は特別なの」

「豊玉媛、よかったなあ」

「そうか知ら。あたしおどりは嫌いじゃないわ」

「うむ。神楽というものはおもしろいもんだ。僕非常に好きになった。――ミスチックだ」

見れば彼女はもう無雑作な浴衣に着替えて、日常の鈴子に返っているのであった。

が私はやっぱりさっきの夢を追っていたかった。

「八乙女の中で誰れが一等きれいだった?」

「わからないわ」

「鈴子さん」

「あら」

と彼の女は声を立てたが、嬉しそうであった。

「色んな顔があるもんだね。あんまり丸ぽちゃは現代的で可笑しいね。あんたは冠かぶるとよく似合うよ。瘠せているから」

がこれには彼女は不服らしかった。

「いつも千早姿でいられやしまいし……」

だが、それにもかかわらず、彼女の特色はその瘠せぎすな、品よさにあるのであった。ちょうど、今夜彼女が開いて舞うた扇のように、骨細の美しさが彼女にはあった。

また彼の女の美しさは目の前の白い、円い小石の浜辺の洲に似ていると私は思った。そう思うと私は彼女とその洲を歩きたくなった。

「少し海ばたを見ない?」

「ええ」

と彼女は並んで歩き出した。「涼しいわね。あたしあれからお湯にも入らないし、汗でじとじとよ」

彼女は浴衣の胸をひらいて涼風を入れた。

「今夜はいい夜だ。どこまでもこうして歩きたいな」

「ほんとにねえ」

二人はしばらく黙って歩いた。

「光り虫が」

と彼の女は立ち止まって海べにうずくまった。そして手の平に海の水をすくいとった。

「これ、まだ光ってるわ」

「どれ」

と私は覗き込んだ。

「おや、これはつるんでるんだ。あんたの手の平の上でつるんだ」

「あらっ」

と言って彼女は砂の上に振り捨てた。

「素敵だなあつるみながら光ってるなんて」

彼女は夜目にも面を赤らめたらしかった。そして、何とも言わなかった。けれども私たちは手をとり合っていた。

私たちは波の寄る汀をこうして長く歩いた。どうで年に一度の住吉祭りの、わけて今夜は夜通しお神楽があるのであった。

かえり見すれば、神楽場の空は明るく、群衆のざわめきはここまでも聞えて来るのであった。

やがて小さな谷川が清水ながらに海に注いでるところに来た。彼女は素足のままだったが、草履を脱いで、裾を端折った。小さな足が流れを横ぎり出した。二人はころばぬようにしっかりと手を握り合っていた。

思えばその夜が二人にとっての一番の接近であった。その後間もなく、彼女一家には災難が起った。というのは仁田さんが官有林の木を伐ったという嫌疑が小林区からかけられた。丑寅神社の絵馬殿を建てるために境内の樹を伐ったのが、境界の不明のために、そうした事になったのであった。

仁田さんは裁判所へ行ったり来たり、せねばならなかった。そして仁田さんの敵はそれを色々取り沙汰して中傷に利用した。尾福日報という地方新聞がそれを取りあげて、仁田さんに不利な記事を書いた。仁田一家の人々はそのために狭い尾道の世間を憚るようになった。

仁田さんは当分謹慎の意を表すると言って、万葉の講義も止してしまった。

氏子総代の伯父にも裁判所から呼び出しがあって、行き違いから仁田さんとも気拙い事があった。

そんな事で鈴子の家へ私が行かなくなったのと、鈴子の方でもいじけたりして、境内などで逢いは逢いながらも、前のように滑らかに行かなくなった。

もとより尾道にもっと長く私がいられたら、そんな偶然的な障碍は時が経てば解消したであろうが、私は程なく三次の中学へ、再び学業へと復帰せねばならなかった。

もともとリアルな根の無い、年少のすさびはそうした境遇の変化によって、いつしか色褪せて、別の生活の波にさらわれてしまったのであった。

寧ろ今日になって昔を追憶するときに、人間の遭遇と、その別れの運命とが惻々として哀愁を私にそそるのであった。その当時にはありあまる強い生の刺激が私をまぎらしてしまったのであった。

人間が愛して、触れ合って、やがて別れるという過程は何という悲傷であろう。何故いつ迄も別れずに愛しつづけられないのであろうか? 時と、境と、変化との法則というものが人生にはあるようだ。そしてそれはひとつの摂理である。摂理は人間的なはからいより強いのである。我々はそれに従う外はない。けれど私はその同じ摂理が別れた者を一度結んでくれる別の次元の世界がどうしてもあるように思われるのだ。私は「あの世」というものを強く要請するようになって来た。

リアルな生活関心に根を持たぬ男女関係は所詮すさびであった。尻切れとんぼに終らざるを得ない。尾道での私の年少の恋の手習いはみなそうした結末になった。またそれでいいのであろう。男女はその感情を操練しつつ成長して行かねばならぬ。ただぶっ突かった対手が素質がいいか、どうかはその人の大きな幸、不幸になるのだ。年少のころ優れた対手と触れあう機縁を恵まれたものは幸である。よい共存者が常に周囲に見出されるような共同体を私たちがつくらぬのもそのためだ。人は自分だけよくても成長して行けるものではないのである。

尾道での私の年少の異性の対手に、も一人の少女を書きとめて置かねばならぬ。それは安子という貧しい養鶏屋の娘であった。

彼女は父親がハワイに出稼ぎに行ってる間に産れた子で、あちらで育ったので英語が話せた。父親はずっと若い時、広島県に多い移民の群にまじってハワイに渡って農業をやって少し目鼻が付いた時、郷里から妻を迎えて、安子が出来たのだ。がその後農業に失敗して、金もあまり溜らずに郷里に帰って、ささやかな農園と養鶏とをやっているのであった。

彼女と初めて知り合ったのはユーモラスなきっかけによるものだった。

私は、今もそうであるが、子供たちに滑稽な真似をして見せるのが好きであった。「赤んべ」をして見せたり、舌を吐き出してお化けの真似をしたりして、子供たちが笑うのが楽しかった。今でも時々道を歩いていて、見も知らぬ子供たちの群れに突然それをやることがあるが、子供たちは必ず反応するものだ。可愛いものである。

その時もそれだった。私は浄土寺道の町はずれを散歩していたが、雑草の生えた広っぱで子供たちの遊んでいるのを見て、いきなり両手を拡げて身振りをしながら、大きな声で、

Children, come here, I will tell you a story about George Washington. と英語で出鱈目にしゃべり掛けた。何もワシントンでなくてもいいのだが、中学のナショナル・リーダーで暗誦しているのでそうやったのだ。すると果して子供たちは珍しがって私の側にやって来た。そこで私は色々と滑稽な真似をやって見せると、子供たちはきゃあきゃあ喜んで、すっかり私になついてしまった。

私は自分の名をミノルさんということにしたので、子供たちは私が通りさえすれば、ミノルさんミノルさんと言ってたかって来た。或る時などはゾロゾロと多勢で※の前までついて来たので、家の者もあっけにとられていた。

或る日私は又その広っぱを通りかかって、子供たちに例によって、英語演説をしたり、赤んべやお化けの真似をしていたが、後ろで噴き出す者があるので振り返って見ると、粗末な洋装した少女がバケツに鶏にやる餌か何か入れたのを持ってさも可笑しそうに立ち止っていた。

それが安子だったのだ。彼女は英語が解るから余計に可笑しかったのであろう。私は少々きまり悪かった。大人のいるところでは私は神経質に返ってそんな茶目は出来なかったので、けれども彼女もまだ小娘で、腕も脛も出してる所などは子供の部類としか見えないので、私はいい気になって滑稽を演じた。すると

You make much joke. とその少女が言ったので、私はちょっと面食らって、

Children like joke. とやった。これが彼女との対話の初めだった。

その日はそれきりだったが、その後のある日私はやはり同じ広っぱで子供たちとふざけて、子供たちがついて来るので逃げ出したが、子供たちは浄土寺の境内までついて来た。

「ミノルさん、ミノルさん」

「ミノルさん、赤んべ」

境内の一隅で人がテニスをしていたので、私はむつかしい顔をして手を振った。

「駄目々々、今日はもう駄目だよ」

子供たちを追っ払って、コートの側へ行って見ると、四人でスリイ・ミッスをやってる一人はこの前の少女であった。

やはり洋服でキビキビしたプレイをしていた。が間も無く彼女は敗退して、私の方へ帰って来た。私を見覚えているらしく、私たちは同時に会釈した。

コートと言っても地面にチョークで線を引いて、ネットだけしっかり張ってあるのだ。決ったメンバーも無いらしく、二人しか交代する人がいなかったので、

「はいりませんか」

と安子が言ったのをしおに私もプレイに加わった。

パートナーは無く、一人が三つしくじれば敗退するのだ。次ぎの番なのでカウントしたが、知らない人ばかりなので、遠慮してミスを見逃がすと、安子が、

「モア、シリヤスリイ」

と言った。私はテニスは自信はなかったが奮闘した。今日は面白かったし、当りもよかった。安子が私のミスを厳しくカウントするので、

プレイしながら「ベリイ、シイリヤス」と叫んだら、彼女は笑いながら、

「エキスキュース、ミイ」

と言った。その後組んでやる時安子と組んだので私たちは色々と話をするチャンスがあった。

私は安子に好奇心を感じた。彼女は色が浅黒く、目が烈しく輝いて、すべての動作がスマートだった。美しいとは言えないが、気持のいい、卒直な性格だった。すべてに渡って、いかにも、植民地で育ったらしい粗野なところがあったが、気持ちに卑しいところはなかった。

よく英語を交えて話したが、その英語は上等なものとは言えなかった。けれども私には清新な溌剌としたものとして、彼女は印象したのであった。

Where are you going? と通りで見かけた時など私が呼びかけると、

I'm going to market. などと答えて、忙しそうに歩いて行ったりしていた。

私はテニスが好きになって、よく浄土寺の境内に行き出した。彼女が来ていぬかと物色する気があったのは確かだ。がスポーツとか、エキササイスとか言うものへの私の興味が動きつつあったのだ。そして安子との交わりで私は甘い、こってりとした情緒でなく、キビキビした多少ラッフなものへの感覚を呼び醒まされた。それが次期の私の中学時代の雄健主義へのキッカケになったのである。

私は安子と話すと弾力のある毬か何かに触れるような快さを感じた。ふわりとした、包むような愛ではないが、真実な卒直な友情を感じた私は彼女をミス・ヤスと呼んでいた。

「ミス・ヤス、テニスに行かない?」

「行きたいけど今日忙しいの」

「つまらないな」

「あたし家の手伝いしてるもの。あなたはいつものんきね」

「のんきでも勉強はしてるよ」

「あたしは鶏小屋の掃除やら、お洗濯やら、いそがしいのよ」

私は安子と遊びたくても、いつも用事が引っかかるので物足りなかったが、しかし段々と自分がぶらぶらしてるのが気がさすようになった。

彼女は時々自転車に乗って走っていた。尾道の街は極く狭くて、自転車で乗りこなすのは容易ではないのだ。そんな時には彼女はきっと家の用事で行ってるのだ。

私は自転車に乗れないので癪だった。

私はどことなく安子に圧迫を感じた。彼女は私よりしっかりしてる気がした。それが又私を彼女に引き付けた。

私は彼女には甘ったるい事が言えない気がした。同じ愛情を言い表わすにもテキパキした表現を用いねばならなかった。いわばテニスの球を打つようにして、彼女にぶっ突からねばならなかった。それが少なからず私の感情を鍛錬した。

けれども私たちは逢うと互いに楽しかった。

彼女はハワイの話をよくして聞かせた。

「ホノルルはとてもきれいな港よ。コーヒー畑で働いていたの。熱帯植物はきれいな花が咲くし、気候はいいし、日本人が沢山いてちっとも淋しくはないし……」

と彼女は懐かしそうに話した。それはエキゾチックではなくて、懐郷的であった。

「ミス・ヤスはこっちより向こうの方がいいの?」

「だって小さい時からのお友達が沢山いるんですもの。ここではまだそんなにお友達出来ないわ。お友達になってね」

「ええ。僕こそ。今度向島の高見山に登って見ない? そしたら瀬戸内海の景色がどんなにいいか解るよ。今にこっちの方がきっとよくなるね」

「だんだんなれて来るわ。家のお父さんなんかこっちの方がずっといいって言うもの」

「病気はどうなの?」

「この頃大分いいわ。それに病気は借金よりましだと言ってたわ。病気は責める者が無いからだって。さんざん向こうで借金で苦しんだのよ」

彼女は問わず語りにこんなことを言った。私は彼女の生きて来た世界が私のと違うのを感じた。

私が一番胸を衝かれたのは岩井座に人形芝居がかかった折だった。私は例によって姉と見に行ったが、仲茶屋の横手あたりに売店を出しているのは安子の兄さんだった。果物や、おカキや、ラムネの類を並べてあった。兄さんはジャケツを着てラムネを売って見物席を廻り、そして安子は店番をして、売子をつとめていた。

華やかに装うた姉と並んで人形芝居を見ていた私は、もし私の兄がああしたなりで、物売りをしているところで、恋人に逢ったらどんなに恥ずかしく思うだろうかと思った。けれど何故恥ずかしがらねばならないのだろう? 貧乏で、働くことは少しも恥ずかしいことではないではないか。そうしたことは虚栄心に過ぎぬのだ。

そう思いつつも私は幕が下りて、安子が今度は兄に代って、「おカキはよろーし」と言いながら籠を抱えて廻り出した時には、自分の耳たぼが赤くなるような気がした。

私は胸が痛くなった。私は下を向いていたが、やがて彼女は私たちの側を通った。彼女ははにかんではいなかった。そんな余裕もなかった。短い幕間を客をかき別けて売って通らねばならぬのだ。姉は何も知らずにおカキを買った。彼女はエプロンから手早く釣銭を出して渡した。また売り声を上げながら、廻って行った。

私は家へ帰ってから考えこんだ。彼女がいとしくあわれだった。どうも自分が浮いてるような気がして落付けなかった。

それから私は私の坊ちゃんらしいところを彼女に見せたくなくなった。けれども彼女の方では何とも思ってないらしかった。

「※は明るくて、きれいでいいわね。あたし西洋店は大好きよ」

と言っていた。

私はクリスマスに彼女に手袋をプレゼントした。それは刺繍があって、指から尖きは露出しているもので、その頃の流行であった。

私はプレゼントというものを初めてした。

彼女は非常に喜んだ。というのは彼女はクリスチャンだったからだ。

彼女はホノルルでカトリックの教会に行っていた。ホノルルはローマ正教の僧正が駐在しているのであった。

彼女は日曜毎に教会に行った。そしてよく私を誘った。彼女は膝を突いて、十字を切る形など板についていた。

私は学校のリーダーでマッチ・ガールというのを読んで知っていた。それで彼女が貧しいクリスチャンの少女で、私がプレゼントするということが、ひどくロマンチックな気がした。

がキリストの信仰は私にはまだ入って来なかった。

彼女は私にキリストの復活の話などしきりにして聞かせた。私は腑に落ちなかった。

「そんな事はあり得ないと僕は思うな」

すると彼女は一生懸命になって、私を信じさせようとした。

「奇蹟というものはきっとあるんですって。偉い学者でもそれを信じるんだもの」

私はキリストの信仰がどんな風にして彼女を動かして来たものかを知らない。しかし恐らく境遇のせいであったろう。

が彼女は事情があって、市の勧工場に勤めることになった。彼女は毎日弁当を持って勧工場に通い、事務の手伝いしたり、商品の番をしたりした。

私は彼女に逢いたいためによく勧工場に行った。ああやって番をしてるのは退屈で、つまらないだろうといつも思った。辛い現実というものの力を私は感じた。何故ならその力は私と彼女とが逢って語り合ったり、テニスしたりすることを残酷に妨げたから。

が私を突き動かして、再び学業へ復帰させた動機が、この勧工場の二階で起ったのも不思議であった。

その頃尾道には図書館がなかった。細谷という尾道に二十年も小学校長を勤めた人が、奔走して、ようやく市民のための図書館をこの勧工場の二階に開くことになったのだ。

私は伯父の代理にその開館披露式に出席した。私は図書目録を色々めくって見て、蔵書の貧弱なのに驚いた。殊に新しい文学書や、小説などはまるでないのだ。新井白石の「折りたく柴の記」が私の注意を惹いただけだった。

「これが尾道の唯一の図書館か」

私は今更ながら尾道の文化のプーアなことにいや気がさした。こんな繁華な町でこんなお粗末な学芸施設で済まされる商人達への軽蔑を感じた。私は失望と憤りのようなものを抱いて、列席していた。

来会者も寥々としていた。鬚髪霜のような老校長は沈痛な顔をして、式辞を朗読した。

「尾ノ道の地由来文化なし、いはんや文政をや。茲を以て殷賑の市未だ一つの図書館だになし、豈恥じざるべけんや……」

老校長の式辞はこう初まっていた。私は共鳴を感じた。彼は市当局や、有志達に当っているように思われた。つづいて彼は開館の如何に困難であったかを述べ、蔵書の甚だしく貧弱であることを訴えて後に、

「されども市民一日も心の糧なかるべからず。命をつなぐの糧は必ずしも美肴たるを要せず、米、麦、豆にて足れり」

私はこの一句が胸にじんとこたえた。私の内の浮華なものを刺されたような気がした。私は新刊の恋愛小説などが無いと言うので軽蔑していた矢先きだったので、老校長の苦心と、その質実な心ばえとに強く打たれた。

私はこの勧工場で毎日番をしていて、遊ぶことの許されぬ安子のことを思った。

少女と、恋と、小説との事ばかり思って、学校まで休んで華やかな街をあこがれて来ている自分のことが浮いた、のんきな、しゃれもののような気がして恥ずかしくなった。

私はもう田舎の中学校に帰って勉強しようとその時決心したのであった。

つづいて私のこの決心を強める出来事が二つ起った。

一つは安子と高見山へ登ったことだった。これは彼女に瀬戸内海の景色がホノルルのよりも美しいことを知らして、彼女の郷愁を解消させようと思って私が誘ったのであった。

私たちは彼女と彼女の兄と三人が出かけて山に登った。

高度はさ程でないが、坂はなかなか急であった。私は初めは威勢よく歩いていたが、段々疲れて息切れがして来た。彼女は靴で岩伝いに敏捷に歩いて元気であった。彼女の兄はまたがっしりと粘り強く余裕綽々として見えた。

「あんたは健脚だね」

と私が言うと、安子は息切れしてる私を見て笑いながら、

「ホノルルは高い火山脈があって、登りなれてるもの」

と言って、疲れを見せなかった。

絶頂に辿りついた時には私には気分が悪く吐気を催して、しばらくは景色を見る気もしなかった。

「存外弱脚だわね」

と彼女は私をからかって、美しい狐のような軽い脛付きで岩の上にひょいひょい登って、景色を見晴らしていた。

テニス、自転車、登山、彼女はスポーツでは私より一歩上だった。

負けじたましいの私は内心ひどく屈辱を感じた。

私は体を練らねばならぬ。

私は心にこう誓っていた。ところがそれから十日たたぬうちに「御所」のグランドで福山中学と尾道商業との野球の試合があった。

スポーツ好きの安子に誘われて、私はそれを見に行った。

雪のように白いユニフォーム。日に焼けた、単純そうな顔。選手たちは健かに美しかった。ノックの響きは夏空に快くこだました。

両軍みどろに奮闘した。応援の旗は波がしらのようにひるがえった。歓呼と斉唱。

安子は夢中になって試合を見ている。私はいつも見て来た試合が今日だけは特別に印象した。

私はスポーツと体育との美的精神に目ざめた。

試合は僅少の差で福中の勝利に帰した。

キャプテンが選手たちを率いて優勝旗を受けに進んだ時に、息を凝らしていた安子が私に言った。

「いいわね! スポーツマンあたし大好きだわ」

私も彼等の健康と気魄の美に打たれていた。けれども安子の言葉は何故かなやましく痛く私にひびいた。

僕も体を練ろう!

私はこう決心していた。母校の建物が私の目に浮んで来た。三つの川の巴を描くところ、七日市河原のグランドの清らかな姿が。

白帆会の演説。文章。学芸。――私を待っている光栄がそこにほほえんでいるのではないか。

恩師や、学友たちの顔、顔、顔。

私は学校へ帰ろう。あの山間の中学校へ!

それでは玉の浦の自然よ。寺々よ。さようなら。わけても私と睦みあった少女たちよさようなら。ありがとう! 君たちは私の年少の夢を美しく呼びさましてくれた。私の初々しい生命に火を点じてくれた。陰電気を蓄電してくれた。私は君たちによって富まされ、潜勢力を得てこれから学校へ帰るのだ。見よ、私の神経衰弱は癒された。今や私は健康に充ち、知識慾に充ちた青春十八の中学生である!

かようにして多感の思い出を残して、私は尾道を去ったのであった。

Chapter 9 of 13
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