Chapter 1 of 3

哲學の研究に入るに當つて、人生問題其他の實踐的動機よりするものは暫く之を省き、單に其の理論的關心よりするものに就て考察すれば、其中に於て大體二樣の方向を區別し得ると思ふ。一は科學研究と關聯するもので、一は哲學史より入るものである。科學研究との關係にも又二種の別がある。或る科學原理を擴張して哲學原理とし、若しくは其原理より類推して或る哲學原理を構成するが如く、直接に科學から哲學に移り行くものであつて、一は此の如く科學に基づく哲學原理を建設しようとは試みず、たゞ是等科學の性質を吟味して其の基礎を確立せんとするものである。十九世紀の中葉に於て獨逸哲學の大組織崩潰後に榮えた哲學は、所謂科學的哲學中の第一種に屬するものであつたが、其後次第に其の科學自身の根據を檢討する要が生ずると共に、其は次第に第二種の科學的哲學に移り行つた觀がある。所謂第二種の科學的哲學は即ち科學の批評と稱せらるべきもので、新カント派の勃興と共に一時哲學の中心問題となつたものであるが、之に反して第一種の科學的哲學は科學を其まゝ哲學とする自然主義的實證主義的諸哲學説や、科學を超越したる哲學體系を組織せんとする自然科學的形而上學と稱せらるべきもので、何れも概して自然科學者出身の人々によつて唱道せられたものであつた。而して是等の學風が流行して居た時勢に際して、愈々、本來哲學研究より出發した人々は、多くは哲學史の研究に沒頭し、若しくは之によつて自家の見解を構成せんとすることに傾いて來た。即ち所謂第一種科學的哲學の時代に於ては、哲學史より哲學に入ることが、寧ろ正統哲學者の執るべき道と考へられて居たと言つてよいと思ふ。尤も正統といふのは其が優つてゐるとか、眞正だとかいふ意味ではない、たゞ其が傳統的哲學者の群に屬することを指すのである。

哲學史から哲學に入るものにも亦二種の別が認められる。一は古來の哲學史を通覽し、其中に存する或る論理的關係を認めて、其處に哲學の問題と立場とを發見しようとするものである。一は之と異つて、一二の哲學大體系に就て其の憑依すべき所を求め、其中に存する問題と概念とを發展分析してこゝに自家の學説を構成しようとするものである。前者は哲學史を一個の統一體と見るもので、之によつて大體系を組織したものとしては何人もヘーゲルを指摘し得るが、ヘーゲル學説の一時權威を失つた頃には、勢此種の哲學史觀も一般に認容せられず、哲學史研究に入る者は漸次其中に存する各種事實の細點に就て、考證穿鑿を試みるやうになり、之を概括する※さへも避ける傾向があつたから、況して之から自家の哲學説を抽出す如きことを試みることを敢てするものなどはなかつた。隨つて哲學史の研究者は專門的に哲學史研究家となり、之によつて哲學説を構成せんとするものは一二の古哲を宗師として自説に資するやうになる。ヘーゲルの後に伯林大學の哲學講座を占めたトレンデレンブルクがアリストテレスを自説に資したのは即ち此種の例とするに足りるであらう。然し此の如き企圖も廣くは行はれず、多くの哲學々究は哲學史研究と科學批評の哲學とを以て其の學的良心を滿足せしむべきものとして居たといつてよい。是が十九世紀末から二十世紀初に至る獨逸哲學界の趨勢であつたが、佛國も英國も大體に於て同樣の傾向を示して居たのみならず、日本の學界も亦一時は大體に於て此時勢を反映して居たのである。

筆者が學窓に在つてまだ哲學の名稱をも耳にすることの少なかつた時代は恰かも十九世紀中葉の思想が一般に有力であつた時であるが、其後漸くにして哲學を學び初めた頃は、實に此思想の下にある人々と既に新時代の機運に接した人々との見解が錯綜した時代であつた、而して其は親しく教を受けた諸先生や諸先輩の講演文章に於てよく之を證することが出來る。此の如くして筆者自身は、とにかく其時代に於ける最新の科學の理論と研究とを窺ふ機會を得たが、最早之を概括して體系を構成しようなどゝ試みることはなく、たゞ次第に學び得たるカント哲學若しくは新カント派の所説に從ひ、其等科學原理の批評を以て哲學の任務とするに至り、一面不完全ながら古來哲學の發達の傾向に通ずると共に(東洋の研究に就ても幾分か接觸し得たが此點は暫く省く)其の論理的關係を探ることに努めたが、ヘーゲルの如く之によつて直ちに自家の體系を導き出さうとはせず、さりとて未だ哲學史の精細なる專門的考證に入る餘裕はなく、此場合に於ても亦批評哲學の方法を應用し、科學原理に對すると同樣に哲學的事實に對しても批評的考察を施し、此に若干の結果を齎し得れば足れりとし、若し之を得るに至らざれば、其批評を録するのみで學究の一目的を達し得ようとして居たのである。是は單り筆者の態度といふことは出來ない。大體に於て十九世紀末から二十世紀初の世界學者の大勢といつてよいであらう。

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