Chapter 1 of 3

白金塊の紛失

紅色ダイヤ事件の犯人は、意外にも塚原俊夫君の叔父さんでしたから、悪漢の捕縛を希望しておられた読者諸君は、あるいは失望されたかもしれませんが、これから私のお話しするのは、先年来、東京市内の各所を荒らしまわった貴金属盗賊団を俊夫君の探偵力によって見事に一網打尽にした事件です。

十月のある真夜中のことです。正確に言えば午前二時頃ですから、むしろ早い朝といった方がよいかもしれません。一寝入りした私は、はげしく私たちの事務室兼実験室の扉を叩く音に眼をさましました。

「俊夫さん、俊夫さん」

と女の声で、しきりに俊夫君を呼んでいます。私が、

「俊夫君」

と言って、隣の寝台に寝ている俊夫君を起こすと、

「知っているよ、ありゃ木村のおばさんの声だ」

と言って俊夫君は大急ぎで洋服を着て、扉を開けにゆきました。

木村のおばさんというのは、親戚ではありませんが、俊夫君の家から一町ばかり隔たった所に小さい貴金属品製造工場を持っている木村英吉という人の奥さんで、俊夫君がよく遊びにゆきますから、きわめて親しい間柄なのです。

「俊夫さん、大変です。たった今うちへ泥棒が入って、大切な白金の塊をとってゆきました。早く来てください」

とおばさんは顔色を変えて申しました。

「どこで盗まれたのですか?」

「工場です」

「まあ、心を落ちつけて話してください。その間に仕度しますから」

と言って俊夫君は、例の探偵鞄の中のものを検べにかかりました。

おばさんが息をはずませながら話しましたところによると、昨日津村伯爵家から使いが来て、伯爵家に代々伝わる白金の塊を明後日の朝までに腕輪にして彫刻を施してくれと頼んでいったそうです。

この白金の塊はこれまで度々盗賊たちにねらわれたものであるから、じゅうぶん注意してくれとのことで、おばさんのご主人の木村さんは、助手の竹内という人と二人で十二時まで仕事をし、それから竹内さんだけが徹夜するつもりで仕上げを急いでおりました。

ところが、木村さんが寝床へ入って、うとうととしたかと思うと、何か工場の方から異様な物音がしてきたので、早速とび起きて、工場の扉をあけて見ると、中は真っ暗であったが、妙な鼻をつくような甘酸いような臭いがしたので、はっと思って電灯をつけると、驚いたことに助手の竹内さんは細工台のもとに気絶して倒れ、白金の塊が見えなくなっていたそうです。

「すぐ警察へ電話をかけようと思ったのですけれど、夜分のことではあるし、それに、俊夫さんの方が警察の人よりも早く犯人を見つけてくれるだろうと思ったので、お願いにきたんですよ」

とおばさんは俊夫君の顔をのぞきこむようにして申した。

「おばさん心配しなくてもいいよ。白金の塊はきっと僕が取りかえしてあげるから」

十分の後、私たちは木村さんのお宅につきました。助手の竹内さんは、その時もう意識を回復して、平気で口がきけるようになっておりました。

竹内さんの話によりますと、木村さんが工場を去られてから四十分ほど過ぎた頃、突然、外から誰かが硝子を割ったので、驚いて顔をあげると、割れ口からいやな臭いのする冷たい風がヒューッと吹いてきて、そのまま覚えがなくなってしまい、木村さんに介抱されて正気づき、初めて白金の塊のなくなったことを知ったというのです。

俊夫君はこの竹内という人を、虫が好かぬと見えて、これまで、よく私に「いやな奴だ」と申しておりましたが、今、竹内さんの話を聞きながらも、俊夫君は、時々睨むような目付きをして眺めましたから、私は俊夫君が竹内さんに嫌疑をかけているのでないかと思いました。

竹内さんの話を聞いてから、俊夫君は木村さんについて工場へ行きました。いやな臭いがプンとしてきました。工場は居間の隣にあって、居間よりも一尺ばかり低く、タタキ床で、三方が壁に取りまかれた八畳敷位の大きさの室でして、居間とは扉で隔てられております。窓は北側にあって二枚の硝子戸がはめられ、その外側には鉄格子がつけられてあります。そして窓から二尺ばかり離れて細工台が置かれ、その上には色々の瓶や細工道具がぎっしり置きならべられ、なお三方の壁には棚がつけてあって、その上にも、色々の瓶や化学器械がいっぱい置きならべてありました。

俊夫君は探偵鞄の中から拡大鏡を出して、まず床の上を検べました。けれど、別に手掛かりになるような足跡などは一つもなかったと見えまして、やがて、窓の中側に落ちている硝子片を熱心に検べ、硝子の割れ穴の大きさをはかりました。それから硝子戸をあけて格子を見ました。果たしてそのうちの二本が鑢で切られ、左右へ折りまげてありました。

それから俊夫君は閾を検べ、さらに、懐中電灯を取りだして、戸外を照らしました。地面には芝生がいっぱいかぶさっていまして、硝子の破片はその上にも落ちていました。俊夫君は、何思ったか、しばらくの間その破片をじっと見つめておりました。

「なかなか気のきいた泥棒だ」

と、俊夫君は嘲るように申しました。俊夫君がそういう言い方をするときは、必ず反対の意味を持っております。すなわち「気の利いた泥棒」というのは、「間の抜けた泥棒」という意味にとって差し支えありません。

それから、俊夫君は細工台の上の物や、細工台についている引き出しの中のものをいちいち丁寧に検べました。次に棚の上のものも同様の熱心をもって検べ、箱らしいものはみな蓋を取って中を検べました。まるで白金が工場のどこかに隠されてでもあるかのように、いわば血眼になって捜しました。最後に西側の下の棚の上に、盆にのせた土瓶と茶碗とがあるのを見て、俊夫君は木村さんに尋ねました。

「このお茶は誰が飲むのですか」

「私ですよ」

とこのとき工場へ入ってきた竹内さんが申しました。その口のきき方がいかにも俊夫君を馬鹿にしているような口調でして、私もいささか腹がたちました。

俊夫君は土瓶の蓋を取って見ました。

「竹内さんが飲むお茶だけに、中々うまそうな色をしている」

と、俊夫君も負けてはいません。ずいぶん皮肉な言い方をした。

工場の中の検査を終わった俊夫君は、居間へ来てから木村さんに申しました。

「工場の検査はこれですみましたよ」

「手掛かりはありましたか?」

と木村さんは俊夫君の顔をのぞきこんで尋ねました。

「まだ大事な検査が残っているから、それがすまなければ何とも言えません」

「それは何ですか」

「木村さんと竹内さんの身体検査です」

「え! わたしらがとったと思うんですか」

「何とも思わぬけれど、検査には念に念を入れておかねばなりませんよ」

「だって、私が盗むわけもないし、竹内だってもう半年もいて、正直なことは保証付きの人間ですから、それはやられるまでもないでしょう」

俊夫君はむっとして言いました。

「身体検査がいやなら、僕はこの事件から手を引きます。警察の人にやってもらってください」

木村さんも、竹内さんも仕方なしに俊夫君に身体検査を受けました。ことに竹内さんは嫌な顔をしました。すると俊夫君は意地悪くも、馬鹿丁寧に、竹内さんの洋服のポケットをいちいち調べました。しかし白金の塊は木村さんからも竹内さんからも出てきはしませんでした。

「これで身体の外側の検査が済んだから、今度は中側です」

「え?」

と言って木村さんはびっくりしました。

「中側の検査とはどういうことです?」

「白金の塊は細かにすれば飲むことができますよ。だから身体の中へ隠すことができるのです」

木村さんはあきれたような顔をしましたが、

「すると、腹をたち割って検べるのですか」

と冗談半分に言いました。

「木村のおじさん!」

と俊夫君は真面目な顔をして言いました。

「冗談はやめてもらいましょう。僕が身体の中を見たいと思うのは、見なければならぬ理由があるからです。これから駿河台の岡島先生のところへ行って、二人の身体をエックス光線でみてもらいますから、すぐ自動車を用意してください」

俊夫君の言葉がいかにもハキハキしていたので、木村さんは何も言わずにおばさんを近所の自動車屋へ走らせました。私は俊夫君の命令で岡島先生へ電話をかけました。まだ夜が明けぬ前でしたが、先生はいつ来てもよいと快く返事をしてくださいました。岡島先生は医学博士で、俊夫君が先生について医学を修めたときに我が子のように可愛がって教えてくださった人で、俊夫君のことなら、どんな難題でも聞いてくださるのです。だから、俊夫君は先生のご都合を聞かぬ先に自動車を用意させたのです。

やがて自動車がきましたので、私たち四人は人通りの少ない黎明の街を駿河台さして走りました。四人はとかく黙りがちでしたが、中でも竹内さんはにが虫をつぶしたような顔をしていました。

私は自動車にゆられながらいろいろ考えました。俊夫君が申しましたように、エックス光線にまでかけて検査するには、それだけの理由がなくてはなりません。すると木村さんか竹内さんかどちらか一人が白金を飲んでいるかもしれません。私は早く岡島先生の検査の模様が見たいものと、自動車の走るのさえ、もどかしく感じました。

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