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谷より峰へ峰より谷へ
小島烏水
穂高岳より槍ヶ岳まで岩壁伝いの日誌(明治四十四年七月)
二十日 松本市より島々まで馬車、島々谷を溯り、徳本峠を踰え、上高地温泉に一泊。二十一日 穂高岳を北口より登り、穂高岳と岳川岳(西穂高岳)の切れ目より、南行して御幣岳(南穂高岳または明神岳)の一角に達し、引き返して奥穂高岳に登り、横尾の涸沢に下り、石小舎に一泊。二十二日 石小舎を出発して、涸沢岳(北穂高岳)に登り、山稜を北行して、東穂高岳、南岳を経て、小槍ヶ岳(中の岳)、槍の大喰岳を経て、槍ヶ岳に到り、頂下に一泊。二十三日 蒲田谷に下り、右俣に入りて、蒲田温泉に一泊。二十四日 蒲田より白水谷を渉り、中尾を経て、割谷に沿い、焼岳(硫黄山)の新旧噴火口を探りて、再び上高地温泉に一泊。二十五日 宮川の池に沿いて、宮川の窪を登り、岩壁を直進して、御幣岳の最南峰に登り、各峰を縦走して、二十一日の来路と合し、降路は下宮川谷に入りて、梓川に下り、上高地温泉に帰宿。二十六日 上高地温泉を発足、徳本峠を越え、島々を経、馬車にて松本に到る。
灰
一
汽車が桔梗ヶ原を通行するとき、原には埃と見紛わぬほどに、灰が白くかかって、畑の桑は洪水にでもひたされたあとのように、葉が泥塗みれになって、重苦しく俯向いている、車中の土地の人は、あれがきのう降った焼岳の灰で、村井や塩尻は、そりゃひどうござんした、屋根などは、パリパリいって、針で突っつくような音がしましたと、噴火の話をしてくれる。
刈り残された雑木林の下路が、むら消えの雪のように、灰をなすりつけている。レールに近く養蚕広告のペンキ塗の看板が、鉛のような鉱物性の色をして、硬く平ったく烈しい日の光に向って立っていたが、汽車と擦れ違いさまに、仆れそうになって、辛くも踏み止まった。原の中の小さい池には、雲母を流したような雲の影が、白く浮んで、水の底からも銀色をした雲が、むらむら湧いて来る、丹念に桑の葉に、杞杓の水をかけては、一杯一杯泥を洗い落している、共稼ぎらしい男女もある、穂高山と乗鞍岳は、窓から始終仰がれていたが、灰の主(焼岳)は、その中間に介まって、しゃがんでいるかして、汽車からは見えなかった。これらの山々から瞰下されて、乾き切っている桔梗ヶ原一帯は、黒水晶の葡萄がみのる野というよりも、橇でも挽かせて、砂と埃と灰の上を、駈けずって見たくなった。
松本市で汽車を下りたが、青々とした山で、方々を囲まれていて、雲がむくむくと、その上におい冠ぶさっている、山の頂は濃厚な水蒸気の群れから、二、三尺も離れて、その間に冴えた空が、澄んだ水でも湛えたように、冷たい藍色をしている、そこから秋の風が、すいすいと吹き落して来そうである。
二
翌くる日、渚というところから、馬車に乗った、馬車は埃で煙ッぽくなってる一本道を走る、この辺の農家によくある、平ったい屋根と、白い壁が、青々とした杜の中へ吸い込まれもせずに、熬りつくような日の下で、かっきりと浮き上って見える、埃の路は、ぼくぼくして、見るからにかったるい、その上を日覆いを半分卸した馬車は、痩せて骨立った馬に引かれて、のろのろと歩むかとおもうと、急に憶い出したように、塵をパッパと蹴立てて駈け出す。
眼の前には、雁木の凹みのように、小さな峰が分れて、そこから日本アルプスの禿げた頭が、ぐいと出ている、雪の線が二筋三筋ほど、芒に白い斑が入ったように、細く刻まれて、荒ららかな膚に、美しい白紐を引き締めている。
馬車は一里もある松林へ入ると松は左へ左へと、すくすくと影を土に落して、往来には、太くまたは細い飛白が織られる、年々来るところであるが、ことしはその松林の一区域が、伐り取られて、切株ばかりの原には、芒がぼうぼうと生えている、褐色の蝶が風に吹かれ吹かれて、急にひろくなった原の上を、迷い気味に飛んで行く、林の半ばほどの路で、立場茶屋に休む、渋茶を汲んで出された盆の、菓子皿には、一と塊まりの蠅がたかって、最中が真ッ黒になって動いている、アンペラを著た馬が、尾をバサリと振るたびに、灰神楽をあげたように、黒いのが舞いあがる、この茶屋は車宿をしているが、蚕もやるらしく、桑の葉が座敷一杯に散らかって、店頭には駄菓子、ビール、サイダーなどが並べられてある。
乗鞍岳は、始終よく見えたが、林に入る頃には、前山に近くなっただけ、頭をちょっと出して、直ぐ引っ込んだ、常念山塊には、雲が鮨でも圧すように、平ったく冠さって、その隙間から、仏手柑のような御光が、黄色く焦げるようにさしている、路端に御嶽大権現だの、何々霊神だのという、山の神さまや、行者の名を刻んだ石塔を見るにつけても、もう山国へ来たという感じが、あわただしく頭をそそる。
アルプスおろしの風は、馬車のズックの日除けを吹きまくって、林の中へ通りぬけ、栗の青葉にバサバサ音をさせて、その行く末は千曲川の瀬音をみだしている、立場の茶屋の前を、水がちょろちょろ流れているのは、さすがに気持がいいが、見る限りの青草は、埃のために灰色に染めかえされて、蜘蛛の巣までが、埃を荷って太くなっている、立場つづきの人家は、丈は低いが、檜や椹の厚板で、屋根を葺いて、その上に石コロを載せている、松林の間から、北の方に、藍色に冴えかえったアルプスの山々を見ると、深沈とした空の碧さと冷たさが、頭脳の中までしんと透き通る、雪袴を着けて、檜木笠を冠った女たちが、暑い日盛りを、林の中で働いている、林を出切ると、もう梓川に沿って、山の狭い懐中へと、馬車は揺られながら、入って行くので、間もなく、アルプスの駅路に突き当りそうなものだという感じを、誰にも抱かせる。
三
馬車は新淵橋を渡った、車中の客は、川沿いの高い崖に、丈が達くまでに枝をのしあっている老楊を、窓から延び上って見た、楊の葉にも幹にも灰がべったりとこびりついて、皺だらけの顔に化粧をした白粉が、剥げてむらになったようで、焼岳という嫉みぶかい女性の、待女が繊細い手を出して、河原に立ちながら、旅客を冥府の谷底に招き寄せているのではあるまいかと思われた、崖の高い、曲りくねった路には、長い蔓を這わせて、葛の三ツ葉が、青く重なり合い、その下から川の瀬音が、葉をむくむくと擡げるようにして、耳に通って来る、対岸の山を仰ぐと、斜めに截っ立った、禿げちょろの「截ぎ」の傍には唐松の林が、しょんぼりと黒く塊まっている。
山の宿屋というものを、思わせる「糸屋」と看板を出した旅籠屋には、椽側に紡車を置きっ放しにして、ひっそりかんとしている、馬車はここで停まった。
私は重い行李を、車の中にしばらく置き去りにして、島々橋を渡った、橋の下は、島々谷の清い水が、蜻蛉の羽を見るように、底の石を綾に透かして、落ち口には、卵の殻のような、丸い白石が、おのずと並べられて、段を作っている、石灰岩の上を流れるために、いつも濁っている梓川の本流に、この島々谷の水が、いきおい込んで突きかかるところは、灰と緑と両様の水が、丁字に色別けをされて、やがてそれが一つの灰白色に、ごっちゃにされて、縺つれ合いながら、来た後を振り返り、振り返り、グイグイと流れて行くのを見ていると、この流れにも、焼岳の灰が交っているのではあるまいかと、おもわれる、そこから島々谷の水源の方を仰いでは見たが、青々とした山々が、幾重にも襟を掻き合せて、日本アルプスの御幣のような山々を、その背後に封鎖して、見せようともしない。
島々の清水屋では、それしゃのあがりらしい女房が、昨日からお待ち申していたの、案内者を用意して置いたのが、ムダになったが、未だ足留めをしているのと、よくひとりでしゃべくる、二階に上って、烏賊に大根おろしをかけたのを肴に、茶のいきおいで、ボソボソした飯を掻き込む、大根の香物が、臭いのには少なからず閉口させられた、かみさんに云い付けて、馬車から行李を運ばせたりしているうちに、頼んで置いた嘉代吉(老猟師嘉門次の悴)も、仕度が出来て待っているというので、単衣を洋服に着換えるやら、草鞋を引きずり出すやらで、登山装束を整える、そんなことをして午を過ごした。
四
島々谷に沿って、溯って行くと、杉やら唐松やらが、茂り合って、もうここからは、人と自然の間に線を引かれている、この谷へ入るのは、人間が草木のある土を歩くのではなくて、草木の世界に人が無理やりに割り込んで行くのである、初夏の青が緑になり、緑の上にも年々の黒い緑が塗られて、蒼黯い葉で丸く塊まった森は、稀に入って来る人間を呑み込んで、その蒼い扉をぴったりと閉じ、シンと沈黙してしまう、唐松の梢が、風にさやさやと揺めくと、今まで黙っていた焼岳の灰が、梢を放れて粉雪ほどに、人間の肩に落ちかかる、赤蜻蛉が、谷川の上を、すーい、すーいと飛んで行く、空は帯のように細くなってしまう、稀に来る人の足音におどろいて、小さい黄色の蝶の群れがパッと一時に舞い立つと、秋の黄ばんだ銀杏の葉のように、上を下へと入り乱れる、私の友人で、昆虫学者なるT君が、去年私と一緒にこの路を通りながら、島々谷ぐらい、胡蝶の多い谷はすくないと言われたのを憶い出して、しばらくは飛んで行く黄色い小さな魂を見つめていた。
この谷は、しばらくは、一方は截っ立った崖で、一方は森の下道である、そして板橋一つで、向う岸へ往ったり、こっちへ来たりするので、橋が多い、その板橋を渡る時には、いつも冷たい風が、上流の方から吹いて来る、それは雪を含んで来るのでなければ、氷のように冷たい水のおもてを吹いて来るからであろう。
私は路々に白いものが飜ぼれているのを、注意して見たが、それは蝶の翅の粉が、草に触れ木になすられて、散ったように、澱んでいるのであるが、よく見ると例の灰である、傷を受けて遁げ足をする獣のあとに、濃い碧の血が滴れているように、日に一寸だめし、五寸だめしに、破壊されている焼岳が、顫いたりわめいたりするときに、ところを嫌わず、苦痛の署名をして行くのがこの灰である、先刻の梓川の河原にもあった、古楊にもあった、葛の裏葉にもついていたが、島々谷に入ると、黒い粘板岩にも熊笹の葉にもこすられていて、その大部分は風に吹かれ、雨に洗われるであろうのに、残ったのが、未だ執念深く、しがみついているのである。
むかし戦国時代、飛騨の国司、姉小路秀綱卿が、いくさに負けて、夫人や姫君と共に、落ちのびるところを、追手に殺されたという、執念の谷に、執念ぶかい焼岳の煙が靡き、灰が降りかかるのである。
谷が蹙まるに随って、両崖の山は、互い違いに裾を引いて、脚部を水にひたしている、水はその爪先を綺麗に洗って流れて行く、ノキシノブの、べったりと粘いた、皺の皮がたるんだ桂の大木や、片側道一杯に、日覆いになるほどに、のさばっている七葉樹やで、谷はだんだん暗くなる、その木の下闇を白く抜いて、水は蒼暗い葉のトンネルを潜って、石を噛んでは音を立てる、小さな泡が、葉陰を洩れた日の光で、紫陽花の花弁を簇がらしたような、小刻みな漣を作って、悠ったりと静かにひろがるかとおもうと、一枚硝子の透明になって、見る見る、いくつも亀甲紋に分裂して、大きな水粒が、夕立降りにざあと頽れ落ちたり、飛び上ったりする。
私はくたびれたので、椹の大木の根元に腰をかけて、嘉代吉と話をしながら、梢の頭をふり仰ぐと、空は冴えた碧でもなく、曇った灰でもなく、乳白色の雲が、銀光りをして、鱗のようにぬらぬらと並び合い、欝々と頭を押しつけて、ただもう蒸し暑く、電気を含んだ空は、嵩にかかって嚇かしつけるようで、感情ばかり苛立つ、そうして存外に近い山までが、濃厚な藍色や、紺色に染まって、緑と青のシンフォニイから成った、茫とした壁画を見るようで、強く暗く、不安な威圧を与える、さすがに谷の底だけに、木の根にも羊歯が生えたり、石にも苔が粘びりついたりして、暗い緑に潜む美しさが、湿おっている。
谷が狭くなるほど、両岸は競り合うように近くなって、洗ったような浅緑の濶葉に、蒼い針葉樹が、三蓋笠に累なり合い、その複雑した緑の色の混んがらかった森の木は、肩の上に肩を乗り出し、上から圧しつけるのを支えながら、跳り上った梢は、高く岩角に這いあがり、振りかえって谷を通る人を、覗き込んでいる、この谷を通る人は、単調な一本道でありながら、山の襟が折り重っているので、谷がまだ幾筋も出ていると知り、奥山の隈がぼーっと青くなっているので、日が未だ高いのであると思っている、そうして前の山も後の山も、森林のために、肌理が荒く、緑にくすんだところへ、日が映って、七宝色に輝き出すと、うす暗い岩屏風から、高い調子の緑が浮ぶように出る、弱い調子の青が裏切って流れる、印象派の絵画に見るような色彩の凹凸が、鮮明に流動している、私はそれに見惚れていたが、ふと足許を見ると、大きな款冬の濶葉のおもてが、方々に喰い取られたような、穴を明けられ、繊維が細かい網を織っている、そうしてその網の一本一本に、例の灰が白くこびりついている、このような自然の虐げの怖ろしさを、閑谷に封じて、焼岳は今もなお、山の奥の方で、燃えさかっていることであろう。