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念仏の家
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念仏の家
小寺菊子
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Chapter 2 of 5

二

奥の座敷に落ついてから、いろ/\と懐古的な話のつきないうちに、あの人も死んだ、この人も死んだ、と二十年のあひだに幾人も死んでゐる話が、私と何等交渉のなかつた人達であつても佗しく思はれたが、土産に持つて来た海苔の缶をそこへ列べながら、

「義雄さんは今どちらにお住居ですか? たしか大分前から富山にゐられるときゝましたが……」

ときくと、

「それがあんた、七年前に流感で死にましてね、可哀さうなことをしました……」

と、お文さんは袖口で涙をふき/\語つた。私に嫌はれて三年の後、気の進まない結婚をしたときいてゐたが、七年も前に死んでゐようとは思はなかつた。少女時代、私が読みものが好きだからと云つて、田舎には滅多にない雑誌や書物を、どつかゝら探し出して来ては持つて来てくれたりして、実直一方の堅い青年だつたが、どうも私は嫌ひであつた。義雄と結婚して、一生田舎で安全な生活をしようなどゝいふ心は毛頭なく、東京へ出て勉強したい願ひで、十七歳の少女は一杯だつたのである。

「まあ、亡くなられましたか、そんなに早くね、随分お丈夫さうな方でしたのに………」

お文さんの涙につりこまれて眼を伏せると、窃かな哀感が私の胸にしみた。たとへ、東京へ出ないとしても、私には只規丁面でこち/\にかたまつた義雄のやうな青年に、なんの魅力をも感じられなかつたのだ。私はむしろ、幼少の時から許嫁であつたといふ、この家の主人の次兄、当時の医学生であつた政二の方をよつぽど好きだつた。だが、彼は加賀の医学専門学校へ入つてから底なしの放蕩者になり、私の父にもさん/″\迷惑をかけたので、親類一同愛想をつかしてしまひ、私の縁組は解消したのである。

お文さんは私が金ピカの袋に入れて持つて来た母の歯骨を仏壇に飾つて拝んだ。聖武天皇時代既に越中文化の中心として仏教が開けてから、この国の人々の楽しみは、ひたすら他力信心に縋るより他ないのだつた。その盲目的信仰によつて生れたものは、かうなるのも前世の約束といふ宿命的「諦め主義」であつた。

私は最近に撮つた母の写真と、若い時分の父の写真とを出して、お文さんに見せた。お文さんも過去の人々の写真を出して来た。皆それ/″\に見覚えのある人達が、一人々々この世から消えて行つたことを思ふと、実に淋しい気持だつた。

「お実家へ帰つたと思うて、ゆつくり泊つて下はれませぬ。」

昔から優しい性質の女で、容色よしのお文さんは、私のために「ばい、蟹、いかの刺身」などこの国自慢の献立をして私を悦ばせた。ピチ/\とした男児の孫が三人もあるし、家の中が賑かだつたが、伜――孫の父親――の嫁が去年病死してから、伜は非常に落胆して、神経衰弱で寝てゐると云つて私に会はせない、それが私にある疑問を抱かせずにおかなかつた。

「又呼吸器ぢやないかな?」

今の主人の兄もそれだつた、その妹もそれだつた、そして、その兄の娘もさうだつたし、まだ他にもその病気で倒れてゐる筈だつた。家が徒に広いばかりで陽が当らない――一つは雪が五尺も六尺も一晩に降るために、防寒を第一の目的として建てられたこの国の家屋は、南の椽でも庇が深くて日当りがわるいから、自然古寺のやうに陰気である。その陰鬱な薄暗い室々に、或は天井に、柱の木目に、額の裏に、先代が、その妹が、その娘が、次々と残して行つたであらう数知れぬ黴菌が、如何にのんきに悠々といつまでも這ひ摺り廻り、家中で一番弱い人間の頭の上へと落ちて来たのではあるまいか? 衛生知識の乏しい上に、仏教思想の影響で、早くも世の無常を観ずる習慣から、肺病といへば、あゝさうか、又か、倉も屋敷も持つてゆかれるぞ、今のうちに用心しよう、とすぐに匙を投げ出して、いくら金があつても徹底的の療治をしてやらぬ習慣になつてゐる、病人こそ実に気の毒であるのだ。私はそれを感じてうそ寒くなつた。十九歳で肋膜から肺になつて死んだ私の兄も、大方こゝの家から始終黴菌を撒らしに来てゐたゝめだらう、と思つておぞましかつた。

Chapter 2 of 5
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