Chapter 1 of 16

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現代忍術伝

坂口安吾

その一 正宗菊松先生就職発奮のこと

戦乱破壊のあとゝいうものは、若い者の天下なのである。昔から変りがない。野武士といえば柄がよくきこえるが、手ッとり早く云えば、当今の集団強盗、やがて一家をなしてボスとなる。これが昔なら大名だ。集団強盗の手先をつとめる浮浪児の一人が、顔は猿に似ているが、智恵がある。しかるべく立身出世して天下をとったのが豊臣秀吉という先輩なのである。同じような浮浪児の一人が、小坊主に仕立てられたが、寺を逃げだして、油の行商をやって小金をもうけ、大名にとりいって武士となったが、主人を殺して城と国を盗んでしまった。そんな大名もあった。

戦乱破壊のあとのドサクサには、いつの世も浮浪児や集団強盗がハバをきかせるもので、やがて一国一城のボスとなり、三十年もたって孫子の代になると、大名、貴族、名門などと云われて、人間の種が違うように思われてしまうが、根は浮浪児や集団強盗の出身なのである。

こういうドサクサ時代というものには、没落階級はつきもので、変化に応じて身を変えられる、青年の天下であり、甲羅ができて身を変えられぬ老人共はクリゴトを述べるばかりで、ウダツがあがらぬ習いである。

現代とても同じこと、法治国、文明開化のオカゲによって一応の秩序は保たれているように見えるが、裏へまわれば、裏口営業もあるし、巡査はボスの手先をつとめ、税吏は酒池肉林の楽しみをつくす。地頭や代官、岡ッ引と変らない。大名会議の席上、大名の一人が前をまくってジャア/\やったり、男大名が酔っ払って女大名を口説いた。これは表芸の方であり、裏芸の方ではワイロをせしめたカドによって小菅の方へ引越したという。上は総理大臣より浮浪児パン助に至るまで、ドサクサまぎれに稼ぎのできる人材を新興階級といい、末は大名貴族となる名門の祖先なのである。

ところが、ここに、物の本には現れてこない一群の人間層があるのである。十五六から二十七八に至る少青年層の半分ぐらいをしめて、野武士でもなければ、武士でもないし、坊主でもない。これを、学生、生徒とよぶのである。この新発生動物層は果して何物であるか、というのが、本篇の主人公、正宗菊松氏の胸にいだいた恐怖の謎であった。実にむつかしい謎である。今までルルと述べてきた心境は、正宗菊松氏の偽らざる胸の思いで、作者の関知するところではない。

正宗菊松氏の胸の思いがここまでくると、武者ぶるいだか、恐怖のふるいだか、わけの分らぬ胴ぶるいが起って、

「よし、畜生! オレだって、やってみせるぞ。ウヌ」

蒼ざめて、卒倒しそうになる。戦闘意識なのであるが、どうも、然し、ミジメであった。勝つ人間の余裕がない。

思えば彼も終戦の次の年まで中学校の歴史の先生であった。終戦までの学生、生徒は決して謎の動物ではなかったのである。正宗菊松先生は威勢よく号令をかけて、生徒をアゴで使うことができた。今は逆であった。

彼はもう五十を越していたが、歴史の先生ではメシがくえない。学生はアルバイトなどということをやって、悠々とタバコをふかし、ダンスホールへ通っているが、先生は配給のタバコを買う金もないのである。ついに転業のやむなきに至った。そのとき、彼が見つけた広告は、

「実直なる五十年配の教養ある紳士を求む。高潔なる人格を要す。高給比類なし。天草商事」

というような文面であった。高給比類なし、と並んで高潔なる人格を要す、とあるところに目をつけたのは、やっぱり、それだけの能しかない証拠であった。

「天草商事」の玄関で、先生は先ず安心した。かなり大きな三階建のビルディングを全部使っている相当な大会社である。看板をみると大変だ。天草商事の下に「天草ペニシリン製薬」だの「天草書房」だの「天草石炭商事」だのと十幾つとなく分類がある。

すでに五十年配の求職者が十人ほどつめかけていたが、みんな戦災者引揚者というウス汚れた風采で、一帳羅のモーニングをきこんできた正宗菊松先生ほど、高潔なる人格を風貌に現している者はなかったから、ウム、これはシメタ、とほくそえんだ。こゝまでは、よかった。

いよいよ彼の番がきて、社長室へ通される。大きな社長室のまんなかのデスクに、二十三四のチョコ/\した小柄の青年が腰かけている。全然青二才であるが、その左右に腰かけているのが、まったく同類の青二才なのである。

青二才の一人が履歴書をとりあげて目を通しながら、

「ハハアン。××学校の歴史の先生かア。じゃア、あなた、柴野ッてヨタモンみたいな奴、知ってるだろ? いま銀座でダンスの教師やってやがら」

薄笑いをうかべて呟いたが、それから、眉をよせて、真剣らしい顔付になった。

「歴史の先生じゃア、あなた、ソロバンは、できないでしょう。うちじゃア、実直な会計係がいるんですけどね。歴史じゃアねえ。前職が先生ッてのは、まア、いゝんだけど」

すると、まんなかの社長席の青二才が、上から下まで彼をジロ/\ながめていたが、

「なア、オイ、雑誌の編輯の方は、どうだい? 例のマニ教の訪問記だよ。この人なら、もぐりこめやしないか。おい、みろよ、モーニング、ヒゲもあら。使えるじゃないか」

「なーる」

先刻の青年は合槌をうち、感にたえたかニヤリとした。三人の青年が、にわかに好奇の目をかゞやかして、彼の風采を上から下まで眺めはじめたのである。彼はまだ一言も喋らなかった。

ぶるぶると恐怖の胴ぶるいが走ったのは、そもそも、この時がはじまりであった。彼の平凡な一生に於て、こんな謎深い恐怖にかられたことはこの時まではなかった。

「ウン、いゝね。これは、いゝや」

青年はこう判定を下して、社長席の青年にニヤリと笑いかけた。

「じゃア、あなた雑誌の編輯の方、やって貰いましょう。雑誌の方は、ボクが編輯長なんです。それから、こちらが社長、そちらにいるのが業務部長、ボクら、みんな、まだ、大学生なんです」

なれなれしいものである。女性的なやわらかさであったが、彼はそれをマトモにうけとめることが出来なかった。白刃をつきつけられたような、わけの分らぬ恐怖がいつまでも背筋を這って止まらなかった。それでも彼はこの質問をきき忘れるわけには行かない。胴ぶるいをグッと抑えて、必死の構え。彼が大学生というものに必死の闘争意識をいだいたのは、この日をもってハジマリとする。

「失礼ですが、社長さんは、天草商事の中の天草書房の社長ですか」

彼が胴ぶるいをグッと抑えていることなどには、青年は問題を感じぬらしく、いつも涼しく、にこやかであった。

「いゝえ、天草商事全体の社長なんですよ。天草次郎とおっしゃいます。ですけど、編輯長のボクと、業務部長の織田光秀は書房の方の専属ですよ。もともと、今もとめている会計係も、書房の方でいるんですがね」

と、彼はもう、正宗菊松の返答もきかないうちに、入社したものと決めたらしく、名刺を一枚わたした。高級美談雑誌「寝室」編輯長、白河半平、と刷ってある。

「ボク、白河半平、かいてあるでしょう。ボクのオヤジ、面倒くさくなっちゃったんだね、子供の名前を考えるのがね。その気持は、わかるね。お酒に酔っ払った勢いで、シャレのめしたんですよ。知らぬ顔の半兵衛とね。だから、覚え易いでしょう。ほらね、知らぬ顔の半兵衛の白河半平、アッハッハ」

ひとりで、喜んで、笑っている。薄馬鹿みたいなようであるが、どうも薄気味わるくて、うちとけられない。すると、半平は、又、ちょッと考え深そうな顔にかえって、

「あなた、雑誌の編輯できますか? できないでしょうね。いゝですよ。ボクが教えてあげますから、じき、なれますよ。プランの方はね、これは才能の問題だけど、割りつけや校正なんか、字さえ知ってりゃ、六十の人だって出来らア。さしあたって、ボクと一緒に探訪記事をとりにでかけるんですけどね。ほら、マニ教、知ってるでしょう。あそこへ信者に化けて乗りこむのです。天下の三大新聞だのって云ったって、新聞雑誌、みんな念入りに失敗してやがんのさ。場合によっては四五日泊りこむことになるでしょうから、明日はそのつもりで出社して下さい。九時の汽車にのるから、八時半までに出社して下さいね」

正宗菊松は、なすところを失ってしまったのである。ボウゼンとしているうちに、彼の入社は確定的なものとなっていた。すると、それからの二時間あまり、彼は続々と更に甚しい屈辱を蒙らなければならなかった。

「オイ、そのドタ靴じゃア、天草商事の重役とふれこんだって、マにうけてくれないよ。ネクタイも色が変っているじゃないか。ちょッと、上衣をぬがせてごらん」

天草次郎は残酷であった。正宗菊松の全身に鋭い目をくばって、情け容赦もなく、冷酷無慙に云い放った。半平がすぐ立上って、スルスルと駈けより、手をかして、彼のモーニングの上衣とチョッキをぬがせた。

「そんなヨレ/\のワイシャツじゃア、新円階級に見えるものか。オイ、シャツは。シャツだって、どういうハズミで人目にさらす場合がないとも限らないさ。なんだい、ツギハギだらけじゃないか。そんなんじゃア、サルマタだって、大方、きまってらアな。吋をはかって、一揃い、女の子に買ってこらせろ。オット、待て。帽子を見せろ。アレアレ、キミ、何十年かぶったの。帽子から、サルマタから、靴。何から何までじゃないか」

「アッハッハ。正宗クン。キミは幸運児だよ。入社みやげに、身の廻り一揃い、たゞで買ってもらえるなんてね。運がいゝや」

と、半平は天草次郎から札束をうけとると、品物を買わせに、女の子を使いにだした。

屈辱、忿怒。それは身もだえるばかりであったが、はねかえす力はなかった。天草次郎の視線がジッと自分にそそがれると、恐怖にかられて、背筋が水を浴びたようになる。彼は観念の目をとじた。かようなテンマツによって、天草書房編輯員という彼の新職業がはじまったのである。

その日までは、大学生というものを、ナンキン豆のアルバイトをやり、タバコをくわえてダンスホールへ通い、太平楽な奴らだと思っていた。これも戦争のせい、同類が戦野に血を流し、未来ある生命を無為に祖国にさゝげた仕返しのようなものだ、と、むしろ同情をよせていた。彼も歴史の先生である。戦乱破壊のあとに何が起るかということを、過去にてらして正しく判断するに誤る筈はなかったのである。

だが、大学生というものが、このような新動物であろうとは! 彼は天草商事へ就職するのが怖しかった。

天草次郎の見るからにチャチなチンピラのくせに残忍無慙にくいこんでくる視線が怖い。白河半平の妙になれなれしく、女性のように柔和な笑顔も気にかゝる謎であった。これをマトモにうけとめるには必死の努力がいるのであった。

「ウヌ。畜生め! オレだって、やってみせるぞ」

と、彼がこう呻いたのは、そもそも就職の当日からだ。怒りと恐怖のカクテルの胴ぶるいである。自分が悪魔になったような覚悟がこもっているのである。すくなくとも、魔力なくして為しとげられぬ仕事である。然し、その瞬間における仕事とは、編輯の仕事の意味ではなかったのである。

過去の物みなが没落する。老人は枕を並べて没落する。然し、オレだけが、さからってみせる。負けてたまるか、という意味なのである。けだし悲愴とは、このことであろう。

厳然たる歴史にさからってみせてやる、というのであるから、容易ならぬ話である。

思うに、この就職の瞬間に於ける胴ぶるいと覚悟の中には、自らも野武士となって一戦又再戦を辞せず、悪鬼妖怪となっても勝たざるべからず、大学生とは倶に天をいたゞかず、というほどの意味がこもっていたのかも知れなかった。然し、勝つべきようには思われない。胴ぶるいなどというものは、それが武者ぶるいであるにしても、ちょッと哀れなものである。彼の胸の思いは切なかった。

その二 白河半平深謀遠慮のこと

翌日新装に身をかためて出社すると、ほかの部屋にはまだ人影がなく、書房の編輯室にだけ、白河半平が二人の女の子を指揮して、お弁当や、オミヤゲの包みをつくらせている。よほど早くから来ていたらしい。勤勉なものである。

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