Chapter 1 of 6

山の中の山中村

乗合自動車は又々坂へ差しかゝった。○○町の中学校から村へ帰る卓造君は隅っこに大きな体躯を縮めて居睡りをしていた。連日の学期試験が今朝終った。これから長い暑中休暇が始まる。

「この切通が出来て大助かりですよ」

と一時喋り止んだ老人が扇子をパチ/\させながら又やり出した。

「以前はこゝを胸突と申しましたな」

と中老が受けた。

「然うですよ。ひどいところでした。それをガラクタ馬車で通ったんですから随分無法な話です」

「私の乗っていた前の馬車がこの先で谷へり落ちましたよ」

「危いことでしたな」

「怪我人が出来て大騒ぎをしていました。それもその一人がお医者さんでしょう。さあ、お医者さんを呼んで来いと言っても、その人が村のお医者さんでしたから、何うも仕様がありません」

「それは/\」

「到頭一人手後れで死んだとか申しましたよ」

「全く命がけでしたな、昔のガタ馬車は」

「馬って奴は気紛れですからね」

「然うですとも。それに坂へ差しかゝると可哀そうでなりません」

「人力も気の毒ですよ」

「あなたはこの辺の馬車に等級のあった頃を覚えていますか?」

「はあ?」

「等級ですよ。一等二等、いや、上等中等下等と三つありましたよ」

「はゝあ。存じませんな」

「○○町へ鉄道が出来てから間もないことですから、もう彼れ是れ四十年の昔になりますよ」

「それじゃ私が子供の時です」

「同じ馬車に上等中等下等がありました。私は当時必ず下等でした。『おい、若い衆、下等で行こう』と馭者が定めてしまうから仕方がありません」

「一体何ういう風に分けてあるんですか?」

「山路へ差しかゝると、血気盛んな男の客は下りて車を押します。馬の手伝いです。それですからこれが下等です」

「成程」

「それから車体を軽くする為めに唯下りる丈けの客があります。これが中等です」

「上等は?」

「上等は女子供か年寄に限ります。これは一切下りません」

「はゝあ、巧い考えですな」

「それでいて馬車賃は皆同じです、動物を劬り弱いものを扶けるという精神が現れています、この頃から見てもナカ/\進んだ考えじゃありませんか?」

「成程、感心しました」

「昔ならこの学生さんあたりは下等です。迚も安閑と寝ちゃいられません」

と老人は実例を示す為めに卓造君を見返った。しかし卓造君はもう覚めていたから、ニッコと笑った。

「おや/\、起きていた。失礼々々」

「下りて押しましょうか?」

と卓造君は如才なく冗談を言った。

「ハッハヽヽヽ」

「私は中等ですな」

と中年男が言った。

「然うです。未だ/\先があります。私は上等です。しかし人中で大切にされるようになっちゃお仕舞いです。何ならもう一遍下等へ後戻りをしたいものですな」

と老人は帽子を脱いで禿頭を煽いだ。面白い爺さんだ。皆クス/\笑った。

「私は薄々覚えがありますよ」

ともう一人、学校の先生らしい白詰襟の中年男が膝を進めた。

「はゝあ」

「初めて汽車が通った時、私は尋常、さあ、何年でしたかな、兎に角、尋常生でしたよ。今日は陸蒸汽が通るから成るべく見に行くようにといって、学校が休みになりました」

「然う/\、陸蒸汽、陸蒸汽」

と先の中年者が思い出した。

「角町からその陸蒸汽の初物を見物に行く時、例のガラクタ馬車に乗りましたよ。上等中等とは気がつきませんでしたが、坂道へかゝる度に皆下りて押しました」

「それは陸蒸汽の時じゃありますまい。汽車が通り始めてから馬車が出来たように私は覚えていますがな」

と老人は首を傾げた。

「いや、その前からでしょう」

「いや、○○町へ鉄道がかゝったから角町との交通が頻繁になってガラクタ馬車が出来たのです」

「然うでしたかな」

「その前までは……いや、これは私の勘違いでした。汽車は予定より一年後れましたよ。それで矢張りガタ馬車の方が先です。失礼しました」

「何うも然うだと思っています」

と詰襟は安心した。

卓造君はこの三里の坂道を自動車で上ったり下りたりして角町に着く。それから又二里歩くと生れ故郷の山中村だ。もう一遍逆に言えば、山中村は角町へ二里、角町から○○町へ三里、真に辺鄙なところだ。汽車に乗るまでに都合五里の山路を登ったり降りたりしなければならない。山中村は名詮自性、山また山の中にある。

暑中休暇は親子兄弟を結びつける。卓造君が帰って数日すると、師範学校へ行っている弟の正次郎君が帰って来ることになった。晩の九時に着くというハガキだったから、卓造君は角町まで出迎えたが、待ちぼうけを食った。十時になっても弟の姿が乗合自動車の中から出て来ないので、諦めて引き返した。夏の夜道は苦にならない。矢張り師範へ行っている息子を迎えに行った人が道連れだった。

「何だい? 一人かい?」

と卓造君の父親は失望した。

「乗後れたのらしいです」

「小寺は?」

「小寺君も見えません。小寺君のお父さんも迎えに来ていましたが、諦めて一緒に帰って来ました」

「小寺と一緒なら間違いあるまい。御苦労々々」

「明日の朝でしょう」

と卓造君はそのまゝ寝てしまった。一寸迎えに行っても往復四里歩くのだから草臥れる。

正次郎君は翌朝暗い中に着いて家中を叩き起した。

「まあ! 何うしたの? 今頃」

と母親は驚いた。

「乗後れて終列車へ乗ったら十一時に着いたんです。もう自動車がありません。ひどい目に会いました」

「それじゃ夜通し歩いて来たの?」

「えゝ」

「怖かったでしょう?」

「いゝえ、月がありました。それに小寺さんと一緒です。『箱根の山』を歌いながら来ました」

と正次郎君は一角の手柄を立てた積りだろうが、声を嗄らしていた。

「草臥れたろう」

と父親が劬った。

「何あに」

「寝ないで五里歩いちゃ溜まらない。何か喰べて早速休みなさい」

「平気ですよ」

「少し変な足つきだぞ」

と卓造君が冷かした。

「マメを踏み出したんです」

と正次郎君は跛を引いていた。

「虚勢を張らないで早く寝ろよ」

「実は大分痛いんです。家へ入ったら急にいけなくなりました」

「それ見ろ」

と卓造君は自分の床を直してやった。

正次郎君は昼過までグッスリ眠った。元気恢復すると、もう寝てはいられない。一学期分話が積っている。弟や妹も珍らしがって側を離れない。

「何うですか? 足は」

と母親が訊いた。

「又腫れたようです」

「まあ宜いや。口は丈夫だから話そう」

と卓造君は一日弟の相手を勤めた。

正次郎君と一緒に帰った小寺君も二三日の間マメで歩けなかった。そのことから卓造君の父親は、

「角町の奴等が馬鹿だったものだから、皆がこんなに難渋するのさ」

と言った。

「何故ですか?」

「鉄道を○○町へやってしまったからさ」

「しかし角町は余り要害堅固ですから、鉄道の方で敬遠したんでしょう? 仕方がありません」

と卓造君は自分の感じているところを述べた。

「何あに、角町の奴等に時勢を見る明がなかったからさ。政府の計画は本線が角町を通ることになっていた。それを逸早く嗅ぎつけたのは感心だが、後が悪い。角町を筆頭に六ヵ村が反対運動を起して、折角の鉄道を○○町へ寄進についてしまったんだからね」

「然ういう話を聞いていますが、本当でしょうか?」

と正次郎君が訊いた。

「本当とも」

「余り馬鹿々々しいです」

と卓造君は笑っていた。

「この頃の人間の頭じゃ迚も信じられないが、当時は皆一生懸命でやったのらしい。角町に唯一人賛成者があったが、そこの家へ石を投げ込むという騒ぎさ」

「誰です? その賛成者は」

「尾崎さんさ。呆れ返って東京へ行ってしまった。それぐらい目先の見える人だから、あんなに成功したんだよ」

「豪い人は矢っ張り違いますね」

「此方は反対成功祝賀会を開いてお祭り騒ぎをしたんだからお話にならない。現に田川の伯父さんはその時酔っぱらって、角町からの帰りに百間川へ落ちて死にかけたと言っている」

「今度訊いて見ましょう」

「田川は有志家だったから、その頃からソロ/\身上をへらしたのらしいよ。大伯父さんがこの村の代表だったそうだ。東京まで請願に出掛けたんだから真剣さ」

「一体何ういう理由で反対したんでしょう?」

と正次郎君は合点が行かない。

「それは分っている。鉄道が来ると交通が便利になるからさ」

「分りませんな」

「交通が便利になれば、第一にこの辺の米を皆持って行かれてしまう。第二に他所の人間が入り込む。つまり飢饉と泥棒を招くようなものだと思って、無暗に怖がったんだね」

「成程」

「○○町だってそれと知ったら反対したろうが、角町に出し抜かれて、突如押しつけられたものだから、否も応もない。しかし徳をした」

「実際ですな」

「大きな拾い物さ。角町とは較べものにならなかった貧乏町が鉄道のお蔭であの通り発展したんだからね。中学校女学校は無論のこと商業学校まである上に今度また農学校を取ってしまった。角町は近頃女学校が出来たばかりだ」

「それは交通が便利だから何うしても敵いません」

と卓造君は○○町へ行っている丈けに公明正大だった。

「その便利な交通を恐れたものだから、角町は損をしたのさ」

「それじゃ角町が鉄道に反対しなかったら、僕は家から中学校へ通っていたでしょうね?」

「無論さ」

「惜しいことをしましたよ。角町の損は結局この辺一帯の損です」

「つまり田川の大伯父さんが中学校を○○町へ追いこくったようなものさ」

「春秋の筆法を用いれば、明治何年ですか? 田川の大伯父、角町に交通不便を齎し、中学校を○○町へ追う。ハッハヽヽ」

「して見ると田川の伯父さんがお前の寄宿料を出すのは当り前だよ」

「ハッハヽヽヽ」

「先代からの約束ごとさ」

と父親は妙なところへ結論を持って行った。

「ところで僕は今日あたり伯父さんのところへ御機嫌伺いに行かなければなりません」

と正次郎君が思い出した。

「俺がつれて行ってやる」

と卓造君が引受けた。

「睦さんは相変らず銀行ですか?」

「近頃やめたそうだよ」

「何故ですか?」

「角町へ行って僅かばかりの月給を取っても割に合わないと言っていた。安いから不平なんだろう」

「百間川の水力電気は何うです?」

「あれも駄目らしい」

「早くあれが何うかならないと兄さんは困りましょう」

「何あに」

「伯父さんは大きなことを考えていますな。しかし成功するかも知れませんよ。僕はこの間の晩百間川を渡る時拝んで来ました」

と正次郎君は殊勝らしいことを言った。

卓造君はこの田川の伯父の援助を受けて○○町の中学校へ入っている。もう五年生だ。斯ういう事情の下に勉強するものは油断がない。一年生以来首席で通して来た。尤も他に修業の便宜がなかったでもない。若し父親の一存に委せたら、弟の正次郎君のように師範学校へ行って矢張り優等生になっていたろう。父親は小学校長だから、最初から師範を主張した。初等教育に対する職務上の熱心もあったろうが、子供の多いに鑑みて家計上の都合もあった。しかしその頃の卓造君はそんなことに頓着なく、

「宗像君も安藤君も中学ですから、僕も中学へやって下さい」

と願い出た。

「宗像さんや安藤さんは金持だから東京の学校へでも行ける。家は違うよ。師範へ入りなさい」

「でも僕は先生になりたくないんです」

「それじゃ仕方がない。百姓をするさ」

「百姓も厭です」

「それじゃ角町へ奉公に行くか?」

「商人は嫌いです」

「それじゃ何になりたいんだい?」

「豪い人になりたいんです」

「師範へ入っても豪い人になれるよ。俺が法を教えてやる」

と父親は瞞し賺したが、卓造君は納得しなかった。到頭、

「何うか中学へやって下さい。僕、○○町まで毎日歩いて行きます」

と実際問題を持ち出した。

「五里あるよ」

「朝五時に出掛ければ八時に着きます」

「山路だよ」

「僕、足は丈夫です」

「天気の日ばかりはないよ。一日十里歩いて勉強が出来るものか」

と父親は考え込んだ。角町○○町間を乗合自動車が通う。しかしそれに乗せて家から通学させれば寄宿舎へ入れるのと同じぐらいな勘定になる。要するに費用の問題だった。訓導の俸給がもう二三割上らない限り、永久に解決がつかない。

「あなた」

と或日母親が口を出した。

「何だい?」

「毎日同じことばかり言っていても仕方ありませんから、私、田川へ行って相談してみます」

「駄目だよ、昔の田川なら兎に角」

「でも、兄さんは卓造が好きですから、何うにか都合をつけて下さるかも知れませんよ」

「教育者たるものが自分の子の教育が出来なくて助力を仰ぐなんて不見識な話だ」

と校長先生、骨が硬い。

「それじゃあなたは卓造が可愛くありませんか?」

「俺は俺なりに教育する」

「でも師範は厭だと言って毎日泣いているじゃありませんか?」

「今に分るよ」

「分りませんよ」

「それじゃお前は何うする積りだい?」

「あなたの御見識は下げませんから、御安心下さいませ」

「しかし無心をするんだろう?」

「いゝえ、唯これ/\ですってお話をします。すると兄さんは『まあ、お待ちよ』と仰有いますよ」

「そんな計略を使うのは無心より悪い」

「構いませんわ。あなたには他人でも私には親身の兄ですもの」

「厚かましい奴だ」

「あなたは卓造って名を誰につけて戴いたか覚えていらっしゃいますか?」

「田川の兄さんさ」

「田川の兄さんを名づけ親に頼んだのは、私、斯ういうことがあるかも知れないと思ったからですよ」

「豪い遠謀があったんだね」

「私、屹度何うかして貰いますわ」

と母親は成算があった。

田川というのは母親の里である。同村で山一つ下の字だ。その辺を流れている川も田川と呼ぶ。地名を苗字に名乗っているくらいだから、代々金持だったが、先代が県会議員に当選すること二回、それで身上が大方行きついてしまった。当代になっても村政に関係したり公共事業に奔走したりして、殖すよりも耗す方へばかり廻っている。格式は高いが、実力が伴わない。而も出すものは金持並だから苦しい。何処の村にもこの種の旧家が必ずある。評判丈けは好い。しかし結局潰れてしまう。

一部始終を聴き取った田川の主人公は、

「それじゃ何うしても中学へ行きたいと言うのかい? ふうむ、成程、ふうむ」

と再三頷いた。

「毎日泣いています」

と卓造君の母親は俯向いていた。

「中学へやっちゃ何うだね? 師範へやるのも同じことじゃないか?」

「いゝえ、違いますわ」

「何故?」

「師範ならお小遣丈けで済みますけれど、中学の方は悉皆此方持ちです」

「しかしお前のところは校長さんじゃないか? 村で一番の月給取だよ」

「その校長さんの月給では月謝丈けなら兎に角、寄宿の賄料までとなると迚も出し切れません」

「矢っ張り楽じゃないかね?」

「あの子一人じゃありませんからね。それで二人がかりで言い聞かせるんですが、思い込んでいますから、ナカ/\承知しません」

「それは子供だもの、無理もない」

「持て余した揚句、気休めの為めに、私、『それじゃ田川の伯父さんのところへ相談に行って来ますから』と言って出て参りました。明日にも卓造を寄越しますから、何うか兄さんが能うく言い聞かせて下さいませ」

「何て? 何て?」

「中学を思い切るように」

「お雪、まあ、お待ちよ」

と田川さんはもう反応を示した。

「蛙の子は蛙ですから、矢っ張り師範へやって先生に仕立てます。昔は昔、今は今、宗像さんや安藤さんの真似は出来ないんですから、その辺を兄さんから能うく……」

「まあ、お待ちよ」

「子供って本当に聞き分けのないもので、私……」

と卓造君の母親は襦袢の袖を目に当てた。

「お待ちよ、お待ちと言ったら、まあ、お待ち」

と田川さんは声を励まして、

「お前こそ分らないよ。自分の言うことばかり言っていて俺に口をきかせない」

「…………」

「一体月いくらかゝるんだね?」

「さあ」

「言って御覧」

「月謝と賄料で二十円」

「それから?」

「それ丈けでございます」

「お安い御用だ。俺が出そうよ」

「私、兄さんのところへ御無心に上ったんじゃありませんわ」

「それは分っているが、俺も黙って見ちゃいられない。お前の子は田川の家の子も同じことだ。田川の家の子が思い通りの教育を受けられないようなら、俺は先祖代々に対して顔が立たない」

「…………」

「それに卓造は俺が名づけ親になっている。何うにかするよ、それぐらいのことは」

「兄さん、お家の方は本当に大丈夫ですか?」

「つまらない心配をしなさんな。卓造が中学を卒業するまでには百間川へ水力電気が来る。然うなれば大学へやってやるよ」

「そんな遠い先のことは又のお話にして、中学の方は宜うございますね?」

「宜いとも」

「有難うございました」

と卓造君の母親は完全に目的を達した。

爾来卓造君は田川の伯父から月二十円宛の補助を受けて勉強している。伯父も義理ばかりで背負い込んだ仕事でない。今の世の中は何か一つ纒まった専門がなければ渡れないということを身代が細るにつれてツク/″\感じている。自分も若い頃東京へ遊学に出掛けて中途半端で帰って来た。長男も同様、物にならないでしまった。親類を見渡しても、皆似たり寄ったりの無気力な連中ばかりで単に徒食している。それで田川の血を引いたものから何うかして一人家名を揚げるものを出したいのだった。この故に卓造君が休暇で帰って来て顔を見せると、伯父は必ず、

「何うだな?」

と訊く。

「相変らずです」

と卓造君が答えた丈けでは承知しない。スミスの大代数という古色蒼然たる原書から問題を出す。昔習った変則英語で卓造君の発音を正す。それから、

「英語と数学が一番大切だよ」

「はあ」

「宗像や安藤に負けちゃ困るよ」

「大丈夫です」

「一生懸命でやりなさい。百間川へ水力電気が来れば大学までやってやる」

と激励してくれる。

大伯父が鉄道に反対して中学校を○○町へ追いこくったとはいうものゝ、四年五年とお世話になり続けると、気の毒でならない。卓造君は夏休みに帰宅して以来、閑なものだから種々のことを考える。既にこの春高等学校を受けないでしまったのが残念で溜まらない。規則正しい修業は諦めているものゝ、兎角思い出す。しかしそんな繰言よりも来年卒業してからの問題だ。これがひどく胸を圧する。中学丈けでお仕舞いにすれば、宙ぶらりんで、なまじ受けた教育が場合によると禍になる。何とかして専門学校ぐらい卒業したい。自分の強情で中学校へ入った卓造君は今や当然行き当るべき運命に直面した。

「卓造」

と或日父親が呼んだ。

「何ですか?」

「こゝへお出」

「はあ」

「お前は来年卒業したら何うする? もうソロ/\考えても宜い時分だよ」

「考えています」

「然うだろうと思った。可哀そうに、顔色が悪い」

「…………」

「伯父さんの水力電気を当てにしていても駄目だよ」

「それは分っています。もうこの上はお気の毒でお世話になれません」

「それじゃ学問は諦めるか?」

「…………」

「角町へ行って銀行へでも入っちゃ何うだね?」

「銀行へ入るくらいなら、初めから商業学校へ入っています」

「会社は?」

「会社も同じことです」

「すると矢っ張り学問をやりたいんだね?」

「はあ」

「困ったものだな。そのくらいなら俺の言うことを聞いて師範へ入れば宜かったのに。成績次第で高等師範へ入れる」

「僕は先生は嫌いです」

「卓造、ハキ/\物を言うのは宜いが、俺を前へ置いて、先生が嫌いだとは些っと穏当を欠きはしまいかな?」

「済みませんでした」

「お前は相変らず夢を見ているんじゃなかろうかね」

「…………」

「豪い人になりたいと言うんだろう?」

「具体的に然うは考えません」

「それじゃ何う考える?」

「僕の一生は一度しかない一生です」

「それだから?」

「遺憾なく、出来る限り」

「何うする?」

「やって見たいと思います」

と刻み/\力を込めた。学若し成らざれば死すとも帰らずなぞと安っぽいことを言いたがらない男だ。

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