Chapter 1 of 194
木堂と剣
1・7(夕)
犬養木堂の刀剣談は本紙に載つてゐる通り、なかなか通なものだが、その犬養氏を頭に戴いてゐる国民党が鈍刀揃ひの、加之に人少なであるのに比べて、犬養氏が秘蔵の刀剣は、いづれも名剣づくめで、数もなかなか少くなかつた。
そんな名剣も貧乏神だけは何うにも出来ないものと見えて、犬養氏は最近和田維四郎氏の取持で、所蔵の刀剣全部を根こそぎ久原家へ売渡す事に定めた。それと聞いた犬養夫人が眼頭に涙を一杯溜めて、
「三十年もかゝつて漸と溜めたんですもの、私には子供のやうにしか思へません。せめて一本でも残して置きたいもんですね。」
と言ふと、犬養氏は狼のやうな頭を厳く掉つた。
「私が一本でも残してみなさい。世間の人達は、犬養め一番好いのだけ一本引つこ抜いて置いた。狡い奴だと噂をするだらうて。」
と、てんで相手にしなかつた。
刀剣はその儘引つ括めて久原家の土蔵に持込まれたが、流石に三十年の間朝夕手馴れたものだけに、犬養氏も時々は思ひ出してついほろりとする。国民党の脱会者だつたら、思ひ出す度に、持前の唐辛のやうな皮肉を浴びせ掛けるのだが、相手が刀剣であつてはさうも出来ない。
それ以来犬養氏は、刀剣が恋しくなると、手近の押形を取り出してそれを見る事に極めてゐる。
「で、かうして毎日のやうに押形を取出してる始末なんだ。そこでこの頃は画剣斎と名乗つてゐるんだが、もしかこの押形まで手離さなくつちやならない時が来たら、その折はまあ夢剣庵とでも名乗るかな。」
と、葱のやうに寒い歯齦を出して笑つてゐる。画剣斎も、夢剣庵もまんざら悪くは無いが、もつと善いのは寧そ剣の事なぞ忘れてしまふのだ。そして剣の代りに生きた人間を可愛がる事を心掛けるのだ。