Chapter 2 of 5
二
一隻の舟が或る家の裏戸の無花果の蔭に繋いである。其の舟は無花果の葉蔭になつてゐるので、舟の繋いであることは知つてゐながらも、女が鍋を洗ふ波紋が水一面に広がつて行くのなどが目に在つて、其の舟のことは余り心にとまらなかつた。ところがいつの間にか其の舟は動き出して、葉蔭から徐々と現はれて来た。やがて其の舟は、路傍の木に鼻柱をくゝり上げられた牛が大道の真中へのさばり出たやうに、終に目の前に横はつた。何故此の舟が独りで斯くの如く動くのであらうかと思つたら、最前から無花果の葉を吹き、汀の蘆を靡かしてゐた秋風が又此の舟を動かすものであることが判つた。