Chapter 1 of 4

古事記は、上中下の三卷から成る。その上卷のはじめに序文があつて、どのようにしてこの書が成立したかを語つている。古事記の成立に關する文獻は、この序文以外には何も傳わらない。

古事記の成立の企畫は、天武天皇(在位六七二―六八六)にはじまる。天皇は、當時諸家に傳わつていた帝紀と本辭とが、誤謬が多くなり正しい傳えを失しているとされ、これを正して後世に傳えようとして、稗田の阿禮に命じてこれを誦み習わしめた。しかしまだ書卷となすに至らないで過ぎたのを、奈良時代のはじめ、和銅四年(七一一)九月十八日に、元明天皇が、太の安萬侶(七二三歿)に稗田の阿禮が誦む所のものの筆録を命じ、和銅五年(七一二)正月二十八日に、稿成つて奏上した。これが古事記である。

かようにして古事記は成立した。その資材となつたものは、諸家に傳わつていた帝紀と本辭とであるから、さかのぼつてはこれらの性質をあきらかにし、ひいてはこれらが古事記において、どのような形を採つているかを究めなければならない。

帝紀は、帝皇の日繼ともいう。一言にして云えば、天皇の歴史である。歴代天皇が、次々に帝位を繼承された次第は、天皇の大葬の時に、誄詞として唱えられていた。その唱えられる詞そのままでは無いだろうが、たぶんそれと同じものから出て更に内容の豐富になつたものが、比較的早い時代から、既に書卷の形になつて存在したのであろう。推古天皇の二十八年(六二〇)に聖徳太子等によつて撰録された書卷のうち、天皇記というのも、この種のものであつたのだろう。奈良時代には、帝紀、日本帝紀など稱する書物の存在したことが知られ、日本書紀に見える帝王本紀というのも、同樣の書物であつたのだろう。

本辭は、また舊辭ともいい、これらの語は、古事記の序文以外には、古い使用例が無い。その内容は、神話、傳説、昔話、物語の類をいうものの如く、まとまつた書物とはならなかつたようであるが、その或る一部は、既に文字によつて記されたものもあつたようである。

帝紀や本辭に、誤謬が多くなつているという觀察がなされたのは、種々の原因があるだろう。一つには主として口誦による傳來において、自然に生じた差違があるだろう。時代の推移に伴なつて、新しい解釋も加わり、また他の要素を取り入れて成長發達もしてゆくであろう。また一方には、諸家に傳わるものは、それぞれその家を本位として語り傳えられてゆくために、甲の家と乙の家とで、違つたものを傳えることにもなる。例えばアメノホヒの命の如き、古事記に採録した傳來では、よくは言わないのだが、その神の子孫であるという出雲氏の傳來では、忠誠な神とするような類である。

かくの如くにして諸家に傳來した帝紀と本辭とに對して、これを批判して整理されたのが天武天皇であり、これを誦み習つたのが稗田の阿禮であり、これを文字に書き綴つたのが太の安萬侶であつて、古事記は、この三人の共同事業ということになる。

そこで古事記には、帝紀を材料としたものと、本辭によるものとがあるはずであり、今日の研究の段階では、ある程度これを分解することができる。帝紀については、他に文獻もあつて、大體どのような内容のものであるかの推測ができるので、まず古事記について、帝紀から來たと考えられる部分を抽出する。そうして殘つた部分が、本辭から來たものと見るのである。

かくして古事記が、帝紀の記事と本辭とを繼ぎ合わせて成つたものであることがあきらかにされる。兩者が巧みに融合している部分もあり、またどちらから來ているか問題になる部分もあるが、大體においては分解が可能であり、これによつて古事記の性格もあきらかにされるのである。傳來の形にしても、從來ある一部の人によつて信じられていたように、現在の全形で古くから語り傳えられていたものでは無いことがわかる。

古事記の内容は、天地のはじめの物語から始まつて、推古天皇の御事蹟に終つている。上卷は、神代の物語、神話と呼ばれるものであつて、これは本辭を材料としているであろう。しかしこれもはじめから纏まつて語り傳えられたものではなくして、もと遊離して存在していた神話を、ある時期に繼ぎ合わせて成立したものと考えられる。

さて中卷は、神武天皇から應神天皇まで、下卷は仁徳天皇から推古天皇までの計三十三代の天皇の御事蹟である。この二卷は、帝紀の記事を骨子として、これに本辭から來た材料を配合して成立している。三十三代のうち、神武、崇神、垂仁、景行、仲哀、應神、仁徳、履中、允恭、安康、雄略、清寧、顯宗の各天皇の記事は、本辭からの材料を含んでいると見られて、長大複雜であり、他の二十代の天皇の記事は、主として帝紀のみに依つたものの如くで、簡單である。この簡單の部分は、帝紀の原形そのままであるとも斷言はできないけれども、少くも帝紀の原形を窺うに足るものである。そこでもし帝紀の原形を窺おうと思うならば、例えば綏靖天皇の記事のような簡單なものを見ればよいのである。しかし帝紀からの材料によつている部分でも、后妃や皇子皇女に關しては、家々の傳來を取り入れているものもあるだろう。

帝紀と本辭とを組み合わせて書かれている部分は、大體、帝紀の記事を二つに分け、その中間に本辭からの物語を插んで成立しており、また天皇崩後の物語をその後に附けているところもある。神武天皇の御事蹟は、帝紀と本辭とが巧みに融合して、分解することがやや困難であるが、その他は大抵容易に分解することができる。

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