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墓が呼んでいる
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墓が呼んでいる
橘外男
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Nguyên bản Public Domain
Chapter 5 of 17

三

やっぱりくたびれ切っていたのでしょう? ほんの一時間か二時間、微睡むつもりでいたのに、私が眼を醒ました時はもう夕方とみえて、天井には電気が、……さすがに電気はないとみえて、これも故国の習慣なのかも知れません、部屋の隅には金の燭台に大きな西洋蝋燭が、二つも朦朧と照らしているのです。

見知らぬ異国へでも、彷徨い込んだような気持がして、寝呆け眼でぼんやりと、焔を瞶めているうちに、ハッとして私は跳ね起きました。いけん、ここは知り合いの家ではない! と、気が付いたのです。いつの間にか硝子戸も閉ざされたとみえて、模糊と漂っている春の夕暮れの中に、さっきまでの明るい紺青の海ももうまったくの、ドス黝さに変っているのです。

もう間もなく、夜の帳も降りるでしょう。暮れるに間のないこの夕暮れ眼がけて、この見知らぬ高原へ飛び出す勇気はありません。慌てて階下へ飛んで降りて、ちょうど勝手口から出て来た、姉か妹かわかりませんが出逢い頭の娘に、私はペコペコと頭を下げて、眠り過ぎてしまった不覚を謝りました。

そして、暮れかかるところを眼がけて飛び出すのは、どうにもヤリキレヌから厚顔しい願いだけれど、もう一晩だけ泊めて欲しい、その代りさっきのような、あんな立派な部屋でなくても結構だから……納屋の隅でも、かまいませんからと、本音を出して頼んだのです。

「オホホホホホホホ」

と娘は面白そうに、笑い出しました。

「そんなに仰しゃらなくても、いいんですのよ、……そうですとも、こんなに暗くなってからお出かけになんか、なれやしませんわ。そんなところに立ってらっしゃらないで、こっちへいらっしゃい!」

さっきの食堂にも蝋燭が点っていれば、その隣にも、また隣にも、間ごと間ごとに蝋燭が瞬いて、殊に暖炉のある居間には、壁にも蝋燭が点いていれば、卓子の上にも、丈高い燭台に三本も点って、電気と違わぬ明るさです。闇で私の謝った娘は、姉の方だったのです。

妹娘は安楽椅子にからだを埋めて、明るい燭台の下で厚い洋書らしいものを、読んでいました。きまり悪げに頭を掻いている私を見ると、

「よく眠ってらっしゃいましたわね」

と笑いながら、顔をあげました。

「さっき、お起しして差上げようかって、……いいえ、灯を点けに行く前に……ジーナに相談したら、よくおやすみになってらっしゃるんなら、お起ししない方がいいわっていってましたの。……わたし、戸を閉めに上がったの、御存知ないでしょう?」

ジーナというのは、姉娘の名前でした。私は頭を掻きながら、赧くなりました。

「ジーナが仕度してますから、お食事、もうちょっと待って下さいね……わたしたち、一日交替で食事拵えしてますのよ」

と娘は、にっこりしました。

「お父様は?」

と聞いてみたら、

「昼からお山よ! 馬でいきましたの。貴方が越えておいでになった周防山の、もう少し右手寄りに、禿山があるの、御存知? 今日はそこへいきましたの。その山からマンガンが出るんですって! とても良質のマンガンが出るんですって……パパは鉱山技師よ」

父親は男ですから、こんな無人の高原を何とも思わないかも知れませんが、さて耳を澄ませたこの夜の静けさというものは、ないのです。あちらこちらで梟がホーホーと啼いて、夜の七時といえば都会では、まだほんの宵の口です。銀座なぞは人で、さぞ雑踏しているでしょう。

が、この無人の高原地帯では、万籟寂として天地あらゆるものが、声を呑んで深い眠りに落ちているのです。私の越えて来た山でも野でも、もう夜の獣たちが暗に紛れて、ムクムクと頭をもたげている頃でしょう。若い娘二人で、よくこんなところに住んでられるもんだなと、思いました。

「怖くないんですか?」

とまた喉まで出かかって、私は呑み込んでしまいました。幾度聞いてみたからとて、そんなことは同じ返事だからです。優しい顔をしながら、肝の太いもんだなとつくづく舌を捲きましたが、娘二人は慣れ切ったもので、何の物怯じするところもなく、私に電蓄をかけて――父親が拵えたとかいう、電気代りの回転装置をかけて、耳慣れぬユーゴの流行唄の二つ三つを聞かせてくれたり、それが終るとまた三人で食卓を囲んで、湯気の出るスープや鶏のソテーや、新鮮なアスパラガスやセロリーのサラダなぞ……。

「こんな不便なところで、食べ物は、どうするんですか?」

と聞いてみましたら、別棟に住んでいる馬丁や農夫たちが、二日おき三日おきに馬で四里離れた大野木まで買い出しに行くというのです。麺麭は家で焼かせているし、野菜はこの向うに農場があって、そこでセロリーでもパセリでもアスパラガスでも作らせているから、ちっとも不自由しないということ。

「手紙もやっぱりいったついでに、郵便局から取って来ますの」

ユーゴとはまだ、戦争中の断絶した国交のままになっているから、滅多に来ることもないけれど、それでも偶には向うで伊太利領のトリエステまでいって飛行機に積むとみえて、どうかした拍子には来ることもあるというような話なぞを、してくれたのです。

寝るのにはまだ時間が早いし、父親は戻って来ませんし、食事の済んだつれづれに、しばらく二人と雑談していましたが、その時私は初めて、この辺一帯の土地が――昨日私が降りて来た周防山のこっちから、海の方は遥かの断崖の下まで、そして北は四里先のその大野木という村の入り口まで、もちろん今父親のいっているという、そのマンガン鉱の山まで含めてこの広大な土地が、全部この家の物であるということを知ったのです。

「ほう! 大変なもんですね。それじゃ貴方のお家は、大金持じゃありませんか」

と私は眼を円くしましたが、

「別段、お金持じゃありませんわ。……ただ地所が少しあるというだけですわ……」

と姉娘のジーナは穏やかに、ほほえんでいるのです。何万エーカーとか、何十万エーカーとかいいましたけれど、そんな莫大な数量は忘れてしまいました。ともかく、東水の尾というこの字だけは、全部父親の物だというのです。そして四里先の大野木村の端れには、父親の故郷の平戸島から二十軒ばかりの百姓を連れて来て、今、開墾させているというのです。

「そうそう……この奥の方に……家から半道ばかりいったところに、綺麗な湖がありますのよ。柳沼っていって……回り一里半ばかりの、小さな湖なんですけれど、水門を作ってそこから開墾地まで、溝渠が拵えてありますのよ。ほんとうは、開墾地へ水を送るために作ったんですけれど、向うにも池があって……水の上を下れるようにって、半分はウォーターシュート用の娯楽に作ってありますの。娯楽にしない時は、荷物運搬用にもなるようにって! とても面白いんですのよ、明日の朝、いって御覧になりません?」

「ほう!」

とまた私は、歓声を発しました。

「大したもんですね、……いってみましょう、見せて下さい……明日、連れてって下さい……でも、夜になると困るから、朝のうち連れてって下さい。そして、昼っから、僕、発とう!」

「お発ちになるの、かまわないじゃありませんか? よろしかったら、ごゆっくりなさいな……」

と姉娘が、艶やかな笑みを見せました。

「そうだわ、お連れしたらきっと乗るって、仰しゃるわよ。……でも、駄目ねえ、まだ水が冷たいから……そのうち暑い日が、きっと来ますわ、その日まで遊んでらっしゃいよ」

と妹娘も口を揃えて、いうのです。乗る乗らぬはともかくとして、明日はその湖水と溝渠を見せてもらってから発とうと、私は考えていたのです。こうして話を交わしているうちに、門のところで馬の嘶きが聞こえました。

「スパセニア、ほら、パパがお帰りになったわよ」

父親が帰って来たら、今夜また泊めてもらった礼をいおうと思っていましたが、そんなことは自分たちから知らせておくからかまわないといいますし、姉娘は父親の食事の支度に勝手口へ立ちますし、疲れて帰って来た父親の食事の妨げをしてもいけないと思いましたから、勧めてくれるまままた私は、二階の寝室へ上がって寝台に横になりました。こうしてその晩も到頭、その家へ厄介になってしまったのです。

もちろん、私の心の中からこの家に対する不思議さが、消えてしまったわけではありません。なぜ、こんなところにこの人たちは住んでいるのか? そしてこの家にはなぜ、母親がいないのだろうか? なぞと、いいえそんなことが、不思議だったくらいではありません。今夜娘たちの話を聞くと、いよいよ謎のように解けぬものが、私の心の中で止め度もなく、拡がってくるばかりです。

妹のスパセニアの話によれば、父親は鉱山技師だというのです。あの周防山の麓から、明日私の行こうとしている小浜のこっちの大野木村の入口まで、この広大な土地を持っているということは、容易なものではありません。大変な金持です。その大金持が、なぜ世の中に隠れて、こんな淋しいところに引っ込んでいるのか? 引っ込んでいるのはともかくとしても、そして大野木村の開墾地まで、用水を引いているのもともかくとしても、その蜿蜒たる四里の溝渠が、なぜ、ウォーターシュートの水遊びを兼ねているのか? まさか、この二人の娘たちのためばかりではありますまい。

一体あの父親というのは、どういう人なのだろうか? なぞとそれからそれへと疑問が果てしもなく湧き起って、尽きるところがないのです。しかも、そうした疑問を抱きながらも、寝台や羽根蒲団は、相変らずふくふくとして柔らかく、円かな夢を結ぶには、好適この上もありません。考え込んでいるうちに、蝋燭の仄な光でまた私は、朝まで何にも知らずにぐっすりと眠り込んでしまいました。

満ち足りた眠りから醒めた、快い翌る日の朝は、日本人の私が慣れない肉やパンのお付き合いではお辛いでしょうと、特別に私のために米の飯を炊いてくれ、味噌汁も拵えてくれました。父親は、マンガンで夢中になっているのでしょう、その朝も早く出かけてしまったとかで、私が起きた時にはもう、姿も見えませんでした。

さて、五月晴れの麗らかに晴れた青空の下を、馬にも乗らぬ娘二人に案内されて、四頭の逞しい馬のいる馬小屋を見て――そのうち栗毛の馬だけは、今父親が乗って行って留守でしたが、もちろんこれらは、農耕用の輓馬ではありません。いずれも御料牧場育ちの、四歳、五歳という乗馬用のアラブ種ばかりです。

その立派な馬を見てから、爪先上がりの草原を海岸へ足を向けて、娘たちの家からいくつの丘を越え林を越え、野を越えて来た頃でしょうか? 風致のいい赤松の丘の中ほどで、呀っ! と思わず私は立ち停まりました。この山の中に……この山の中に! そしてそれは、なんという壮大さでしょう。

広々とした深い地下を掘り返して、縦横に鉄柱が峙ち、鉄梁や鉄筋が打ち込まれて、地下工事が施されているのです。しかも雨に打たれ風に晒されて、鉄柱も鉄筋も赤く錆びて、掘り上げられた土が向うに、山をなしています。荷揚げ機やブルドーザーなぞも打っ棄られたまま、工事半ばの立ち腐れを見せているのです。

「ほう!」

と、もう一度私は、驚嘆の叫びを上げました。もちろん今眺めているものは、地下工事だけであって、それ以上のものではありません。が、しかし、この交通不便な山の中へ、これだけの資材を搬んで、これだけの建設を進めるとは! この地下工事の費用だけでも、何十万円か何百万円か、私なぞには見当も付きません。

「何です、これは、一体? 何を作るはずだったんです?」

「父はここに、ホテルを作るつもりだったんですわ。地下一階の、地上四階の、……一時にお客が、四、五百人くらいも泊れるような……」

と感慨深げに姉娘のジーナが――昨夜の雑談で、すっかり馴染になって、もうその頃は私も姉娘をジーナ、妹娘をスパセニアと呼んでいましたが、その姉娘のジーナがしゃがんで、感慨深げに中を覗き込んでいるのです。

「東洋一の観光地を作るんだって、随分、楽しみにしていましたけれど……でも、もうそれも、パパの夢物語になってしまいましたわ。止めたんですの……止めたというよりは、お金が続かなくて、できなくなったんですわ」

「悲観しなくたっていいわよ、パパですもの、このまま引っ込んでおしまいに、なりはしないわ。またきっと、立派にやり遂げなさるわ! わたし、パパを信じているわ……今にマンガンが当れば、こんなもの、造作なくでき上がるわ」

「それは、そうでしょうけれど、……でも今のところは、一時立ち腐れね」

「ほう、東洋一の観光ホテルを!」

「そして、ここから大野木を抜けて小浜まで、自動車道路を作るつもりで、予定していたんですけれど……」

とジーナはふり向いて、丘の彼方を指さしました。口では強そうなことをいいながらも、残念なのかスパセニアも――残念そうといって悪ければ、名残惜しそうに工事の残骸を、見返り見返り金髪を靡かせながら、男のように洋袴の足を運んでいます。

これだけの広大な地所を買い占めて、これだけの雄大な大計画を立てた、娘たちの父親という人は……パパは鉱山技師だと、スパセニアはいいましたけれど、一体、どういう人なのだろうか? と、私はそんなことを考え考え、娘たちは仕事の挫折した父親の心の中を察していたのかも知れません。黙々として歩を運んでいるうちに、潮の香がプウンと強烈に鼻を衝いて、道が砂だらけになって、ようやく岬の突端へ立つことができました。

いよいよ、東水の尾岬の突端へ、出て来たのです。工事場からここまで、十二、三町くらいはあったでしょうか? そして、たった今工事場で驚嘆の叫びを上げた私は、この瞬間、またもや嘆声を発せずにはいられなかったのです。見ゆる限り海波が渺茫として、澎湃として、奔馬のごとくに盛り上がって、白波が砕けて奔騰し、も一度飛び散って、ざざーっと遥かの眼下の巌に、飛沫をあげています。

豪宕というか、壮大無比というか!

「あ、危ない、まだそこの欄干が、できていませんわよ……」

落ちたら最後、もちろん、命はありません。からだが粉々に砕け散ってしまうでしょう。眼下数百呎というか、数百丈というか? 切り立つように嶮しい断崖です。その断崖の真下に打ち寄せて来る波は、千千石湾から天草灘を越えて――万里舟を泊す天草の灘、と、頼山陽の唄ったあの天草の灘から、遠く東支那海へと列なっているのでしょう。

そして右手の方、紫に淡く霞んでいるのは、早崎海峡を隔てて天草本島かも知れません。点々として、口の津らしいところが見えます。加津佐あたりと思しい煙も、見えます……瞳を転ずると、小浜の港が、指呼のうちに入ります。万里の海風が颯々として、ここに立っていても怒濤の飛沫でからだから、雫が滴り落ちそうな気がします。

景観……大景観……無双の大景観です。父が旅行が好きなので、伴われて私も随分各地の景色を、見て歩きました。が、まだ、これほどまでに雄大無双の景観というものは、眼にしたこともありません。もう一度私は、さっきの地下工事場を、ふり向いて見ました。

あすこにもし、四階建ての大ホテルでも聳えたならば、ホテルは夜の不夜城のごとく海原遠く俯瞰して、夏知らずの大避暑地を現出するでしょう。たしかに、東洋一の大景勝地ホテルの名を恥ずかしめはしないでしょう。父親ならずとも私だって、金さえあればここへホテルを、建てたいくらいです。

「道だけは、あすこへ拵えてありますのよ。降りて御覧になります?」

なるほどジーナの指ざすとおり、二、三町先には絶壁をえぐって、急な幾百階かの岩の階段が、斜めに刳り抜いてあります。危険を慮って、そこにだけはさすがに鉄の鎖で、欄干が設けられて、波打ち際まで攀じ降りするようになっていますが、しかし私は降りませんでした。降りたところでただ飛沫に打たれるばかり、この辺の海は荒くて泳ぎも海水浴も、できる場所ではありません。ここから七里小浜近くまで行かない限り、波は穏やかにならないということです。

スパセニアのいう柳沼という湖は、そこから草原を南の方へ二、三十分ばかりの距離……なるほど、そう大きな湖水ではありません。が、水は清冽で底の藻草や小石まで、透いて見えるかと疑われるばかり、そして四周を緑濃い山々が取り囲んで、鳴き交う小鳥と空飛ぶ白雲のほかには、訪れるものもない幽邃さです。

恍惚と私は、眺め入りました。眺めても眺めても、眼に入る限り雲と山と、小鳥と鬱蒼たる樹木ばかり……もしさっきの雄大な景観がなかったとしても、浮世の塵に汚されぬこんな美しい湖一つだけでも、もし私が大人だったならば、ホテルの一つぐらい作りたくなったかも知れません。

「ホテルを作ったら、ここに白鳥を放して、快走艇や遊覧ボートをうかべて、日本へ来る外人客をみんな呼ぶんだって、パパは楽しみにし切ってましたのよ……」

湖畔に、朽ちて倒れた楢の大木があります。その幹に腰を降ろして、ジーナがいうのです。私も並んで腰をかけました。スパセニアが番人にいい付けて、水門を開いて水を落して見せるのだと、私たちを離れて遥かの小舎の方へ駈け去っていった時でした。

この辺の地所もまたこの湖も、みんな父親のものだとジーナがいうのです。一体貴方のお父様という方は、どういう方なんです? 鉱山技師でありながら、こんなドエライ土地を持って、おまけにあんなすばらしい大工事をやりかけて、こんな湖までお買いになって……お母さんもおいでにならないで、……こんな淋しい山の中なぞに住んで……と堪らなくなって到頭私は、昨夜以来聞きたい聞きたいと思っていたことのすべてを、みんな一時に口へ出してしまいました。そしてその時初めて、ジーナから詳しい身の上を聞く機会を持ったのです。

Chapter 5 of 17
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