Chapter 1 of 37

雪子は二月の紀元節の日に関西へ来てから、三、四、五と、今度は殆ど四箇月も滞留するようなことになって、当人もいつ帰ろうと云う気もなくなったらしく、何となく蘆屋に根が生えてしまった形であったが、六月に入ると間もなく、珍しいことに東京の姉から縁談を一つ知らせて来た。「珍しい」と云うのは、それが実に一昨年の三月、陣場夫人があの野村と云う人の話を持って来て以来のもの、―――二年三箇月目の縁談であると云う意味でもあるが、又、ここ数年来、雪子の縁談と云えばいつも幸子が聞き込んで東京の方へ知らせてやるのが恒例のようになっており、本家の夫婦は義兄が一度手を焼いてからついぞ積極的に心配しようとはしなかったのに、今度は義兄が先ず動いて姉に話し、姉から幸子へ知らせて来たと云う訳で、その意味に於いても珍しいのであった。尤も、幸子宛に来た姉の手紙を読むと、少し頼りないようなところもあって、飛び着く程の縁談とも云えないのであるが、ありようは、義兄の長姉が縁付いている大垣在の豪農に菅野と云う家があり、その菅野家が昔から懇意にしている、名古屋の素封家に沢崎と云うのがある、この沢崎家は先代が多額納税議員をしていたくらいな、聞えた家柄なのだそうであるが、今度菅野の姉の斡旋で、その家の当主が雪子との見合いを望んでいるのであると云う。そう云えば、菅野の姉と云う人は、辰雄の兄や姉達の中では一番幸子たち姉妹をよく知っている関係にあった。幸子はたしか二十歳の時、辰雄や、鶴子や、雪子や、妙子たちと一緒に長良川の鵜飼へ行った帰りに菅野家へ寄って一泊したことがあり、それから両三年後にも一度、矢張同じ顔触れで、茸狩に招かれたことがあった。彼女は大垣の町から自動車で二三十分も田舎道を行ったこと、ほんとうに淋しい村落の、県道らしい往還の道端から折れて奥深い生垣の径を行った突きあたりに門構えのその家があったこと、近所にはほんの五六軒の佗びしい百姓家があるだけであったが、関ヶ原の役以来と云う菅野の家は宏荘な一郭を成していて、持仏堂の堂宇が、中庭を隔てて母屋と棟を並べていたこと、苔蒸した泉石の彼方に裏庭の菜園がつづいており、秋に行った時にはそこの栗の樹に栗が沢山実っていたのを、小女たちが枝に登って落してくれたこと、御馳走と云っては手料理の野菜が主であったけれども、それが大変おいしく、味噌汁の身に入れてあった小芋と、煮付けの蓮根が殊に美味であったこと、などを覚えているのであるが、義兄の姉に当るその家の女主人が、今では未亡人になっていて、気軽な身分でもあるせいか、幸子の次の妹の雪子が未だに結婚もせずにいる噂を耳にし、何とか良い縁を見付けて上げたいと云っているのだと云うことは、かねがね聞いていないでもなかった。で、今度の話はその未亡人の世話好きから起ったことらしいのだけれども、いったい沢崎家の当主と云うのはどんな人なのか、それが雪子と見合いをしたいと云い出したのには、どう云ういきさつがあるのか、鶴子の手紙はその辺の書き方が簡単であった。ただ、菅野の姉さんの所から、沢崎氏を雪子さんに会わせたいから、兎に角雪子さんを大垣まで寄越して貰いたいと云って来た、沢崎家は数千万円の資産家で、今日の蒔岡家とは格段の相違があり、不釣合過ぎて滑稽のようだけれども、先方は奥さんに死なれて、二度目のことでもあり、既に阪神間へ人を遣って蒔岡家の家柄や雪子ちゃんの性質や容姿などを相当調べ、その上で会見を希望して来たらしいのであるから、満更の話ではないように思われる、何にしても菅野の姉さんが折角そう云って来てくれた好意を無にしては、兄さんの立ち場が困る、菅野では、さしあたり雪子さんを寄越してくれさえすればよいので、先方に関する委しいことは後で知らせると云って来ているから、どう云う事情か分らないけれども、文句を云わずに会いに行かして欲しいのである、それには、雪子ちゃんも大分其方の滞在が延びていることだし、一遍帰って来て貰いたいと思っていたところであるから、帰京の途中立ち寄ることにしたらどうであろう、別に誰が附いて来るようにとも云っていないし、兄さんは忙しいと云っているから、私が此方から出向いてもよいが、済まないけれども幸子ちゃんが附いて行ってくれると都合が好いのだが、………どうせ儀式張ったことではなく、ちょっと会わせるだけなのだろうから、気軽に、遊びに行くつもりで連れ出して貰えないか知らん、と云うのであった。

そんな工合に、姉は無造作に云っているけれども、果して雪子ちゃんが「行く」と云うであろうか。―――幸子は先ずそう思ったので、最初にその手紙をそっと貞之助に示したが、貞之助も何か唐突過ぎるような、いつもの姉に似合わない非常識なところがあるような感を抱いた。なるほど、名古屋の沢崎と云えば大阪辺にも聞えている家で、何処の馬の骨だか分らないと云うようなものではないが、それにしても、雪子に会いたがっていると云う当の相手がどんな人物か、全然調べても見ないで、向うの云うなりに雪子を差向けようと云うのは、軽率と云う批難を免れないばかりではなく、向うがそう云う身分違いの資産家であるだけに、此方が不見識のように見えはしないか。雪子はそれでなくても、今迄幾度も見合いをしては断ってばかりいるので、今後は見合いをする迄に十分先方を調べてくれるようにと云っており、本家の姉もそれはよく知っている筈なのである。貞之助は、どうもこの話は少しおかしい、と、翌日事務所から帰宅するとそう云ったが、彼はその日心あたりの方面へ二三問い合せて、沢崎家の当主のことを聞けるだけ聞いて来たのであった。そして、当主と云うのは早稲田の商科出の本年四十四五歳ぐらいの男であること、彼が妻を亡くしたのは二三年前のことであり、その妻は某堂上華族の出であったこと、亡妻との間に二人か三人子供がある筈であること、貴族院議員をしていたのは当主の父親であるが、資産状態は今も決して悪くはなく、先ず名古屋附近で屈指の富豪の中に数えられるであろうこと、―――等々は大体分ったけれども、当主の人物や性行など、細かいことに就いては誰もはっきりした返事をしてくれなかった、と云い、何にしても華族と縁組をするくらいな千万長者が、二度目とは云いながら、没落した蒔岡家の娘を貰ってもよいと思っていると云うことが、腑に落ちない、それが本当とすれば、何か知ら先方に対等の縁組が出来ないような欠点があるのかと思えるけれども、まさか菅野の未亡人がそんな所へ雪子ちゃんを世話する積りでもあるまい、と云うのであった。それで、考えられることは、矢張器量好みと云うようなこと、―――純日本式の、昔の箱入娘風の感じの人をと云う注文で、金に飽かして捜さしていたところへ、たまたま雪子のことを聞き、では兎も角も会って見ようと云う好奇心を起したか、或は又、蘆屋の家では母親以上に姪から慕われているそうだとか、いつも母親に代って姪の面倒を見てやっているのだとか、云うような評判が耳に這入って、そう云う人なら先妻の子供を可愛がってくれるであろう、子供との折合さえよければ他のことは敢て問わないと云う、案外真面目な動機から雪子に目星を付けたのであるか、まあその辺より外にないのであるが、恐らくこの二つのうちの前者ではあるまいか。蒔岡家の娘はこれこれの器量であると聞いて、どんな顔つきだか見てやろうと云う程度の、軽い好奇心を湧かしたので、会って見ても損はあるまいと云った風な、冷やかし半分の気持ではないのかと思えるのであったが、本家がそれらの点を十分に突き止めもしないで、その申込みを雪子に受諾させようとするのは、察するところ、辰雄が菅野の姉に対して「いや」と云うことが云えないからであるらしかった。種田家の末子に生れて蒔岡家へ養子に来た辰雄は、今でも実家の兄達に頭が上らない様子なのであるが、兄弟じゅうでも一番年長である菅野の姉は、辰雄の眼からは殆ど母か叔母のように見え、彼女の云うことは彼には半ば命令的に響くのであろう。雪子ちゃんは定めし好い返事をしないであろうが、そこを曲げて承知するように、幸子ちゃんから説き付けてほしい、話が成立するしないは二の次として、兎に角行かしてだけくれないと兄さんが困る、と、手紙にはそう書いてあるのであった。そして、今度の話は余り途方もなさ過ぎて望みのないような気がするけれども、縁と云うものはそう云ったものでもないし、何かにつけて菅野家の好意を受けて置くことは、雪子ちゃんのために悪かろう筈のないことだから、とも附け加えてあるのであった。

と、この手紙に追いかけて、菅野からも手紙が来た。辰雄の方へ云ってやったら、雪子さんはそちらに行っておられるとのことだから、廻りくどい方法を取るよりもと思って、直接お打ち合せする。大体のことは鶴子さんからお聞きの通りであるが、実はそのことはそんなに重くお考えにならない方がよい。それよりは、あれきり皆さんにも久しくお会いしないから、幸子さん、雪子さん、妙子さん、それにまだお目に懸ったことのない悦子さんと云うお嬢さんもお連れになって、遊びにいらしって戴きたい。田舎は十何年前と大して変ってもいないけれども、これから蛍狩の季節である。この辺は別に名所となっている訳ではないが、もう一週間も立つと、この近所の田圃の中の名もない小川のほとりでも、闇に飛び交う蛍の景色が随分美しい。茸狩や紅葉狩などと違って、これはきっとあなた方にはお珍しい見物であろう。蛍は季節が短くて、今から一週間目ぐらいがちょうどよく、それを過ぎると駄目になるのである。それに天候の工合もあって、余りお天気がつづいた時も宜しくないし、雨天でもいけない、雨の降った明くる日あたりが最もよいのである。ついてはこの次の土曜日曜の二日をそれに当てておいて、土曜の夕刻までにおいで下さったらどうであろうか。そうすれば皆さんの御滞在中に、ちょっと雪子さんが時間を割いて沢崎氏と会われるように取り計らうであろう。今のところどう云う風な都合になるか分らないが、多分沢崎氏が此方へ訪ねて来てくれて、私の家で会う、と云うようなことになるだろうと思う。それも三十分か一時間で済むのであるし、そう云っても当日沢崎氏に差支えがあるかも知れないから、それはどうなっても構わないとして、蛍狩の方を主にしてお越し願いたいのであるが、―――と、未亡人はそう書いて来たが、恐らくこれは彼女からも直接すすめてくれるように、東京の方からも云ってやったものに違いなかった。幸子は、「余り途方もなさ過ぎて望みがない」などと云いながら、義兄も姉もお腹の中はそうでもなく、案外夢のようなことを本気で願っているのではないかとも考えられたが、そう云う彼女も、近頃雪子の縁談についてはひどく弱気になっているので、この話を無下に斥けてしまう勇気はなかった。尤も、四五年前にもこれによく似た身分違いの方面から雪子を望まれ、皆が飛び着いて調べて見ると、先方の家庭に不倫な事件のあることが知れて、愕然としたことがあったので、貞之助は、今度もあれのようなのではなかろうかと疑い、菅野未亡人の好意は分るが、何だか少し人を馬鹿にしたようなところがある、順序も蹈まないで、出し抜けに、会ってやるから出て来いなどと云うのは失敬ではないかと、憤慨したような口調で云ったが、でも、何と云っても今度の話は二年三箇月目の、久し振の縁談なのである。幸子は、二三年前迄は降る程あった申込みが急に跡絶えるようになったことを思い、その原因が、昔の格式に囚われて不相応に高い望みを懸け、来る話来る話を片っ端から断ってしまったことにもあるが、一つには妙子の世評の悪いことが影響を及ぼしているのだと思うと、どうしても自分に責任の一半があるように感じられて、気が咎めていたのであったが、これはその矢先に持ち込まれた話なのである。一時は、もうすっかり世間の同情を失い、誰も縁談など持って来ないようになったのかとまで悲観していた彼女にして見れば、たとい望み薄な、アヤフヤなものであったにしても、これを頭から撥ね付けるようなことをしては、又世間の反感を買いはしないか、と云う危惧があった。今度の話に応じて置けば、不成立に終ったとしてもこれを切掛けに後の話が出て来そうだけれども、これを断ったら、又当分何処からも持って来なくなるかも知れない、まして今年は雪子が厄年なのではないか、と云う風に思えた。それに、義兄夫婦の腹の中を可笑しがる彼女にしても、あながちこの話を「夢のような」とばかり卑下するには当らない、と云う気も何処かにあった。夫は警戒した方がよいと云うのであるが、ほんとうにそんなものであろうか、その沢崎と云う家がどんなお金持か知れないが、二度目で、子供が二三人もある男に比べて、そんなに滑稽扱いするほど雪子ちゃんが見劣りするであろうか、蒔岡家だって由緒正しい家であるのに、と云う風にも彼女は云って見たかった。そして貞之助も、そう云う風に云われてしまうと、それには言葉を返し得ず、そう此方を安っぽく見ては泉下の養父に対しても相済まないし、雪子にも気の毒のように思えるのであった。

夫婦はまる一と晩考えて、兎に角雪子が何と云うか、雪子次第にするのが宜しかろうと云う結論になったが、翌日幸子から、二通の手紙の要領を話してそれとなく意向を尋ねると、これは思いの外にそう厭のような様子でもなかった。例の通りで、行くとも行かないともはっきりした返事はしないのだけれども、幸子には「ふん」とか「はあ」とか仄かに受け答えするだけである雪子の言葉のはしばしに、何となく会得出来るものがあった。彼女は、この気位の高い妹も、矢張内々は焦躁を感じており、一と頃のように「見合い」に対してそう気むずかしいことを云わないような心境になっているのかも知れない、と察した。それに、彼女は雪子にその話をするのに、自尊心を傷けそうなことは云わないように努めたので、雪子にして見れば、その縁談を不釣合とも滑稽とも感ぜず、まして冷やかし半分であろうなどとは思う筈もなかった。いつもなら、先妻の子供があるなどと聞くと、その子供達の出来不出来だの、年恰好だのを、相当問題にしたがるのだけれども、今度はそう云うことにも余りこだわらず、どうせ一遍東京へ帰らなければならないのだから、皆で大垣まで送って来てくれるなら、蛍狩もいやではない、と云う風な口ぶりなので、やっぱり雪子ちゃんはお金持の所へ行きたいのかなと、貞之助は云った。で、幸子は菅野の未亡人に宛てて、それでは御好意に縋ってお招きを受けることにしたから万事宜しくお願いしたいこと、当人も快くそのお方にお目に懸ると云っていること、お伺いするのは私と、雪子と、妙子と、悦子の四人であること、但し、勝手を申し上げて済まないけれども、悦子は長い間病気をし、この間床上げをしたところで、引き続き学校を休んでいるので、此方の都合は、今度の土曜日曜よりも、金曜土曜の方が好いこと、見合いのことは悦子には知らせないようにしたいので、何処迄も蛍狩と云うことにして置いて戴きたく、その点お含みを願いたいこと、等々を云ってやったが、日を一日繰り上げたのは、大垣から真っ直ぐ東京へ帰ると云う雪子を、三人が蒲郡まで送って行こうと云うことになったので、金曜日に菅野方へ泊り、土曜日には常磐館まで延すことにしたからであった。そして、日曜の午後、蒲郡で東西に別れてその日のうちに帰宅し、悦子を来週の月曜から学校へ行かせる、と云う予定にしたのであった。

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