九
新しい覚醒が来た。
恐怖を感じ、寂寞を感じ、孤独を感じ、倦怠を感じた時にのみ仏の前に行つて手を合せたかれは、今では自ら進んでその本堂の本尊の前に行くやうになつた。最早かれの読経はかれのための読経ではなかつた。また仏に向つて合掌するかれの手は、かれのための合掌礼拝ではなかつた。新しい力はかれの魂を蘇らせた。かれはかれの後半生を仏の功徳を讃するために用ゐることを悔いなかつた。
不思議の心理ではないか。また不思議な顛倒ではないか。かれは今まで消極的であつた自己を最早何処にも見出すことが出来なかつた。かれを苦しめたあらゆる幻影、恐ろしい溺死の光景、恨を含んだ心の形のあらはれた光景、絞首の刑に逢つた「恐ろしい群」の人達の光景、さういふ無限のシインは最早かれを脅かすことはなかつた。新しい力は満ちた。
貧、苦、乏、病に満ちた世界である。それは皆な我に着いたために起つて来たあらゆる光景である。ある国はある国と争つて、無辜の血を流してゐる。ある人間はある人間と争つて、互に虚偽の勝敗を争つてゐる。デカダンはデカダンと相食んでゐる。悪と悪とは互にその牙を磨いてゐる。それは皆な我に着した処から起つて来る。現に自分すらその染着を捨てることが出来なかつた。捨てることの出来ないがために、かれは「幻影」に脅かされた。この「幻影」――あらゆる世間の人達を絶えず苦しめるこの「幻影」のために、仏の前に手を合せなければならないと思つた。
ある日は殆ど一日本尊の前に行つて読経した。世話人がやつて来て、用事を話さうとしても、かれは竟に其処から立上らうともしなかつた。世話人は仕方がないので、一度帰つてそして又やつて来た。矢張かれは読経を続けてゐた。
寂然として端坐してゐる如来像、それはもう昔の単なる如来像ではなかつた。ある時ある人の手で鋳られたブロンズの仏像では猶更なかつた。かれは其の端麗な顔に、人間の慈愛を発見し、その威厳を保つた表情に人性の根本に横つた金剛の相を発見した。そしてまたその寂滅の姿には、着したものを拭ひ去つたあとの不動不壊の相の名残なくあらはれてゐるのを発見した。今まで広い空間に孤独を歎き、一人を歎き、自然の無関心を慨いた自己は、杳かに遠い過去に没し去つた。今はその如来の像はかれに向つて話し懸けた。又かれに向つて微妙不可思議の心理を示した。
仏の前に端坐読経してゐる時ばかりではなかつた。日常の坐臥進退にも、その本尊は常にかれと倶にあつた。かれと倶に笑つた。かれと供に語つた。古い長火鉢の前に坐つた時にも、七輪の下を煽いでゐる時にも、暗い夜の闇の中に坐つてゐる時にも、をり/\飆風のやうに襲つて来る過去の幻影の混乱した中にも……。
かれの姿はをり/\寺の境内の中に見えた。幾日も頬に剃刀を当てたことがないので、鬚は深く顔を蔽つた。誰が見ても、かれが此処にやつて来た時の姿を発見することが出来なかつた。かれは夥しく変つた。
かれの立つてゐる垣の傍には、紅白の木槿の花が秋の静かな澄んだ空気を彩つて咲いてゐた。