Chapter 1 of 7

『色懺悔』『夏痩』あたりから、私は紅葉の作物を手にした。矢張、毎朝『読売』の一回を楽んだ方で、『おぼろ舟』のお藤『心の闇』のお粂などは、長い間忘れられないほどの印象を私の頭脳に残して居た。

其頃『江戸紫』といふ雑誌が硯友社の人達の手に由つて発行されて居た。それを千駄木の鴎外漁史が評して、『われも紫の一本ゆゑにかの雑誌を愛読するものなり』といふ意味のことを書いた。紫の一本、無論それは紅葉を指して居た。

文壇には其時分いろ/\な異つた流派があつた。根岸派、千駄木派、早稲田派、硯友社派、民友社派など、皆違つた思想と文章とを持つて、銘々志す方に向いて居た。雅俗折衷だの、言文一致だの、国文復興だのと、文体すらまだ一定しないやうな時代で、堅苦しい漢文調で小説を書いて居たものすらあつた。従つて文体の一定といふことがよく言はれた。美妙二葉亭の言文一致、西鶴を模倣したやうな紅葉露伴の雅俗折衷、落合直文や小中村義象を中心にした新しい国文調の文章、さういふものが段々に出来て行つた。其時分、文壇に出て行く人達は、先づ文体からきめてかゝらなければならないやうになつて居た。

紅葉と露伴とは、西鶴から出て、やがて右と左に分れて行つたやうな光景を呈して来た。そして互に自分の持つて居る特色を発揮して来た。紅葉の文、露伴の想、かういふことが度々言はれた。

紅葉ほど絢爛な文章を書いた人は其頃にはなかつた。かれの文章に対する苦心は惨憺たるものであつた。言葉の選択、辞句の排列、形容詞の配置など、かれほど文章に努力したものはないとさへ言はれた。かれは眺望に富んだ富士のよく見える山の手の明るい二階の一間で、いつも原稿紙を前にして、長い長い苦闘を続けた。

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