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カシタンカ
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カシタンカ
アントン・チェーホフ
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Chapter 1 of 7

一 行儀がわるい

まるできつねみたいな顔つきをした一匹の若い赤犬が――この犬は、足の短い猟犬と番犬とのあいのこだが――歩道の上を小走りに行ったりきたりしながら、不安そうにあたりをきょろきょろ見まわしていた。赤犬は、ときどき立ちどまっては、泣きながら、こごえた足をかわるがわる持ちあげて、どうしてこう道にまようようなへまなことをしでかしたんだろうと一生けんめい考えた。

赤犬は、自分がどんなふうに、きょう一日を暮らし、どうして、しまいにこの見知らぬ歩道へまよいこんだのか、はっきりおぼえていた。

たしか、きょうが始まったのは、主人のさしもの師ルカー・アレクサンドルィチが、帽子をかぶり、赤い布切れに包んだ、何か木製品をこわきにかかえて、――

「カシタンカ、行こうぜ!」

と呼んだ、あのときである。

自分の名まえが呼ばれたのを聞くと、カシタンカは、今までかんなくずの上でねむっていたが、仕事台の下から、ごそごそはいだしてきて、さも気持よさそうにぐっと一つのびをしてから、主人についてかけだした。ルカー・アレクサンドルィチのお得意さきは、みんな、おそろしく遠いところにあったので、そのうちの一軒にたどりつくまでに、さしもの師はなんども居酒屋へよっては、ぐっと一ぱいひっかけて、元気をつけなければならなかった。カシタンカは、その道々、自分はずいぶん行儀がわるかったのを思いだした。散歩につれて行ってもらえるのがうれしかったので、ぴょんぴょんとびはねたり、鉄道馬車にほえついたり、よその家々の庭さきへはいりこんで、そこの犬を追いまわしたりしたのである。さしもの師は、しょっちゅうカシタンカのすがたを見うしなっては立ちどまり、ぷりぷりしながらどなりつけた。一度なんか、今にも食いつきそうなこわい顔つきで、カシタンカのきつねのような耳をひっつかみ、ぐいと引っぱって、とぎれとぎれにこんな悪たいをついたりした。

「くた……ばり……やが……れ、……この……コレラやろうめ!」

お得意さきをまわりおえると、ルカー・アレクサンドルィチは、ちょっと妹のうちへよって、そこでお酒を飲み、軽く腹ごしらえをした。妹のうちを出てから、彼は知りあいの製本屋へまわり、製本屋から居酒屋へ、居酒屋から名づけ親のところへというあんばいに、あっちこっちへ顔をだした。つまり、カシタンカがこの見知らぬ歩道へやってきたころには、もう夕がたになっていて、さしもの師はべろべろによっぱらっていた。かれは両手をふりまわして、大きな息をはきながらぶつぶつ言った。

「おれは、どうせ生まれぞこないさ! ああ、そうとも! 今だからこうしてのんきに町を歩いて、街燈なんか見ちゃいるけどな、おれが死んだら――地獄の火で焼かれるにちがいないさ。……」

そうかと思うと、急にやさしい調子に変わって、カシタンカを呼ぶと、こう言った。

「なあ、カシタンカ、おまえは、まあ、いいとこ虫けらだな。もっとも、人間とおまえのちがいは、まあ、さしもの師と大工のちがいみたいなもんだなあ。……」

ルカー・アレクサンドルィチが、カシタンカをあいてにこんなくだをまいていたとき、とつぜん音楽が鳴りひびいた。カシタンカがふり向くと、通りをまっすぐ自分のほうへ、一団の兵隊が進んでくるのが見えた。この音楽を聞くと、たまらないほど神経がいらいらしてきたので、カシタンカははねまわって、うううとうなった。ところが、おどろいたことに、主人のさしもの師は、きもをつぶして金切り声をあげたりほえたりするかわりに、顔じゅうにえみをたたえ、気をつけの姿勢をとり、五本の指をそろえて挙手の礼をした。主人が平気なのを見ると、カシタンカはいっそう大きな声でほえたてて、われを忘れていっさんに通りを横ぎり、向こうがわの歩道へとんで行った。

カシタンカが、ふと我にかえったときには、もう音楽はやみ、兵隊もいなくなっていた。そこで、赤犬はふたたび通りをわたって、さっき主人をおきざりにしてきたところへかけもどった。すると、――ああ、どうしたことだろう!――そこには、もう、さしもの師はいないのだ! カシタンカは、向こうへかけたり、かけもどったり、もう一度、通りを向こうへわたったりしたが、さしもの師のすがたは、まるで地の底へもぐりでもしたように見えなかった。足あとのにおいで主人を見つけようと思い、歩道の上をくんくんかぎまわってもみたけれど、その前にどこかのろくでなしが新しいゴムのオーバーシューズをはいて通ってしまったとみえて、今ではもう主人のかすかなにおいが、すっかりどぎついゴムのにおいにまざってしまって、何ひとつかぎわけることができなかった。

カシタンカが行ったりきたりするばかりで、まだ主人を見つけだせないでいるうちに、あたりは暗くなってきた。通りの両がわには街燈がともり、家々の窓にも、明かりがさし始めた。大きな綿雪がふってきて、石をしきつめた道路や、馬の背や、辻馬車の馭者の帽子を白くそめた。そして空気が暗くなればなるほど、いろいろなものが、いっそう浮きだして見えた。すぐそばをおおぜいの≪お得意さん≫たちが、ひっきりなしに行き来して、カシタンカを足でつきとばしたり、目の前に立ちふさがったりした。(≪お得意さん≫というのは、カシタンカが人間全体を、主人とお得意さんとにわけていたからである。主人とお得意さんとのあいだには、ひじょうな違いがあった――主人は、カシタンカをぶつ権利があるが、反対に、お得意さんに対しては、カシタンカのほうで、そのふくらはぎにかみつく権利があるのだ。)お得意さんたちは、どこへ行くのか、ひどくいそいでいて、カシタンカには目もくれなかった。

あたりがすっかく暗くなると、カシタンカは急にがっかりしておそろしくなった。赤犬は、とある家の車よせにかじりついて、はげしく鳴き始めた。一日じゅう、ルカー・アレクサンドルィチのおともをして歩きまわった旅行のおかげで、へとへとにつかれ、耳や足がすっかりこごえ、おまけに、ひどくおなかがすいていた。きょう一日のあいだに、ともかく口をもぐつかせたのはたった二度――それも、製本屋でのりをすこしなめたのと、一軒の居酒屋で売り台のそばに腸づめの皮を見つけたのと――まさにこの二回だけだったのだ。もし、カシタンカが人間だったら、きっとこんなことを考えたにちがいない。――

「ほんとに、これじゃ生きていけない! ピストル自殺でもしなくちゃ!」

Chapter 1 of 7
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