二
かれこれ二十五年から三十年の昔になろうか、この家に来て飲み、食い、仮面舞踏に集まり、恋をし、結婚をし、自分たちのすばらしい猟犬や馬の話で人をうんざりさせた大勢の知人の中で、生き残っているのはイン・イーヌィチ・ブラーギン一人きりであった。かつては彼も非常なやり手で、おしゃべりで喧し屋で惚れっぽい男で、その過激な傾向と、ただに女性のみならず男性をも魅惑する一種特別の表情とをもって鳴っていた。今ではもうすっかり老い込んで、ぶくぶく太って、傾向も表情もなく余生を送っている。彼は手紙を受けとるとすぐその翌日にやって来た。ちょうど夕方で、食堂では今しがたサモルが出たところ、ちっちゃなマリヤ・ゲラーシモヴナがレモンを切っていた。
「やあよく来てくれたな、君」と、出迎えながら私は陽気に言った、「だが君はますますふとるなあ。」
「この僕のは太るんじゃない、腫れ上がったのさ」と彼は答えた、「蜜蜂に刺られたもんでね。」
自分の太りようを自ら揶揄して見せる男の気置きのなさで、彼は両手を私の胴に廻し、小ロシヤ風に前髪をお河童にした柔らかな大きな頭を、私の胸に寄せかけて、甲高い老人の笑いごえで笑いこけた。
「だが君はますます若返るなあ」と彼は笑いのひまからやっと言った、「全体どんな白毛染でその髪や髯を染めるのかしらんが、僕もひとつ貰いたいもんだ。」彼は鼻をふうふう言わせて、喘ぎ喘ぎ私を抱擁し、頬に接吻して、「僕もひとつ貰いたいもんだな……」と繰り返した。「ときに君は、四十だったっけな。」
「いやあ、もう四十六だよ」と私は笑いだした。
イン・イーヌィチは牛蝋と台所の油煙の臭いがして、いかにも人柄に合っていた。大きくてぶくぶくした鈍重な図体は、ボタンの代りにホック止めにした胴の括りの高い、馭者の上衣によく似た長いフロックにぎゅうぎゅう緊めあげられているのだから、もしこの男から例えばオーデコロンの匂いでもしようものなら、それこそおかしいに違いない。もう久しく剃ってない鳩羽色の、まず牛蒡といった感じの二重顎にも、飛びだした眼にも、息ぎれの様子にも、不細工な無精たらしい姿全体にも、声音にも笑いごえにも言葉にも、その昔郡下の亭主どもをしてその妻を嫉妬させた、すらりとした美貌の話上手の面影はなかった。
「じつはね、大いに助けて貰いたいことがあるんだ」と、もう二人で食堂に坐って茶を飲んでいるとき、私はいった、「飢えている百姓のため、ひとつ救済事業を起こそうと思うんだが、どこから手をつけたらいいのかわからんのさ。と言うわけだが、君ならきっと何か智慧を貸してくれるだろうね?」
「そう、そう、そう……」とイン・イーヌィチは溜息まじりに言った、「なある、なる、なる……」
「僕は君に心配をかけたくはなかったんだが、しかしまったくのところ君のほかには、君、持ち掛ける相手は断然一人もないのだ。君も知ってるね、ここの連中がどんなだか。」
「なある、なる、なる……そう……」
私は思った――今はじまろうとしている協議は真面目な事務的なもので、それには地位や私情にかかわりなく、誰にでも参加して貰って差支えない。ではひとつ、ナターリヤ・ガヴリーロヴナを招んではいけないだろうか。
「三人寄れば文珠の智慧!〔(ラテン語で、「三人よれば団体」の意)〕」私は陽気にいった、「どうだね、ひとつナターリヤ・ガヴリーロヴナを招んで見たら。君はどう思うね? フェーニャ」と私は小間使に、「ナターリヤ・ガヴリーロヴナに、もしお差支えがなかったら、すぐ二階までお越しを願いたいと申し上げておくれ。非常に大切な用件だと申し上げてな。」
暫くすると、ナターリヤ・ガヴリーロヴナがはいって来た。私は起ちあがって、彼女を迎えながら言った。
「ナタリイ、わざわざお呼び立てをして済まなかったが、じつはいま非常に重大な問題を話し合ってるところでね、あんたのいい智慧を拝借したらという考えが、幸いにしてわれわれの頭に浮かんだというわけだ。無論貸して頂けるだろうね。さ、どうぞお掛け下さい。」
イン・イーヌィチはナターリヤ・ガヴリーロヴナの手に、彼女は彼の額に接吻した。それから三人してテーブルを囲んで坐ると、彼は涙ぐんでいかにも幸福そうに彼女を眺めながら、彼女の方へ身を伸ばしてふたたびその手に接吻した。彼女は黒いドレスを着て、念入りに髪をととのえ、爽やかな香水の匂いを立てていた。明らかにこれから訪問に出かけるところか、誰か客を待ち受けているところだったと見える。食堂にはいると、彼女はあっさりと親しげに私に手を差し伸べ、イン・イーヌィチに対すると同じに、愛想よくにっこりして見せた。これは私の気に入った。しかし彼女は、話をしながら指を動かしたり、頻繁に勢よく椅子の背にもたれかかったりして、早口に喋るのだった。このもの言いと動作にあらわれたむら気な落ちつきの無さが、私をいらいらさせ、彼女の生まれ故郷――オデッサのことを思い出させるのだった。いつかそこの男女と附き合って見て、私はその下品な調子に閉口させられたことがあるのだ。
「僕は、難民のため何かしてやりたいと思うのだが」と私は口を切り、少し沈黙してから言葉をつづけた、「そりゃ無論、金は大事な問題だが、単に金銭の喜捨だけにとどめて、それで自ら安んずるとしたら、もっとも重要な苦労を回避することになると思う。救済は結局金の問題になるには違いないが、肝腎な点はその組織の正しさ真摯さにあるのだ。で諸君、ひとつ考えて見ようじゃないか、そして何かやろうじゃないですか。」
ナターリヤ・ガヴリーロヴナはもの問いたげに私の方を見て、肩をすくめた。『私に何がわかりましょう』とでも言いたそうに。
「そ、そう、飢饉……」とイン・イーヌィチはもぐもぐ始めた、「実際まったく。……そう……」
「事態は重大だ」と私はいった、「救済は火急を要する。僕思うに、われわれが立てねばならぬ原則の第一箇条は、すなわち迅速ということだ。軍隊式に、目測、機敏、急襲だ。」
「そう、機敏だ……」とイン・イーヌィチはまるでうとうとしかけたように、眠たげなだるそうな声を出した、「ただなんともしようはあるまいな。凶作だった、だもんでこんなことになった……こればかりはいかなる目測も急襲も突破はできまいな。……自然力さ。神と運命にはさからえない。……」
「そのとおりだ。だが人間が頭を授かっているのは、諸々の自然力と闘争するためじゃないか。」
「ええ? ああ……そりゃそうだ、そのとおり。……そう。」
イン・イーヌィチはハンカチに嚏をして、元気づき、今やっと眼が醒めたように私と妻の顔を見まわした。
「僕のところでもさっぱり何も収れなかった」と彼は細い声で笑いだし、さもそれがひどくおかしいことのように、ちらとずるそうに目配せをして見せた、「金もない、穀物もない、だのに屋敷内と来たらまるでシェレメーチエフ伯〔(ピョートル大帝の股肱の臣)〕のお邸みたいに、お百姓で一杯だ。頸根っこをつまんで追い出しちまおうと思うが、可哀そうな気もしてね。」
ナターリヤ・ガヴリーロヴナは笑い出して、イン・イーヌィチに、その家の様子を根掘り葉掘り訊ねはじめた。彼女のいるおかげで、私はもう久しく覚えたことのない愉快な気持ちになり、この秘かな感情がどうかした拍子に目つきにあらわれはしまいかと思って、なるべく彼女の方を見ないようにしていた。何しろ二人の間柄が間柄なので、そうした感情のあらわれは、突拍子もない滑稽なものに見えまいものでもないのだ。妻はイン・イーヌィチと話し込んで笑っていたので、自分が私の部屋にいることも私が笑わぬことも、一こうに気にしていなかった。
「すると諸君、どうしたもんだろうね」と私は話の切れ目を待って訊いた、「僕思うにわれわれはまず手始めに、一刻も早く寄附の募集を始めようじゃないか。でナタリイ、僕たちはそれぞれ帝都とオデッサの知人に手紙を出して、寄附の勧誘をする。そして幾ぶんなりと集まって来たら、僕らは穀類と家畜の飼料の買附けにかかり、君は、イン・イーヌィチ、御面倒だが救恤品の配給の方を受持ってくれたまえ。一さいは君の持前の如才なさと経営の才に信頼するが、まあ僕らとして一言希望を述べさせて貰えば、君は救恤品を配給するに先だって、現地の情勢を逐一研究してくれたまえ。またこれもやはり大切なことだが、穀類が本当に困っている人間にだけ渡って、酔いどれや怠け者や、乃至は高利貸の輩には、決して渡らんように監視して貰いたいのだ。」
「そ、そう、そう……」とイン・イーヌィチはもぐもぐ始めた、「なある、なある、なる……」
『ええ、この涎くりの廃人相手じゃ粥は煮えんわい』と私は思い、いらいらしてきた。
「難民連中にゃもう懲り懲りしたよ、畜生めが。年じゅうぶすくさ言いおる、年じゅうぶすくさ言いおる」とイン・イーヌィチは、レモンの皮をしゃぶりながら言葉をつづけた、「難民は腹の満ちい連中のことをぶすくさ言う。穀物のどっさりある連中は、難民のことをぶすくさ言う。そうとも。……飢えのため人間は頭が変になる。鈍する、兇暴になる。飢えは甘いもんじゃない。飢えりゃ乱暴なことも言う、盗みもする、いやもっと悪い事だってしかねない。……これがわかってなくちゃ駄目だ。」
イン・イーヌィチはお茶にむせて咳き入り、首を絞められたようなきんきんした笑いで、総身を顫わせはじめた。
「そも戦いはポ…ポルタの! 〔(ポルタの役を枕にして、古い話を披露するのである)〕」と彼は、笑いと咳とで口が利けず、両手で払いのけるような恰好をしながら、やっとこさで言った、「そも戦いはポルタの! 農奴解放の年から三年ほどしてだったが、この近在二郡に飢饉があったんだ、今は故人になったが、フョードル・フョードルィチが僕のところへやって来てね、来てくれと言う。行こうよ、さ、行こうよって、まるで咽喉もとへ短刀でも突附けそうな剣幕だ。ああいいとも、じゃ行こうってわけでね、早速連れだって出掛けた。時しも頃は夕まぐれ、ちらちら白い物が降っていた。彼の屋敷に近くなった頃はもう真夜中だったが、やにわに森の中からズドンと来た! もう一ぺんズドン! ひゃあ、畜生め!……というわけでね、僕は橇から飛びだして見ると、暗がりの中を一人、膝まで雪に埋めながら僕めがけて向ってくる奴がある。僕はそいつの両の肩へ、それこういう工合に腕を廻してね、握っている鉄砲を叩き落した。そこへ又一人とび出した。そいつの頸根っこへガンとくれたところが、ぎゃっと一声、雪の中へ鼻を突込んで伸びちまった。その頃は僕も頑健でね、馬鹿力があったものさ。まず二人を軽くひねって置いて向うを見ると、フェーヂャはもう三人目の奴に馬乗りになっている。僕らはこの三勇士をそのまま引ったてた。そりゃ両手を後手に縛ってね、僕らにも自分らにも悪戯が出来んようにして、馬鹿者どもを台所へ引っぱり込んだ。奴らが憎くもあれば、顔を見るのが気恥かしくもあるってわけさ。何しろよく知っている百姓たちでね、いい人間なんだ。気の毒になったよ。恐怖のあまりまるで痴呆になっていた。一人は赦してくれとめそめそ泣くし、一人はまるで獣みたいになって罵詈雑言する、三人目は跪いてお祈りを上げている。僕はフェーヂャに言った、まあ腹を立てるな、この卑劣漢どもを放してやれ。彼は奴らに物を食わしてね、麦粉一プード〔(一プードは約十六キログラム)〕ずつ背負わして放してやった、消えて失くなれ! ってね。まあそんな工合だったよ。……天国へ往かしめ給え、永遠に安らわんことを! あの男は話がわかっていて、べつに腹も立てなかったが、世間には腹を立てた連中もいてね、そのためどれだけの人間を台なしにしてしまったことか。そうさ……。クロチコーフの酒場の事件だけでも、十一人から懲役に行ったからね。そう……。現に今だって見給え、同じことだ。この木曜、僕の家に予審判事のアニーシインが泊って行ったがね、どこかの地主の話をしてくれた。……そう。……夜中のうちにその地主のとこの納屋の壁を崩してね、ライ麦を二十俵引いて行ったんだ。朝になってその地主が、自分のとこでそうした刑事犯の行われたのを聞くと、早速ぶうんと県知事へ電報を飛ばした、も一つぶうんと検事へ飛ばした、三つ目を署長へ、四つ目を予審判事へ……。誰しも告口屋の怖いのは知れたことだ。そこで偉い人たちが仰天して、大騒ぎになった。村を二つ隅なく探したんだ。」
「お話中だが、イン・イーヌィチ」と私は言った、「ライ麦二十俵は僕のところで盗られたのだ。知事へ電報を打ったというのは僕さ。ペテルブルグへも打ったよ。だがそれは決して、君が言われるように告口が好きでやったわけでもなく、また僕が腹を立てたからでもない。あらゆる問題を、僕はまず原則の側から見るのだ。満腹している者が盗もうと飢えた者が盗もうと、法律にとっては無差別だ。」
「そ、そう……」とイン・イーヌィチはどぎまぎして口ごもった、「無論それは……なるほど、そう……」
ナターリヤ・ガヴリーロヴナがさっと気色ばんだ。
「こういう方がありますのね……」と彼女は言いかけてやめた。彼女は冷静を装おうと懸命に自分を抑えていたが、とうとうこらえ切れずに、私には馴染のふかい例の瞋恚のまなざしでわたしの眼を睨みつけて、「こういう方がありますのね」と言った、「飢饉も気の毒な人たちの艱難も、ただ御自分の邪しまなみすぼらしい根性の吐き散らし場所としての他には、意味がないというような。」
私は狼狽して肩をすくめた。
「あたくし一般のことを申しておりますのよ」と彼女はつづけた、「恐ろしく冷淡で、同情心などはまるっきり無いくせに、そのくせ御自分の世話にならずに切り抜けられるのが怖さに、人の艱難を見過ごすことができず、喙を入れるというような方がありますのね。そういう方の虚栄心にかかっては、何ひとつ神聖なものはないのですわ。」
「こういう人もあるね」と私はもの柔らかに言った、「天使のような性質の持ち主でありながら、その歎賞すべき思想を表現する形式をもって見ると、さて天使やら、オデッサの市場の物売り女やら、みわけがつきかねるという風なね。」
はなはだまずいことを言ったものだとは、自分でも知っている。
妻は私にちらりと目をくれたが、その顔つきで見ると、黙っているにはよほどの努力を要したらしかった。彼女の不意な気色ばみよう、それから私の難民救済の希望に関する場所がらわきまえぬ懸河の弁、この二つはいくら内輪に見積っても時宜に適せぬものであった。彼女を二階へ招いたときの私の気持ちでは、自分および自分の目論見に対する彼女の全然ちがった態度を期待していた。何を期待していたかをはっきりと言うことはできないけれど、とにかくその期待は私を楽しく興奮させていた。さて今となっては、これ以上難民の話をつづけることは困難でもあり、また恐らくは賢明でもなかろうことを、私は見て取った。
「そう……」と折悪しくイン・イーヌィチが呟きだした、「商人のブーロフのところには四十万はある、もっとあるかも知れん。だから私はこう言ってやる、『出してやれよ、なあ同名者〔(洗礼名を同じくする者同士である)〕、難民たちに十万か二十万ほどさ。どうせいつかは死ぬんだし、あの世へ担いで行けるものでもなし』ってね。奴さん腹を立てた。だがやっぱり死ぬことは死ぬんだ。死は甘いもんじゃない。」
ふたたび沈黙が来た。
「するとつまり残る途はただ一つ、孤独と仲直りをするだけか」と私は溜息をついた、「一人ぼっちじゃ戦さはできぬ。なあに、かまうものか。ひとりで戦って見ようよ。おそらく飢饉との戦いは、冷淡との戦いよりはうまく行くだろうよ。」
「あたくし、階下に待たせてありますから」とナターリヤ・ガヴリーロヴナが言った、彼女はテーブルを離れて、イン・イーヌィチに、「では後刻階下のあたくしのところへちょっとお寄り下さいましね。いまはお別れを申しませんわ。」
そして出て行った。
イン・イーヌィチはすでに七杯目の茶を飲んでいた。息をはずませ、唇をぴちゃぴちゃ言わせ、口髭をしゃぶったり、レモンの皮をしゃぶったりして。彼は眠たげなだるそうな調子で何かもぐもぐ言っていたが、私はそれには耳も藉さずに、彼の出て行くのを持っていた。とうとう、腹いっぱい茶を飲むだけに私のところへやって来たような顔をして、彼は立ち上がって別れの挨拶をはじめた。彼を送り出しながら私は言った。
「結局君はなんの助言もしてくれなかったわけだな。」
「え? 僕は青ん脹れの老いぼれさ」と彼は答えた、「僕の助言がなんになるもんか。それに君は無駄な心配をしてるんだよ。……僕にはまったくわからんな、君がなんで心配してるのか。まあ心配し給うな、いい子だから。僕が請け合うよ、心配することなんか何ひとつありはしないんだよ……」彼は私をまるで子供のように宥めながら、真心をこめていたわるように囁いた、「請け合うよ、何にもありはしないんだよ!……」
「どうして無いものか。百姓は農舎の屋根を剥がしているし、もうどこかにチフスが出たとかいう話だ。」
「で、それがどうだと言うのさ。来年はまた豊作で、新しい屋根が出来るだろうよ。また僕らがチフスで死んだとしたって、そのあとには他の連中が住むだろうじゃないか。晩かれ早かれ、どうせ死ななけりゃならんのだ。心配し給うな、なあ君。」
「僕は心配せずにはおられんのだ」と私はいらいらして言った。
私たちは灯火のうす暗い控間に立っていた。イン・イーヌィチは突然わたしの肘を捉え、一見何か非常に重大なことを言おうとしているような風で、半分間ほど無言で私を見つめた。
「パーヴェル・アンドレーイチ」と彼は小声でいった。と、彼の硬張らせた脂ぎった顔と暗い眼に突然、その昔鳴らせたあの一種特別の表情が閃いた。それはまったく魅力のあるものだった。「パーヴェル・アンドレーイチ、友達として僕は言うんだが、君のその性格を変えたまえ。君は附き合いにくい男だよ。なあ君、じつに附き合いにくいよ。」
彼はじっと私の顔を見つめた。素晴らしい表情は消え、眼つきはどんよりとして、ふうふう鼻を鳴らしながら懶げに呟いた。
「そう、そう……老人の繰り言だ、許し給え。……愚痴さ。……そう。……」
身体の平均をとるため両手を拡げ、脂肪ぶとりの大きな背中と、赤いうしろ頸を見せながら、重そうな足どりで階段を降りて行く彼の後姿は、何か蟹類のような不快な感じだった。
「君はどこかへ出掛けるといいんだよ、なあ閣下」と彼はもぐもぐ言った、「ペテルブルグか外国へでもね。……こんなところに住んで黄金の時を空費する手はないんだ。君は若いし丈夫だし金持だし。……そう。……ええくそ、僕だってもう少し若けりゃ、兎みたいに跳びだして、耳で風を切って廻るんだがな。」